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第十五章

サリーさんが居ない日(イメルダ視点)2

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 飼育小屋に向かい、歩みを進めます。

 すると、飼育小屋に続く天井から、白いものが垂れ下がってきました。
「……何してるの、ルルリン」
 わたくしが呆れた感じに訊ねると、この白いスライムは天井にくっ付いたまま、ブラン、ブランと揺れました。
 どうやら、何かを訴えかけているようです。
「……あの、ごめんなさい。
 わたくし、サリーさんとは違い、あなたが何を伝えようとしているのか、分からないの」
 わたくしの言葉に、ルルリンはブルブル震えています。

 え、ええっと……。
 怒っているのかしら?
 悲しんでいるのかしら?

 でも、今はそのようなことで時間を費やしている場合ではありません。
「ごめんなさい、今は急いでいるの。
 また後でね」
 わたくしは、ルルリンの横をすり抜け、飼育小屋に入ります。
 まずは、卵を――と視線を鶏に向けようとしたのと同時に、突然、「ピィー! ピィー!」という鳴き声が響きました。
 それと同時に、黄色い何かが顔に飛んできました。
 何かが羽ばたき、何かがぶつかる音が目の前で起き、わたくしは思わず「キャ!」と声を漏らしながら、腰から転んでしまいました。

 顔を上げると、威嚇するように鳴き声を上げるひよこがこちらを睨んでいました。
 その後ろにいる雌鶏めんどりも、触発しょくはつされたように「コッココッコ!」と鳴き始めました。
「え?
 どういうこと?」
 わたくしが困惑していると、飼育小屋の奥から、凄まじい力で地面を叩く音が聞こえてきました。
 視線を向けると、いきり立った山羊が、足を踏み鳴らしているのが見えました。
 形相も険しく、今にでも飛びかかってきそうです。
 怖い! という感情と同時に、愚かなわたくしは思い出しました。

 この家の山羊や鶏は、魔獣と魔鳥だと言うことを。

 サリーさんはそれを危惧して近づかないようにと忠告してくれていたのに……。
 わたくしはそれを重く受け取らずに、無防備なまま、中に入ってしまったのです。
 男性の近衛騎士妖精さんが慌てたようにわたしと山羊や鶏の間に入ってくれます。
 恐らく、先ほどひよこの一撃から守ってくれたのも彼らでしょう。
 それぞれ、荷物を持ちながらも、守ってくれています。
 だけど、そんなことを気にした風も鳴く山羊はわたしを睨んでいます。
「メェェェ!」という咆哮ほうこうの様なけたたましい声に、頭を抱えて、身が固くなってしまいました。

 怖い!
 怖い!
 助けて、サリーさん!

 襲われるかもしれない。
 襲われて、殺されるかもしれない。
 恐怖で硬直していたわたくしでしたが――気がつくと、小屋の中はしんと静まっていました。
 恐る恐る顔を上げると、黒地に青い柄の大きな羽根がわたしの前でひらひらとはためいていました。

 あれは……。
 サリーさんが悪役妖精と呼んでいた妖精……?

 しゃがんでいるわたくしより高い位置を飛んでいる悪役妖精さんは、ひよこの胸ぐらにある毛を右手で掴み、持ち上げていました。
 そして、ひよこをギロリと見下ろしていました。
 大きさだけであれば、悪役妖精さんを上回っているひよこですが、その凄みのある視線に恐怖したためか、ガクガク震えています。
 しばらく、すると悪役妖精さんは掴んだひよこを後ろに振り、そして、雌鶏の方に投げました。
 ひよこはベチリと壁に激突すると、床に落ちます。
 そこに、雌鶏たちが慌てて駆け寄りました。

 悪役妖精さんは視線を山羊に向けました。

 なんとなく、顔を強ばらせた山羊はそれでも挑むように「メェ~!」と吠えています。
 もう一頭の山羊がそれをなだめようとしていますが、聞く耳を持たないように地面を踏みしめています。
 悪役妖精さんはそんな威圧的な態度にも動じることも無く、スーっと近寄ると、山羊の額にその小さな手を置きました。
 とたん、まるで氷付けにされたかのように、山羊は固まりました。

 え?
 何をしたの?

 困惑するわたくしの側に、凄い勢いで何かが飛んできました。

 近衛騎士妖精の潮ちゃんでした。

 とても慌てた感じで、辺りを見渡しています。
 さらに、妖精侍女のサクラちゃんや黒バラちゃんもやってきました。
 そして、わたくしの方を眉を寄せて見てきます。
 心配させてしまったようです。
 それと同時に、緊張が緩むのを感じます。
 目が痛くなり、頬を何かが滑り落ちるのを感じます。

 ああ、情けない。

 わたくしは何をやっているのでしょう。
 膝の上で何かがポヨポヨ揺れるのを感じ、視線を下ろすと、いつの間にやってきたのか、スライムのルルリンが居ました。
 恐らく、この子が入り口前にいたのは、わたくしが無防備な状態で中に入るのを止めたかったからでしょう。
 にもかかわらず、深く考えずに避けて入るとは……。

 自分の事ながら、本当に情けないです。

 がっくり落ち込んでいると、悪役妖精さんがわたくしの前にやってきて、何かを言っています。
 勿論、わたくしには話している内容は分かりません。
 ただ、なにやら身振り手振り叱咤激励をしている様にも見えます。
 サリーさんは悪役妖精さんのことを嫌っていて、邪魔ばかりすると評していました。

 でも、言うほど悪い妖精では無いように思えます。

 それに、身振り手振りが役者のように仰々しくて、思わず、クスリと笑ってしまいました。
 ただ、わたくしの反応がお気に召さなかったのか、悪役妖精さんは何やら不満そうにして、そして、さっさと行けと言うように、山羊に向かって指をさしました。
 近衛騎士妖精さん達に手を取られ、立ち上がると、山羊の元に移動します。
 山羊は悪役妖精さんが怖いのか、体中を強ばらせ、動きません。
 え、えっと……。
「大丈夫ですか?」
と直ぐ側を飛んでいる悪役妖精さんに訊ねると、コクリと頷いた彼は、山羊の頭の上に乗り、わたくしを急かすように身振り手振りをします。
 じゃ、じゃあ……。
 近衛騎士妖精さんが設置してくれた壺に向かって、山羊の乳をしぼりました。


 近衛騎士妖精さんに壺と籠を持って貰い、シルク婦人の元に戻ります。
 途中、用は済んだというように悪役妖精さんが飛んでいきそうになったので、その背に「助けてくださり、ありがとうございました!」とお礼を言いました。
 悪役妖精さんは振り返らず、手を振り、それに返しました。

 シルク婦人に壺と籠を渡し、食料庫から持ってくる物を訊ねます。
 食料庫に移動して、シルク婦人が求めた物を探します。

 野菜や油、そして冷凍パン……。
 パンはサリーさんが作ってくれておいた物です。
 ここに来た時は、何故この家にはパンが無いのだろう――シャーロットとは違い口には出さないまでも、不満に思ったものです。
 でも、サリーさんがいない今、その不満は余りにも傲慢な思いだったのだと分かります。

 今、この家には材料はあるのです。
 材料はあるにもかかわらず、わたくしではパンを作ることなど出来ません。
 わたくし一人では、その材料も集めることは困難だったでしょう。
 町の中であってもお金が無く、まして、森の中では……。

 恥知らずにもほどがあります。

「じゃあ、お願い」
 近衛騎士妖精さんに声をかけると、ニッコリ微笑んだ彼らは、食材の入った籠を持って、シルク婦人の元に飛んでいきました。
 わたくしは選んだだけで、それらを持って運ぶことすら出来ませんでした。

 ここに住む妖精は皆、知性があります。

 なので、わたくしが選ぶまでも無く、シルク婦人の求めるものを選び出すことが出来たでしょう。

 わたくしは、自分が思っているより、何も出来ない子供に過ぎないようです。


「シャーロットの様子はいかがですか?」
 お母様の部屋を覗きました。
 床に座るお母様がニッコリ微笑んでくださいました。
 右手にエリザベスが寝かされている籠、左手にはシャーロットがお母様の膝を枕に横になっていました。
 靴を脱ぎ、中に入ると、シャーロットは柔らかな表情で寝入っているようでした。
 サリーさんの言葉ではありませんが、その姿はとても可愛らしいと思います。
「イメルダ、おいで」
とお母様が優しい笑みを浮かべて、右手を広げます。
「え、あの、わたくしは……」
 わたくしはもう、お母様に甘えるような年ではありません。
 断ろうとすると、お母様の表情が悲しげに曇ります。
「来てくれないと、わたくし、とても寂しいわ」
「お母様……」
 勿論、それは芝居だと分かっております。
 でも、それでも、お母様に悲しげにされてしまうと、断るのが難しくなります。
 致し方が無く、お母様の側で膝をつくと、優しく抱き寄せられました。
 お母様の優しい匂いがわたくしを包み、気持ちがとても落ち着きます。
「お母様、わたくし……。
 何の役にも立ちません」
 気が緩んだからか、情けない言葉がポロリとこぼれました。
 目がジンジンと痛み出します。
 それに対して、お母様は「そう、それは良い事ね」と仰いました。

 良い事?
 良い事なのでしょうか?

「イメルダ、わたくしはあなたのことを、とても良くやっていると思っているわ。
 だけど、あなたは足りないと思っている。
 それは、あなたがわたくしの想像より目標を高く持っていると言う事だわ。
 大丈夫、あなたはきっと、あなたが認められる人になれるわ」

 そうでしょうか?
 そうなのでしょうか?
 ただ、お母様の温かな体温を感じていると、荒れていた心が凪ぐ心地になります。

 いえ、駄目です。
 それで終わってしまっては駄目なのです。

 わたくしはお母様から離れると言います。
「お母様、わたくし、もう少し頑張ってみます」
「そう?
 なら、頑張りなさい」
「はい」
 優しく微笑んでくださるお母様を背に、部屋を出ます。
 頑張らなくては……。
 頑張って、少なくとも、サリーさんのお役に立てられるぐらいにはならなくては……。
 わたくしはそう、誓うのでした。
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