25 / 45
第五章
23.いつのまにか肩の荷を下ろしていた(side:公爵令嬢)
しおりを挟むフォルトゥーナは辺境に来て以来(正確には正気に返ってから)、とても気分のいい毎日を過ごしている。
体調も万全。
この地の気候がその身に合っているのか、毎日が絶好調である。
なによりも彼女に喜びを与えたのが「解放感」だ。
ここでは“しなければならない”ことがないのだ。
公爵令嬢だから守らねばならぬと言われたマナー、それがない。
第一王子の婚約者だから人の目を気にしてきたが、それもない。
学園は卒業済みだから、めんどうな課題もない。
第一王子の婚約者だから彼の仕事を手伝ってきたが、もうそんなことせずともよいのだ。
ここでは、彼女が望んだことができた。
この解放感たるや!
(空って、こんなにも青くて高くて気持ちいいのね)
毎朝起きると、まずは空を見上げるのが日課になっている。
清々しい朝日を浴びながらの深呼吸は、一日の始まりにぴったりなのだと知った。
知らず、笑顔になる。
空を見上げるのも久しぶりな気がするのだ。今までずっと、スケジュールに追われ、書類や資料や書物ばかり見ていた。ずっと俯いてばかりいた。天気や景色など気にする余裕もなかった。
十八年間、ずっと。
いまは空を見上げ、天気を確認して思うのだ。
(今日はなにをしようかしら)
いまはスケジュール管理されていない。
学園も卒業したし、国政に係わることもない。煩わしい社交界の付き合いもない。完全になにもすることがない。
そんな現状が初めてで目新しくて、ワクワクしてしまうのだ。
ラミレス公爵家の公女として生まれ、第一王子の婚約者になったフォルトゥーナは人の規範とならんと務め、家の恥にならぬよう努め、毎日毎日決められた分刻みのスケジュールの中、学業や王子妃教育など自分の能力値ギリギリまで勉学に励んだ自覚がある。長じれば第一王子の公務まで肩代わりしてきた。
(思えば……王子の婚約者になってからここ十年くらいは休みらしい休みなんてなかったものね……)
食事をしながら資料に目をとおし、馬車でのわずかな移動時間も書類の確認か目を瞑って眉間を揉んでいるか。
日々の睡眠時間を削って学業に専念。
王妃陛下とのお茶会も出席者が社交界のお歴々なため、腹の探り合いで気が休まったためしがない。茶の味も品評として判断するのみ。
これのどこに休める要素があっただろうか。
それらぜんぶ、いっさいがっさい。
やる必要がなくなったのだ。
いまやフォルトゥーナに課せられた仕事はないのだ。
ひがな一日なにもせずぼーっとしていても、誰にも怒られないし誰にも迷惑をかけない。
(ぼーっとできるって、サイコーじゃないかしら)
空を見上げる毎日になってから気がついたこと。
慢性といってもいいような地味に続く頭痛から解放されていた。
なんとなく、胃痛も解消されたような気がする。これは将来王国を背負わなければならないという心理的プレッシャーから解放されたからかもしれない。
そのせいか、ごはんがおいしい。食事が楽しみだなんて、王都で思ったことなどなかった。
馬車も使うが、毎日あちらこちら歩き回るから足が疲れる。
見るもの聞くもの、出会う人、訪れる場所。すべて目新しくて新鮮で、ワクワクが止まらない。足が疲れるなんて些細なことなのだ。
身体的な疲労を感じるなんて、それこそ子どものころ以来なのである。
フォルトゥーナにとっては、ほぼ初めてチャレンジした火の攻撃魔法。
初めは思ったようにできなかったが、最終的には指南役についたシエラ副団長よりも威力の強い『ファイヤーボール』を打てたので自信がついた。
調子に乗って何度も試して魔力枯渇状態になり昏倒してしまったが、それすら楽しかった。
なにより、毎日が楽しいのだ。
“今日はなにをしようか”とワクワクした気持ちになる。
それもこれもぜんぶ、ルーカスが笑顔できいてくれるからだ。
「今日はなにをしましょうか」
彼の愛らしい笑顔に癒される。
行きたい場所、知りたいこと。博識の彼はすぐに答え、手配し便宜を図ってくれる。
生まれてきて十八年。やっと深呼吸ができたような気分なのである。
(ここでの生活って、サイコー!)
この気持ちをルーカスに伝えたところ、彼はため息をついてしみじみと答えた。
「本来それらは子どものころに味わう感覚だと思いますよ、フォルトゥーナさま」
どうやら彼はフォルトゥーナを憐れんでいるらしい。
だから、彼女に付き合ってくれているのだろう。
きっと、そう。
◇
先日は辺境騎士団の魔法専用訓練所で、ひさしぶりに彼女の契約精霊を召喚した。
「サラ。わたくしの声に応えて、」
詠唱をぜんぶ言い終わるまえに現れた火の精霊は、しばらくフォルトゥーナの顔に貼りついて離れなかった。
「心配かけたのね……ごめんなさいねサラ」
そう語りかければ、サラはなにやら猛烈な勢いでフォルトゥーナへ文句を言っていた。彼らの話しことばは分からない(小さな鈴の音のように聞こえる)が、憤っているのは理解した。
フォルトゥーナがサラと名付けた火の精霊は、寂しかったと。呼び出してくれて嬉しいと。フォルトゥーナとまた一緒にいたいという気持ちを目に涙まで溜めて伝えてきた。ことばは分からないが、身振り手振りやその表情でぜんぶ分かった。
サラはひととおり文句を言ったあと笑顔を見せてくれたので、仲直りしたのだと思う。
精霊にまで心配をかけてしまった自分自身が情けなく、けれど彼女のことをここまで心配してくれる存在が乳母以外にもいるのだと知ったのは僥倖だと思った。
(わたくしは……ひとりではない)
学園の卒業を祝う夜会で、今まで信じてきた幼馴染みたちに憎まれていたと知った。彼らとの友情は無くなった。
忙しい毎日のなかで、学園ではろくに友人も作れなかったフォルトゥーナであったが、むしろそれで良かったかもしれないと思っている。
王都に心残りがないからだ。
(もしかしておとうさまは……中央のメンドクサイ貴族社会からわたくしを解放したくて、こちらに寄越したのかも……なんて、考えすぎかしらね)
いまやフォルトゥーナの心は軽い。
◇
笑顔のルーカスに案内されて訪れた鍛冶職人の工房も目新しいものばかりで興味深かった。
そのとき工房の親方に死の山の真実を告げられ驚いた。
今現在は緑の生い茂った普通の山に見えるが、その昔「死の山」と呼ばれていたころから地下資源の豊富な山だったという。金銀を始め鉄や銅、果てはミスリルやオリハルコンまで。ありとあらゆる種類の鉱物資源の宝庫なのだとか。
考えてみれば、このクエレブレの地の住民は戦闘民族の集まりだと言われている。彼らが戦闘民族であり続けるには武器や防具などが絶対必需。それを彼ら自身の手で作るにはそれなりの資源も必要なのだ。
(クエレブレが隣領と取引をしている記録は知っていたけど、討伐した魔獣素材を売って、そのお金で食料を仕入れているってことしか知らなかったわ)
クエレブレからの武器の輸出記録は、あいにくフォルトゥーナの記憶にもない。完全に地産地消だったのだろう。
その工房で見せて貰った彼らの作る武器や防具は、フォルトゥーナの目から見ても素晴らしい逸品揃いだったと思う。持っていく場所によっては、剣一振りだけでもひと財産だといえる。
なによりそれらを作る技術や人材を育てるのに、どれだけの手間暇がかかるか。
長い間の秘密事項が多すぎではないかと思ったが、今後のフォルトゥーナはその秘密事項を守る側だ。
同胞認定されたからこそ、秘密を打ち明けられたのだと思えば納得するしかなかった。
◇
いまでは数日置きに騎士団の訓練所へ通っているが、その際ひとりで女性騎士用の服(シャツとスラックスとブーツ姿)に着替えることもできるようになった。
(すごいわ。コルセットなしなら、着替えってひとりでできるのね!)
その感想を彼女の師範であるシエラ副団長に告げたところ、しみじみと「おひめさまって大変ですねぇ」と憐れみの瞳を向けられてしまった。
たしかに、自由度が違うと納得した。
そのシエラ副団長に、これ以上大きな攻撃魔法はフォルトゥーナの魔力許容範囲を超えるだろうと告げられるほど上達した。
シエラは、攻撃もだいじですが防御もたいせつですよと『ファイヤーウォール』という防御魔法を教えてくれた。
フォルトゥーナが学園で修得してきた火の魔法は、どちらかといえば燃え広がった火を維持し鎮める方向に発動させていた。彼女が想定していたのは、王都が大規模火災になった場合である。
なので、一定量の炎の塊を維持させるこの『火の壁』は彼女にとってはとても扱いやすい魔法であった。
『火の壁』を出現させる場所や規模、範囲にいたるまで自由自在にできるようになった。
たとえ木造家屋のなかにいても、ほかのところに燃え広がらないよう維持できるので師に褒められた。
「いっそのこと、このクエレブレすべてを囲うほどの『ファイヤーウォール』が発動できたら凄いわよね?」
「……スゴイとは思いますが、実行しないでくださいよ? 一発で魔力枯渇になってぶっ倒れますからね⁈」
思いつきでシエラへ問えば、彼女の笑顔がなんとも生温かいものになったような気がする。
ちょっとだけ彼女の頬が引き攣っているように見えるから、自分は冗談のセンスがないのだなと自覚する。
ただの戯言だというのに本気に取られ過ぎたようである。
「フォルトゥーナさまの発想は、なんとなく若さま寄りな匂いがするから気が気じゃありませんよ」
乾いた笑いをしつつシエラはそう言うが、ルーカスのような全属性を操れる天才児と一緒にするのはいかがなものだろうかとフォルトゥーナは思う。
初めてそれを聞いたときは目の玉が飛びでるかと思うほど驚いたものだ。
この世でそんなことができたのは、初代国王陛下を除けば彼のこどもたちだけだというのに。
(あら……? でもこのクエレブレの創始って、その初代国王陛下のお姫さまが嫁いできて興された家だったはず……つまりルーカスさまは、“先祖返り”……とかなのかしら)
あの全属性を自在に操れるのには、やはりわけがあるのだろうと考えていたフォルトゥーナにシエラがもののついでといった調子で問いかけた。
「ところで、結婚式はいつやるのですか?」
13
あなたにおすすめの小説
逆行した悪女は婚約破棄を待ち望む~他の令嬢に夢中だったはずの婚約者の距離感がおかしいのですか!?
魚谷
恋愛
目が覚めると公爵令嬢オリヴィエは学生時代に逆行していた。
彼女は婚約者である王太子カリストに近づく伯爵令嬢ミリエルを妬み、毒殺を図るも失敗。
国外追放の系に処された。
そこで老商人に拾われ、世界中を見て回り、いかにそれまで自分の世界が狭かったのかを痛感する。
新しい人生がこのまま謳歌しようと思いきや、偶然滞在していた某国の動乱に巻き込まれて命を落としてしまう。
しかし次の瞬間、まるで夢から目覚めるように、オリヴィエは5年前──ミリエルの毒殺を図った学生時代まで時を遡っていた。
夢ではないことを確信したオリヴィエはやり直しを決意する。
ミリエルはもちろん、王太子カリストとも距離を取り、静かに生きる。
そして学校を卒業したら大陸中を巡る!
そう胸に誓ったのも束の間、次々と押し寄せる問題に回帰前に習得した知識で対応していたら、
鬼のように恐ろしかったはずの王妃に気に入られ、回帰前はオリヴィエを疎ましく思っていたはずのカリストが少しずつ距離をつめてきて……?
「君を愛している」
一体なにがどうなってるの!?
偽りの愛の終焉〜サレ妻アイナの冷徹な断罪〜
紅葉山参
恋愛
貧しいけれど、愛と笑顔に満ちた生活。それが、私(アイナ)が夫と築き上げた全てだと思っていた。築40年のボロアパートの一室。安いスーパーの食材。それでも、あの人の「愛してる」の言葉一つで、アイナは満たされていた。
しかし、些細な変化が、穏やかな日々にヒビを入れる。
私の配偶者の帰宅時間が遅くなった。仕事のメールだと誤魔化す、頻繁に確認されるスマートフォン。その違和感の正体が、アイナのすぐそばにいた。
近所に住むシンママのユリエ。彼女の愛らしい笑顔の裏に、私の全てを奪う魔女の顔が隠されていた。夫とユリエの、不貞の証拠を握ったアイナの心は、凍てつく怒りに支配される。
泣き崩れるだけの弱々しい妻は、もういない。
私は、彼と彼女が築いた「偽りの愛」を、社会的な地獄へと突き落とす、冷徹な復讐を誓う。一歩ずつ、緻密に、二人からすべてを奪い尽くす、断罪の物語。
私の手からこぼれ落ちるもの
アズやっこ
恋愛
5歳の時、お父様が亡くなった。
優しくて私やお母様を愛してくれたお父様。私達は仲の良い家族だった。
でもそれは偽りだった。
お父様の書斎にあった手記を見た時、お父様の優しさも愛も、それはただの罪滅ぼしだった。
お父様が亡くなり侯爵家は叔父様に奪われた。侯爵家を追い出されたお母様は心を病んだ。
心を病んだお母様を助けたのは私ではなかった。
私の手からこぼれていくもの、そして最後は私もこぼれていく。
こぼれた私を救ってくれる人はいるのかしら…
❈ 作者独自の世界観です。
❈ 作者独自の設定です。
❈ ざまぁはありません。
最愛の番に殺された獣王妃
望月 或
恋愛
目の前には、最愛の人の憎しみと怒りに満ちた黄金色の瞳。
彼のすぐ後ろには、私の姿をした聖女が怯えた表情で口元に両手を当てこちらを見ている。
手で隠しているけれど、その唇が堪え切れず嘲笑っている事を私は知っている。
聖女の姿となった私の左胸を貫いた彼の愛剣が、ゆっくりと引き抜かれる。
哀しみと失意と諦めの中、私の身体は床に崩れ落ちて――
突然彼から放たれた、狂気と絶望が入り混じった慟哭を聞きながら、私の思考は止まり、意識は閉ざされ永遠の眠りについた――はずだったのだけれど……?
「憐れなアンタに“選択”を与える。このままあの世に逝くか、別の“誰か”になって新たな人生を歩むか」
謎の人物の言葉に、私が選択したのは――
龍王の番〜双子の運命の分かれ道・人生が狂った者たちの結末〜
クラゲ散歩
ファンタジー
ある小さな村に、双子の女の子が生まれた。
生まれて間もない時に、いきなり家に誰かが入ってきた。高貴なオーラを身にまとった、龍国の王ザナが側近二人を連れ現れた。
母親の横で、お湯に入りスヤスヤと眠っている子に「この娘は、私の○○の番だ。名をアリサと名付けよ。
そして18歳になったら、私の妻として迎えよう。それまでは、不自由のないようにこちらで準備をする。」と言い残し去って行った。
それから〜18年後
約束通り。贈られてきた豪華な花嫁衣装に身を包み。
アリサと両親は、龍の背中に乗りこみ。
いざ〜龍国へ出発した。
あれれ?アリサと両親だけだと数が合わないよね??
確か双子だったよね?
もう一人の女の子は〜どうしたのよ〜!
物語に登場する人物達の視点です。
【完結】6人目の娘として生まれました。目立たない伯爵令嬢なのに、なぜかイケメン公爵が離れない
朝日みらい
恋愛
エリーナは、伯爵家の6人目の娘として生まれましたが、幸せではありませんでした。彼女は両親からも兄姉からも無視されていました。それに才能も兄姉と比べると特に特別なところがなかったのです。そんな孤独な彼女の前に現れたのが、公爵家のヴィクトールでした。彼女のそばに支えて励ましてくれるのです。エリーナはヴィクトールに何かとほめられながら、自分の力を信じて幸せをつかむ物語です。
【完結】番(つがい)でした ~美しき竜人の王様の元を去った番の私が、再び彼に囚われるまでのお話~
tea
恋愛
かつて私を妻として番として乞い願ってくれたのは、宝石の様に美しい青い目をし冒険者に扮した、美しき竜人の王様でした。
番に選ばれたものの、一度は辛くて彼の元を去ったレーアが、番であるエーヴェルトラーシュと再び結ばれるまでのお話です。
ヒーローは普段穏やかですが、スイッチ入るとややドS。
そして安定のヤンデレさん☆
ちょっぴり切ない、でもちょっとした剣と魔法の冒険ありの(私とヒロイン的には)ハッピーエンド(執着心むき出しのヒーローに囚われてしまったので、見ようによってはメリバ?)のお話です。
別サイトに公開済の小説を編集し直して掲載しています。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる