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第1章 凍てつく誓い、業火の出会い
第1話 非情な余命宣告
しおりを挟む大陸の西北にあるシルフィード王国は、北の大帝国領と隣接していた。
比較的涼しい気候と肥沃な大地に恵まれており、酪農産業を主とする、のんびりとした気風の国だ。
いつ帝国領に侵入されてもおかしくない程の小さな国だが、それでもなお独立を維持することが出来ているのは――彼らの「女神信仰」のおかげと言えよう。
他国からは邪教とみなされているが、魔物の長である竜さえも封印できる女神の力を皆恐れ、誰も手を出せずにいたのだ。
――王家の血を引く娘を神子として捧げることで保たれた偽りの平和。
物語は、シルフィード王国の北部地方、「邪竜シグリード」が封印されているとの伝承が残る辺境の村からはじまる。
***
針葉樹林に覆われた山の裾野にある、名も無き村。
国防のために地図から消された場所。
山はまだ雪に覆われているが、気温が徐々に高くなり、地上では緑もちらほらと顔を出している。
雪解け水が流れ、土のむせ返る匂いが漂っていた。
村の北側と山との境界付近には魔術障壁があり、魔物達の侵入を阻んでくれている。
何も知らない旅人が侵入すれば神隠しに遭うと噂されており、村人達ですら近付かない。
その場所には、男子禁制の小さな教会群がある。
例外として子どもは男性とは認められずに入ることが出来るが、成人の儀である十五を迎えた後は、国に認められた聖騎士以外は一切の侵入を阻まれる。
そんな建物の一番奥、聖堂がひっそりとたたずんでいた。
白皙で出来た建物の壁は、夕陽に照らされ、今は橙色に染まっている。
その周囲には、子ども達の喜びの声が響いていた。
「ティナ姫、今度はわたしたちと一緒に、ちょっとだけ残った雪で、ホワイトベアーを作りましょう!」
「ふふ、雪の中なのに、皆は元気ね」
紺色の修道服に身を包んだ女性ティナは、少女達の間へと連れ出された。
夕陽が反射すると色濃い紅に見えるローズゴールドの髪が、冷たく清らかな風を孕み、さらりとなびく。
彼女が歩を進めると、修道服の裾も揺らめいた。
紫水晶のような瞳を縁取る黄金の睫毛がパチパチと動いた。
化粧気はないものの、うっすらと桜色に染まる唇。
固い服から覗く肌は、陶器のように滑らかだ。
「ねえねえ、ティナ姫、今度また刺繍を教えてくれる?」
少女の呼び声に、ティナはふんわりと微笑み返した。
「ええ、もちろんよ」
すると、他の女性達も彼女に声をかけはじめる。
「ティナ姫、私にも教えてください」
「わたしには、天文学と生物学を……!」
「あたしには歴史学を……!」
「何を言っているの、ティナ姫は、あたし達と遊ぶんですから!!」
修道女と子ども達がティナの取り合いをはじめた。
その時――。
「ティナ姫」
女性にしては少しだけ低い声が響く。
先ほどまで騒がしかった女性や子ども達が、水を打ったように静かになった。
「神官長様」
聖堂の前からティナの名を呼んでいたのは、老婆だった。
彼女は、ティナと同じく紺色の修道服に身を包んでいる。しわがれた肌に、重くなった瞼で常に閉眼しているような容貌だ。前傾姿勢で、右手には木彫りの杖を持っている。
神秘的な雰囲気を纏う彼女は、ゆっくりと口を開いた。
「皆、ティナ姫を困らせるでないぞ。修道女や子ども達は、孤児院に戻って、夕ご飯の支度をしておくのじゃ。姫は、こちらへいらしてください。」
その場で子どもや修道女を見送った後、老婆とティナは聖堂の中へと入ることになった。
***
聖堂の中は、ひんやりとしていて、静謐な空気に支配されている。
民達から寄贈された花々と緑の香りが、ふんわりと爽やかに漂っていた。
年老いた神官長とうら若き乙女は、祭壇の前で二人並んで祈りを捧げる。
「神よ、我らの魂を救いたまえ……」
そっと目を開いた後、二人は対峙する。
しばらくどちらも口を開かなかったが、神官長が重々しい口調で宣告する。
「今は誰もおらぬ。見せてもらえるじゃろうか?」
「はい、神官長様」
神官長の促しに応じて、ティナは紺の貫頭衣の袂を緩めた。
雪のように淡く白い肌が露わになる。
鎖骨の下、なだらかな膨らみの上には、金の装飾に縁取られた乳白色の魔核が填まっていた。
――装飾品の類いなどではない。
生まれた時から、彼女の心臓代わりにあったものなのだ。
彼女の不安や恐怖を反映しているかのように、ドクンドクンと脈打っていた。
人体に対して明らかに異物であり、玉からは禍々しい妖気が放たれている。
「魔核と近くの痣は……そうか、もうそんなに進行しているのか……」
「……っ」
魔核から茨のような痣が、まるで蔦が絡まるかのように根を張っていた。
だが、成長するに連れて、魔核はどんどん増大し、痣も拡がっていき、彼女の身体をどんどん蝕んでいっていた。そして、成人である十五が近付くにつれ、急激に進行が速くなったのだ。
今となっては、心臓から伸びた蔦は、腋窩や上腕および腹部にかけて侵食を始めている。
『すまないな、ティナ、これ以上、城の中で隠すことは難しいようだ』
ふと、ティナの頭の中に、国王である父から告げられた言葉が浮かんだ。
国の第一王女だったにもかかわらず、誰と婚約することもないまま……奇病に冒されていることは隠したまま、国の大義である神に身を捧げるためにと、辺境の教会群へと送られてしまったのだった。
「やはり、このまま全身を冒されて死ぬのでしょうか? いつぐらいに、私は死ぬのだと……思いますか?」
「他にティナ姫と同じ症例が見当たらない。すまないなんとも言えぬ……じゃが……」
言いよどむ老婆に向かって、ティナは伝えた。
「誤魔化されるのは好きではありません。どうか、正直なご見解を、お教えくださいませ」
老婆はしばらく唸っていたが、閉じていた片眼を持ち上げる。
「ティナ姫、まだ年若い貴女には酷じゃが……貴女の奇病は、現代の魔術や医術では完治不可能だと判断している」
ティナに宣告された言葉はあまりにも重かった。
最近の体調の悪さから、もしかしたらとは思っていた。
彼女の顔面は蒼白になり、紫水晶の瞳が陰る。
全身が爪の先まで冷たくなっていくようだ。
普段は桜色の唇も、今は血色を失っている。
(王都で暮している頃から、長くは生きられないとは言われていた。おそらく二十歳ぐらいまでの命だろうと……私の誕生日はもうすぐ……)
――もう小さい頃から、覚悟は決めていたつもりだった。
だけれど、改めて告げられると、現実を突きつけられ、前後不覚で息が詰まってしょうがない。
頭の中で、相手の声が不協和音かのようにぐわんぐわんと反響していた。
至極冷静に務めようとしたが、心臓が妙な鼓動を立てていた。
そうして、それに呼応するかのように――魔核が不気味な色を放つ。
「姫様、助けてやれずに、すまなんだ……」
普段は威厳ある口調の彼女にしては歯切れの悪い声だ。だるんとした瞼に覆われた彼女の瞳にじわじわと涙が浮かぶ。
ティナの胸は、きゅうっと締め付けられたかのように苦しくなった。
なんと説明して良いのか分からない辛さが渦巻いたものの、その場ではなんとか気丈に振る舞うことにする。
「神官長、原因は不明なのでしょう? 医師であり神官長である貴女が気に病むことはありませんから」
ティナは穏やかな笑みを作りながら、神官長の姿を見つめた。
かなりの高齢である。
本来ならば、退官して平穏な場所で暮らしても良い年なのだ。
だけれど、幼少期からティナ姫のことを診察しているからと、わざわざこんな辺境の聖殿に残ってくれている。
「奇病ゆえに王家の者達からも気味悪がられていた私を引き取ってくださって……その上、原因を究明しようとしてくださっていたことは知っています。だから、神官長には本当に感謝しております。私は平気ですから、ね」
「このような老いぼれに、ありがたきお言葉までかけてくださって……姫様、貴女様はとても美しく聡明で……きっと生き伸びていたら、国を追われるようなこともなく、王女として立派に国の務めを果たしたことでしょう」
ティナがなきむせぶ神官長の背を擦る。
しばらくすると、落ち着きを取り戻していった。
「神官長様、一つだけ、おうかがいしてもよろしいでしょうか?」
「姫様、なんでしょうか?」
ティナは本当は卒倒しそうだったが、なんとか平静を保った様子で尋ねる。
「以前、神官様は、私の命は『二十歳まで保つかどうか』と仰っていたでしょう?」
「さようじゃ」
「今も、そのご意見は変わらないでしょうか? 私はあとどのぐらい生きることが出来ますか?」
ティナの唇が少しだけ戦慄いた。
「そうじゃのう……」
女神官は言葉を選んでいるようだった。
そうして、しゃがれた声で告げてくる。
「最近は特に進行が早い。いつ死んでもおかしくない状態じゃ。長くて数月、短くて……明日死んでもおかしくない……といったところだろうか」
相手からの宣告に、ますますティナの気は遠くなったのだった。
そのとき、ゆらりと燭台の炎が揺らめいた。
ティナの身体が強ばる。
『……今度は死なせねえ』
頭の中に声が直接届いた。
「今のは、何……? 神官長様、何か聞えましたか?」
「いいや」
ふと、燭台の場所を見ると、封鎖されている扉を施錠している鎖が壊れてしまっていた。
ティナはそこに呼ばれているような気がして、そっと足を踏み出そうとする。
だが――。
「ティナ姫、待ちなさい!」
ティナは神官長に呼び止められる。
「貴女様なら知っているだろう? その扉の奥は、山の洞窟に繋がっている。そうして、その先には――」
彼女はぽつりと呟いた。
「私が鎮めないといけないという――白銀竜が封印されているという……」
「そうです……姫、あとで巡回の魔術師か聖騎士に依頼して修理していただきますので……さあ、先に戻って、夕食を召し上がりください」
神官長に促され、ティナは聖堂を後にしたのだった。
老婆はぽつりと呟いた。
「これが時の巡りか……」
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