今日も空は青い空

桃井すもも

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「私も同席するよ。私は君のパートナーだ。それくらいの資格はあるだろう?」

 ロバートは、身動きの取れないグレースに代わって商会の仕事も一人で請負ってくれていた。ビジネスパートナーの枠を超えて、今のグレースはロバートに支えられている。

「お願いしてもよろしいでしょうか?」

 グレースの言葉にロバートはほっとした表情で「勿論だ」と答えた。


 この商会に、リシャールは愛人共々立ち入りを許されていない。元を辿れば愛人の弁えない行為からの処遇であるが、約束事を守れないリシャールにはそんな事は端からどうでもよいらしい。

「グレース!」

 リシャールは、客室に通して待たせていたのをグレースが部屋に入るなり立ち上がり、その後ろにロバートがいるのを認めて「チッ」と小さく舌打ちを打った。

 ロバートへ一睨ひとにらみするのを忘れずに、それからリシャールは、

「グレース、離縁なんて馬鹿なことを言わないでくれ。」
 前置きをすっかりすっ飛ばし行き成り本題に入った。

「それは無理なお話ですわ。私、申し上げたでしょう?一度だけだと。約束を違えたのは貴方がたです。」

 イザベルが商会のドレスを求めて、その支払いを侯爵家へ回そうとした騒動の際に、イザベルを御する事の出来ないリシャールに、グレースは「この一度だけ」だと許した。

「何より、お子様を授かったとお聞きしました。」
「悪かった!君より先に孕ませようなど思ってもいなかった。薬も飲ませていたし、その、気を付けていたんだ。」

 夫と愛人の性事情など聞かされても仕方が無い。思わず眉を顰めてしまったグレースに、リシャールもしまったと云う顔をする。

「初めから間違っていたのです。貴方には愛する人がいらした。そこへ親の言うまま嫁いだ事がそもそもの誤りであったのでしょう。この婚姻が最初から契約絡みであったのは貴方もご存知だった筈です。愛の無い契約ありきの婚姻は、結局誰にも幸せを齎しはしないのでしょう。」

「待って、グレース!お願いだ、話しを聞いてくれ。僕は君を愛してる。君を失うなんて嫌だよ!」

 嫌だ嫌だと喚くのを許されるのは幼子だけである。

「イザベル様をどうなさるおつもりなのです?」

「彼女は...、彼女は、子を生んでも今までと変わらない。変わらずあの家にいてもらう。」

「お子様はどうなさるの?」

「グレース、君に私の子を生んで欲しいんだ。侯爵家は君の子が継ぐんだ。」

「イザベル様のお子様は?」

「す、スペアにする。」

 グレースは溜め息が漏れた。誰からも愛されて育ったリシャールは、真の意味で人を愛する事を知らないのかも知れない。
 この世に生を受ける我が子も最愛の女性ひとも、都合よく利用しようとしている。そこにはきっとグレースも含まれるのだろう。

 貴族にあってその考えは、必ずしも間違いとは言い切れない。
 生まれた子に優劣を付けるのは貴族にとっては当然で、正妻の子と愛人の子が区別されるのもまた当然の事である。そうで無ければ家は守れない。家を守ると言うのは血を選ぶ。

「イザベル様はあの夜会の場で、ご自分を次期侯爵夫人だと仰いました。彼女は妾のまま別邸に収まるつもりは無いと思います。」

「ああ、それなら確かに私も聞いた。そうだ、私には自分の方が爵位が上であると語っていたな。君、大丈夫か?頭の緩いのは愛人までだぞ?あれで侯爵夫人とは、君達の子の将来を思うなら少し考えてはどうかな?」

 歯に衣着せぬロバートの物言いに、リシャールがわなわなと身体を震わせているのが分かる。

「君、失敬だぞ!伯爵家風情が無礼にも程がある!」

「はっ、互いに親の爵位の下にあるだけだろう。別に私は貴族の身分が無くとも構わない。得難いパートナーがいるからね。二人でこの世界で幸せに生きていけるよ。」

 ロバートは、暗にグレースを持ち出してリシャールを挑発する。

「貴様!言わせておけば!」

「君に貴様呼ばわりされる筋合いは無いよ。貴族の役割も果たさずに、だらだら女を囲い家も省みず、挙げ句、妻より先に妾を孕ませる。それで、子はスペア?笑わせるな。甘ったれの世間知らずが。君も君なら妾も妾だ。馬鹿が二人揃えばどちらが馬鹿か分からないな。」

 グレースは目を瞬いた。
 ロバートの罵倒爆弾の連投に、彼だけは決して敵に回してはならないと思った。

 リシャールは言葉を発せずにいる。そこをロバートが更に追い詰める。

「王家の夜会で愚かな騒ぎを引き起こして、君はその後謝罪をしたのか?大変な不敬であろう。あの日は王女殿下の祝賀の会であった。王都中の貴族達があの様子を見ていたさ。身の程知らずの囲われ者が、不貞の末に子を孕んだと、妻に離縁を言い渡し自分こそ正妻だと声高らかに宣言した。とんだ阿呆だ。あんな女を侍らせて、君、恥ずかしくないのか?私なら死にたくなるよ。」

 リシャールは悔しさからか情けなさからか、それともこれ程までに他人に詰られた経験が無かったからか、うっすら涙目になっている。

「き、貴様、処罰してやる。」
「誰が誰を?君にそんな力、あったかな?」
「馬鹿にするな!グレース、帰るんだ!商会も辞めるんだ!こんな所にいる必要は無い!邸にいて私の妻でいるんだ!」

 リシャールは矛先をグレースへ変えた。
 
 いつ戻るか分からない夫を待つ不毛な婚姻生活にあって、商会はグレースが大切に育てた場であった。誰にも侵害されない領域であった。そしてこの婚姻は、グレースの商才を光る珠と認めて成された契約婚であった。
 グレースが真実輝く瞬間を知っていたなら、リシャールは同じ事を言えただろうか。
 グレースの本質を何一つ理解出来ないリシャールは、真の意味ではグレースを愛してはいなかったのかもしれない。


 商会を辞めろと?貴方は一体何を言っているの?

 グレースは聞き捨てる事が出来ない。カチリとスイッチが入って、それを止める事は出来なかった。


「ヴィリアーズ侯爵ご令息。」

 貴方はもう他人なのだと伝える呼名。未だ離縁には至っていないが、それは既に決定事項であった。

「貴方様、婚姻誓約書をお読みになったのでしょうか。真逆、知らないだなんて仰らないでしょう?」

「こ、婚姻誓約書?」

「この婚姻は契約です。愛人を囲う夫には約束事が必要でした。」

「君まで何を言っている!」

「正妻より先に愛人が懐妊した場合、この婚姻は破談となります。離縁です。」

「し、しかし。私は気を付けていた。薬も、」

「それは先程伺いました。ですが、結果は結果なのです。覆る事はございません。」

 グレースは、正面に座る男を見据える。

「リシャール様。貴方様も経営者でいらっしゃるのなら意味がお解りの筈です。契約の不履行は次なる契約を生みません。この婚姻契約は解除となるのです。」

 冴々とした蒼い瞳は一切の温度を無くしたように、事実のみを未だ理解の及ばぬ夫へ告げるのだった。





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