今日も空は青い空

桃井すもも

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「お兄様、何をなさったの?」
「うん?何の事かな?」
「誤魔化さないで、ヴィリアーズ侯爵令息夫人よ。」
「ああ、阿婆擦れ王女の事かな?」
「そんな呼び方はおやめになって。」
「事実だろう。あの阿婆擦れにどれだけの人間が苦しめられた。」
「...」

 クレア第一王女殿下は、その先の言葉が出ない。隣国第三王女が残忍な方法で若き貴族子女達に仕掛けた事の顛末は、クレアも耳にしていた。

「クレア。」
 呼ばれてクレアは兄の瞳を見つめる。

「クレア、私はね王太子であるが聖人君子ではないんだよ。目の前に塵があれば塵箱へ捨てる。それが危険物であれば相応の処分をする。
 妹が嫁ぐ国に厄介な塵があって、あちらが処分に手をこまねくのであれば、そんな所にお前を渡す訳には行かないよ。けれどもお前がそれでも行きたいと願うのであれば、発破の一つや二つは仕掛けてやるさ。私が思う以上に奴はお前を望んでいたからね。己の妹を差し出す程には。」

 クレアが僅かに頬を染める。

「お前は清い。そして強い。曲ったものを正そうとする気概もあれば立ち向かう知恵も勇気もある。
 けれどもクレア。世の中にはお前が予想も付かない様なおぞましい生き物とは確かにいるんだよ。人の不幸が大好きで人が苦しむのが大好きで、そしてそれを横で眺めるのが大好きな奴さ。ソイツはお前がどれ程清廉で勇敢でも、その裏をかいてお前を害する。必ず。
 お前の夫は濁りを呑み込む胆力がある。きっとお前を護るだろう。けれどもクレア。私はね、そんな苦労を端で見ている気は毛頭無いんだ。目の前に塵があるなら、握り潰して捨てるか業火で燃やして消し炭にする。再起出来ない程に。命を取らないのを褒めてくれるね?」

「お兄様、私...」
「好いているのだろう?あの男を。お前を望んだのはあの男だ。安心して嫁ぐと良い。必ずお前を幸せにしてくれる。
 それから、お前の元にブリッジウッド公爵家の嫡男夫妻が謁見を願うだろう。妻は左眼に眼帯をしているから直ぐに分かるよ。彼等はお前の懐刀となってくれる。お前の生む子も護ってくれる。大切にするんだ、分かったね。
 ああ、だけれど国で一番幸せにするのは己の妻だと豪語していたからな、お前の夫とかち合うな。」

 アレックス王太子殿下は、そこでふはっと思い出し笑いをした。


 部屋を出る妹の後ろ姿を見送って、アレックスは椅子の背もたれに深く背を沈ませた。

 人払いをした無機質な執務室に、王女の甘やかな残り香が漂っている。この香りは、もうすぐ隣国の男のものとなる。

 隣国は古くからの同盟国である。内政は落ち着いており、国もそこそこ豊かである。何も無理に王族同士で婚姻関係を結ばずとも、何も影響も無い。
 けれども、その当の王族同士が恋に落ちて、妹が未来の王妃になるというのであれば、その道は明るいものにしてやりたい。
 結果、ブリッジウッド公爵令息を利用した形になったが、彼は自身が汚れる事を僅かにも厭わなかった。そして両国の国王陛下は互いの王太子が為す事を静観すると決め込んだ。

 後の始末はこちらが請け負う。命は取らずにおいてやろう。

 思い掛けずヴィリアーズ侯爵令息が良い仕事をして、阿婆擦れ姫を手懐けた。

 あの二人には密かに薬が盛られている。子を成す事はない。後継が出来ないのだから、早目の年金代わりに金銭の補償はしてやろう。あの阿婆擦れを生涯檻に閉じ込めてくれるのだと思えば安いものだ。阿婆擦れを野放しにした場合の損害を思えば考えるまでも無い。

 リシャールは化けた。
これにはアレックスも驚いた。あんな盆暗の根性無しが、あれ程の狂気を秘めていたとは。

「人とは分からんものだな。」

 呟くとはなしに言葉にする。

 アレックスは、王族の中の王族、金髪燦めく見目麗しい王太子である。国民の人気は絶大で、貴族平民令嬢方の憧れの的である。
 しかし王族なんぞ、裏では汚れ仕事ばっかりだ。父王は私を試したのだろうな。どんな始末を付けるのか。

「であればあの阿婆擦れ、私が処して命拾いをしたな。」

 父王ではこんな手緩い事では済まなかったろう。隣国とて同じ事。堪忍袋は切れて千切れて燃え尽きた。

 あの山猿、違った、令息の元愛人は娼館から出してやった。憲兵の摘発だと見せかければ容易い事であった。少しばかり寒い所の修道院に送ったが、もう二度と王都の事など耳にも入れたくはないだろうから、良いんじゃないか?
 男爵は自業自得であるから手出しは無用だ。領地は王家が預かろう。

 修道院は生家の領地にもそれほど遠くはないから、勤勉に過ごしているならいつか母親達にも会えるかもしれない。

 そこまで考えて、
ん?私って、優しくないか?こんな優しい王子、他にいるか?

 王太子は自画自讃してみる。

「こんな素敵な王子様って、他にいないだろう。」

 アレックスに婚約者はいない。水面下で公国の大公女との婚約話しが進められている。

 欲しい令嬢ならばいたのだ。生家には力があったし、何より令嬢は才媛であるのにおっとりと情け深く、海の様な懐の深さがあった。学園時代より心惹かれていた。

 父王に認められる王太子として力を蓄えようとしていた隙に、先に盆暗に横取りされてしまった。愛人持ちの不遇ばかりの婚姻だった。
 奪いたくとも無理であった。妃は初婚でなければならなかったから。

 盆暗が泣く泣く手放したのを、悔しいかな。彼女を護るに相応しい男にみすみす譲った。


「私が王になったら法改正しようかな。」


 少しばかり垂れ気味の蒼い瞳を思い出して、アレックスは眦を下げた。




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