ワガママ令嬢はミステリーの中で

南の島

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さて、部屋で一人。私はまず家の中を散策することにした。メイドが開けてくれたカーテンの向こう側には、広い庭が見える。赤や白やピンクのバラが美しく咲き誇っていて、優秀な庭師がいるのだろうと思った。窓から見て庭の右奥には小さな小屋があり、大きな門を見張っているようだった。

かなり大きな屋敷ではあるが、やはり城というほどではない。しかしこういう雰囲気はとても好きだった。履き慣れないヒールによろめきながらも、私は半ばワクワクしてメイドが入ってきたドアを引く。この部屋は突き当りのようで、扉からまっすぐに白い壁と白い床の廊下が伸びていた。

幅は2mほどで10mほど続く長い廊下には、両側にいくつかの扉がある。誰かの部屋なのだろうか。突き当りには手すりがあり、下を覗き込むと手すりの両方向から降りられる階段と踊り場があるのが見えた。その階段の右側から、グレイのスーツを着込んだ若い男性が階段を登ってくる。私の視線に気付いたのか、顔を上げると、口元だけで笑った。

「これはこれはヘンリエッタ嬢、今朝も部屋に朝食を用意させて、結構なご身分だな」

おっと、これは随分嫌われているようだ。男の悪意を隠さない表情に逃げ出したくなったが、名前だけでも知っておきたい。エンカウントしたチャンスは逃さないよう、私は「おはようございます」とツンとして答えた。

「ヘンリエッタ嬢からご挨拶を賜われるとは、私もフィアンセとして光栄です」

わざとらしく腕を直角に曲げお辞儀をする男を見て、私は思わず口をへの字に曲げてしまった。

フィアンセ?この完全に私のことを嫌っている男がフィアンセ?確かに顔は美形だが、笑顔がわざとらしい。髪は襟足が長く、低い位置で結ばれている。額に垂れる髪を何度も手で払う仕草が、いちいちわざとらしかった。

会って3分で断言するのは気が引けるが、これは間違いなく絶対やめたほうがいい結婚だ。ヘンリエッタの気持ちがわかりさえすれば上手く立ち回れるのに、どうしていいのか分からないのが歯がゆい。だいたいなんで結婚する前から婚約者が同じ屋敷内にいるのだろう。

すると、「お姉さま!」という耳に心地よい声が左側の階段から聞こえてきた。

「お姉さま、おはようございます、今朝はよく眠れまして?」

声の主の方を見ると、わぁお、と思わず声をあげてしまいそうな可愛らしい姿に、しばらくの間目を奪われた。ウェーブのかかった栗色の髪の毛はとても艷やかで、綺麗な天使の輪が浮かびあがっている。背は小柄だが胸元のふくよかさが官能的で、かといっていやらしさもなく、まんまるの瞳には幼いあどけなさも映し出していた。お姉さまと呼ばれたので、おそらく妹なのだろう。写真でしか見たことないドールそのものだ。挨拶を返そうとしたが、その前に男が声を出した。

「シャーロット、おはよう」

男は私に対する態度とは180度変えて目尻をこれ以上ないくらいに下げて彼女を見ている。彼女の名前はシャーロット。うん。彼女の名前もピンとこない。しかし可愛らしい彼女にぴったりな名前だ。

「おはようございます、ライリー様」

よし!よく言ってくれたシャーロット。これで婚約者(フィアンセ)の名前を知ることができた。シャーロットにライリー。そして私はヘンリエッタ。全く覚えのない世界だが、もしかしたら「ただの貴族」に生まれ変わっただけなのかもしれない。

私は2人がほほえみ合っているのを横目で見ながら、シャーロット側の階段に向かうと、ライリーはまたあの強い口調で私に話しかけてくる。

「シャーロットが挨拶をしているではないか、いい加減その子どもじみた行為を改めたらどうだね」

いや、あんたが先に声を掛けたから返事をする暇がなかったんだろう。言いがかりにもほどがある。でも、それこそ、ヘンリエッタの日頃の行いのせいだと思えば、ライリーを一概に責めることはできなさそうだ。

私は「おはよう」とシャーロットに言うと、そのまま階段を降りていった。

「お姉さま、今朝はイヤリングをおつけになっていないのですか?」

そういえば、イヤリングを断ったとき、メイドも随分と驚いていた。長くつけていると頭痛がするからあまりつけたくないのだが、この世界ではイヤリングはそれほど大事なものなのだろうか。すると、ライリーがため息まじりに言った。

「私への当てつけかい?婚約の証をつけないとは」

あぁ、婚約の証だったのか。・・・・・・指輪じゃなくてイヤリングが婚約の証?

「お姉さま、もしかして今日はご体調が優れないのではないですか?」

シャーロット、何ていい子なんだろう。心底心配そうに私を見るその目に、思わずほほえみかけてしまいそうになる。しかし、私は馬鹿ではない。先程ライリーが言ってくれた「子どもじみた行為」とはおそらくこの可愛らしい妹に辛くあたる行為のことだろう。

「あなたには関係ないわ」

とだけ言うと2人ともを無視して階段をおりる。なかなか上手くいったと自画自賛していたが、後ろのほうでシャーロットが「お姉さまが返事をしてくださったわ」とライリーに話しているのが聞こえ、目で天を仰いだ。勘弁してくれヘンリエッタ。

階段を降りると広いホールになっていて、左右に大きな両開きのドアがある。そのまま奥まで広い空間が続いており、突き当りには一際立派な装飾の玄関の扉が鎮座していた。

「まぁまぁヘンリエッタお嬢様、今朝は朝食をたくさん召し上がられたとのことで、このダイラ、誠にうれしゅうございます」

後ろから声を掛けられて振り向くと、そこにはよく太った50代くらいの女性が立っている。背もそれほど大きくなく、まんまるの顔からは人柄の良さがにじみ出ていたが、目は好奇心の塊といったようによく動く。近所にいるおばちゃんといった風貌だ。

「美味しかったわ、ありがとう、ダイラ」

その時のダイラの顔はいつまでも忘れることはできない。ダイラは口をポカンと開けてしばらく停止したかと思うと、急に大きな涙をこぼしはじめた。

「え、ちょ、なに?どうしたの?」

「私は、亡くなられた奥様の代からメイドとしてずっとこの屋敷を守ってまいりました、奥様が亡くなられてからもヘンリエッタ様には尽くして参りましたが、こんな日が来るなんて」

「えっと、つまり嬉しくて泣いているの?」

「えぇ、ヘンリエッタ様から感謝の言葉をいただけるなんて、このダイラ、もう思い残すことはございません!」

ヘンリエッタ!あぁ、君は一体どんな人生を過ごしていたんだ。妹には碌に返事もせず、婚約者にはこれ以上ないほど嫌われ、メイドには「ありがとう」ひとつ言わず、これまで何が楽しくて毎日を過ごしてきていたというのか。

しかし、今の話でひとつまた新しい情報が得られた。ヘンリエッタの母親は既に亡くなっているということだ。私も幼い頃に両親を亡くしているから、この共通点には共感できる。しかし慣れている環境とはいえ、ここでも母の存在に会えないのかと思うと少し寂しかった。

「ダイラ、お父様のことなんだけど」

こうなってくると父親のことが気になる。まだ生きているのかを確認するために濁して聞くと、ダイラは手のひらで左側の扉をさした。

「書斎にいらっしゃいます、もう朝食はお済みですので、ぜひご挨拶を」

良かった、父親は生きているようだ。先程のライリーの態度で少し足取りは重くなったが、私はゆっくりと扉に近づき、不気味な獣が象られたドア・ノッカーを三度扉に当てた。
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