サマードレスに憧れて 〜君の映画が撮りたくて〜

tommynya

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第8章 パンドラの箱を開ける時 前半(カナ視点) ①

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 窓の向こうに、誰かが立っていた。

 工学寮の俺の部屋、夕暮れの薄明かりでガラス越しに感じる視線。カメラを手に、窓の外を撮るふりをしながら鼓動を抑える。

 あの人は、真梨野先輩だった。斜め前の部屋に住む、いつも笑顔の人。俺を覗いているなんて、きっとただの好奇心だろう。そう思って、気づかないふりをしてシャッターを切った。

 それが、去年の春。俺と先輩との、始まりだった。

 大型連休で人が減った寮は静寂に包まれ、遠くから鳥の鳴き声だけが微かに聞こえる。心地よい春風が暖かさを運ぶ中、真梨野先輩の視線だけが妙に冷たく感じられた。彼はなぜ俺を見ているのだろうと、不思議でしかたなかった。

 高校時代、俺は写真に没頭していた。気になる子の笑顔、部活を楽しむ姿、教室に差し込む光、何気ない瞬間を切り取ることに夢中になった。でも、それが露見する。「ストーカー」と嘲笑うクラスメイト達。

 男を撮るなんて気持ち悪い。ゲイだとバレた瞬間、教室は地獄に変わった。あの嘲笑が今も耳に残っている。だから大学では、誰とも心を通わせないと決めていた。

 クローゼットゲイを貫き通すつもりだ。だから真梨野先輩とも、境界線を引くつもりだった。

 なのに、あの人は近づいてくるのだ。課題で、人物を撮ると話したら、「へぇ、俺じゃダメか?」と廊下で先輩が微笑みながら提案してきた。無造作な髪、太陽に焼けた引き締まった腕、自信に満ちた表情。撮ってみたい、と直感した。

 正直、好みのタイプだった。ベビーフェイスに逞しい体格...見つめないよう努めながら、フレームに収めたらどんな光を放つだろうと考える。だが、すぐその感情を押し殺した。近づけば崩れる。過去の傷跡が俺を拘束している。

「先輩は暑苦しいんで」とやんわりと断った。

 軽く受け流した俺に、先輩は不満げな顔を見せる。彼の突然の申し出に、どう返答すればいいか困惑し、「撮りたい人がいるんで」と言ってみた。

「誰だよ?撮りたい人って」
「秘密です」

 俺の言葉に、彼はどこか悔しそうな表情を浮かべる。心がわずかに揺らぐ。その瞬間、俺は察知する。彼は、俺の設けた安全圏を難なく乗り越えてくる人なのだと。

 ◇

 ある日、部室で彼の友人との会話が耳に入ってきた。映画サークルの部室の廊下で話すと写真サークルの部室に丸聴こえだ。

「それより、本当にカナに声かけるの?」
「うん」
「どこで?いつ?」
「今からでも部室に行ってみる」

 緊張で体が硬直した。先輩が今、俺に会いに来る?視界の端で他のメンバーが作業に集中している中、鼓動の音が騒がしい。何も気にしていないように装う。

「マジか。俺も行くわ」
「お前は来なくていい」
「なんで?見たいじゃん、告白現場」

 告白……?って何?動揺を隠すため、マウスを握る手に力を込める。汗で滑りそうになりながら。

「告白じゃねぇよ!映画の出演依頼だ」

 ああ、映画か。当然だ。先輩が俺に告白?さすがにそれはない。自嘲気味に笑う。他の先輩にも何度か映画に出演して欲しいと頼まれた事があるが、その都度丁寧にお断りしている。

「まぁまぁ。お前の熱い想いを、この目で確かめたいだけさ」

 熱い想い?映画への情熱?それとも……考えすぎだろう。深呼吸して、感情を抑え込む。

 ノックの音。ドアが開く。
「失礼します」

 先輩の声だ。窓際の席で、モニターに向かっていた俺は、視界の隅で彼の姿を捉える。無造作に下ろされた前髪に寮内で見かけるような、ラフなTシャツにハーフパンツ。なんでもない格好が妙に魅力的で、視線を外す。

「カナ」
 名前を呼ばれ、驚いたような表情で顔を上げる。演技ではない。本当に動揺していた。なぜわざわざ俺に?

「真梨野先輩?」
「ちょっといいか?話があるんだ」
「はい」

 席を立つ。何を言われても拒否しよう。部室を出る際、サークルメイトが含み笑いを浮かべているのが目に入る。あの笑顔は何?俺と先輩のことを何か勘ぐっているのか……。

 廊下に出ると、先輩が俺の前に立ちはだかる。その佇まいは見覚えがあった。いつもと同じ、注意深く俺の心の奥底を覗くような、何かを探るような視線。逃げられないのか?という感覚に襲われる。そして、その瞳は俺には媚薬のようだった。

「カナ」
 声が少し詰まる。黙って待つ。心の備えをしようとする。
「俺の映画に出てくれないか?」

 やはり映画の話か。安堵と失望が入り混じる。複雑な感情を押し隠して答えた。

「映画ですか?」
「夏休みに撮る短編映画なんだ。フランス映画のオマージュで」
「僕...演技は全く経験ないです」

 困惑した様子で眉を寄せる。演技をするなんて、想像もしたことがない。カメラの後方にいるのが俺の居場所だから。

「大丈夫だ。台詞もそんなに多くない。存在感が重要なんだ」
「でも……」
「カナ、俺の映画に出てくれ!」

 声が大きくて廊下に反響し、驚きで体が震えた。その熱意に、自分の感情が溢れそうになる。真剣な眼差しは、熱に満ちていた。そして、次の言葉で時が止まったかのように感じる。

「お前の役、ライトブルーのドレスを着てもらうんだけど、本当に似合うと思うんだ!」

 ドレス?俺に?頭が真っ白になる。高校時代、今より華奢で中性的だった俺はゲイバレしたこともあり、「オカマ」とたまに罵られていた。その記憶が蘇る。嘲笑の顔々。軽蔑の眼差し。パニックが押し寄せる。だが、先輩の目には嘲りの色はない。ただ、純粋な期待と情熱が輝いている。

「ドレス……ですか?」
 声が震える。怒りか、恐怖か、期待か、自分でも判別できない。

「『サマードレス』っていう映画のオマージュで……」
「嫌ですよ、先輩」
 ときっぱりと返答する。言わなければならなかった。

「撮影なら構いませんが、出演は無理です」
「え?」
「カメラの後ろにいる方が得意なので」

 凍てつく湖のような冷たい目をしていたと思う。自己防衛の本能だ。心を隠す盾だ。近づかれると、崩壊する。傷つく。だから拒絶するしかない。

 だが、心の深部では別の感情が渦巻いている。
「本当の俺を見て」「俺だけを見て欲しい」。そんな願望。
 しかし、それは恐ろしい。その感情に名前を付けるのが……。

「でも……」
「先輩、諦めてください」

 会釈して、部室へ戻ろうとする。早く逃げたい。話を続ければ、感情が漏れ出してしまう。彼の情熱的な眼差しに、心が砕け散りそうになる。

 部室に戻ると、サークルメイトたちは作業を続けていた。しかし、何人かの視線を感じる。噂になるのだろうか?先輩と俺の関係が。不安が膨らむ。高校時代の悪夢が蘇る。

 ここでも同じことが起こるのか?モニターを凝視しながら、思考は巡り続ける。先輩のこと。映画のこと。ドレスのことを。

 なぜ俺なのだろう?他にも適役はいるはずなのに。先輩は察しているのか?俺の秘密を?俺の本当の気持ちを?あるいは、単に外見が役柄に合っていると思っただけ?混乱するのは、先輩への想いがあるからなのか。

 溜息をつく。窓の外、沈みかける夕日の光が心を照らすようだった。

 ◇

 部屋をノックする音が聞こえ、扉を開ける。少し驚いたように先輩は俺を見る。シャワーしたてで髪が濡れていたからか。

「真梨野先輩?」
「カナ、もう一度考えてくれないか?」
「またその話ですか?」

 ドア枠に寄りかかり、呆れたふりをして彼を見つめる。演技だ。本当は、この執着心が嬉しい。でも、表面には出せない。気持ちを明かしたら、先輩はどう反応するだろう?嫌悪を示すだろうか?それとも……。

「頼むよ、カナ!この夏の思い出になるって!」と先輩が言うと、「しつこいですね、先輩。でも……」と俺は答えた。

 目を細めて彼を注意深く観察する。本当に俺が必要なのか?単なる配役として?もし、俺自身に関心があるなら……その可能性に、期待が膨らむ。

「ライトブルーのドレスを着る役だけど、とても美しいシーンになるんだ。お前に最適だよ」
「先輩、僕、男ですよ?」

 自分自身に言い聞かせるようだった。男だ。だから、先輩と何かが起こるなんて……考えるな、危険だ。

「それが重要なんだ。原作の『サマードレス』も……」
「暑いし、部屋に戻ります」

 ドアを閉めようとする。会話を続ければ、先輩に押し切られそうだし、想いが露呈してしまいそうで。しかし、先輩はドアに手をかける。

「ちょっと待ってくれ」
「何ですか?」
 声音は冷淡になる。自己防衛のために。でも、目は彼をじっと見つめてしまう。

「ごめん、強引だったな。でも、本当にお前にしか頼めないんだ。なんとかならないか?」

 真剣な眼差し。その熱意が、心の壁を溶かしていく。
「お前にしか頼めない」。特別な存在だと認められているようで。映画のためだけか、別の意図があるのか……。

「……時間をもらえますか?」

 考える必要があった。先輩の映画に出演すること。それは彼との距離を縮めることを意味する。危険だ。でも、こんなに必要とされた事が今まであっただろうか?彼に惹かれる自分を止められない。

「先輩の映画って……何を残したいんですか?」
 本心を知りたかった。只のフランス映画のオマージュなのか、俺へのこの執着はいったい何なのか。

「夏だよ。光と影と……お前の一瞬の輝きを残したいんだ」

 熱すぎる視線と、「お前の一瞬の輝き」という言葉が刺さる。俺だけを見ているんだ……この人は……と感じる瞬間だった。

「へぇ...何か深そうですね……」

 ドアを閉める。身体の奥が熱くなるのを感じた。何が起きているのか?先輩は本当に何なんだ...?考えすぎか。映画のためなんだろう……。

 部屋に戻り、窓の外を眺める。夕暮れの空。セミの鳴き声。懐かしい光景。カメラを持ちたくなる。この瞬間を保存したくて。しかし、本当に留めておきたいのは、先輩との一瞬だった。

 横になってスマホで『サマードレス』を検索する。フランス映画。男性同士の恋愛。海辺の夏の物語。胸が躍る。先輩は意図的に選んだのか?偶然か?

 作品の内容を知り、関心が湧く。先輩の映画に参加すべきか。危険だが、俺たちの間に何かが生まれるかもしれない。期待すべきか、怖れるべきか……。

 蝉の声。廊下の足音。彼が去った後も漂う気配。全てが、心を揺さぶる。
「考えておく」と言った背後に、答えは既にあった。恐れつつも、踏み出したい。

 フレームの向こうの輝きに、手を伸ばしたい。彼の光の中へ。

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