彼女は父の後妻、

あとさん♪

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第五章

24.いつのまにか夢を見ていた(side:公爵令嬢)

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「……え? けっこんしき?」

 急に胃の腑が冷え込んだ。
 フォルトゥーナの声は少し震えてしまったが、シエラは気がつかなかったらしい。

「はい。フォルトゥーナさまがこちらに来た当初はお加減がよくないと伺っておりましたが、いまは健康そのものだとお見受けします。フォルトゥーナさまは後添えとはいえお若いし初婚なのですから、やはりちゃんとした式を挙げたいでしょう?」

 シエラは至極当然といった顔でフォルトゥーナに話しかけている。
 彼女は自分の言に違和感も持っていないし、なんならフォルトゥーナが冷や水を浴びせられた心地になっていることにも気がついていない。

「……えぇ、そうね……そうよね……」

 他者から見て、今の自分の振る舞いは不自然ではなかろうかとフォルトゥーナは不安になる。

「あいにくこのクエレブレには豪華な花嫁衣裳を作れるような職人がおりませんから、隣領か王都の方へ依頼しないとお衣装は無理かと。あ、それともご実家でお衣装は製作済みとか?」

 フォルトゥーナの動揺をよそに、話題は次々と移っていく。

「あ……どうだったかしら」

(衣装? こっちに来てから考えたこともなかったわ……)

 思い起こせば、彼女の自室にと用意された部屋に衣裳部屋はあるが、そこには質素なドレスと動きやすいワンピースが数点あるのみ。最近は動きやすいシャツやスラックスが数点増えたが、その程度だ。
 フォルトゥーナと一緒に持ち込まれた荷物の中に花嫁衣裳などなかったはずである。

 第一王子の婚約者として、王都のラミレス公爵邸で結婚式用の衣装も作成されていた。採寸もしたし仮縫いも終わっていた。その後の制作過程はフォルトゥーナの記憶にない。
 おそらく、完成はしなかったはずだ。
 があったから。

 だがいま問題なのはそれではないとフォルトゥーナは頭を振る。

(そうだわ……わたくし、辺境伯閣下の後妻になるために、この地に来たのだったわ……)

 毎日が楽し過ぎて忘れていた。
 いや、考えないようにしていたという方が正しいかもしれない。

(なにが“なにもすることがない”よ……大切なお役目があったじゃない)

 無意識的に忘れていた現実が、急に目の前に叩きつけられた。

「閣下とよくご相談した方がよろしいかと」

「え、えぇ。そうね、そうするわ……」

 たぶん、普通の受け答えができていたと思う。
 彼女の内心の動揺は気取られていない。
 王都にいたころのフォルトゥーナは、腹の内を他者に悟られないよう一定の笑みを貼り付ける訓練までしていたのだから。
 意識の半分では別のことを考えつつ、目の前にいる人物とそつのない会話を交わす。そんなろくでもないスキルならばいくらでも身に付けている。
 
 シエラはまた別の話題を持ち出した。
 フォルトゥーナはそれに相槌を打ちながら、意識の片方が際限なく落ち込んでいくのを感じている。



 城で働く使用人たちとの顔合わせも済んでいる。
 辺境騎士団の主だった騎士と顔見知りになっている。
 鍛冶職人の工房へも顔を出し、長いことクエレブレが秘密にしていた死の山の真実も教わっている。

 着々と「辺境の女主人」となる下準備は進んでいるのだ。

 辺境の女主人……それは辺境伯閣下の正妻。辺境伯が不在の折には彼に代わり采配を揮う、重要な地位である。

(とても、たいせつな役割だわ……)

 この地が存続する重要性も理解している。
 いざとなれば辺境伯代理を担う難しい地位であることも理解している。だが王子妃教育を受けたフォルトゥーナの能力ならば、さほど困難ではないだろうと思えた。
 彼女なら、きっと成し遂げる。彼女の理性はそう判断する。

 なのに。
 シエラに結婚式はいつやるのですか? と問われたとき、まっさきに思ったのは

 “嫌だ”

 だった。


(なぜ、わたくしはこんなにも戸惑うのかしら……むしろ、嫌だと思っているのは……どうして?)

 頭では理解している。
 彼女に与えられた役割をきちんとこなさなければならないと。その役割を果たすだけの能力が備わっていることも。

 でも、感情が訴える。
 結婚なんて嫌だと。そんなこと突然言わないでと。

 なにをもってして嫌だと感じるのか、自分でも理解できなかった。

 理性と感情が分離して、どちらに重きをおけばいいのか分からない。
 この不安な気持ちはどこからきたのか。
 どこへいこうとしているのか。

 フォルトゥーナは迷子のこどもになったような心地で空を見上げた。

(わたくし、どうしたらいいの?)

 空は陽が沈み始め、徐々に夕焼け色に染まりだした。鳥たちが一列になりねぐらへ向かい飛んでいく。王都の方角の空はすでに暗く闇に支配されている。

 風が冷たいと感じた。



 ◇



 その日の夜、フォルトゥーナはひとり、窓辺にあるお気に入りのクッションに凭れながら答えの出ない自問自答に苦しんだ。

 そもそもフォルトゥーナは第一王子の婚約者だった。
 学園を卒業したら王子妃になる予定であった。つまり、第一王子と結婚する気でいたのだ。あの夜会から一ヵ月後には大々的に挙式する予定がきちんと組まれていた。
 ここに来るまえの彼女は、結婚することについて疑問も嫌だとも思わず、ただ粛々と予定をこなすばかりだったとはいえ、結婚についての覚悟などとうの昔にしてきたはずだった。

 そんな自分が、なにをいまさら嫌だと思うのだろうか。

 あの夜会の日から、半年も経っていない。
 記憶が途切れているフォルトゥーナにとっては一ヵ月弱の時間経過だ。

 たったそれだけの時間を過ごして、なにか変わってしまったのだろうか。

(相手がエウティミオさまならよかったというの?)

 いや、今となってはと結婚せずに済んでホッとしているくらいだ。
 恋した女を正妻にしたいからという理由だけで、物の道理を弁えず暴走するような男は国王の位に相応しくない。軽蔑の対象である。尊敬できない相手との結婚なんてごめんである。

(……では辺境伯さまは? 怖いと感じる? お歳が離れているから嫌なの?)

 たしかに辺境伯の雰囲気は怖いかもしれない。
 けれどその瞳をちゃんと見れば、ユーモアに溢れ慈悲深い方だとすぐに解る。怖くなどない。むしろ尊敬できるし頼りにもしている。
 年齢は離れているが、男らしくて好印象なのは間違いない。

 なのに。

 嫌、なのだ。

(辺境伯閣下が悪いわけじゃないわ……閣下はどこも悪くない……でも、嫌なの)

 結婚する相手が問題で嫌なのではないらしい。
 ならば問題はなにかと自問しても答えは出ない。

 思いつく限りの要因を挙げてみる。

 覚悟もなにもなく、気がついたら辺境の地クエレブレに来ていたから戸惑うのかもしれない。
 いまさらながら怖気づいたのかもしれない。
 もしかしたら、これこそが「マリッジブルー」と呼ばれる現象なのかもしれない。
 初めての「解放感」を味わい過ぎて、その日々が失われるのが怖いのかもしれない。

 考えられる要因はいくつか挙がるが、「それだ!」と当てはまる要因はない。どれもこれもそれっぽいし、そうじゃない気もする。

(あぁぁぁああんもぉぉおおぅ! いったいぜんたい、わたくしったらどうしたの⁈)






 延々と煩悶を繰り返し眠れぬまま夜明かしをしたフォルトゥーナは、翌朝から発熱し寝込んでしまった。冷える窓際に長時間いたせいかもしれない。
 だから早く寝てくださいと申し上げましたのにと、クラシオン夫人の愛あるお説教を聞きながらフォルトゥーナは少しホッとしていた。

(熱が下がるまでは、考えごとをしないでもいいわよね……)





 思考を放棄しウトウトしていた彼女の耳に、乳母とルーカス少年の話し声が届いた。おそらく寝室の隣、いつもフォルトゥーナが過ごしていた部屋にいるのだろう。ドアを隔てているせいか乳母の声は明瞭には聞こえなかったが、少年の少しだけ掠れた声は彼女に耳にはっきりと響いた。

 彼はフォルトゥーナの身を案じていた。
 一日も早い快復をお祈りしていますとお伝えくださいと、お見舞いのことばを述べていた。
 きっと彼のことだ、姿勢よく礼儀正しくクラシオン夫人と接しているのだろうと見てもいないのに容易に想像できた。

(ルーカスさま……お顔を……見せて……)

 なぜか目頭が熱くなっている自分を不思議に思いつつ、意識を眠りの淵に沈ませたフォルトゥーナは夢を見た。






 夢の中のフォルトゥーナは幸せそうに笑っていた。
 そばにはルーカスがいた。
 彼が花の指輪を作ってくれた。

 とてもとても嬉しくて。

 彼が真剣な顔でなにかを言っている。
 夢の中のフォルトゥーナは嬉しくて笑っていた。

 嬉しいという気持ちが、ものすごくよくわかった。

 ルーカスがなにを言ったのか。
 風の音が強すぎて、いまのフォルトゥーナには聞き取れなかった。



 でも、とても幸せな夢だった。



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