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湖から森を抜けて開けた所に、辺境伯傘下の子爵家の邸がある。
神殿には、以前は数多くの神官達がいたらしいが、今は数える程しか残っていないのだと言う。
かつては神殿が管理していた件の湖も、今は辺境伯の管轄となって、この子爵家が辺境伯の命を受けて管理をしているのだと言う。
子爵邸に着くなり挨拶もそこそこに、アテーシアは熱い湯で身体を温められた。
あれからアテーシアは、森の小径をアンドリューに抱き締められたまま通り抜け、馬もアンドリューに抱えられ相乗りをして、神殿を通り越した先にある子爵邸を訪った。
真夏であるのに冷たい湖に浸った身体は、熱い湯に温められて濡れた髪も清めてもらった。
誰のものであるのか、型は少しばかり古いが令嬢用のデイドレスを用意がされており、子爵家の侍女等の手で身綺麗に整えてもらった。
「あの、私の剣は...」
髪を結い上げる侍女に聞けば、落水して水に浸った剣は、ベンジャミンとボンジャミンが預かっているらしい。多分、今頃は手入れをしてくれているのだろう。こんな場面であるのにそんな事を考えてしまう自分が嫌になる。
そうじゃない、そんな事じゃあない。今考えねばならないのはそんなことでは無いのだ。
心を許した友人が、真逆のアンドリューだった。アンドリューはシアがアテーシアだと気付いていた。溺れた時に、アンドリューは確かにアテーシアの名を呼んだ。
何故、彼が彼だと解らなかったのだろう。ミカエルがアンドリューなのだと解らなかったのだろう。少し考えれば解った筈だ。アンドリューの洗礼名はMichaelである。
だとしたら、アンドリューはいつからシアがアテーシアであると解っていたのか。真逆、最初から?
学園に入学したその日からだとしたなら、そんなの恥ずかし過ぎる、穴があったら入ってしまいたい。特大サイズの穴を今直ぐ掘ってしまいたい。
アテーシアはシアの身となり、身軽に気軽に好き勝手に学園生活を過ごしていた。そうしてアンドリューとは接点を持たなかった。持たなかったか?本当に?
並び座って食事をしたり、便箋を無理やり預けられたり、アンドリューの不敵な笑みが思い出された。
王城で会うアンドリューと学園で会うアンドリュー、そしてここでミカエルとして会っていたアンドリューが、アテーシアの思考の中で混じり合ってマーブルになって、そうして最後に現れたのはアテーシアの婚約者である王太子殿下アンドリューだった。
泣きたい。もう泣いてしまいたい。
嘘に嘘を塗り重ねて、ちゃんと周囲を欺きシアとして通用していると思っていた。そんな筈など無いのに。世の中、そんなに甘くない。しかも、愚かしい事に、アテーシアは髪色を変えて前髪を下ろしただけのアンドリューをミカエルだと信じて疑わなかった。仮にも婚約者であるのに、記憶のミカエルを思い返せば返すほど、ミカエルとはアンドリューその人だ。
「お嬢様。」
気が付けばベンジャミンとボンジャミンが部屋の中に控えていた。
アテーシアは鏡に向かって座ったまま、思考の湖に沈んでいたらしい。身体はさっき溺れたばかりであるのに。
「殿下がお見えです。」
「分かったわ。」
重く固まっていた身体で、ゆっくり立ち上がる。そうして扉へ向かって胸を張り、姿勢を正した。
ベンジャミンが扉を開いたタイミングで、カーテシーで頭を垂れて礼の姿勢で迎える。
「顔を見せてくれないか。」
伏せた視界にアンドリューの靴のつま先が見えている。掛けられた言葉にゆっくり姿勢を直して顔を上げた。
「アテーシア。」
アンドリューも湯を浴びたのか、黒髪はすっかり金の髪に戻っていた。まごうことなき王子の姿であった。
何故貴方がそんな顔をするの?貴方は何も悪くない。周りを欺き嘘を重ねたのはアテーシアだ。王家と公爵家、学園も辺境伯も巻き込んで大嘘をついたのはアテーシアの方だ。
「ごめんなさい」
アテーシアの言葉が聞こえたのだろうか、アンドリューは小さく「人払いを」と告げて、侍女も護衛もベンジャミン達も退室した。
「何故、謝る。」
音も無く一歩近付いたアンドリューは、アテーシアの直ぐ目の前にいて、謝罪の理由を問うて来た。アテーシアの頭上から聞こえるその声に、アンドリューがとても近い距離にいるのが解った。
「貴方を欺きました。」
「それは私も同じだろう。」
アンドリューの声が耳に静かに響く。
「アテーシア、顔を上げてくれないか。君の顔を見せてはくれないか。」
どれほど情けない顔をしていたのだろう。
見上げたアテーシアの顔を見て、アンドリューは眉を下げた。
「君は何も悪くない。君を追い込んだのは私の方だ。」
それにアテーシアは、ふるふると首を振る事しか出来ない。
再び俯くアテーシアの頬を、大きく温かな手の平が包み込む。アンドリューがアテーシアの両頬を包み、そっと上を向かせた。
「君の瞳の色が好きなんだ。深い湖の水底とは、こんな色をしているのだろうな。」
アテーシアの紺碧の瞳をアンドリューが覗き込む。
「こちらを見据える大きな瞳も。」
「一生懸命睨むのも、それがただ可愛く見えるのを全然気付いていないのも、」
「会いたいのに、素直になれない私に呆れて、手紙も碌にくれない冷たいところも、」
「前髪を切って眼鏡を掛けて、髪を結っただけなのに、誰にもバレないと決めて疑わない愚かしいところも、」
「私という婚約者がいながら、私以外の男子生徒と親しくするのも、」
「何を誤解したのか私に確かめることもせず、そうしてどれほど冷たいのか、さっさと私を捨てようだなんて、そんな愚かな事を本気で考えるところも、」
「私が贈った花の意味に気付きもせずに、君にだけ譲ると決めた禁書棚の鍵も断って、兄から貰ったサーベルを後生大事にしているのも、」
「誰よりも努力家で、誰よりも勤勉で、誰よりも逞しくて、誰よりも賢くて、誰よりも愛らしい。」
「君の全てを愛おしく思う。妃でなくても剣士であっても、君が君らしくいられる事を願っている。」
アンドリューは、終いにはアテーシアの額に自身の額を押し当てて、
「私は、君のことが好きなんだ」
消え入りそうな微かな吐息で囁いた。
神殿には、以前は数多くの神官達がいたらしいが、今は数える程しか残っていないのだと言う。
かつては神殿が管理していた件の湖も、今は辺境伯の管轄となって、この子爵家が辺境伯の命を受けて管理をしているのだと言う。
子爵邸に着くなり挨拶もそこそこに、アテーシアは熱い湯で身体を温められた。
あれからアテーシアは、森の小径をアンドリューに抱き締められたまま通り抜け、馬もアンドリューに抱えられ相乗りをして、神殿を通り越した先にある子爵邸を訪った。
真夏であるのに冷たい湖に浸った身体は、熱い湯に温められて濡れた髪も清めてもらった。
誰のものであるのか、型は少しばかり古いが令嬢用のデイドレスを用意がされており、子爵家の侍女等の手で身綺麗に整えてもらった。
「あの、私の剣は...」
髪を結い上げる侍女に聞けば、落水して水に浸った剣は、ベンジャミンとボンジャミンが預かっているらしい。多分、今頃は手入れをしてくれているのだろう。こんな場面であるのにそんな事を考えてしまう自分が嫌になる。
そうじゃない、そんな事じゃあない。今考えねばならないのはそんなことでは無いのだ。
心を許した友人が、真逆のアンドリューだった。アンドリューはシアがアテーシアだと気付いていた。溺れた時に、アンドリューは確かにアテーシアの名を呼んだ。
何故、彼が彼だと解らなかったのだろう。ミカエルがアンドリューなのだと解らなかったのだろう。少し考えれば解った筈だ。アンドリューの洗礼名はMichaelである。
だとしたら、アンドリューはいつからシアがアテーシアであると解っていたのか。真逆、最初から?
学園に入学したその日からだとしたなら、そんなの恥ずかし過ぎる、穴があったら入ってしまいたい。特大サイズの穴を今直ぐ掘ってしまいたい。
アテーシアはシアの身となり、身軽に気軽に好き勝手に学園生活を過ごしていた。そうしてアンドリューとは接点を持たなかった。持たなかったか?本当に?
並び座って食事をしたり、便箋を無理やり預けられたり、アンドリューの不敵な笑みが思い出された。
王城で会うアンドリューと学園で会うアンドリュー、そしてここでミカエルとして会っていたアンドリューが、アテーシアの思考の中で混じり合ってマーブルになって、そうして最後に現れたのはアテーシアの婚約者である王太子殿下アンドリューだった。
泣きたい。もう泣いてしまいたい。
嘘に嘘を塗り重ねて、ちゃんと周囲を欺きシアとして通用していると思っていた。そんな筈など無いのに。世の中、そんなに甘くない。しかも、愚かしい事に、アテーシアは髪色を変えて前髪を下ろしただけのアンドリューをミカエルだと信じて疑わなかった。仮にも婚約者であるのに、記憶のミカエルを思い返せば返すほど、ミカエルとはアンドリューその人だ。
「お嬢様。」
気が付けばベンジャミンとボンジャミンが部屋の中に控えていた。
アテーシアは鏡に向かって座ったまま、思考の湖に沈んでいたらしい。身体はさっき溺れたばかりであるのに。
「殿下がお見えです。」
「分かったわ。」
重く固まっていた身体で、ゆっくり立ち上がる。そうして扉へ向かって胸を張り、姿勢を正した。
ベンジャミンが扉を開いたタイミングで、カーテシーで頭を垂れて礼の姿勢で迎える。
「顔を見せてくれないか。」
伏せた視界にアンドリューの靴のつま先が見えている。掛けられた言葉にゆっくり姿勢を直して顔を上げた。
「アテーシア。」
アンドリューも湯を浴びたのか、黒髪はすっかり金の髪に戻っていた。まごうことなき王子の姿であった。
何故貴方がそんな顔をするの?貴方は何も悪くない。周りを欺き嘘を重ねたのはアテーシアだ。王家と公爵家、学園も辺境伯も巻き込んで大嘘をついたのはアテーシアの方だ。
「ごめんなさい」
アテーシアの言葉が聞こえたのだろうか、アンドリューは小さく「人払いを」と告げて、侍女も護衛もベンジャミン達も退室した。
「何故、謝る。」
音も無く一歩近付いたアンドリューは、アテーシアの直ぐ目の前にいて、謝罪の理由を問うて来た。アテーシアの頭上から聞こえるその声に、アンドリューがとても近い距離にいるのが解った。
「貴方を欺きました。」
「それは私も同じだろう。」
アンドリューの声が耳に静かに響く。
「アテーシア、顔を上げてくれないか。君の顔を見せてはくれないか。」
どれほど情けない顔をしていたのだろう。
見上げたアテーシアの顔を見て、アンドリューは眉を下げた。
「君は何も悪くない。君を追い込んだのは私の方だ。」
それにアテーシアは、ふるふると首を振る事しか出来ない。
再び俯くアテーシアの頬を、大きく温かな手の平が包み込む。アンドリューがアテーシアの両頬を包み、そっと上を向かせた。
「君の瞳の色が好きなんだ。深い湖の水底とは、こんな色をしているのだろうな。」
アテーシアの紺碧の瞳をアンドリューが覗き込む。
「こちらを見据える大きな瞳も。」
「一生懸命睨むのも、それがただ可愛く見えるのを全然気付いていないのも、」
「会いたいのに、素直になれない私に呆れて、手紙も碌にくれない冷たいところも、」
「前髪を切って眼鏡を掛けて、髪を結っただけなのに、誰にもバレないと決めて疑わない愚かしいところも、」
「私という婚約者がいながら、私以外の男子生徒と親しくするのも、」
「何を誤解したのか私に確かめることもせず、そうしてどれほど冷たいのか、さっさと私を捨てようだなんて、そんな愚かな事を本気で考えるところも、」
「私が贈った花の意味に気付きもせずに、君にだけ譲ると決めた禁書棚の鍵も断って、兄から貰ったサーベルを後生大事にしているのも、」
「誰よりも努力家で、誰よりも勤勉で、誰よりも逞しくて、誰よりも賢くて、誰よりも愛らしい。」
「君の全てを愛おしく思う。妃でなくても剣士であっても、君が君らしくいられる事を願っている。」
アンドリューは、終いにはアテーシアの額に自身の額を押し当てて、
「私は、君のことが好きなんだ」
消え入りそうな微かな吐息で囁いた。
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