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第1章 凍てつく誓い、業火の出会い
第2話 大好きな絵本
しおりを挟む夕食が終わると、ティナは修道院の一角にある自室へと戻った。
元は王女の彼女だったが、修道女としての暮らしは大変質素なものだった。
部屋の隅、机の上に置かれたランプに火種を点す。
炎の揺らめきで照らされても、彼女の頬は白いものだ。
いつもはブレッドを好んで食す彼女だったが、先ほどの食事では全く喉を通らなかった。
かろうじて飲水は出来ているような状態だ。
「私は……やはり死ぬのね……」
ふと、机の上に置かれた手紙が眼に入る。
シルフォード王国の鷲の封蝋が施されていた。
「お父様からの手紙……あ……」
『会いに行けずに申し訳がない。儂のことを恨んでいるだろうが、儂はお前のことをいつでも大事に思っているよ』
達筆な文体で書かれた便せんを見て、思わず瞳が潤んでくる。
一言だけだが、彼の愛情が伝わってくるようだ。
「お父様……亡くなったお母様……私がこんな身体で生まれてさえこなければ……」
父も母も信神深い人だった。
生まれたてのティナの姿を見て、母は心労で倒れた。魔物か何かを生んだのではないかと大臣達に責め立てられ、どんどん心を病んでいったのだ。
父は大臣達の声を退け、妻も娘のことも愛し抜こうとしてくれた。
だが、為政者として曰わくありの者達を置いてはおけなかったのだろう。
母が死ぬと、国のために祈りを捧げて欲しいと、ティナは辺境の教会へと追いやられたのだ。
思い出すとなんだか悲しくて仕方がなかった。
「だけど、大好きだったお母様の元に、もうすぐ会いに行ける……だから、お父様は私のことなんて忘れて、立派な王様として名をあげてほしい……私に、女神信仰という大事な役割を与えてくださって、本当にありがとうございます」
本当は奇病に冒された魔物のような扱いで終わるはずだったのに、ちゃんとした役割を与えてくれた父を恨むはずもないのだ。
父だって会いたいのだろうが、十五歳以上の男性は立ち入ることができない。
(だけど、私の遺体には会いに来てくれるかもしれない……)
部屋の前に用意された鏡台の前で、彼女は紺のヴェールをそっと取り去る。
美しいローズゴールドの髪が、さらりと細い腰先にまで流れ落ちた。
実年齢よりも幼く見える顔を見る余裕が今はない。
そっと貫頭衣を脱ぎ捨てると、華奢な身体が露わになる。
上半身を覆うような痣を見ると衝撃が大きいので、眼をぎゅっと瞑りながら、彼女は寝間着に袖を通した。柔らかな生地でお気に入りの一着だ。
「考えても仕方がないわね、これを着て気持ちを上げて……さあ、もう寝ましょう」
ティナは毛布の中に身をくるめる。
高級とは言いがたいが、太陽の下で干しているので、寝間着も布団もふんわりとして気持ちが良い。
ぽかぽかと少しずつ手足が暖まってくる。
そうして、枕元に置いてある絵本『シルフィード創世記』を手に取ると、布団の中でページをめくる。
ティナは、もうほとんど暗唱してる大好きな一説を紡いだ。
「かつて綠豊かだった大地フェリーシア……」
***
かつて緑豊かだった大地フェリーシア。
いくつかある大陸の内、もっとも大きな大陸が、まだいくつもの国に別れていた時代――シルフォード王国がまだ小国だった頃。
丘の中腹にある白皙の城は、太陽に照らされ、神々しく輝いていた。
だが、しかし、ある時、地上は魔物に強襲されてしまう。
名もなき姫は、竜殺しの護衛騎士を連れ、世界を救う旅に出た。
しかし、戦いの最後、魔物達が強襲し、魔物達の長である白銀の竜に殺されてしまう。
そうして、北の大地は荒れ果て、凍てつく荒野へと変化してしまった。
だが、高潔な魂の持ち主だった姫君は、女神に転生。
竜をその手で封印し、地上に春を取り戻す。
姫を愛した護衛騎士は今も英雄王として語り継がれており、この二千年、姫の魂を守り続けていると言われている。
以来、シルフォードで雪が降る日が多いのは白銀竜の呪いとされており、姫の代わりに護衛騎士が竜を牽制するので春が来ると、伝えられている。
***
ティナは、硬質な紙を表紙にした本をパタンと閉じた。
紫水晶色の瞳をうっとりとさせながら、窓から覗く星々を見上げる。
雲のない空だ。
「もし、これが真実だというのなら……今もどこかで、騎士は姫の魂を守っているということでしょうね。二千歳ってところだから、もうたいそうなおじいちゃんだとは思いますが……この吹雪に覆われた大地のどこかで、今も愛する姫のために竜と戦っているんだとしたら……なんてステキなことでしょう」
彼女はぎゅっと本を抱きしめた。
――今となっては古くからある神話や伝承といった類いのものだ。
だけれども、ティナが、竜の荒ぶる魂を鎮める巫女として辺境の村に送られたのも事実なのだ。
「修道女が考えて良い類いの話でないことは分っています。こんなロマンス小説みたいな恋だって、どこにも存在しないんだって」
現実にはあり得ないことだと分っている。
自分が宛がわれたのは、あってないような役職であることも……。
ティナは瞼を伏せる。
彼女が置かれている環境は、他の区域担当の神官達の管理も行き届いていないような――見放された場所――言うなれば、荒れ果てた牢屋の中のような場所でもある。
「だけど、ただでは死にません……自身の役割を全うして……そうして命を終えたい……」
だんだんと夢に誘われはじめた彼女が、そう呟いた時――。
『なあ、お前、本当に死ぬのかよ?』
――先ほど聖堂で聞いた声とは別の声。
少しだけ低い青年の声が耳に届いた。
「え? ああ、そうみたいなんです……騎士様」
ティナがまどろみはじめると、いつも聞える穏やかで優しい声。
孤独で寂しかった少女時代には、この声を支えに生きてきた。
大人になった今では、少女が想像で作った青年だと分っている。
とはいえ、こうやって夢を見ている間が、大層幸せな時間だった。
『こんな牢獄みたいな中、若い身空で楽しいことも何もなく、漫然と過ごして良いのか?』
だけど、なんだか今日の彼の様子は違った。
「え……?」
『だったら、てめえに宿っちまった、俺の魔力。返してもらっても良いんだよな?』
唐突に耳の近くで、相手が囁いてくる。
「ひゃっ……!」
思わず声を上げてしまった。
だが、気のせいだった。
そばに誰かがいるわけもない。
「なんだろう? 死期が近いから、ちょっと調子が悪いのかしら……?」
「今日も騎士様は現れてくれるかしら? 修道女が考えて良い台詞ではないけれど……」
子どもの頃からいつも見ている同じ夢。
夢の中で、彼女はフェリーシアの姫として扱われていて、そばでは竜殺しの騎士が傅いてくれる。
そうして、彼は、そっと手の甲に口づけを落としてくれるのだ。
「私の騎士様……」
とろとろと瞼が落ちてくる。
ティナはいつものように夢の中に誘われる。
だけど、その日はいつもと違った。
『だったら、てめえの魔力を吸い尽くしても構わないな……』
――眠りにつく前、そんな言葉が頭に響いてくる。
『俺の心臓――返してもらおうか……』
ティナはそのまま眠りに落ちたのだった。
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