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1章
9話 粛清の儀
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雨の匂いが残る広場は、熱気とざわめきで満ちていた。
その中央には、灰色の石壇――審ノ台。
雨にぬれた石は鈍く光り、まるでこれから流れる血を待っているみたいだった。
太鼓が鳴り続けている。
重く、低く、沈むような音。
「こっちだ!」
ジンに引っ張られ、波に運ばれるみたいに前へと進む。
シロエは、隣で顔をふせたまま、じっと動かない。
笑う鬼。叫ぶ鬼。歯を鳴らす鬼。
その視線が僕の皮膚をなめている気がした。
無数の刃を当てられているような感覚。
……僕、殺されるのかな。
「静まれ」
長老の声が響き、一瞬で静寂がおとずれる。
「この中に、人間をかくまった者がいる」
心臓の音がどんどん早くなる。
耳鳴りがはじまり、視界の端が白くゆれる。
逃げたい。でも、膝が石みたいに固まっている。
「掟に従い、裏切り者を見つけ、粛清する」
鬼たちのざわめきが、波みたいに広がった。
そのとき――
コツ、コツ、と重い足音。
鬼たちの背筋が一斉に伸びる。
広場が自然に割れ、道ができる。
「来た!」
すべての鬼が一斉にひれ伏し、地面に額をつける。
空気が変わり、支配の匂いが満ちる。
「……父さん」
黒い衣。濡れた黒髪。
鬼王グレンが石壇の上へ立った。
燃えるような赤い瞳がゆっくりと広場をなぞる。
その視線が触れた場所から、鬼たちの息遣いが消えていく。
ただ立っているだけなのに、逆らえば死ぬと本能が理解する。
ジンが小さくつぶやく。
「すげぇ……本物のグレン様だ」
僕はじっと息を止めた。
父さんは表情を変えず言った。
「裏切り者を見つけよ」
低い声が僕の心を絶望で満たす。
その瞬間、広場の北側から叫び声。
「長老殿! 証が!」
走ってきた鬼が掲げたのは、血のついた毛布だった。
僕が少女に与えた毛布。
全身が深い穴に落っこちていくような感覚。
「匂いもついております! 人間と……鬼の匂いが!」
全員の視線が僕に突き刺さる。
目だけで殺せるなら、もう死んでいるんじゃないかな。
シロエが息をのみ、ジンの目が大きく見開かれる。
そして父さんが、ゆっくりと僕を見た。
その奥に迷いはない。
情もない。ただ、掟だけがある。
……ああ、終わった。
……僕はここで死ぬんだ。
「裏切り者は、おまえか?」
喉が閉じて、空気が入らない。
視界が暗く狭まる。
滝のような汗が全身を伝っていく。
……いやだ。
……死にたくない。
涙がこぼれる。
そして――
「わたしです」
空気を切るような凛とした声。
松明の揺れる光の中、まっすぐと歩いてくる影。
それは姉さんだった。
一瞬だけ目が合う。
その目には覚悟の色があった。
「人間をかくまったのは、私です」
姉さんは、迷いなく言い切った。
「その毛布も、食べ物も、すべて私が与えました」
鬼たちが騒ぎ出す。
「まさかユナが!?」「角なしの姉が裏切りを?」「たしかに匂いも」
違う。
姉さんじゃない。
全部、僕がやったことだ。
姉さんは力強い足どりで、石壇を昇っていく。
そして、父さんの前に立つ。
父さんが問う。
「掟を破った自覚はあるか」
姉さんはゆっくりとうなずいた。
「あります」
「なぜだ」
「力なきものを見捨てるのは恥だ、母はいつも言っていました。父様も知っているでしょう。その教えを守りたかったのです」
「よかろう」
父さんが一歩前へ出る。
その動作にためらいはなかった。
「ユナ。お前を粛清する」
違う!
叫ぼうとする。
でも声にならない。
姉さんは、そんな僕を見てふっと笑った。
いつも通りのおだやかで、誰よりも優しい笑顔だった。
「泣かないで……ね」
その言葉と同時に――父さんの腕が姉さんの心臓を貫いた。
血が温かい霧みたいに舞う。
姉さんの体がのけぞる。
それでも、父さんの表情は変わらない。
ただ事務的に腕を引き抜く。
姉さんは膝つき、ゆっくりと倒れた。
父さんが無慈悲に言う。
「粛清しろ」
鬼たちが殺到した。
「や、やめ――」
無数の影が姉さんを飲み込む。
見えない。
でも、聞こえる。
皮膚が裂ける音。
肉がちぎれる音。
骨が砕ける音。
鬼たちの歓声があがり、まるで祝祭でもしているみたいだった。
姉さんの姿は、影の中で少しずつ消えていく。
最後に見えたのは細くて綺麗な手。
僕のほうへ伸ばされて、そして力を失った。
鬼は、叫び、笑い、血をなめた。
ジンが血のついた唇で叫んだ。
父さんは背を向けた。
誰も悲しまない。
誰も止めない。
姉さんは喰われた。
僕の大事な人は、鬼に殺された。
僕の世界は、音を立てて崩れていった。
体の奥で、何かが割れる。
黒いものが、ゆっくりと広がる。
これは悲しみじゃない。
これは――憎しみだ。
父を。
掟を。
鬼を。
全部、壊してやる。
涙が止まった。
代わりに、笑いそうになった。
「鬼なんて……全部、殺してやる」
その中央には、灰色の石壇――審ノ台。
雨にぬれた石は鈍く光り、まるでこれから流れる血を待っているみたいだった。
太鼓が鳴り続けている。
重く、低く、沈むような音。
「こっちだ!」
ジンに引っ張られ、波に運ばれるみたいに前へと進む。
シロエは、隣で顔をふせたまま、じっと動かない。
笑う鬼。叫ぶ鬼。歯を鳴らす鬼。
その視線が僕の皮膚をなめている気がした。
無数の刃を当てられているような感覚。
……僕、殺されるのかな。
「静まれ」
長老の声が響き、一瞬で静寂がおとずれる。
「この中に、人間をかくまった者がいる」
心臓の音がどんどん早くなる。
耳鳴りがはじまり、視界の端が白くゆれる。
逃げたい。でも、膝が石みたいに固まっている。
「掟に従い、裏切り者を見つけ、粛清する」
鬼たちのざわめきが、波みたいに広がった。
そのとき――
コツ、コツ、と重い足音。
鬼たちの背筋が一斉に伸びる。
広場が自然に割れ、道ができる。
「来た!」
すべての鬼が一斉にひれ伏し、地面に額をつける。
空気が変わり、支配の匂いが満ちる。
「……父さん」
黒い衣。濡れた黒髪。
鬼王グレンが石壇の上へ立った。
燃えるような赤い瞳がゆっくりと広場をなぞる。
その視線が触れた場所から、鬼たちの息遣いが消えていく。
ただ立っているだけなのに、逆らえば死ぬと本能が理解する。
ジンが小さくつぶやく。
「すげぇ……本物のグレン様だ」
僕はじっと息を止めた。
父さんは表情を変えず言った。
「裏切り者を見つけよ」
低い声が僕の心を絶望で満たす。
その瞬間、広場の北側から叫び声。
「長老殿! 証が!」
走ってきた鬼が掲げたのは、血のついた毛布だった。
僕が少女に与えた毛布。
全身が深い穴に落っこちていくような感覚。
「匂いもついております! 人間と……鬼の匂いが!」
全員の視線が僕に突き刺さる。
目だけで殺せるなら、もう死んでいるんじゃないかな。
シロエが息をのみ、ジンの目が大きく見開かれる。
そして父さんが、ゆっくりと僕を見た。
その奥に迷いはない。
情もない。ただ、掟だけがある。
……ああ、終わった。
……僕はここで死ぬんだ。
「裏切り者は、おまえか?」
喉が閉じて、空気が入らない。
視界が暗く狭まる。
滝のような汗が全身を伝っていく。
……いやだ。
……死にたくない。
涙がこぼれる。
そして――
「わたしです」
空気を切るような凛とした声。
松明の揺れる光の中、まっすぐと歩いてくる影。
それは姉さんだった。
一瞬だけ目が合う。
その目には覚悟の色があった。
「人間をかくまったのは、私です」
姉さんは、迷いなく言い切った。
「その毛布も、食べ物も、すべて私が与えました」
鬼たちが騒ぎ出す。
「まさかユナが!?」「角なしの姉が裏切りを?」「たしかに匂いも」
違う。
姉さんじゃない。
全部、僕がやったことだ。
姉さんは力強い足どりで、石壇を昇っていく。
そして、父さんの前に立つ。
父さんが問う。
「掟を破った自覚はあるか」
姉さんはゆっくりとうなずいた。
「あります」
「なぜだ」
「力なきものを見捨てるのは恥だ、母はいつも言っていました。父様も知っているでしょう。その教えを守りたかったのです」
「よかろう」
父さんが一歩前へ出る。
その動作にためらいはなかった。
「ユナ。お前を粛清する」
違う!
叫ぼうとする。
でも声にならない。
姉さんは、そんな僕を見てふっと笑った。
いつも通りのおだやかで、誰よりも優しい笑顔だった。
「泣かないで……ね」
その言葉と同時に――父さんの腕が姉さんの心臓を貫いた。
血が温かい霧みたいに舞う。
姉さんの体がのけぞる。
それでも、父さんの表情は変わらない。
ただ事務的に腕を引き抜く。
姉さんは膝つき、ゆっくりと倒れた。
父さんが無慈悲に言う。
「粛清しろ」
鬼たちが殺到した。
「や、やめ――」
無数の影が姉さんを飲み込む。
見えない。
でも、聞こえる。
皮膚が裂ける音。
肉がちぎれる音。
骨が砕ける音。
鬼たちの歓声があがり、まるで祝祭でもしているみたいだった。
姉さんの姿は、影の中で少しずつ消えていく。
最後に見えたのは細くて綺麗な手。
僕のほうへ伸ばされて、そして力を失った。
鬼は、叫び、笑い、血をなめた。
ジンが血のついた唇で叫んだ。
父さんは背を向けた。
誰も悲しまない。
誰も止めない。
姉さんは喰われた。
僕の大事な人は、鬼に殺された。
僕の世界は、音を立てて崩れていった。
体の奥で、何かが割れる。
黒いものが、ゆっくりと広がる。
これは悲しみじゃない。
これは――憎しみだ。
父を。
掟を。
鬼を。
全部、壊してやる。
涙が止まった。
代わりに、笑いそうになった。
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