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3.妻の遺したメッセージカード
しおりを挟む「ゆいごん……?」
意外なことばにジュリアンは目を白黒させた。
「えぇ。お母さまご本人たってのご希望。わたくしたちは粛々とそれに従ったに過ぎませんわ」
当然といった顔で言いきるエリカ。息子たちも揃って頷いた。
「玩具になるなんて……お父さまの見識不足も甚だしいですわね。
たしかに献体なんてって、最初はわたくしたちだって反対しましたわよ? でもお母さまのご遺志は、ご自分の遺体解剖をすることで医学の礎たらんと。病理の研究が進み、同じ病に侵されている患者が希望を持てる日が一日でも早く来ることをお望みでしたわ」
知らなかった。
ジュリアンはなにも知らなかった。
妻の死に際にすら間に合わなかった彼には、彼女の考えも、ましてや遺言なんて……。
意気消沈するジュリアンに対し、息子たちが畳みかけるように意見した。
「それに、生前の母上は大学病院の名誉理事に名を連ね毎年多額の寄付をしていました。もちろんご自分名義の財産を使って、です。ご自分が関与した大学病院の発展に力添えするのは普通だと思いますよ?」
「ハヴ。我々家族に関心の無い父上が、母上がどこの名誉総裁になっているのかとか名誉理事になっているのかなんて事情、ご存じなくて当然だろう?」
「あぁ、そういえばそうだったねダン。さっきの父上の涙にうっかり騙された」
「ダン、ハヴ。当て擦りはおやめなさい。下品だわ」
「姉上。口調が母上そっくりだ」
「そっくりだね。母上がいるみたい」
同じ顔をした双子の息子たちと、彼らの前に立つ妻によく似た美貌の長女。
喪服を身に纏った彼らを見ていると、三人とも疲れたような笑顔であった。
そんな子どもたちを見て、ジュリアンは気がついた。
彼らは彼らだけで病身の母を看取ったのだ。
仕事三昧で家にいない父親に頼ることなく。
ジュリアンは本当に知らなかった。
妻が病気だったことも、献体希望だったことも。
……息子ふたりがなんという愛称で呼ばれているのかも。
やっと帰ってきたと思ったら棺に縋り泣くばかりの父親。
本来ならば喪主として葬儀を執り行わなければいけない立場のはずなのに。
子どもたちはそんな父親の姿を見て幻滅したのではなかろうか。
だから、彼らは涙を封印し葬儀を手配したのだ。
母をきちんと見送るために。
……父親が頼りないから。
忸怩たる思いに駆られながら、けれど子どもらになんと声をかければよいのか分からないジュリアンは逡巡していた。
そこへ、いつの間に近づいたのか侍女が話しかけた。クリスティアナの腹心ジャスミンである。
彼女の手には一通の白い封書があった。
「ご歓談中、失礼いたします。閣下。僭越ながら、お手紙を預かっております」
妻の長年の侍女が差し出した一通の封筒。隅に特徴的な花の紋。
「待って! その封筒って、お母さまがよく使ってらした……!」
戸惑うジュリアンよりさきに、エリカが奪うように引ったくると中身を確認した。
双子も姉の手元を覗き込み、ジュリアンも釣られるように一緒に覗き込んだ。
エリカが封筒から取り出したのはメッセージカードが一枚。
その中央にひとこと、
【ニレの木の下】
と、書かれていた。
どういう意味だ? とジュリアンは首を傾げた。
「お母さまの筆跡……! これってもしかして……」
エリカは嬉しそうな声を出しながら顔をあげた。視線は弟たちふたりを見上げている。
「「あぁ、あれか! 懐かしいな!」」
「懐かしい?」
ダミアンとハーヴェイは姉のことばを聞くと即座に反応したが、ジュリアンにはなにを言いたいのか分からなかった。
なのでオウム返ししてしまったのだが、それに応えてくれたのはハーヴェイだった。
「宝探しですよ。まだ学園に入るまえのチビのころ領地へ行って暇を持て余しているときに、よく母上が企画してくれたじゃないですか」
そう解説をされたが、生憎ジュリアンにそんな記憶はない。ますます首を傾げるばかりだ。
「指示に従って封筒を探していくと最終的には宝物を見つけられるようなっていたな。母上が我々のために……用意してくれていたんだ……」
ダミアンが泣いているような笑っているような、複雑な表情でつぶやいた。
「おまえたち、そんなことをしていたのか」
思わずそう本音を溢してしまい、ジュリアンは慌てて己の口を塞いだ。
失言ではなかっただろうかと内心で慌てるジュリアンをよそに、子どもたちはなんだか盛り上がっていた。
「これ、指示に従おうよ、ねえさま!」
「探そう! 昔みたいに!」
「ニレの木って、この邸にあったかしら」
「あるよ! 裏庭の奥の方だ」
「おさき!」
「あ、ちょっ……待ちなさいっダン!」
ダミアンが走って礼拝堂を出ていった。
エリカとハーヴェイもそれに続いた。
もうおとなになっているのに、そのワクワクとした後ろ姿は幼いこどものようにジュリアンには見えた。
ジュリアンは本当に知らなかった。
自分がいないあいだ、妻と子どもたちがどのように過ごしていたのかを。
宝探しゲームなんて、していたのか……
呆然と見送るジュリアンに、侍女が話しかけた。
「どうぞ、閣下もご一緒に」
「私も宝探しをしろと、きみは言うのか?」
自嘲的な笑みが頬を引き攣らせると自覚しながらジュリアンが呟けば、“僭越ながら”と前置きをしてジャスミンは言った。
「奥さまがお遺しになったモノ。閣下におかれましては、ご興味がおありかと推測いたします」
侍女のそのことばに気がついた。
愛妻が、クリスティアナが死した後に発動するよう仕組んだ【宝探し】。
彼女はなにかを伝えたかったのだ。
子どもたちへ?
それとも
夫であるジュリアンへ?
ジュリアンは今までなにも知らなかった。
妻の体調も、子どもの愛称も、彼らの時間の過ごし方も。
けれど、妻がなにかを伝えたいのならそれを聞くのは夫の義務ではなかろうか。
最期くらい。
いや。最期だからこそ。
ジュリアンの心の中に、明るい光が差した気がした。
彼は子どもたちの後を追って走り出した。
その後ろ姿を見送った侍女の口角が上がっていることに気づかぬまま。
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