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に十。女神さまのおかげで人生を謳歌しつくしました
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※ラスト回、ちょっと長めです。申し訳ない。
旦那さまからのまさかの発言に目が点になってしまったわたくしをよそに、旦那さまはポールとハリスン卿へさまざまな指示を出していました。
領地へ戻る馬車の手配だとか、ここ一ヶ月くらいのスケジュール調整とか。
有能なふたりはすぐさま動きだしました。
あっという間に、部屋はふたりきりに。
「旦那さま。よろしいのですか? ほんとうにわたくしと共に領地へ行くと? お仕事のほうはだいじょうぶなのでしょうか」
「もともと今月は領地の仕事をするつもりだった。現地へ赴くのになんの問題もない」
「わたくしの“娘の未来のため”という発言の詳細を求めないのですか?」
もっと深く追求されるかと思ったのですが。
旦那さまはわたくしの目をじっと見つめました。
まだちょっと腫れぼったい瞼……いやだわ、赤くなってちょっと色っぽく見えてしまうではありませんか。なんでしょう、男の色気?
もともと旦那さまは容貌の整ったお顔立ちなのです……。
その奥に見える藍色の瞳がかすかに潤んで見えたりして、キケンな香りがするわ……。
「今きみに問うても、話す気はないだろう?」
あらやだ。なんでそんなことお分かりになるのかしら。回帰している事実を話す気がない以上、うまく説明できる自信もありません。
「人は、どうしても話したくないこともある。そんなときに、ただそばに寄り添ってもらうだけで救われる気がすることを私は知った。
だから、今きみにむりに聞き出すのは悪手だと思うのだ。
それに昨日、子どもたちともちゃんと向き合うときみに約束した。よい機会だから実行しようと思う」
そう言いながら旦那さまがわたくしの髪に唇を寄せました。
詳しく聞き出す気はないけれど、ひと時といえど、わたくしから離れたくない旦那さまからすれば、わたくしが赴く場所には同行しようと決断するのは当然かもしれません。
わたくしと約束したから、子どもたちと向き合うと。
つまり、旦那さまご自身にはそうするプランはなかった、ということですよね。わたくしが言わなければ必要ないと切り捨てていた部分。
ご自分がご両親との触れ合いがなかったことを、なんの疑問にも思っていらっしゃらなかった証左ですわね。
必要ないと思っていても、わたくしと約束したのだからそれを叶えようとするのね……。
……わたくし、気がついてしまいましたわ。
もしかしたら旦那さまって、わたくしと約束したことならば、どんな些細なことでも実行しようとしている? のかしら。
ゆうべも言ってましたものね。わたくしの意見を最優先するって。
国王陛下の信任も篤い外務大臣である旦那さまが、わたくしの言いなりになると?
この国の筆頭公爵家の当主で、国の財力の約30%を握っている公爵閣下が?
もし万が一、わたくしが『王妃になりたい。旦那さまが王さまになればよろしいのに』とかなんとか不埒なことを言いだしたら、叶えようとするのかしら……。
カレイジャス公爵家が離反して独立宣言……とか?
王権簒奪……とか?
そういえば、女神さまもおっしゃっていたわね……。
わたくしの今後は悪妻と言われるって……。たしか、夫を意のままに操る悪妻として、年配のご婦人方から大ブーイングを受けるのだとか……。
意のままに操るって、凄いわよね。まるで魔法を使う悪役そのもの。ラスボスって言うのだったかしら。
くわばらくわばら!
怖い想像をしてしまいましたわ。
だいじょうぶよ、旦那さまだって王権簒奪なんて、そんな無分別なことはなさらないわよ。
……なさらないわよね?
それに、そもそもわたくしがおバカな発言をしなければいいだけのことですもの。そうよね?
わたくし、よくよく自重せねばなりません。
旦那さまの腕の拘束が緩んだのを見計らって、わたくしは彼の膝から降りました。移動するための軽装に着替えなければなりません。
膝から降りたわたくしを止めようと、立ち上がろうとした旦那さまの動きが不自然に止まりました。
あら……。
まあ……。
あらあら、まあまあ……。
旦那さまの表情が微妙にウニウニと変化していきます。
笑い出しそうな、でも苦悩しているような。そしてとても困っていらっしゃる。
「……旦那さま? もしかして、お御足が痺れていらっしゃるのね?」
とてもとても情けないお顔で、どうしようねとでも言いたげに愛想笑いする旦那さま!
なんとまあ!
こんなお顔もできるのですね。お珍しいこと。
「わたくし、ちゃんと忠告いたしましたのに」
「あ! 待て、クリスティアナ!」
ゆっくりと旦那さまのふとももを触ります。
「あ、そこは……っ」
お膝を撫でて。
「くっクリスっ!! 止め……っ、あぁ!」
反対の方のお膝を突いて。
「ああクリス! クリスティアナ! 待ってくれ、頼むっ頼むからっ……あぁ、そこは……だめ、だっ」
どうしましょう。
身悶える旦那さまを前にして、なんだかとっても楽しいと思うわたくしは、サディズムの素養があるのかもしれません。
まさか二度目の人生で、新しい自分を発見してしまうとは!
やり直してみるものですね。
その後。
領地へ向かう移動の馬車の中で、わたくしは結婚以来初めて旦那さまと『他愛ない会話』というものを交わしました。
回帰するまえは、必要な連絡事項を確認するためたまにことばを交わしたりしましたけど、基本的には一緒に馬車に乗ってもお互い無言でしたからね。気まずい時間を過ごしたものですわ。
今は隣に座って手を繋いで。
ときおり、お互いの顔を覗き込んで。
旦那さまの唇がわたくしの頬を掠めたり。
そして交わされる他愛ない会話の、なんて心の弾むこと!
ほんとうにどうでもいいことの数々ですけれど、お互いの認識の違いを知ることができたので有意義な時間でした。
誕生日についてのお話とか、記念日について思っていることとか。
たとえば誕生日について。
旦那さまはずっと誕生日のお祝いなんて無意味だと思っていらしたのですって。
それは幼いころからの義務で、ご自分の誕生祭を主催し人を招待する責務を負っていたからだとか。
ほんの七、八歳のころから、何時間もかけて招待状を直筆し、わざわざ会いたくもない公爵家の家門のお歴々や重鎮たちを招き、彼らから品定めのように見つめられ、お世辞を聞くつまらない時間を義務的に過ごす日……という認識。
「お友だちを呼んだりなさらなかったのですか?」
「友? ……友などいない」
「たくさんプレゼントをいただいたり……とかは?」
「父への付け届けならばたくさんあったな」
「ご両親からジュリアンさまへのプレゼントは?」
「誕生日のプレゼント? 無いな。両親は常に私にいろいろ物をくれていたから。誕生日だからという理由で物を貰ったことはない」
なるほどーとうっかり遠い目になってしまいましたわ。
旦那さまご自身が『つまらない日』だと認識している『誕生日』ですもの。人のお祝いをしようなんていう発想さえなさったことなかったのねぇ……。わたくしのそれもスルーしていた、と。
ところ変われば品変わると申します。公爵家での常識は、わたくしの知るそれとはとても違うようです。
お互いの常識に乖離があることはよく分かりました。少しずつ理解し歩み寄るのは、なかなか面倒な作業のような気がします。
だからといって、お互いの常識のみを是とし固執するのは愚かの極みです。
歩み寄り、乖離を是正いたしましょう。
ものは考えようですわ。
天下の公爵閣下をわたくし好みに調教するのだと思えば、それなりに面白そうではありません?
わたくしだけを信奉してわたくしだけを見る極上の男を育てあげる……。
そう思えば、面倒である分、よりやりがいのある任務ですわ。
「なんと……では正直にクリスティアナに愛のことばを言っていれば良かったのか……だが、自重せねばまた不愉快な発言をしてしまう……どうしたものか」
旦那さまがわたくしの手を握りながら、そんなことを独りごちています。
ほんとうに、根は素直で真面目な方なのですね。
そんな旦那さまが、わたくしの手をご自分の口元まで持ち上げました。爪の先に軽く唇を寄せて。
「クリスティアナ。こんな不甲斐ない私だが……ともに生きてくれるか?」
わたくしの目をしっかりと見て、そんな質問をなさるなんて。
しかも、耳の垂れた犬が主人の顔を覗き込むような心細いと言わんばかりの表情で。
もうね。
いとしいひと、としか言えませんわ。
「わたくし、踏んだり蹴ったり叩いたりしますが、よろしくて?」
わたくしの不遜な発言に対し、旦那さまは
「頼む。この世で私を叱れるのはきみだけだ」
と、ホッとしたようなキラキラの笑顔でおっしゃいました。
うふふ。言質は取りましたし、幸いわたくしは女神さまからお許しを得た身なのです。ほどほどに自重しつつ、好きなように二度目の人生を謳歌するのも一興です。
いつの日か。
再々度女神さまに出会えたとき、きっと女神さまは聞いて下さるでしょう。
あのまろやかなお声で『はぁい、クーちゃん。エンジョイしたかしら?』と。
わたくしはきっと笑顔で答えるのでしょう。
女神さまのおかげで、人生を謳歌しつくしました――と。
【おしまい】
■美術史・人物伝■
◇ジュリアン・カレイジャス。遅咲きの画家。写実派に分類される。
元・公爵家当主であり、政治家を引退したあと画壇デビューしたという異色の作家。
彼の画家としてのデビューは遅く、元老院議員を引退したあと妻に請われ、議員時代に彼が巡った国々を妻とともに渡り歩いたときからである。
ゆく先々で各地の名所を絵に残した。
その絵の片隅には必ず最愛の妻の姿を描いたことは有名。
もともとは、外務大臣時代に外遊するたびに、妻へ直筆の絵手紙をしたためたことが発端であったらしい。
各地からよこされる愛のことばが添えられた絵手紙を保管していた妻が、その絵手紙の場所へ一緒に旅行したいと希望したのだとか。絵画にして残すよう希望したのも妻クリスティアナである。
彼の絵画の多くはカレイジャス美術館に所蔵・展示されている。
彼の生涯で描いた絵画の数は百数点とそれほど多くはないが、習作や前出した絵手紙、スケッチブックは数多く残されている。
ジュリアンの処女作でありながら、最近発見されたものに『屋根裏のクリスティアナ』がある。
若かりしジュリアンが一目惚れした美少女(のちの彼の妻)を描いた作品である。
ジュリアン夫妻没後、ジュリアンの孫が彼の日記からその場所(森の中の物置小屋の、さらに屋根裏部屋に隠されていた)を探し当てた。
王立美術館の学芸員の手により慎重に取り出されたそれも、カレイジャス美術館所蔵作品であるが、残念ながら通年展示品ではない。
年に一度、新年祭から二週間だけ特別一般公開される。
そのときは、晩年のジュリアンが描いた自画像(通年展示品)の隣に並ぶので、閲覧希望者が迷子になる心配はない。
【FIN】
※ Merry X'mas!
& A Happy New Year!
ご高覧、ありがとうこざいました。
夜、エッセイ『徒然なるままに備忘録』で、創作裏話その14を更新予定。
そこでカットエピソード披露。
お時間がありましたら是非お立ち寄りくださいませ。
旦那さまからのまさかの発言に目が点になってしまったわたくしをよそに、旦那さまはポールとハリスン卿へさまざまな指示を出していました。
領地へ戻る馬車の手配だとか、ここ一ヶ月くらいのスケジュール調整とか。
有能なふたりはすぐさま動きだしました。
あっという間に、部屋はふたりきりに。
「旦那さま。よろしいのですか? ほんとうにわたくしと共に領地へ行くと? お仕事のほうはだいじょうぶなのでしょうか」
「もともと今月は領地の仕事をするつもりだった。現地へ赴くのになんの問題もない」
「わたくしの“娘の未来のため”という発言の詳細を求めないのですか?」
もっと深く追求されるかと思ったのですが。
旦那さまはわたくしの目をじっと見つめました。
まだちょっと腫れぼったい瞼……いやだわ、赤くなってちょっと色っぽく見えてしまうではありませんか。なんでしょう、男の色気?
もともと旦那さまは容貌の整ったお顔立ちなのです……。
その奥に見える藍色の瞳がかすかに潤んで見えたりして、キケンな香りがするわ……。
「今きみに問うても、話す気はないだろう?」
あらやだ。なんでそんなことお分かりになるのかしら。回帰している事実を話す気がない以上、うまく説明できる自信もありません。
「人は、どうしても話したくないこともある。そんなときに、ただそばに寄り添ってもらうだけで救われる気がすることを私は知った。
だから、今きみにむりに聞き出すのは悪手だと思うのだ。
それに昨日、子どもたちともちゃんと向き合うときみに約束した。よい機会だから実行しようと思う」
そう言いながら旦那さまがわたくしの髪に唇を寄せました。
詳しく聞き出す気はないけれど、ひと時といえど、わたくしから離れたくない旦那さまからすれば、わたくしが赴く場所には同行しようと決断するのは当然かもしれません。
わたくしと約束したから、子どもたちと向き合うと。
つまり、旦那さまご自身にはそうするプランはなかった、ということですよね。わたくしが言わなければ必要ないと切り捨てていた部分。
ご自分がご両親との触れ合いがなかったことを、なんの疑問にも思っていらっしゃらなかった証左ですわね。
必要ないと思っていても、わたくしと約束したのだからそれを叶えようとするのね……。
……わたくし、気がついてしまいましたわ。
もしかしたら旦那さまって、わたくしと約束したことならば、どんな些細なことでも実行しようとしている? のかしら。
ゆうべも言ってましたものね。わたくしの意見を最優先するって。
国王陛下の信任も篤い外務大臣である旦那さまが、わたくしの言いなりになると?
この国の筆頭公爵家の当主で、国の財力の約30%を握っている公爵閣下が?
もし万が一、わたくしが『王妃になりたい。旦那さまが王さまになればよろしいのに』とかなんとか不埒なことを言いだしたら、叶えようとするのかしら……。
カレイジャス公爵家が離反して独立宣言……とか?
王権簒奪……とか?
そういえば、女神さまもおっしゃっていたわね……。
わたくしの今後は悪妻と言われるって……。たしか、夫を意のままに操る悪妻として、年配のご婦人方から大ブーイングを受けるのだとか……。
意のままに操るって、凄いわよね。まるで魔法を使う悪役そのもの。ラスボスって言うのだったかしら。
くわばらくわばら!
怖い想像をしてしまいましたわ。
だいじょうぶよ、旦那さまだって王権簒奪なんて、そんな無分別なことはなさらないわよ。
……なさらないわよね?
それに、そもそもわたくしがおバカな発言をしなければいいだけのことですもの。そうよね?
わたくし、よくよく自重せねばなりません。
旦那さまの腕の拘束が緩んだのを見計らって、わたくしは彼の膝から降りました。移動するための軽装に着替えなければなりません。
膝から降りたわたくしを止めようと、立ち上がろうとした旦那さまの動きが不自然に止まりました。
あら……。
まあ……。
あらあら、まあまあ……。
旦那さまの表情が微妙にウニウニと変化していきます。
笑い出しそうな、でも苦悩しているような。そしてとても困っていらっしゃる。
「……旦那さま? もしかして、お御足が痺れていらっしゃるのね?」
とてもとても情けないお顔で、どうしようねとでも言いたげに愛想笑いする旦那さま!
なんとまあ!
こんなお顔もできるのですね。お珍しいこと。
「わたくし、ちゃんと忠告いたしましたのに」
「あ! 待て、クリスティアナ!」
ゆっくりと旦那さまのふとももを触ります。
「あ、そこは……っ」
お膝を撫でて。
「くっクリスっ!! 止め……っ、あぁ!」
反対の方のお膝を突いて。
「ああクリス! クリスティアナ! 待ってくれ、頼むっ頼むからっ……あぁ、そこは……だめ、だっ」
どうしましょう。
身悶える旦那さまを前にして、なんだかとっても楽しいと思うわたくしは、サディズムの素養があるのかもしれません。
まさか二度目の人生で、新しい自分を発見してしまうとは!
やり直してみるものですね。
その後。
領地へ向かう移動の馬車の中で、わたくしは結婚以来初めて旦那さまと『他愛ない会話』というものを交わしました。
回帰するまえは、必要な連絡事項を確認するためたまにことばを交わしたりしましたけど、基本的には一緒に馬車に乗ってもお互い無言でしたからね。気まずい時間を過ごしたものですわ。
今は隣に座って手を繋いで。
ときおり、お互いの顔を覗き込んで。
旦那さまの唇がわたくしの頬を掠めたり。
そして交わされる他愛ない会話の、なんて心の弾むこと!
ほんとうにどうでもいいことの数々ですけれど、お互いの認識の違いを知ることができたので有意義な時間でした。
誕生日についてのお話とか、記念日について思っていることとか。
たとえば誕生日について。
旦那さまはずっと誕生日のお祝いなんて無意味だと思っていらしたのですって。
それは幼いころからの義務で、ご自分の誕生祭を主催し人を招待する責務を負っていたからだとか。
ほんの七、八歳のころから、何時間もかけて招待状を直筆し、わざわざ会いたくもない公爵家の家門のお歴々や重鎮たちを招き、彼らから品定めのように見つめられ、お世辞を聞くつまらない時間を義務的に過ごす日……という認識。
「お友だちを呼んだりなさらなかったのですか?」
「友? ……友などいない」
「たくさんプレゼントをいただいたり……とかは?」
「父への付け届けならばたくさんあったな」
「ご両親からジュリアンさまへのプレゼントは?」
「誕生日のプレゼント? 無いな。両親は常に私にいろいろ物をくれていたから。誕生日だからという理由で物を貰ったことはない」
なるほどーとうっかり遠い目になってしまいましたわ。
旦那さまご自身が『つまらない日』だと認識している『誕生日』ですもの。人のお祝いをしようなんていう発想さえなさったことなかったのねぇ……。わたくしのそれもスルーしていた、と。
ところ変われば品変わると申します。公爵家での常識は、わたくしの知るそれとはとても違うようです。
お互いの常識に乖離があることはよく分かりました。少しずつ理解し歩み寄るのは、なかなか面倒な作業のような気がします。
だからといって、お互いの常識のみを是とし固執するのは愚かの極みです。
歩み寄り、乖離を是正いたしましょう。
ものは考えようですわ。
天下の公爵閣下をわたくし好みに調教するのだと思えば、それなりに面白そうではありません?
わたくしだけを信奉してわたくしだけを見る極上の男を育てあげる……。
そう思えば、面倒である分、よりやりがいのある任務ですわ。
「なんと……では正直にクリスティアナに愛のことばを言っていれば良かったのか……だが、自重せねばまた不愉快な発言をしてしまう……どうしたものか」
旦那さまがわたくしの手を握りながら、そんなことを独りごちています。
ほんとうに、根は素直で真面目な方なのですね。
そんな旦那さまが、わたくしの手をご自分の口元まで持ち上げました。爪の先に軽く唇を寄せて。
「クリスティアナ。こんな不甲斐ない私だが……ともに生きてくれるか?」
わたくしの目をしっかりと見て、そんな質問をなさるなんて。
しかも、耳の垂れた犬が主人の顔を覗き込むような心細いと言わんばかりの表情で。
もうね。
いとしいひと、としか言えませんわ。
「わたくし、踏んだり蹴ったり叩いたりしますが、よろしくて?」
わたくしの不遜な発言に対し、旦那さまは
「頼む。この世で私を叱れるのはきみだけだ」
と、ホッとしたようなキラキラの笑顔でおっしゃいました。
うふふ。言質は取りましたし、幸いわたくしは女神さまからお許しを得た身なのです。ほどほどに自重しつつ、好きなように二度目の人生を謳歌するのも一興です。
いつの日か。
再々度女神さまに出会えたとき、きっと女神さまは聞いて下さるでしょう。
あのまろやかなお声で『はぁい、クーちゃん。エンジョイしたかしら?』と。
わたくしはきっと笑顔で答えるのでしょう。
女神さまのおかげで、人生を謳歌しつくしました――と。
【おしまい】
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◇ジュリアン・カレイジャス。遅咲きの画家。写実派に分類される。
元・公爵家当主であり、政治家を引退したあと画壇デビューしたという異色の作家。
彼の画家としてのデビューは遅く、元老院議員を引退したあと妻に請われ、議員時代に彼が巡った国々を妻とともに渡り歩いたときからである。
ゆく先々で各地の名所を絵に残した。
その絵の片隅には必ず最愛の妻の姿を描いたことは有名。
もともとは、外務大臣時代に外遊するたびに、妻へ直筆の絵手紙をしたためたことが発端であったらしい。
各地からよこされる愛のことばが添えられた絵手紙を保管していた妻が、その絵手紙の場所へ一緒に旅行したいと希望したのだとか。絵画にして残すよう希望したのも妻クリスティアナである。
彼の絵画の多くはカレイジャス美術館に所蔵・展示されている。
彼の生涯で描いた絵画の数は百数点とそれほど多くはないが、習作や前出した絵手紙、スケッチブックは数多く残されている。
ジュリアンの処女作でありながら、最近発見されたものに『屋根裏のクリスティアナ』がある。
若かりしジュリアンが一目惚れした美少女(のちの彼の妻)を描いた作品である。
ジュリアン夫妻没後、ジュリアンの孫が彼の日記からその場所(森の中の物置小屋の、さらに屋根裏部屋に隠されていた)を探し当てた。
王立美術館の学芸員の手により慎重に取り出されたそれも、カレイジャス美術館所蔵作品であるが、残念ながら通年展示品ではない。
年に一度、新年祭から二週間だけ特別一般公開される。
そのときは、晩年のジュリアンが描いた自画像(通年展示品)の隣に並ぶので、閲覧希望者が迷子になる心配はない。
【FIN】
※ Merry X'mas!
& A Happy New Year!
ご高覧、ありがとうこざいました。
夜、エッセイ『徒然なるままに備忘録』で、創作裏話その14を更新予定。
そこでカットエピソード披露。
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スッキリしましたー!
前作も良かったけど、救われない話が好みではなく、消化不良だったものですから…
大変美味しく頂きました。
ご馳走様でした!
きぃさま
>スッキリしましたー!
IF話、お楽しみいただけたようで良かったです(≧∀≦)
世知辛い世の中ですし、やっぱりお話は【めでたし】で終わるのがいいですよねぇ。
お粗末さまでございました❤
感想ありがとうございました。
m(_ _)m
なるほどーーー!!
読了後に備忘録も拝読し 死に戻り元サヤ話と知り そういうことか と了解です
戻ったタイミングが娼館後(浮気後)ならどんな態度をとり 愚夫をどうしたかなぁあ?と思いました
元サヤではなく 気分よく捨て去るバージョンも読んでみたいと思いました(笑)
なげなら彼女の夫への怒鳴り散らした姿は格好よく スッキリしたから( ̄▽ ̄)
元サヤなし でも彼女なら楽しく生きてゆけそう と思いました!
それはたとえば 再婚という形に捉われないパートナーとの関係とか。。。
なんにせよ全部読んでからコメントすべきでした.一つ前のコメントは失礼いたしました。🙏
備忘録も株の話も とても面白いですね!!!良い作品をありがとうございますm(._.)m
あさぎさま
感想ありがとうございます。
>戻ったタイミング
女神さま(笑)的には、最悪のワルさを犯していない状態の夫と出会わせたかったみたいですw
なのでこんな形に。
もし最悪のワルさ(浮気)後だったら、クリス姐さんが見参(笑)
離婚したかなー。
社交界で後ろ指をさされるくらいの「悪妻」「悪女」として名を馳せたことかと。
クリス姐さん自身は楽しく過ごしたかもしれませんが、親の悪評を自分らの代で覆そうと、子どもたちが悪戦苦闘するはめになるかと。高位貴族ってメンドクサイね!
>一つ前のコメントは失礼いたしました。🙏
いえいえ。(*´▽`*)
ご意見をいただけるのは嬉しいので、お気になさらず。
良い作品といっていただけて感無量です!
<(_ _)>
プロ中のプロである娼館のオーナーマダムが 軽々に口を滑らすことはない
ですよね(笑)
とすれば、浮気といえる相手はいなくても
適当に手などでぬいてもらってたのでは?
で、当たり前すぎてそんなことは
口にしない、と思いました
もしも本当に何もなかったなら
それはそれですごい男ですが(笑)
あさぎさま
>軽々に口を滑らすことはない
マダム、クリスティアナを気に入りました。
なので過去の話までしたのです。
>適当に手などで
この話のジュリアンに限っては、「仕事で」娼館へ赴いていました。遊びには行ってません。
なのでなにもなかったのですよ。はい。
親子二代に渡って凄かった(笑)
<(_ _)>