17 / 29
第8章 パンドラの箱を開ける時 前半(カナ視点) ②
しおりを挟む食堂で夕食を摂ろうとした時、入口で先輩に出くわす。視線が交差し、会釈する。しかし、目が合った瞬間、何かが通じ合った気がした。彼の眼差しに、諦めていない決意を感じる。
もう一度断るべきか?しかし、協力すれば、先輩との距離が縮まるかもしれない。
それは、喜びか、恐れか――判断がつかない。
カレーの香りが立ち込める中、窓際の一人席に腰を下ろす。空を見上げると綺麗な三日月。カメラに収めたいと思った。だが、それ以上に撮りたいのは、先輩の横顔だと気づく。カレーを口に運びながら、いろいろと考えた。思考がぐるぐると回る。
◇
「カナ、俺の映画に出てくれ!」
それから先輩の積極的なアプローチが始まった。サークルの部室、寮の廊下、コンビニの前。どこで会っても、同じ要請を繰り返す。俺は幾度となく断ってきた。映画に出るなんて、やっぱり俺とは無縁の世界だ。先輩の情熱は眩しすぎて、接近すれば火傷しそうに思える。それでも、彼は諦めない。
「本当にお前にしか頼めないんだ。なんとかならないか?」
その真摯な瞳に、内側から何かが熱くなる。入学したての頃、俺の写真の話など誰も聞く耳を持たなかった。それなのに、先輩だけは真剣に耳を傾け、「面白いな」と言ってくれたのだ。
その言葉が、氷の要塞に閉じ込められていた、俺の凍った心を溶かしていく。でも、だからこそ警戒する。再び傷つけられたら、もう回復できないから。
◇
熱帯夜。ドアをノックする音が響く。開けると、額を汗で湿らせ、頬を赤く染めた先輩が立っていた。
「冷房壊れてさ。死にそう。助けて」
「あの、入るんですか?」
慣れた様子で部屋に足を踏み入れてくる。映画出演の件では無いと言いながら。遠慮のない振る舞いに戸惑いつつも、どこか嬉しさも感じた。
「ごめん、ごめん。入っていい?フランソワ・オゾンの『サマードレス』とか、何本かお勧め持ってきたんだ」
DVDケースを掲げる笑顔に、期待が膨らむ。男性同士の恋愛を描いた、淡く切ない作品。彼が好きな映画で、この映画をオマージュした作品に、俺を出したいのだ。
「持ってるんですか?」
「単館系映画オタクをなめるなよ。カナが好きそうなのいろいろ選んできた」
胸を張る彼に、自然と笑みがこぼれた。壁に貼った写真を見て、「写真上手いな」と褒めてくれる。その言葉が、思いのほか心に響く。リュックから缶ビールを取り出し、
「ビール、飲む?」
「え、先輩、これ...」
アルコールは未経験だった。
「マリでいいよ。みんなそう呼んでるし」
「マリ...さん」
敬語が抜けない。でも距離が近くなって嬉しい。
「カナ、20歳だっけ?」
「先月です」
「じゃあ、飲めるな」
「実は...飲んだことないんですよね」
穏やかに笑ったマリは、プシュッと缶を開け、一本を手渡す。ためらいながら、口をつける。
「……苦い」
顔をしかめる俺に、彼は笑う。「まあね。でも慣れるよ」
DVDを再生し、映画は始まる。『サマードレス』のオープニング。海辺のコテージ、ゲイカップルの痴話喧嘩。マリは夢中で画面を注視している。
「このオープニング、印象的だよな。こんな始まり方他にない」
頷く。そして話は進み、男性たちがキスするシーン。そしてキッチンで愛し合う二人...。指先が震えた。隣で無防備にビールを飲むマリに、気づかれないよう息を潜める。心臓の鼓動が煩くて、画面の音声が遠のいていく。
俺はこの映画を紹介記事の画像でしか見たことがなく、初めて本編を見る。思ったよりも刺激的な内容で、彼はこれを俺と二人っきりで見ることをどう思っているのか?
芸術として捉えているから、見せられるのだろう。俺がゲイだと知らないから出来ることだ。それとも……誘っているのか?
「このドレスの質感、光の加減でこんなに変わるんだな」
マリはたまに感想を言いながら、俺の顔を盗み見してくる。いつも感じる熱い視線だけど、今日は隣に座っているし、距離が近いのに...。そんなに見つめて何考えてるの?と俺は思う。うっとりした表情に見える。
彼は俺の顔が好きみたいだけど、勘違いしそうだから止めて欲しい...。見返せば、きっと何かが壊れてしまう気がする...。だから、気づかないふりをしてあげた。
「ドレスを首に巻くシーン、最高じゃない?」
興奮した様子で語るマリ。主役が自転車に乗る時に、ドレスを首に巻いているこのシーンはかなり芸術性が高い。青い空にライトブルーのドレスが映えて、夏の眩しさやこの物語の切なさを表現している。
「うん……綺麗だ」
小声で返すが、隣のマリの存在が気になって集中できない。動揺を隠すため、冗談めかして言う。
「俺にこんな感じでドレス着せる気ですか?」
「似合いそうじゃん。カナ、顔キレイだから」
いつもの熱い視線で俺の心を焦がす。やはり、何か試されているのか?誘われているのか?そんなはずがないのに、頭が混乱する。
ゲイだとバレれば、嘲笑の的になるかもしれない。それでも、マリの無邪気な笑顔が、警戒心を解いていく。画面に視線を戻すが、映像は目に入らない。
「オゾンってゲイなんでしょ?」
思わず口から出てしまう。マリは少し驚くが答える。
「そうだよ。だからこそあの繊細さや大胆さがあるんだと思う」
「繊細、か……」
視線を遠くに向けた。内側に秘めた何かが、溢れ出しそうになる。
「マリさんは、どうして映画が好きになったんですか?」
「マリでいいって。敬語も禁止な」
「え……じゃあ、マリ」
呼び慣れないその名を、心臓が跳ねるほど意識しながら口にした。心の中では呼んでいたけど、口にするのをためらっていた名前が、自然と唇から零れて笑顔になる。
「高校の時、この『サマードレス』を見て衝撃受けたんだよね。それから映画にドハマりした」
「へえ」
ビールをもう一口。体が温かくなってくる。酒の力を借りなければ、話せない何かがあった。マリに接近したい、でも恐い。矛盾した感情が、アルコールで溶け始める。
「カナは?写真はいつから?」
「中学からで、本格的には高校から……かな」
「何かきっかけあったの?」
「写真で切り取った景色が、実際より美しく見えたから...かな」
実際は、もっと複雑な理由がある。だが、まだ語れない。
二本目のビールで、頭がふんわりし始める。初めての酒が回ってきた。マリの姿が、眩しく見える。少し寄りかかってみるが、彼は全く拒むことはなく、そのままぴったりと身体をもたれかけさせた。
「マリ……動くな……」
気づけば、俺はマリの背中に腕を回していた。酔っている振りをして。半分は酔った勢いで、半分の意識ははっきりしている。ただ、触れてみたい。体温、Tシャツの下の筋肉、全てを感じたくなってしまった。
ただの欲望か恋愛感情かも判断できない。ただ、触れたい。マリは身動きをせず、静かに俺の腕の中にいる。静寂が心を乱す。
「カナ……?」
マリの声が聞こえる。でも、腕をほどく気は無かった。俺は温もりを感じ続ける。映画は続いているが、内容は頭に入らない。
「……映画、面白い?」
小さな声で尋ねると、「うん、いい場面だよ」とマリは穏やかな声で答える。
離れろと言われなかったから、俺は調子にのり背後から強く抱きしめる。自分でも信じられない行動だが、アルコールの影響か、抑圧していた欲求が解放されていた。
彼を近くに感じたくて首筋に顔を埋める。これは完全にアウトだと思う。俺はどうしたいのだろうか?自問自答する。そして意識が遠のいていく。その後の記憶は曖昧だ。気づいたときは、俺はベッドに寝ていて、マリの姿はもうなかった。
さっきまでいた夢の世界では、俺は誰かと手をつなぎ海辺を歩いていた。カメラは持っていない。二人は並んでただ波の音を聴いている。ただそれだけの平和な夢だった。
3
あなたにおすすめの小説
番を拒み続けるΩと、執着を隠しきれないαが同じ学園で再会したら逃げ場がなくなった話 ――優等生αの過保護な束縛は恋か支配か
雪兎
BL
第二性が存在する世界。
Ωであることを隠し、平穏な学園生活を送ろうと決めていた転校生・湊。
しかし入学初日、彼の前に現れたのは――
幼い頃に「番になろう」と言ってきた幼馴染のα・蓮だった。
成績優秀、容姿端麗、生徒から絶大な信頼を集める完璧なα。
だが湊だけが知っている。
彼が異常なほど執着深いことを。
「大丈夫、全部管理してあげる」
「君が困らないようにしてるだけだよ」
座席、時間割、交友関係、体調管理。
いつの間にか整えられていく環境。
逃げ場のない距離。
番を拒みたいΩと、手放す気のないα。
これは保護か、それとも束縛か。
閉じた学園の中で、二人の関係は静かに歪み始める――。
後宮に咲く美しき寵后
不来方しい
BL
フィリの故郷であるルロ国では、真っ白な肌に金色の髪を持つ人間は魔女の生まれ変わりだと伝えられていた。生まれた者は民衆の前で焚刑に処し、こうして人々の安心を得る一方、犠牲を当たり前のように受け入れている国だった。
フィリもまた雪のような肌と金髪を持って生まれ、来るべきときに備え、地下の部屋で閉じ込められて生活をしていた。第四王子として生まれても、処刑への道は免れられなかった。
そんなフィリの元に、縁談の話が舞い込んでくる。
縁談の相手はファルーハ王国の第三王子であるヴァシリス。顔も名前も知らない王子との結婚の話は、同性婚に偏見があるルロ国にとって、フィリはさらに肩身の狭い思いをする。
ファルーハ王国は砂漠地帯にある王国であり、雪国であるルロ国とは真逆だ。縁談などフィリ信じず、ついにそのときが来たと諦めの境地に至った。
情報がほとんどないファルーハ王国へ向かうと、国を上げて祝福する民衆に触れ、処刑場へ向かうものだとばかり思っていたフィリは困惑する。
狼狽するフィリの元へ現れたのは、浅黒い肌と黒髪、サファイア色の瞳を持つヴァシリスだった。彼はまだ成人にはあと二年早い子供であり、未成年と婚姻の儀を行うのかと不意を突かれた。
縁談の持ち込みから婚儀までが早く、しかも相手は未成年。そこには第二王子であるジャミルの思惑が隠されていて──。
【完結】※セーブポイントに入って一汁三菜の夕飯を頂いた勇者くんは体力が全回復します。
きのこいもむし
BL
ある日突然セーブポイントになってしまった自宅のクローゼットからダンジョン攻略中の勇者くんが出てきたので、一汁三菜の夕飯を作って一緒に食べようねみたいなお料理BLです。
自炊に目覚めた独身フリーターのアラサー男子(27)が、セーブポイントの中に入ると体力が全回復するタイプの勇者くん(19)を餌付けしてそれを肴に旨い酒を飲むだけの逆異世界転移もの。
食いしん坊わんこのローグライク系勇者×料理好きのセーブポイント系平凡受けの超ほんわかした感じの話です。
竜帝陛下の愛が重すぎて身代わりの落ちこぼれ薬師は今日も腰が砕けそうです 〜呪いを解いたら一生離さないと宣言されました〜
レイ
BL
「死ぬ覚悟はできています。でも、その前に……お口、あーんしてください」
魔力を持たない「無能」として実家で虐げられていた薬師のエリアン。
彼に下されたのは、触れるものすべてを焼き尽くす「死の竜帝」ヴァレリウスへの、身代わりの婚姻だった。
【完結】取り柄は顔が良い事だけです
pino
BL
昔から顔だけは良い夏川伊吹は、高級デートクラブでバイトをするフリーター。25歳で美しい顔だけを頼りに様々な女性と仕事でデートを繰り返して何とか生計を立てている伊吹はたまに同性からもデートを申し込まれていた。お小遣い欲しさにいつも年上だけを相手にしていたけど、たまには若い子と触れ合って、ターゲット層を広げようと20歳の大学生とデートをする事に。
そこで出会った男に気に入られ、高額なプレゼントをされていい気になる伊吹だったが、相手は年下だしまだ学生だしと罪悪感を抱く。
そんな中もう一人の20歳の大学生の男からもデートを申し込まれ、更に同業でただの同僚だと思っていた23歳の男からも言い寄られて?
ノンケの伊吹と伊吹を落とそうと奮闘する三人の若者が巻き起こすラブコメディ!
BLです。
性的表現有り。
伊吹視点のお話になります。
題名に※が付いてるお話は他の登場人物の視点になります。
表紙は伊吹です。
経理部の美人チーフは、イケメン新人営業に口説かれています――「凛さん、俺だけに甘くないですか?」年下の猛攻にツンデレ先輩が陥落寸前!
中岡 始
BL
社内一の“整いすぎた男”、阿波座凛(あわざりん)は経理部のチーフ。
無表情・無駄のない所作・隙のない資料――
完璧主義で知られる凛に、誰もが一歩距離を置いている。
けれど、新卒営業の谷町光だけは違った。
イケメン・人懐こい・書類はギリギリ不備、でも笑顔は無敵。
毎日のように経費精算の修正を理由に現れる彼は、
凛にだけ距離感がおかしい――そしてやたら甘い。
「また会えて嬉しいです。…書類ミスった甲斐ありました」
戸惑う凛をよそに、光の“攻略”は着実に進行中。
けれど凛は、自分だけに見せる光の視線に、
どこか“計算”を感じ始めていて……?
狙って懐くイケメン新人営業×こじらせツンデレ美人経理チーフ
業務上のやりとりから始まる、じわじわ甘くてときどき切ない“再計算不能”なオフィスラブ!
身代わりにされた少年は、冷徹騎士に溺愛される
秋津むぎ
BL
第13回BL大賞奨励賞頂きました!
最終17位でした!応援ありがとうございます!
あらすじ
魔力がなく、義母達に疎まれながらも必死に生きる少年アシェ。
ある日、義兄が騎士団長ヴァルドの徽章を盗んだ罪をアシェに押し付け、身代わりにされてしまう。
死を覚悟した彼の姿を見て、冷徹な騎士ヴァルドは――?
傷ついた少年と騎士の、温かい溺愛物語。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる