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第三章
17.満開の花のなかで
しおりを挟む◇ ◆ ◇
元王子を追い払ってから早くも二ヶ月が経とうとしていた。
ルーカスの一日は相変わらず尖塔のてっぺんに立ち『風の噂』を集めることから始まる。
いつもと同じ日々の中、いつものルーティンで変わったことがひとつ。
それは、領内で問題が起こったときにルーカスがすぐ対応するのではなく、問題があったことを辺境警備隊の一番隊隊長レオに魔法急報で知らせるようになったこと。
きっかけはフォルトゥーナ嬢である。
ルーカスの不在時にフォルトゥーナ嬢が泣いてしまう事態がたびたび発生し、その対応をするルーカスの精神面が不安定になってしまった。
顔色も悪くなり地の底までのめり込むほど落ち込み食も細くなるルーカスの姿を見た辺境伯閣下以下、城のみんながどうしようもなく心配し落ち着かない時間をすごしてしまうという負の連鎖が起きた。
辺境伯はルーカスを説得した。
できる限りフォルトゥーナ嬢のそばにいることを第一にし、その他の人に割り振れることは割り振るべきだ、と。
そもそも、この地で不祥事や不具合が発生したときに対応していたのが、辺境警備隊だったのだ。彼らにいち早く仕事を割り振るのも大切な役目なのだと。
少しでも多く辺境伯の助けをしたかったルーカスではあるが、自身の精神安定のためにも仕事を割り振ることを覚えた。
城から出る機会が少なくなった分、フォルトゥーナ嬢と一緒にいる時間が増えた。
ルーカスが傍にいると、フォルトゥーナ嬢の機嫌が良い。
そうなるとルーカスの精神も安定する。
そんな彼を心配していた辺境伯閣下を始めとする城のみんなも一安心である。
尖塔のてっぺんで『風の噂』を集め終えたルーカスの周りを、たくさんのちび精霊たちが取り囲む。みな口々に『るー』『るー』とうるさい。フォルトゥーナ嬢の真似をしてルーカスを呼んでいるのだ。
うるさいのは確かだが、彼らは楽しそうであるしいちいち止めるのも煩わしい。言わせるがままでいると、彼を「るぅ」と呼ぶ本物の声が聞こえる。
なんとも活発になってしまったフォルトゥーナ嬢が、屋根裏を抜けて城の屋根まで上がってこようとしているのを目撃したルーカスは慌てて尖塔のてっぺんから降りた。
フォルトゥーナ嬢の“後追い”は健在だ。
最近は表情豊かになってニコニコとルーカスを追っている。
自分の目の前に降り立ったルーカスを見て満面の笑みを浮かべている。
(くっ……カワイイっっ)
「るぅ、おはな」
彼女はなんと、催促までしてくれるようになった。
“おはな”とは、このあいだ連れて行った花畑を指すのだろうと、ルーカスはすぐに察した。
天気の良かった日、山の麓にある果樹園へ連れ出したことがあった。
果樹園ではあるが、季節的には花盛りでその花を眺めながらフォルトゥーナ嬢はご機嫌になっていた。
そのときフォルトゥーナ嬢が花を指差しながら「はな」と単語を発したので感激してしまったルーカスである。
単語らしい単語を聞いたのも初めてだった。
クラシオン夫人が言っていたように、令嬢は“赤ん坊からやり直している”のだと実感した。
こうやって少しずつゆっくり回復していけばいい。そう思った。
それはともかく、フォルトゥーナ嬢が花を好むのが分かったのでより綺麗な花を見せたくなった。
あいにく辺境伯城の中には目を楽しませる花壇の類がない。辺境伯夫人が存命のころはそれなりの花壇があったが、あいにく彼女が儚くなってから花壇に心を寄せる人間がいなくなった。花壇は潰されその場所には食べられる野菜を植えるようになった。花々を見せるためには外に連れ出すしかなかったのだが、思いのほか近場に野生の花の群生地を見つけたルーカスはフォルトゥーナ嬢を連れ出した。
馬や馬車などを用意せず、ルーカス自身が抱き上げて連れていく。
運ばれることに、最初は目をまるくしてなにも言わなかったフォルトゥーナ嬢であるが、最近は楽し気な笑い声をあげてくれるのでルーカスも嬉しくなる。
「このあいだの花畑はお気に入りですね。では行きましょうか」
クラシオン夫人がクッキーを入れた小さなバスケットを用意してくれたので、それは令嬢に持たせた。バスケットを膝の上に置いた彼女をルーカスはお姫さま抱っこする。すぐに城を飛び出し、極力揺らさないよう注意しながら走った。
目の前にあるフォルトゥーナ嬢がとてもいい笑顔をルーカスへ向けてくれる。
楽し気な笑い声をあげてくれる。
それだけでルーカスの胸の中には色とりどりの花が咲き乱れ、わくわくしたちび精霊たちが踊り狂うようで、このまま時間が止まればいいのにと願ってしまう。
(だいじょうぶだ。ぼくはちゃんと解っている)
なにか言いたげなゼフィーの存在を感じながら胸の内で呟いている間に、目当ての花畑に到着した。
昔は死の山と呼ばれた山の上に、野生の花の群生地があった。
見渡す限りあちこちに色とりどりの花々が咲き乱れている。
クエレブレの民も山の上にはあまり来ない。“死の山”と呼ばれたころからの習慣に近い。この山の向こう側はいまだに魔獣たちが往行する場所で、定期的に騎士団が入り魔獣討伐している。(今現在、討伐隊は組まれていない)
人が来ない場所は静かだし、フォルトゥーナ嬢の目も楽しませられるし良いことづくめだとルーカスは思っている。
花畑に到着すると、フォルトゥーナ嬢は嬉しそうにあちらこちら花を見比べ、一番気に入ったものを一本取る。
それをルーカスに渡すと自分の手を同時にルーカスへ向ける。
初めて連れてきた日に、ルーカスが花の指輪を作って彼女に着けてあげた。それが大のお気に入りになったらしい彼女が毎回こうしてねだるのだ。
また花の指輪を作ってくれと。
手渡された花の茎でくるりと輪を作り、フォルトゥーナ嬢が指し示す指に合わせ形を整える。
できた花の指輪を彼女の指にはめてあげれば、満面の笑みを向けてくれるから堪らない。
ルーカスとしては、ぜんぶの指につけてあげたいとも思うが、フォルトゥーナ嬢は毎回ひとつ作って貰うとご機嫌でそれを眺めている。手の平を裏返したりまた戻したりして、何度でも何回でもいつまでも飽きもせずそうやって眺め続ける。
そしてルーカスの顔を見て、とびきりの笑顔をまた向けてくれるのだ。
(はぅぅ……かわいい……)
ルーカスが内心で身悶えつつフォルトゥーナ嬢を見守っていると、彼の視線に気がついたらしい彼女は輝くような笑顔を見せて
「おはな、きれい!」
と、澄んだ声で感想を言った。
(二語文……!)
なんと、彼女はふたつの単語を口にしたのだ! 名詞の羅列ではない、名詞とそれの形容詞を。
(あぁ、クラシオン夫人にも聞かせたかった……!)
きっとクラシオン夫人もいまのフォルトゥーナ嬢のことばを聞いたら、目に涙を溜めて喜んでくれたことだろう!
「フォルトゥーナさま」
ルーカスが呼ぶとフォルトゥーナ嬢はなあに? と言いたげに小首を傾げてルーカスのことばを待っている。
胸の奥から溢れてくる思いに耐え切れず、ルーカスはことばを紡いだ。
「ぼくが、もし、大きくなったらお嫁さんになって、くれる?」
(わかってる、わかってるけど!)
どうしても言わずにはいられなかった。
思いは止められなかった。
だってここにはふたりきりで。
彼らのほかは精霊たちしかいない場で。
(ここだけの話にするから)
泣きたくなるような思いを秘めながら、それでも零れてしまったことばにフォルトゥーナ嬢は無邪気な笑顔を向けた。
「るぅ、きれい!」
フォルトゥーナ嬢のことばに、ルーカスはハッとした。
「綺麗」という単語は、ルーカスがよくフォルトゥーナ嬢への話しかけに使う単語なのだ。
朝日がキレイですね。
フォルトゥーナさまの髪はとても綺麗です。
お花がキレイですね。
ほら、夕陽がキレイですよ。
さまざまな場面で、いろいろな物を見ながら一緒に過ごした日々がたしかに彼女の中に蓄積されているのだ。
(フォルトゥーナさまは、ぼくの口癖を覚えてしまったってこと、かな)
些細なことば。たったの二語文。
けれどそれは、フォルトゥーナ嬢のなかにルーカスという存在が少しずつでも根付いているという証明のようで、嬉しくて堪らなかった。
(あぁ、ほんとうに……好きだなぁ……)
フォルトゥーナ嬢がその場でくるくると回る。
指につけた花を意識しながら、回転に合わせてスカートが膨らむのを楽しんでいる。たわいない、純粋な幼女になってしまった彼女の行動はすべて微笑ましくて愛おしい。
見ているだけで幸せだと思える。
フォルトゥーナ嬢が指輪をつけた手を天へ掲げた。手の平を空へ向け、陽の光を遮るような仕草で空を仰ぎ見た彼女は。
動きを止めた。
なにかをじっと見つめ。
「――りゅう が、とんでる――」
彼女のことばにルーカスも空を仰いだ。
見上げた天空高く、舞うように飛んでいるのは二頭の竜――!
(竜がいるっ! 初めて見た……)
二頭の竜はルーカスたちの頭上をまるでダンスをするようにグルグルと旋回していた。
その巨躯を翻し悠々と飛ぶさまは、いっそ優雅で目を奪われる。
呆気に取られてただ見つめるしかないルーカスたちに気がついたのか、暫くすると時空の狭間へすぅ……っと消えていった。
このアクエルド王国の建国王が竜神だったのは周知の事実である。
だが竜神が人界に姿を現さなくなり千年近く。
もうその姿を目にした人間はいない。
(これは……慶事、といっていいんじゃないか?)
「神が去った土地」と言われたこのクエレブレでまさか竜を目撃するとは!
望外に心躍る出来事。これは早く父に報告すべきだと思った矢先。
「竜……初めて見たわ……」
感極まったようすでフォルトゥーナ嬢が呟いた。
「まさか生きてこの目で竜を見るなんて……」
口元に両手をあて、感動で震える令嬢の姿は。
(まさか……)
「……あら? ここは、どこ?」
呆然と辺りを見回すその姿は。
キョロキョロと彷徨わせた視線の先にルーカスを認め。
「ボク、ここはどこかしら? わたくしなぜここにいるのか分からなくて……」
困ったような笑顔を浮かべながらルーカスに話しかけたその人は。
ルーカスの知らない、そしてルーカスを知らない理知的な瞳をしたラミレス公爵令嬢フォルトゥーナ・クルスの姿であった。
┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈
次回から第四章!
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