サマードレスに憧れて 〜君の映画が撮りたくて〜

tommynya

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第9章 パンドラの箱を開ける時 後編(カナ視点) ②

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 海辺のスタジオでの撮影後、俺たちの距離は一気に縮まった。映画に出ることになったので、毎日のようにマリに演技指導を受けるようになる。夜に俺の部屋に集まり、映画を見ては演技プランのイメージを膨らませていた。

「オゾンって変わった映画多いよね」ある夜、ふと呟く。
「変わってるんじゃなくて深いんだよ。自由に映画を作れるのって強いし、ゲイの監督らしいよな。憧れる」
「確かに。それに、男同士の恋愛を描くのも美しさが際立っていて上手いよね」

 間を置いて、続ける。

「マリは……そういうの気にする?」
「え?」
「同性の恋愛……男が男を……好きになること」

 言葉が詰まった。顔が熱くなる。

「別に……いいんじゃない?好きは好きじゃん」
 カジュアルな肯定の言葉が、俺の心を羽のように軽くした。
「そっか……」

 時計の針は0時をさす。明日も一限から講義があるのに、まだ起きている。マリとの時間があっという間に過ぎていく。

「もう一本見ない?オゾンの『Summer of 85』も面白いよ」
 俺の好きな映画だ。マリは少し眠そうに頷き欠伸が出る。

「あ、ごめん……眠くて」
「無理しなくていいよ。休む?」
「いや、平気、見よう」

 マリは目を擦って、いまにも寝てしまいそうだった。
「ごめん……少しだけ……」

 すぐにマリは俺のベッドで寝落ちしてしまう。一日中脚本を書き続けていて、疲れていたみたいだ。精神的にも、肉体的にも。寝顔を見つめながら、ようやく自分の感情と向き合った。

 好きだ。この感情に名前をつけるなら、それしかない。好きだけど、怖い。傷つくのが、拒否されるのが怖い。

 でも、彼のそばにいたい。撮り続けたい。守りたい。矛盾する感情に心が揺れ動く。

 エンドロールが流れる部屋で、マリの寝顔を見つめ続けた。長い睫毛、目を閉じるといつもよりかなり幼い、赤ちゃんのような唇、すべてが心を乱す。
 
 俺は音を立てないように、ベッドの端に腰を下ろした。起こしたくないけど、触れてみたいと思っていたら、手が勝手に動いてしまう。

 柔らかい髪に触れる。額が見えるように前髪を分けると、指が震えていた。

「油断しすぎだよ、マリ……」

 小さく呟く。彼には聞こえてはいけない。指が頬に触れると、温かくて人間なんだって思った。俺の指先よりずっと熱い。

 次に唇へ。親指でそっとなぞると、柔らかすぎて、俺の心は壊れそうになる。

「抑えきれないかも」

 声が漏れてしまう。心の叫びだった。マリの寝息が少し乱れて、ビクッと動いたので手を引っ込める。でも、目はまだ開かない。本当に眠っているようだ。

「可愛いな……」
 
 もう一度、頬に触れてみる。今度はもっとゆっくりと、指の腹で輪郭を辿る。顎のライン。首筋。鎖骨……。Tシャツの襟元の隙間から見える肌。そこにも触れてみたい。でも、それは越えてはいけない一線だ。

 それでも、視線を唇に戻す――キスしたい。

 今まで何度そう思っただろう。写真を撮る瞬間、映画を見ているとき、彼が笑っている姿を見る度に……。

 でも、怖くてできなかった……今なら――寝ているなら。
 顔を近づけると、心臓が壊れそうなほど激しく暴れ出す。
 手の震えが止まらない。

 あと少し……あと数センチ……マリの吐息は温かくて、少しアルコールの香りが残っている。

 もう、止められない――ついに、唇が触れた。

 柔らかい唇。最初は触れるだけで、押し付けず、感触を確かめるように。
 マリの体温が唇を通して、じんわりと全身に広がっていく。
 初めてのキスに身体が強張り、膝から力が抜けてしまう。

 どんどん欲深くなる。もっと深くキスしたい……。
 今度は少し角度を変えて、吸い付いた。

 その時、マリの唇が僅かに動いた――え?心臓が止まりそうになる。

 寝息が乱れて、眉間に皺が寄る。本当は起きてる?
 慌てて顔を離し、呼吸を整えて平静を装う。マリの瞼が微かに震えたが、まだ寝ているみたいだ。

 それとも――寝たふりしてる? もし気づいていたら? 
 そう思うと、冷や汗が背中を伝う。でも起きる様子はなく、気づかれていない。そう自分に言い聞かせるが、心の奥では別の感情が渦巻いていた。

 もし、起きていて、拒絶しなかったのなら――期待してはいけないけど、期待してしまう。唇に残る感触は忘れられないものになりそうだ。もう、後戻りはできない。

 罪悪感と快感。許されないことだと分かっていたけど、止められなかった。
 キスしている最中は、電流が走り続け、欲望は収まらない。

 窓の外は闇に沈み、寮は静寂に包まれている。俺の心も暗闇の中に閉じ込められていた。

 マリはまだ眠っているように見える。ほっとして、同時に残念にも感じた。起きていて、受け入れてくれたら……。なんて期待を抱きながら、机へ向かう。パソコンを開き、キーボードを打つ振りをする。しかし、頭はキスのことでいっぱいだった。

 暫くすると、マリが伸びをしながら目を覚ます。

「あ、ごめん。寝てたみたい」

 パソコンに向かったまま答える。

「お疲れ。30分くらい寝てたよ」
「なんか...変なことした?寝言とか」

 心臓が跳ねた。バレたのか?表情は普通に見える。

「特に何も。静かに寝てたよ」
 視線をパソコンに戻す。全く落ち着かないが、絶対にバレてはいけない。
「そっか……」

 気まずい沈黙が流れる。このまま帰ってくれれば...。
「カナ、今何してるの?」
「写真の編集」画面を向けた。マリのモノクロの写真。
「……すごい。アートだね」感嘆の声に、心が温まった。

「ドレス似合ってたよ、マリ」
 真剣に告げる。目が合い、慌てて視線をそらす。
「冗談だろ……?恥ずかしいんだけど」
「冗談じゃない。本当に……美しかった」

 声が低くなる。本心だった。そして、空気が変わる。時計のカチカチという音だけが響く。

「マリ、聞きたいことがある」
 立ち上がり、向き直る。鼓動が早鐘を打つ。

「なに?」
「さっき...本当に寝てた?」
 表情が微かに変わった。息を潜めたように見える。

「え?……うん、寝てたよ」
 嘘だ。その目は、何かを隠している。気づいていたのか?認めたくないのか。

「そっか……なら良かった」
 安堵のふりをする。良かった、と言ったが、本当は違った。本当のことを言って欲しかった。無理な話だ。

「……なんで?」声に不安が混じる。
「いや、何でもないよ。気にしないで」
 パソコンに向き直った。何かが宙ぶらりんのまま、中途半端に終わってしまった。

「そろそろ帰るわ。遅いし」
「ああ、また明日」
 俺は振り返らない。背中が寂しげに見えたら、気づかれてしまう。

「おやすみ」
 マリが出て行った後、黒い画面を見つめていた。寝顔が浮かぶ。柔らかい唇の感触がまだ残っていた。

 ◇

 翌日の帰り道。ふいにマリは俺に問う。

「なあ、カナ。昨日さ、なんか変なことなかった?」

 やはり、気づいていたのか?声のトーンからは何も読み取れない。息が止まりそうになる。しかし、無理やり笑顔を作った。

「マリが寝相悪くて、ベッドから落ちそうだったくらいかな」

 嘘だった。真実は言えない。受け入れられる可能性より、拒絶される確率の方が高い。そんなリスクは取れなかった。

「そっか……」

 表情に、何かを悟ったような影がよぎる。彼も何かを隠しているようだ。二人の間に、言葉にならない何かが漂っていた。空気が重い。このまま、こんな感じで、はぐらかしていいのか自問自答し始めた。

「どうして?何か……夢でも見た?」

 試すように聞く。もし気づいていたなら、ここではっきりさせよう。

「いや……なんか、妙に……リアルな感じがして」

 マリが唇に指を当てた。その仕草に、ドキッとする。

「リアル?」

「うん。誰かに……触れられてたような」

 ――やっぱり、気づいてたのか?
 長い沈黙が続くが、お互いに、本当のことを言わない。

「気のせいじゃない?」

 できるだけ軽く言う。でも、声が上ずった。

「だよな。気のせいかな」

 マリも無理に笑う。二人とも嘘をついている。どちらも真実を言い出せずにいた。
 言えば、何かが壊れることを知っていたから。

 ◇

 数日後、事態は急変する。真実を告げなければならない時が来た。

 夕方、部室で二人きりになった時だった。夕陽がマリの横顔を照らしている。その美しさに、切なさがこみ上げて、胸が苦しくなった。もう隠し続けることはできない。

 あの日なぜキスしたのかと、マリに聞かれて逃げられなくなった。マリはやはり寝たふりをしていたのだ。なぜキスしたのかと問われたとき、もう言うしかなかった。

「俺、ゲイなんだ」

 言葉にした瞬間、力が抜けて、何かに開放された気がした。長い間抱えていた秘密を手放せたのだ。マリの驚きの表情は忘れられないだろう。だが嫌悪の色はなかった。それが唯一の救いだった。

「高校のとき、ゲイバレして、色々大変で...ずっと隠してきたんだ」

 記憶が蘇る。嘲笑、侮辱、孤立。すべてが崩れた時...。大学では本当の自分を見せないと決めていた。もうあんな思いをする事に耐えられないから。

 でも、本当に、マリが例外になるなんて思ってもみなかった。

「……このままだと、どうなっても知らないよ?また、隙を見せたら、変なことするかもしれないし」

 キスのこと、ただの衝動だと言ったけど……嘘だ。計画的ではなかったけれど、ずっとキスしたいと思っていたから。好きだという事実から、もう逃げられない。

「カナ……俺のこと……好きなのか?」

 言葉が出ない。喉が詰まった。「好きだ」と言えば関係が壊れてしまう。嘘をつけば自分を裏切ることになる。

「……俺も?って言いたいのか?」

 視線をそらした。マリの言葉にかすかな期待が混じってしまう。「好きだ」と伝えたい。でも怖かった。拒絶の恐怖が、勇気を上回る。

 黙り込むマリ。距離をおきたいと俺が言ったとき、思いがけない言葉が返ってきた。

「撮影最終日まで、考えさせてくれ」マリは俺に希望を与えたのだ。完全な拒絶ではない。前向きに考えてくれる。胸の奥に小さな灯りがともった。

「じゃあ、撮影最終日までに答えを出して」
「うん...分かった」
 約二週間後。どんな答えが待っているのか?期待と不安が入り混じる。

 夕陽が部室を赤く染めていた。あの日、窓の向こうから俺を眺めていた彼。今は同じ空間にいる。心の距離はまだ遠い。でも、少しずつ縮まっているのかもしれない。

 フレームの向こうの光。あの日見た光は、今、手の届くところにある。撮影を通して、二人の関係はどう変わっていくのか?怖いけれど、期待もある。カメラに決意を込めて、その日を待つことにした。

 次の日から、俺もマリも実家に帰る予定だ。暫く会えない。その間に心の整理をしようと思う。

 ◇

 実家に戻って三日後。明日からロケハンの予定だったから、マリに連絡した。向こうからは連絡しづらいだろうから、俺から。すると、彼は嬉しそうに返事をくれた。

 明日はあの日以来マリに会える。複雑な感情を抱えながらも、会える喜びで明日が待ち遠しいと思った。
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