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「まあ、フランシス!良く似合っているわ。」
「お褒め頂き有難うございます。」
「本当に、とても素敵よ。」
襟元をそっと直してあげながら、改めてフランシスを見上げる。中性的な少年の様な幼さを残す容姿のフランシスが、きりりと凛々しく見える。
商会の役員となったのだからこれまでの従者の装いも変えようと、グレースはスーツをフランシスに贈った。
装飾を抑えたビジネス向きのシンプルなジャケットスーツは2号店の新作である。貴族ばかりでなく平民の経済人にも上質な仕事着として評判が良い。
細身で姿勢の良いフランシスは立ち姿が美しい。フィッシュテイルのトラウザーズがきりりとフィットしている。
寡黙な雰囲気が無闇に人を寄せ付けないが、学生時代より甘やかな顔は令嬢方の人気の的であった。
これはロレーヌも苦労が増えるわね。ロレーヌとはフランシスの妻である。見目よく凛々しい夫がこれから益々御婦人方の目を惹くのを、きっと心配している事だろう。
そんな事を考えてクスリと笑みが漏れたのを夫は見逃さなかったらしく、その日は何かとチクチク突っ掛かり小さなイライラを発散させているのを、ジョージばかりが可笑しく見ていた。
鷹揚で貴族らしい落ち着きを崩さないロバートであるのに、何故だか今日は面倒くさい。
ビジネスパートナーとして数年共に過ごしているのに、まだまだ知らない夫の顔が見えて、物腰柔らかな外見からは想像し得ない肝の据わった妻は、夫の不機嫌の原因がさっぱり分からず戸惑うのだった。
王太子殿下より、隣国の第三王女が絡む警告めいた話を受けて、ロバートとグレースは駆け込む様に婚姻を結んだ。
それが年の初めの出来事で、そんな二人を追うように、春にはリシャールの下に第三王女が降嫁した。
その後間もなく王女が悲劇に見舞われて、世間は暫くその話題で持ち切りであったのだが、それも先日発表されたクレア王女殿下の婚約でお祝いムードに塗り変わった。
初夏を迎えて王国は、華やかな婚約の話題一色になっているのであった。
クレア王女は隣国の王太子殿下との婚約が無事に整い、婚姻式は半年後、来春にはお輿入れなさる。婚約から婚姻まで間が無いのも、一日も早く王女を得たい隣国王太子の希望だと言うから尚のこと目出度い。
その王女は、清楚可憐、儚げなお姿からは窺いしれない芯の強さをお持ちの清廉な王女である。
ロバートと共に、グレースは王城を目指して馬車の中にいた。R&G商会より王女殿下へ御祝いの品を奉上する為である。隣国の様式に合わせたドレスを数着と、それに合わせた装飾品を仕立てていた。
グレースには常にフランシスが侍っているのを、ロバートはフランシスにジョージから帳簿を習っておけと居残りを命じた。
フランシスが逡巡して、彼にしては珍しく返答に困っていると、ロバートは「行き先は王城だ。近衛騎士もいるのだし何より私が一緒であるからお前は来なくてよい」と言い放ち、フランシスばかりでなくグレースもジョージも目を丸くして驚くのであった。
「ロバート様。」
隣りに座るロバートに声を掛けるも、返事が無い。
聞こえなかったのかしら。真横にいるのだから、そんな筈は無いのだけれど。
「ロバート様。」
再び呼べばロバートは、どうやらきちんと聞こえているらしく、目線を僅かにこちらへ向けて来る。
「如何なさったの?ロバート様。」
「君はいつまで私に敬称を付けるんだ?」
「え?」
「様などいらない。フランシスは名呼びしているじゃないか。」
「フランシスは従者よ?それに今更ですわ。」
「...」
ちょっと面倒くさい夫にグレースは手を拱く。ならば、
「旦那様。」
「それは前の夫の呼び名だろう。」
まあ、面倒なこと。
「ロバート。」
そう呼べば、ロバートがすかさずグレースの顎を掴む。
「もう一度。」
「ロバート」
「もういち「ロバートいい加減にして。」
眉根を顰めてグレースはロバートを窘めた。
「何を怒っていらっしゃるの?フランシスまで置いてこさせて。」
「...」
「ロバート。」
そこで漸くグレースは気が付いた。
ロバートの耳がほんのり赤い。
思わず、
「ロバート様?」どうなさったの?と聞こうとして、
「様はいらない。」
頬まで赤くなり始めたロバートに、彼が照れているのだと思い至った。
可愛い。
漆黒の髪にややキツめな深緑の目元。
大きな体躯の男である。
それが妻に名を呼ばれて照れている。
「ふふ、」
思わず小さく笑ってしまえば、ロバートがキッと睨む。
「君、フランシスと距離が近すぎる。」
「まあ。」
「スーツは何処も乱れてなかった。」
「まあ。」
「あんなに近づいて襟を直すだなんて、そんな必要は無いんだ。」
「まあ。」
可愛い、可愛い、どうしよう。
ロバートが可愛い悋気を起こしている。
フランシスはグレースが学園に入る前から伯爵邸にいて、ずっと一緒に過ごして来た。父の従者であったが、グレースにとってはもう一人の兄の様なものであった。そんな彼は、今では可愛い妻も子もいる妻帯者である。
「ロバート、貴方ほど可愛い夫はいないわ。」
前夫のリシャールも甘え上手の可愛い夫と思っていたのを、ロバートの不器用な甘えがすっかりそれを上塗りしてしまった。
顎を持ち上げていた手がするりと滑って、グレースの頬に添えられる。
口付けられる直前に、海の底を覗く様にグレースは深緑の瞳に見入った。眦を下げる自分の瞳が映っている。
ああ、私、幸せなんだわ。こんな顔が出来るだなんて。
ロバートの瞳に映る自分は、愛される妻の幸せそうな顔をしていた。
「お褒め頂き有難うございます。」
「本当に、とても素敵よ。」
襟元をそっと直してあげながら、改めてフランシスを見上げる。中性的な少年の様な幼さを残す容姿のフランシスが、きりりと凛々しく見える。
商会の役員となったのだからこれまでの従者の装いも変えようと、グレースはスーツをフランシスに贈った。
装飾を抑えたビジネス向きのシンプルなジャケットスーツは2号店の新作である。貴族ばかりでなく平民の経済人にも上質な仕事着として評判が良い。
細身で姿勢の良いフランシスは立ち姿が美しい。フィッシュテイルのトラウザーズがきりりとフィットしている。
寡黙な雰囲気が無闇に人を寄せ付けないが、学生時代より甘やかな顔は令嬢方の人気の的であった。
これはロレーヌも苦労が増えるわね。ロレーヌとはフランシスの妻である。見目よく凛々しい夫がこれから益々御婦人方の目を惹くのを、きっと心配している事だろう。
そんな事を考えてクスリと笑みが漏れたのを夫は見逃さなかったらしく、その日は何かとチクチク突っ掛かり小さなイライラを発散させているのを、ジョージばかりが可笑しく見ていた。
鷹揚で貴族らしい落ち着きを崩さないロバートであるのに、何故だか今日は面倒くさい。
ビジネスパートナーとして数年共に過ごしているのに、まだまだ知らない夫の顔が見えて、物腰柔らかな外見からは想像し得ない肝の据わった妻は、夫の不機嫌の原因がさっぱり分からず戸惑うのだった。
王太子殿下より、隣国の第三王女が絡む警告めいた話を受けて、ロバートとグレースは駆け込む様に婚姻を結んだ。
それが年の初めの出来事で、そんな二人を追うように、春にはリシャールの下に第三王女が降嫁した。
その後間もなく王女が悲劇に見舞われて、世間は暫くその話題で持ち切りであったのだが、それも先日発表されたクレア王女殿下の婚約でお祝いムードに塗り変わった。
初夏を迎えて王国は、華やかな婚約の話題一色になっているのであった。
クレア王女は隣国の王太子殿下との婚約が無事に整い、婚姻式は半年後、来春にはお輿入れなさる。婚約から婚姻まで間が無いのも、一日も早く王女を得たい隣国王太子の希望だと言うから尚のこと目出度い。
その王女は、清楚可憐、儚げなお姿からは窺いしれない芯の強さをお持ちの清廉な王女である。
ロバートと共に、グレースは王城を目指して馬車の中にいた。R&G商会より王女殿下へ御祝いの品を奉上する為である。隣国の様式に合わせたドレスを数着と、それに合わせた装飾品を仕立てていた。
グレースには常にフランシスが侍っているのを、ロバートはフランシスにジョージから帳簿を習っておけと居残りを命じた。
フランシスが逡巡して、彼にしては珍しく返答に困っていると、ロバートは「行き先は王城だ。近衛騎士もいるのだし何より私が一緒であるからお前は来なくてよい」と言い放ち、フランシスばかりでなくグレースもジョージも目を丸くして驚くのであった。
「ロバート様。」
隣りに座るロバートに声を掛けるも、返事が無い。
聞こえなかったのかしら。真横にいるのだから、そんな筈は無いのだけれど。
「ロバート様。」
再び呼べばロバートは、どうやらきちんと聞こえているらしく、目線を僅かにこちらへ向けて来る。
「如何なさったの?ロバート様。」
「君はいつまで私に敬称を付けるんだ?」
「え?」
「様などいらない。フランシスは名呼びしているじゃないか。」
「フランシスは従者よ?それに今更ですわ。」
「...」
ちょっと面倒くさい夫にグレースは手を拱く。ならば、
「旦那様。」
「それは前の夫の呼び名だろう。」
まあ、面倒なこと。
「ロバート。」
そう呼べば、ロバートがすかさずグレースの顎を掴む。
「もう一度。」
「ロバート」
「もういち「ロバートいい加減にして。」
眉根を顰めてグレースはロバートを窘めた。
「何を怒っていらっしゃるの?フランシスまで置いてこさせて。」
「...」
「ロバート。」
そこで漸くグレースは気が付いた。
ロバートの耳がほんのり赤い。
思わず、
「ロバート様?」どうなさったの?と聞こうとして、
「様はいらない。」
頬まで赤くなり始めたロバートに、彼が照れているのだと思い至った。
可愛い。
漆黒の髪にややキツめな深緑の目元。
大きな体躯の男である。
それが妻に名を呼ばれて照れている。
「ふふ、」
思わず小さく笑ってしまえば、ロバートがキッと睨む。
「君、フランシスと距離が近すぎる。」
「まあ。」
「スーツは何処も乱れてなかった。」
「まあ。」
「あんなに近づいて襟を直すだなんて、そんな必要は無いんだ。」
「まあ。」
可愛い、可愛い、どうしよう。
ロバートが可愛い悋気を起こしている。
フランシスはグレースが学園に入る前から伯爵邸にいて、ずっと一緒に過ごして来た。父の従者であったが、グレースにとってはもう一人の兄の様なものであった。そんな彼は、今では可愛い妻も子もいる妻帯者である。
「ロバート、貴方ほど可愛い夫はいないわ。」
前夫のリシャールも甘え上手の可愛い夫と思っていたのを、ロバートの不器用な甘えがすっかりそれを上塗りしてしまった。
顎を持ち上げていた手がするりと滑って、グレースの頬に添えられる。
口付けられる直前に、海の底を覗く様にグレースは深緑の瞳に見入った。眦を下げる自分の瞳が映っている。
ああ、私、幸せなんだわ。こんな顔が出来るだなんて。
ロバートの瞳に映る自分は、愛される妻の幸せそうな顔をしていた。
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