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学園が夏休みに入り、アテーシアは邸に戻った。戻ると言っても邸から学園までは馬車で四半刻程の距離であり、週末の休みはいつも邸に戻っていたから、その延長のようなものである。
朝の食堂でミルク多めの紅茶を飲みながら、アテーシアは昨日の事を思い出していた。
昨日は学園の最終日で、午前いっぱいを式典に充てられ午後には各々邸や自領に戻ることとなっていた。
式典を終えて教室に戻り、教師から夏季休暇の過ごし方など注意事項を聞かされて今学期を終えた。
寮に一旦戻ろうとパトリシアを見ると、パトリシアはエドモンドに何やら話し掛けられている。
話しが終わるのを待っていよう。フランシスも既に帰っていたし、アテーシアは手持ち無沙汰であったから、窓からの風景を眺めてエドモンドの長話しが終わるのを待っていた。
窓際席とは、一言で言うなら最高である。
ぼんやりするにも思考を纏めるにも最適である。
だからぼんやりし過ぎたのだろう。
手元に影が差したと思ったら、声を掛けられた。
「シア嬢。」
む。これは婚約者(当面又は暫定)様。
「座ったままで良いよ。」
立ち上がり礼をしようとしたアテーシアを、アンドリューがやんわり制する。
「先日頼んだ事なのだが。」
そう言って、彼は何やらアテーシアの前に差し出した。
「文を頼んだろう?」
えっ、あれは有効な約束事項であったのか?
「この便箋を使ってくれないか。」
差し出されたのを未だ受け取らず、アテーシアはアンドリューの手に持つものに視線を落とした。
便箋である。金の箔で王家の紋が押されちゃっている。いや、面倒!
こんなの要らないから。子爵令嬢がこんなの持ってたら窃盗だと疑われるじゃあないか。何考えてるんだ、このぼんぼん。
出来うる限りの罵倒を脳内で繰り広げて、
「ええーと、結構です。」
不敬にも王太子の申し出という命令を断った。
「子爵令嬢がこんな大それたものを所有していたら、私は辺境伯領に入った途端に手荷物検めの騎士らに取り押さえられてしまいます。殿下からお預かりしたと言っても信じてもらえず、激しく厳しい拷問を毎日毎日受けて、息の音が止まりかける頃になって、私が盗みましたと虚偽の自白を強要させられ、王都に再び戻るには最早この身は屍となっているでしょう。そうなら一層、ここで仕留めて下さいませ。寮にサーベルを置いてますので、今取って参ります。出来るならあまり苦しまない様に一回で処して下さいませ。」
「いや、それ程。」
アテーシアは誠心誠意訴えた。
辺境伯領でも子爵令嬢と身分を騙るのであるから、手荷物も分相応のものでなければいけない。
それなのに、このぼんぼん。世間知らずにも程がある。
「こんな金箔で王家の紋が押されていては。何よりこの色、王家の色ですよね!」
アテーシアは不敬ついでに指をさす。便箋の縁には鮮やかなブルーのラインが引かれている。それってロイヤルブルーじゃあないか。目立ち過ぎるのも大概にしてほしい。
「封筒でしたら持ってます。と言うか、私、お断り致しました筈ですが。殿下のご婚約者様とは面識がございませんし、私は兵舎に宿泊しますのでお目に掛かる機会もございません。」
無理は無理!と断固拒否の姿勢を貫く。
まだ教室に残っていた生徒達は、狂犬が殿下に噛み付いていると恐れ慄いた。
「大丈夫だよ。」
何が!
「心配には及ばない。」
何処が!
目ヂカラマックスで睨みつけると、アンドリューはふっと笑みを漏らした。睨まれて嬉しいのか?
「辺境伯には君の事を伝えている。私宛の文を必ず間違い無く一刻も早く届ける様に申し伝えている。」
それって暴力よ。王命という名の暴力じゃない!
貴方ってば、顔ばっかり美しい、中身は残念な世間知らずのぼんぼんだったのね。見損なったわ!
目ヂカラに侮蔑の色を滲ませて改めて睨みを強めると、アンドリューの顔が近い?と思った瞬間、ふわりと麝香の薫りが鼻を擽る。そうして、
「そんなに睨んでも可愛いだけだよ。」
アテーシアの耳元でアンドリューが囁いた。
「な、な、な、な、な、な、な!」
何をするんだの七文字は全部「な」でしか言えなかった。
「宜しく頼んだね。」
そう言って颯爽と身を翻して去って行ったアンドリュー。後には微かな麝香の甘い香りが残されて、いつの間にかアテーシアの手には王家が使うお手紙セットが乗せられていた。
「あいつ、」
思い出しても腹が立つ。
何処までも気が回って仕事が早く、逃げ道なんて許さない。
「とんだ暴君だわ。」
ぐぬぬと眉を顰めたからか、「お茶が渋かったでしょうか?」と、コンスタンスが気を遣ってミルクピッチャーを持っ。
「有難う。」
折角だからミルクを足してもらって、殆どミルクだけになったカップに口を付ける。
奴は毎日文を書かせてあの便箋を使い切らせる魂胆だ。
封筒は、夏季休暇の日数分あった。書き損じを考慮して三枚プラスされていた。気遣いすら忌々しい。
そうだ。
賢いアテーシアは気が付いちゃった。
ぼんぼん、内容については制限を設けなかったな。文字数指定もされなかった。
それって、短文でも良いんじゃないか?
一層単語でも良くないか?
「◯月△日、本日は晴天なり。ご婚約者様とはお会い出来ず。」
これで十分じゃない?
流石に単語オンリーは辞めにした。
「ふふふ。」
ほくそ笑むアテーシアに、コンスタンスは余程ミルクが美味しいのだな、と思った。
朝の食堂でミルク多めの紅茶を飲みながら、アテーシアは昨日の事を思い出していた。
昨日は学園の最終日で、午前いっぱいを式典に充てられ午後には各々邸や自領に戻ることとなっていた。
式典を終えて教室に戻り、教師から夏季休暇の過ごし方など注意事項を聞かされて今学期を終えた。
寮に一旦戻ろうとパトリシアを見ると、パトリシアはエドモンドに何やら話し掛けられている。
話しが終わるのを待っていよう。フランシスも既に帰っていたし、アテーシアは手持ち無沙汰であったから、窓からの風景を眺めてエドモンドの長話しが終わるのを待っていた。
窓際席とは、一言で言うなら最高である。
ぼんやりするにも思考を纏めるにも最適である。
だからぼんやりし過ぎたのだろう。
手元に影が差したと思ったら、声を掛けられた。
「シア嬢。」
む。これは婚約者(当面又は暫定)様。
「座ったままで良いよ。」
立ち上がり礼をしようとしたアテーシアを、アンドリューがやんわり制する。
「先日頼んだ事なのだが。」
そう言って、彼は何やらアテーシアの前に差し出した。
「文を頼んだろう?」
えっ、あれは有効な約束事項であったのか?
「この便箋を使ってくれないか。」
差し出されたのを未だ受け取らず、アテーシアはアンドリューの手に持つものに視線を落とした。
便箋である。金の箔で王家の紋が押されちゃっている。いや、面倒!
こんなの要らないから。子爵令嬢がこんなの持ってたら窃盗だと疑われるじゃあないか。何考えてるんだ、このぼんぼん。
出来うる限りの罵倒を脳内で繰り広げて、
「ええーと、結構です。」
不敬にも王太子の申し出という命令を断った。
「子爵令嬢がこんな大それたものを所有していたら、私は辺境伯領に入った途端に手荷物検めの騎士らに取り押さえられてしまいます。殿下からお預かりしたと言っても信じてもらえず、激しく厳しい拷問を毎日毎日受けて、息の音が止まりかける頃になって、私が盗みましたと虚偽の自白を強要させられ、王都に再び戻るには最早この身は屍となっているでしょう。そうなら一層、ここで仕留めて下さいませ。寮にサーベルを置いてますので、今取って参ります。出来るならあまり苦しまない様に一回で処して下さいませ。」
「いや、それ程。」
アテーシアは誠心誠意訴えた。
辺境伯領でも子爵令嬢と身分を騙るのであるから、手荷物も分相応のものでなければいけない。
それなのに、このぼんぼん。世間知らずにも程がある。
「こんな金箔で王家の紋が押されていては。何よりこの色、王家の色ですよね!」
アテーシアは不敬ついでに指をさす。便箋の縁には鮮やかなブルーのラインが引かれている。それってロイヤルブルーじゃあないか。目立ち過ぎるのも大概にしてほしい。
「封筒でしたら持ってます。と言うか、私、お断り致しました筈ですが。殿下のご婚約者様とは面識がございませんし、私は兵舎に宿泊しますのでお目に掛かる機会もございません。」
無理は無理!と断固拒否の姿勢を貫く。
まだ教室に残っていた生徒達は、狂犬が殿下に噛み付いていると恐れ慄いた。
「大丈夫だよ。」
何が!
「心配には及ばない。」
何処が!
目ヂカラマックスで睨みつけると、アンドリューはふっと笑みを漏らした。睨まれて嬉しいのか?
「辺境伯には君の事を伝えている。私宛の文を必ず間違い無く一刻も早く届ける様に申し伝えている。」
それって暴力よ。王命という名の暴力じゃない!
貴方ってば、顔ばっかり美しい、中身は残念な世間知らずのぼんぼんだったのね。見損なったわ!
目ヂカラに侮蔑の色を滲ませて改めて睨みを強めると、アンドリューの顔が近い?と思った瞬間、ふわりと麝香の薫りが鼻を擽る。そうして、
「そんなに睨んでも可愛いだけだよ。」
アテーシアの耳元でアンドリューが囁いた。
「な、な、な、な、な、な、な!」
何をするんだの七文字は全部「な」でしか言えなかった。
「宜しく頼んだね。」
そう言って颯爽と身を翻して去って行ったアンドリュー。後には微かな麝香の甘い香りが残されて、いつの間にかアテーシアの手には王家が使うお手紙セットが乗せられていた。
「あいつ、」
思い出しても腹が立つ。
何処までも気が回って仕事が早く、逃げ道なんて許さない。
「とんだ暴君だわ。」
ぐぬぬと眉を顰めたからか、「お茶が渋かったでしょうか?」と、コンスタンスが気を遣ってミルクピッチャーを持っ。
「有難う。」
折角だからミルクを足してもらって、殆どミルクだけになったカップに口を付ける。
奴は毎日文を書かせてあの便箋を使い切らせる魂胆だ。
封筒は、夏季休暇の日数分あった。書き損じを考慮して三枚プラスされていた。気遣いすら忌々しい。
そうだ。
賢いアテーシアは気が付いちゃった。
ぼんぼん、内容については制限を設けなかったな。文字数指定もされなかった。
それって、短文でも良いんじゃないか?
一層単語でも良くないか?
「◯月△日、本日は晴天なり。ご婚約者様とはお会い出来ず。」
これで十分じゃない?
流石に単語オンリーは辞めにした。
「ふふふ。」
ほくそ笑むアテーシアに、コンスタンスは余程ミルクが美味しいのだな、と思った。
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