名前が強いアテーシア

桃井すもも

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辺境伯領へはメリーと一緒に訪れたアテーシア。メリーはアテーシアの種族を超えた親友だった。そのメリーが愛を見付けて、二人は到頭とうとう別れの時を迎えた。

「メリー、貴女の幸せを祈っているわ。どうか元気な仔を産んでね。無理をしては駄目よ、もう一人の身体ではないのだから。」

「お嬢様、別れの挨拶はそれくらいになさって下さい。ほら、あちらで殿下がイライラしてお待ちですよ。あの方、沸点低いから面倒臭いんですよ。」

「ええ、ええ、分かっているわ、ベンジャミン。ただ、もう会えないと思うと、つい...」

「さっきから何回同じ事を繰り返しているんですか。メリーが呆れてますよ、それさっきも聞いたわって言ってますよ。」

「ほ、本当?ボンジャミン。メリーが本当にそんな事を言っているの?」

「ええ、本当です。ほら、メリーの瞳を見て下さい。言ってますよね、さっきも聞いたって。」

「こら、お前等、アテーシア嬢で遊んでないでさっさと行け。殿下が痺れを切らしている。アテーシア嬢、安心召されよ。メリーは我が辺境伯家で大切にする。元気な仔馬が産まれるのを楽しみに待っていると宜しい。ほれ、そう思えば楽しみが一つ増えただろう?」

そうだわ、仔馬が産まれるのだわ、楽しみが増えるのだと、辺境伯の言葉に希望を得てアテーシアは帰路に就いた。

メリーを置いていく事で、必然的に帰りは馬車での旅となった。万が一に備えて復路の日数に余裕を持っていたから、学園の始業にはぎりぎり間に合いそうである。

漸く二人は素直に向き合い遅い春を迎えたのだから、お前等少しは遠慮してあっちへ行っとれと、アンドリューに目線で言われてベン・ボン兄弟は馬車に並走するしか許されなかった。

アテーシアは護衛騎士の数に驚いた。自分はベン・ボン兄弟だけを連れての旅であったが、流石にアンドリューには相当数の護衛が付いていた。
中には辺境伯領で共に稽古をした面々もおり、てっきり彼等が辺境騎士だと思っていたアテーシアは、アンドリューが一体いつから辺境伯領に来ていたのだろうと思った。

「ああ、君とほぼ同じ頃には着いていたかな。寧ろ一日早かった。」

「え?一日早かった?」

「ああ。良い機会であるから領内の視察を兼ねてね。子爵邸で世話になっていた。」

「で、では、その、毎日私が書いた文は...」
「ああ、それならちゃんと読んでいたよ。辺境伯から直接受け取っていた。君の文を読んでから、君の嘆願に対する指示を早馬で届けさせていた。」

「直接..受け取って...」

「ああ。だから記された天気がもの凄く適当なのは理解していたよ。きっちり数日置きに晴れのち曇りになるのは面白かったね。けれども、面白いがあれでは駄目だ。学園の課題なら直ぐに偽りと指摘を受けるところだよ。アテーシア、君は詰めが甘い。嘘を付くなら最後まで。これは鉄則だよ。やはり天気であるなら、時折雨の日を入れるべきであったし、一度書き損じたなら次から同じ過ちを繰り返すのは頂けないね。語尾の『ー』がいつ改められるのか毎日メモ帳に正の字を書いてカウントしていたよ。」

「...すみません」

二人きりの馬車の中は、早々に説教部屋と化した。アンドリューの侍従的な護衛は何故か御者席に追いやられて、車内は二人きりであった。「相当数」いる護衛達はみーんな馬車の外に付いている。但し、ベン・ボン兄弟ばかりは馬車の側面、左右を陣取り、窓の外から車内に目を光らせていた。主にアンドリューを。

「それで、殿下は、その、髪をどうやって黒くなさったの?」
「ああ、あれは私が指揮をして開発した染め粉だよ。水洗いで綺麗に流れる優れものだ。お忍びを好む王侯貴族にウケている。実はブルネットも開発しているんだよ。君と同じ髪色にも出来るんだ。今度お揃いにしてみようかな。」
「ああ、いいえ、大丈夫です。殿下はそのままの御髪が一番似合っていらっしゃいます。」
「そう?」

今は前髪を撫で付けて、すっきりと額を出しているアンドリュー。その前髪を下ろして目が隠れ気味になったなら、ああ、やっぱりミカエルの面影が。容易く騙された単純思考の自分が嫌になる。
ぱっつん前髪に赤縁眼鏡、芋っぽいお下げ髪で変身した気でいたのだから、筋金入りの単純思考なのである。

「ああ、それから。」

どれから?アテーシアは思わず身構えた。

「君には学園に編入してもらったよ。手続きは済んでいるから心配無い。」
「え!編入?!」
「君は、淑女学院から貴族学園に移ったのだよ。この度目出度く婚約者殿と共に学舎へ通える事になった。非常に嬉しく思っている。」
「し、シアはどうなってしまったの?!」
「ん?彼女なら領地に戻ったんじゃあないかな。」

領地?!そんな訳ないだろう!アテーシアが継承した子爵位は領地無しの爵位である。

「追放したのですか!」

「だって君はアテーシアだろう。シアとは一体何処にいる?」

考えて見れば当然で、シアとは仮の姿なのだから元より実在しない身なのだ。
シアとして暮らした短い日々を思い出し、アテーシアは涙が滲んだ。

「アテーシア、何故泣く?そんなに子爵の身分が楽しかったか?可哀想だが、本分を見失ってはいけないよ。君は私の婚約者だ。公爵令嬢アテーシアだ。私の側にいて私と共にい生きるんだ。賢明な君なら解るね?」

「では、寮からも、」
「ああ。既に退寮済みだ。」
「そんな。」

解っているが言葉に出来ない寂しさを感じるのは、パトリシアとの日々が思い出されたからだろう。

「パトリシア嬢なら、」

アテーシアの思考が透けて見えるらしいアンドリューの言葉は、いつだってアテーシアを驚かせる。

「パトリシア嬢なら寮を出たよ。」

忌み子として家から疎まれていたパトリシアは、それなら一体何処へ行ったと言うのだろう。


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