サマードレスに憧れて 〜君の映画が撮りたくて〜

tommynya

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第8章 パンドラの箱を開ける時 前半(カナ視点) ②

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 食堂で夕食を摂ろうとした時、入口で先輩に出くわす。視線が交差し、会釈する。しかし、目が合った瞬間、何かが通じ合った気がした。彼の眼差しに、諦めていない決意を感じる。

 もう一度断るべきか?しかし、協力すれば、先輩との距離が縮まるかもしれない。
 それは、喜びか、恐れか――判断がつかない。

 カレーの香りが立ち込める中、窓際の一人席に腰を下ろす。空を見上げると綺麗な三日月。カメラに収めたいと思った。だが、それ以上に撮りたいのは、先輩の横顔だと気づく。カレーを口に運びながら、いろいろと考えた。思考がぐるぐると回る。

 ◇

「カナ、俺の映画に出てくれ!」

 それから先輩の積極的なアプローチが始まった。サークルの部室、寮の廊下、コンビニの前。どこで会っても、同じ要請を繰り返す。俺は幾度となく断ってきた。映画に出るなんて、やっぱり俺とは無縁の世界だ。先輩の情熱は眩しすぎて、接近すれば火傷しそうに思える。それでも、彼は諦めない。

「本当にお前にしか頼めないんだ。なんとかならないか?」

 その真摯な瞳に、内側から何かが熱くなる。入学したての頃、俺の写真の話など誰も聞く耳を持たなかった。それなのに、先輩だけは真剣に耳を傾け、「面白いな」と言ってくれたのだ。

 その言葉が、氷の要塞に閉じ込められていた、俺の凍った心を溶かしていく。でも、だからこそ警戒する。再び傷つけられたら、もう回復できないから。

 ◇

 熱帯夜。ドアをノックする音が響く。開けると、額を汗で湿らせ、頬を赤く染めた先輩が立っていた。

「冷房壊れてさ。死にそう。助けて」
「あの、入るんですか?」

 慣れた様子で部屋に足を踏み入れてくる。映画出演の件では無いと言いながら。遠慮のない振る舞いに戸惑いつつも、どこか嬉しさも感じた。

「ごめん、ごめん。入っていい?フランソワ・オゾンの『サマードレス』とか、何本かお勧め持ってきたんだ」

 DVDケースを掲げる笑顔に、期待が膨らむ。男性同士の恋愛を描いた、淡く切ない作品。彼が好きな映画で、この映画をオマージュした作品に、俺を出したいのだ。

「持ってるんですか?」
「単館系映画オタクをなめるなよ。カナが好きそうなのいろいろ選んできた」

 胸を張る彼に、自然と笑みがこぼれた。壁に貼った写真を見て、「写真上手いな」と褒めてくれる。その言葉が、思いのほか心に響く。リュックから缶ビールを取り出し、

「ビール、飲む?」
「え、先輩、これ...」
 アルコールは未経験だった。

「マリでいいよ。みんなそう呼んでるし」
「マリ...さん」
 敬語が抜けない。でも距離が近くなって嬉しい。

「カナ、20歳だっけ?」
「先月です」
「じゃあ、飲めるな」
「実は...飲んだことないんですよね」

 穏やかに笑ったマリは、プシュッと缶を開け、一本を手渡す。ためらいながら、口をつける。

「……苦い」
 顔をしかめる俺に、彼は笑う。「まあね。でも慣れるよ」

 DVDを再生し、映画は始まる。『サマードレス』のオープニング。海辺のコテージ、ゲイカップルの痴話喧嘩。マリは夢中で画面を注視している。

「このオープニング、印象的だよな。こんな始まり方他にない」

 頷く。そして話は進み、男性たちがキスするシーン。そしてキッチンで愛し合う二人...。指先が震えた。隣で無防備にビールを飲むマリに、気づかれないよう息を潜める。心臓の鼓動が煩くて、画面の音声が遠のいていく。

 俺はこの映画を紹介記事の画像でしか見たことがなく、初めて本編を見る。思ったよりも刺激的な内容で、彼はこれを俺と二人っきりで見ることをどう思っているのか?

 芸術として捉えているから、見せられるのだろう。俺がゲイだと知らないから出来ることだ。それとも……誘っているのか?

「このドレスの質感、光の加減でこんなに変わるんだな」

 マリはたまに感想を言いながら、俺の顔を盗み見してくる。いつも感じる熱い視線だけど、今日は隣に座っているし、距離が近いのに...。そんなに見つめて何考えてるの?と俺は思う。うっとりした表情に見える。

 彼は俺の顔が好きみたいだけど、勘違いしそうだから止めて欲しい...。見返せば、きっと何かが壊れてしまう気がする...。だから、気づかないふりをしてあげた。

「ドレスを首に巻くシーン、最高じゃない?」

 興奮した様子で語るマリ。主役が自転車に乗る時に、ドレスを首に巻いているこのシーンはかなり芸術性が高い。青い空にライトブルーのドレスが映えて、夏の眩しさやこの物語の切なさを表現している。

「うん……綺麗だ」
 小声で返すが、隣のマリの存在が気になって集中できない。動揺を隠すため、冗談めかして言う。

「俺にこんな感じでドレス着せる気ですか?」
「似合いそうじゃん。カナ、顔キレイだから」

 いつもの熱い視線で俺の心を焦がす。やはり、何か試されているのか?誘われているのか?そんなはずがないのに、頭が混乱する。

 ゲイだとバレれば、嘲笑の的になるかもしれない。それでも、マリの無邪気な笑顔が、警戒心を解いていく。画面に視線を戻すが、映像は目に入らない。

「オゾンってゲイなんでしょ?」
 思わず口から出てしまう。マリは少し驚くが答える。

「そうだよ。だからこそあの繊細さや大胆さがあるんだと思う」
「繊細、か……」
 視線を遠くに向けた。内側に秘めた何かが、溢れ出しそうになる。

「マリさんは、どうして映画が好きになったんですか?」
「マリでいいって。敬語も禁止な」
「え……じゃあ、マリ」

 呼び慣れないその名を、心臓が跳ねるほど意識しながら口にした。心の中では呼んでいたけど、口にするのをためらっていた名前が、自然と唇から零れて笑顔になる。

「高校の時、この『サマードレス』を見て衝撃受けたんだよね。それから映画にドハマりした」
「へえ」

 ビールをもう一口。体が温かくなってくる。酒の力を借りなければ、話せない何かがあった。マリに接近したい、でも恐い。矛盾した感情が、アルコールで溶け始める。

「カナは?写真はいつから?」
「中学からで、本格的には高校から……かな」
「何かきっかけあったの?」
「写真で切り取った景色が、実際より美しく見えたから...かな」

 実際は、もっと複雑な理由がある。だが、まだ語れない。

 二本目のビールで、頭がふんわりし始める。初めての酒が回ってきた。マリの姿が、眩しく見える。少し寄りかかってみるが、彼は全く拒むことはなく、そのままぴったりと身体をもたれかけさせた。

「マリ……動くな……」

 気づけば、俺はマリの背中に腕を回していた。酔っている振りをして。半分は酔った勢いで、半分の意識ははっきりしている。ただ、触れてみたい。体温、Tシャツの下の筋肉、全てを感じたくなってしまった。

 ただの欲望か恋愛感情かも判断できない。ただ、触れたい。マリは身動きをせず、静かに俺の腕の中にいる。静寂が心を乱す。

「カナ……?」
 マリの声が聞こえる。でも、腕をほどく気は無かった。俺は温もりを感じ続ける。映画は続いているが、内容は頭に入らない。

「……映画、面白い?」
 小さな声で尋ねると、「うん、いい場面だよ」とマリは穏やかな声で答える。

 離れろと言われなかったから、俺は調子にのり背後から強く抱きしめる。自分でも信じられない行動だが、アルコールの影響か、抑圧していた欲求が解放されていた。

 彼を近くに感じたくて首筋に顔を埋める。これは完全にアウトだと思う。俺はどうしたいのだろうか?自問自答する。そして意識が遠のいていく。その後の記憶は曖昧だ。気づいたときは、俺はベッドに寝ていて、マリの姿はもうなかった。

 さっきまでいた夢の世界では、俺は誰かと手をつなぎ海辺を歩いていた。カメラは持っていない。二人は並んでただ波の音を聴いている。ただそれだけの平和な夢だった。
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