彼女は父の後妻、

あとさん♪

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第四章

18.見知らぬ場所(side:公爵令嬢)

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 ◇ 



 ラミレス公爵令嬢フォルトゥーナ・クルスは呆然とした。
 見渡す限りうつくしい花々が咲き乱れる場所にいるが、いつこの場に来たのか覚えがなかったからだ。

(わたくし……どうしてここにいるの?)

 心慰められるうつくしい花々が咲き乱れる場所は、まるでおとぎ話にでてくる神の庭にいるかのような心地になった。
 見渡す眼下には、城壁に囲まれた街並みがあり、城壁の外側は緑の田園風景が広がっている。

(ここは……どこか小高い山の上ね……でも、あんな城壁がある街は記憶にないわ……平地の王都ではありえないし、ラミレス領なら潮の香りがするはずだし……ほかに山があって城壁のある土地なんて……)

 将来王妃になるための教育の中で、国内の地理や地形は完全に把握したつもりだったのだが、記憶にない場所ということはまさか国外にいるのだろうか。
 途方に暮れかけたとき、視界の隅にひとりの少年の姿が映った。
 ほとんど白に近い淡い色の金髪と紅玉ルビーのように赤くうつくしく煌めく瞳。少女と見紛う秀麗な容貌の少年が、フォルトゥーナを見上げていた。

「ボク、ここはどこかしら? わたくしなぜここにいるのか分からなくて……」

 見る限りこの場所にはこの少年とフォルトゥーナしかいない。どうしたものかと思いながら少年に尋ねてみると、彼はにっこりと品の良い笑顔を見せた。

「フォルトゥーナさま。お加減はいかがですか? 頭が痛いとか、どこか具合が悪いと感じたりはありませんか?」

「頭……?」

 少年にそう言われて思い出したのは、夜会の日にウルバノから受けた暴行だった。

(あぁ! ぐるんと倒されて頭を打ったわね……)

 あの力自慢で単細胞な幼馴染みと一瞬目があったことも思い出した。あの目は“なぜこんなにあっけないんだ”と言いたげだったなとため息をつく。
 フォルトゥーナは自分の後頭部を摩るが、とくに痛みはなかった。

「だいじょうぶ、どこも痛くないわ」

 そう告げると少年は目に見えてほっとしたように微笑んだ。

(この子……どこかで会ったことあるのかしら)

 初対面だと思うのに、どこか懐かしさを感じる少年。
 どこか、心惹かれる少年。
 その紅玉ルビーのような瞳が潤んでいるように見える。

「なぜここにいるのか分からないとおっしゃっていましたが……たとえば、昨日は、なにをしていらっしゃいましたか?」

「きのう? ……昨日は」

 なにをしていたのだろうと考え、少し戸惑った。
 つい昨日のことだと思うのは卒業記念の夜会なのだが、もしかしたらあれからかなり時間が経過しているのだろうか。胸騒ぎを覚える。
 フォルトゥーナは自分の記憶に自信がなかった。

「学園の卒業記念の夜会は……いつあったか、あなた分かる?」

「それは恐らく……四ヵ月はまえだったと」

「四ヵ月も、まえなの?」

 そう言われればかなりの時間が経過していた気がした。
 どこか霞のかかったような、ぼんやりとした記憶なのだが。

「ここは、どこなの? なぜわたくしはここにいるの?」

 続けて問えば、少年は少し困ったような表情になった。

「詳しくは、ばあやさん……クラシオン夫人にお尋ねください。ぼくの口から告げると、不確かな憶測が混じる危険性がありますので」

 そういうことなら彼に従うべきなのだろうと、訝しく思いながらも頷いた。
 よくよく考えてみれば、この見知らぬ少年が彼女のことを詳しく知っていることの方がおかしいのだ。なぜ自分はこんなにも少年を頼ってしまうのか、自分自身が信じられないと思った。

 では帰りましょうかと言われ、ちいさなバスケットを手渡された。なんとなく条件反射で受け取ったがこれはなんだろうと眺めていると

「中身はクッキーでしょう。夫人が持たせてくれましたので」

 と、少年が教えてくれた。バスケットを持った指に見慣れぬ花が飾られていて不思議な心地になった。

(綺麗な……花の指輪……?)

 ぼんやりとしていたら、少年が動かないでくださいねと声をかけた。
 なぜ? と聞き返そうとしたとき、フォルトゥーナは驚愕した。
 少年に抱き抱えられていたのだ!
 自分よりも背の低い少年にお姫さま抱っこされているなんて、どういうことなのか。

「え。ちょっと待って、無理しないで。わたくし重いわ」

 鍛え上げられた肉体を持つ屈強な騎士ならば可能だろうが、こんな年若い少年に自分を運ばせるつもりはなかった。

 が。

「だいじょうぶですよフォルトゥーナさま。フォルトゥーナさまは羽のように軽いですし、ぜったい、ぼくの生命に代えても御身おんみを傷つけないと誓います」

 目の前の少年はにっこりと笑顔で請け負った。

「い、命に代えるほどの誓いは、しなくてもよくってよ? 万が一たいへんなら……」

「いいえフォルトゥーナさま。万にひとつ、億にひとつもたいへんなことなどありません。御身を我が手にお預けくだされば、これにまさる喜びはありません」

 少年の真摯な瞳がことば以上に雄弁に物語っていた。

 なんということだろう!
 この少年は小さいながらも心は一人前の騎士なのだとフォルトゥーナは理解した。

 どこか、気恥ずかしかった。

「じゃあ、頼むわね」

「はい。ですが……お目を瞑っていただいた方がよろしいかと」

「え?」

「走ります」

「え」

 少年はなにひとつ嘘は言わなかった。
 たしかにその後、彼は走った。
 それはとんでもない速度で、なんなら木の上など道なき道を辿ったりもした。あまりの速度に驚いたフォルトゥーナは目を瞑ってしまったが、たいして揺れてもいないし彼女の身体に負担はかかっていないことに気がついてからは薄目を開けて行く先を窺った。

 少年は小柄ながら安定した走りをみせ、フォルトゥーナの存在を苦にしているように感じなかった。
 少し余裕がでた彼女が周囲に気を向けると、大小さまざまなたくさんの精霊に囲まれているのが分かった。

(どういうこと? こんな数多くの精霊たちに……守られている?)

 精霊たちが周りを囲み、木の枝や伸びた草などが向こうから避けていく。
 こんなにたくさんの精霊に囲まれるこの少年は、いったい何者なのだろうかと不思議に思った。

 あっというまに山を下りて見慣れぬ城下に着いた。と思った矢先に、城壁を飛び越えて中に侵入したのには開いた口が塞がらなくなった。

「あ、あの……ここはどこのお城なの?」

「辺境です。クエレブレ辺境伯閣下の治める土地です」

(クエレブレって、?)

 その名が示す意味を考え、今まで見てきた長閑のどかな田園風景を思い出したフォルトゥーナは、さすがにそれは少年の勘違いではなかろうかと思った。

(今代の辺境伯閣下はたしか……サルヴァドール・フアンさま……お父さまより歳上の、伝説に近い存在の方だったはず……魔獣討伐のために王都には出てこない方だと)

 少年はだれにも見咎められず城に侵入すると、勝手知ったるとばかりにどんどん中へ入ってしまう。
 そして、いくつか階段を上ったさきの部屋の前でやっとフォルトゥーナを降ろした。

「こちらがフォルトゥーナさまのお部屋です。中にクラシオン夫人がいらっしゃると思いますので……失礼します」

 そう言って一礼した少年は踵を返した。
 フォルトゥーナは思わず彼を呼び止めた。

「待って。あ、あの……あなたの名前を教えて?」

 なぜクエレブレ辺境伯の城に自分の部屋があるのか。
 なぜ乳母であるクラシオン夫人とここにいるのか。
 疑問は尽きなかったがまっさきに尋ねたのは彼の名前だった。

 呼び止められた少年は、一瞬その瞳を泳がせた。
 が、すぐにフォルトゥーナに視線を向けると言った。

「ぼくの名前はルーカス。ルーカス・ドラゴ」

(ドラゴ? それはまた大層な名前だわ)

「ドラゴ……家名がドラゴなの?」

 この国でそんな名前をつける家があっただろうか。
 建国王が竜神だというこのアクエルド王国において、ドラゴを意味する単語を名乗るなんて王家に連なる家の人間に限られるはずである。
 それ以外は不敬扱いになりそうなのだが……。

「いいえ。父がつけたセカンドネームです」

 この国の実情を知っているのかいないのか、ルーカス少年はあっさりと答えた。

「……そう」

 セカンドネームは親が子どもに付ける第二の名前。その子どもの守りになるような名前をつけるものだ。公表していない人間もいるが、貴族ならばだいたいはセカンドネームを持っている。
 ルーカス少年の父親は王家に繋がりがあるのか、不敬を恐れない不届き者なのか。

 まさか、辺境伯閣下が彼の父なのだろうか。

「……失礼します」

 フォルトゥーナが彼の名前の意味に戸惑っているあいだに、ルーカス少年はうつくしい姿勢で一礼し、踵を返して去ってしまった。

 その後ろ姿にどうしようもない寂寥感を覚えたフォルトゥーナは、自分自身に首を傾げた。

(わたくし……なぜこんなにも……寂しいと思うのかしら……)




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