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第10章 海辺の約束 ③
しおりを挟むあのロケハンから一週間後。いよいよ本格的な撮影が始まった。
海辺でのドレスシーンは特に重要で、朝早くから準備を整えていた。
「今日の天気、最高だな」
リョウが機材を並べながら声をかけてくる。
「マリ、どんな感じで撮影する?」
手元の絵コンテを指さす。
「まず岬のシルエットから始めて、それから波打ち際のシーンへ。光の角度が変わるから、時間との勝負だ」
潮風が吹く中、カナがライトブルーのドレスを身にまとい波打ち際を歩く姿は、カメラ越しでも目を奪われるほど優美だった。波が足元を濡らすたびに振り返るカナの表情が、どこか儚くて呼吸が浅くなる。
『ただの映画用のイメージじゃない。カナがこんな近くにいるからだ』と心の中で呟くと、リョウに「マリ、顔赤いぞ」と指摘された。「日差しが強くて暑いんだ」と誤魔化す。
午後になるにつれ潮風が強まり、撮影はより難しくなっていく。それでもカナは文句一つ言わず、何度も同じシーンを繰り返してくれる。ドレスの裾が風に舞い、彼の細い肩が夕陽に染まる光景は、まるでファンタジー映画のヒロインのようだった。
「OK!これで完璧!」
最後のカットを終え、満足げに声を上げる。カナは疲れた表情ながらも、緊張感から解放されたようだ。
「良かった。マリの想像通りになった?」
「想像以上だよ」
正直な気持ちを伝えると、カナはホッとした表情を見せる。
撮影を終えて機材を片付けていると、リョウが突然声をひそめた。
「おい、マリ。あそこを見ろよ」
振り返った先、少し離れた砂浜にユナの姿がある。青いワンピース姿で、写真サークルのメンバーと何か話している。
「まだ諦めていないのか」
思わず声が漏れる。
「気にするな。衣装まで被せてくるなんて、あいつマジでヤバいな」呆れ顔でリョウが俺の肩をポンと叩き、「今日の撮影は最高だったぞ」と励ましの言葉をくれた。
◇
その夜、予約していた海辺のコテージに泊まる。夕食後、カナとリョウには先に部屋へ戻って休んでもらい、明日の撮影プランを一人で考えたくて、俺は浜辺を散策していた。波の音を聞きながらイメージを膨らませていると、背後から声がかかる。
「一人で何してるんですか?マリ先輩」
振り返ると、ユナが立っていた。月明かりに照らされた彼女の表情には、いつもの高慢さがない。どこか寂しげで、初めて素顔を見た気がした。
「ユナ...なぜここに?」
「私も撮影で来てるんです。さっきも会いましたけど」
彼女は砂浜に腰を下ろそうとして、「座ってもいいですか?」と俺に許可を求める。
「いいよ」
警戒しながらも、隣に座ることを許す。
「奏多くんのこと、本当に大切にしてるんですか?」不意にユナが問いかけてくる。
「当然だよ」躊躇なく答えた。
「カナは俺にとって特別な存在だから」
「そうですか」
ユナは遠い目をして海を見つめた。
「私、ずっと前から奏多くんの事が好きなんです。でも、最近の奏多くんの目には、マリ先輩しか映っていないみたいで...」
その言葉に息を呑む。ユナの行動は全て嫉妬からだったのか。
「私の映画、全国大学映像コンテストで一位を取ります」
彼女は急に声のトーンを変えた。
「先輩達も私の味方。このままだとマリ先輩の映画は応募も難しいかもしれませんね。各大学から一本しか応募できないらしいし」
「何だって?」
思わず声が上ずる。
「奏多くんに伝えておいて下さい。明日私に、会いに来てほしいって」
ユナは立ち上がり、砂を払う。
「選ぶのは奏多くん自身ですよね?」
そう言い残して、彼女は暗闇の中へ消えていった。
部屋に戻ると、カナとリョウはまだ起きていて編集プランを話し合っていた。ユナとの会話は二人には話せない。特にカナには余計な不安を与えたくなかった。
◇
翌朝、カナが「ちょっと出かけてくる」と言い残して部屋を出て行く。懸念が頭をよぎり、リョウを残して後を追う。
海辺のカフェで、カナとユナが向かい合っている姿を発見して、近づいて話を聞こうとすると、ユナの声が風に乗って聞こえてきた。
「マリ先輩の映画なんかより、私の映画はコンテストで一位取れるよ。私の方が撮影技術が高いし、写真も上手いでしょ?それに、あんなドレス着た映像が残るなんて、みんなの笑いものになるだけだよ」
カナは黙って聞いている。その姿を見るのが辛かった。
「藤崎先輩も言ってたよ。マリ先輩の映画は選考から外されるって。奏多くん、私と一緒に素敵な映画を作りましょう?」
「これで奏多くんは私のもの」と言わんばかりのユナの得意げな表情。俺は居ても立っても居られなくなり、その場から立ち去った。
部屋に戻ると、リョウが心配そうな顔で俺に話しかけてくる。
「どうした?顔色悪いぞ」
「もうダメかも」
膝を抱えて床に座り込む。
「俺の映画、選考から外されるかもしれない。カナもとられるかも……」
リョウは真剣な表情で前にしゃがみ込んだ。
「選考外されるって何?それに、カナはお前を選んだんだろ?」
「ユナが言ってたんだ...」
「あいつにまたなんか言われたのか?諦めるなよ。まだ分からないだろ?」
リョウがきっぱり言い切る。
「カナの事も信じてやれよ」
その言葉に、徐々に落ち着きを取り戻す。
「ユナなんかに負けたくない。カナと約束したんだ」
「そうだ」
リョウが笑顔で俺を諭す。
「それがお前だ」
その時、部屋のドアが開き、カナが戻ってきた。予想以上の早い帰還に驚く。
「カナ……」
「ユナに会ってきたよ」
カナが静かに言う。
「彼女の誘いを断ってきたんだ」
「本当に?」
「俺はマリの映画に出る。ユナの企画は自分で頑張ってって伝えた」
カナは照れくさそうに言う。
「ユナ、かなり怒ってたけどね」
「でも、藤崎先輩が……」
「知ってる。コンテストの選考は、上映会で決められるから、ユナの映画に勝てばいいんだよ。マリには出来るよね?」
「上映会で皆を認めさせればいいってこと?」
「そう。いい映画が出来れば皆に認められるよ。それに審査員長は外部の専門家に依頼するらしいから、本当に実力勝負だ」
カナがまっすぐに俺の目を見つめた。
「やるだけやってみよう」
カナが差し出した手を握ると、不思議な安心感が全身を包んだ。温かいその手を強く握り返す。
「よし」
リョウが二人の背中を叩く。
「じゃあ、最高の映画を作ろうぜ!」
俺たちは気合を入れ直して撮影に取り組み、この日のスケジュールを計画通りに進めた。
撮影は順調で、デジタル映像の編集作業も今日から同時に行う。8ミリフィルムの編集が始まるまでに終わらせる予定だ。2つの映像を効果的に使い1本の短編映画に仕上げる。
明日はついに映画のクライマックスシーンの撮影。カナの姿を思い浮かべながら、カメラワークのシミュレーションを行う。再び心を引き締め直し、彼が俺を選んでくれたことの意味を、この映画に込めようと決意する。
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