老兄、林太郎の恋

人紀

文字の大きさ
5 / 10

その5

しおりを挟む
 若い子ならいざ知らず、七十過ぎのお婆ちゃんがこのようなことをさせられたら、体が粉々になってしまいます。
 自分では見ることが出来ないのでわかりませんでしたが、その時、恐らく真っ青な顔をしていたことでしょう。
 そんなわたくしなどお構いなしに、兄は自慢げな顔で、
「まあ、ここにいる輩は二段と言った所じゃろう。口惜しいが、初段であるわしは、まだこの域には達しておらん。
 もうちょっとで追いつくのじゃがなぁ」
と言っておりましたが、この時も、当然信じてはおりませんでした。
 明らかに、二ヶ月やそこらで追いつけるレベルではございません。
 ただ、わたくしはそのことについて、どうこう言っている状態ではなく、自分がどんなことをさせられるのか、そればかりでございました。

 わたくしは、心の底から許しを乞いました。

「兄様、ご勘弁ください。
 この年でこのような踊りなど、とてもとても無理でございます。
 考えただけで、心臓が止まりそうになります」
「やる前から何をいっておる!
 情けない奴め」
などと言っている兄に、わたくしは重ねて言いました。
「無理でございます!
 そもそも、嫁になる方を紹介していただけるのであれば、わざわざレッスンを受ける必要は無いではありませんか?
 むしろ、落ち着いて話すことが出来なくなります」
 無論、一度言い出したら岩にしがみつくかごとく態度で、譲らない方でございます。
 どのような理不尽千万な事を言い出すのかと構えておりました。
 ただ、兄は珍しくも少し言いにくそうな顔で頭を掻いておりました。
「まだ、その段階には至ってはおらん」
「はぁ?
 その段階とは?」
とわたくしが訊ねると、兄はむっとした顔で言いました。
「いずれ嫁になることは確かなれど、まだ、その段階には達しておらぬ、と言う事じゃ!
 だから、お前はわしの助けをするために、レッスンを受けろと言っておるではないか!」

 またしても、ではありますが、そのような話は聞いてはおりません。

 ただ、冷静に考えてみれば、わかりそうなことではございました。
 四十代後半の聡子姫にすら、年が離れすぎていると断られていたのに、十八、九歳の娘さんが簡単に婚姻を了承するとは思えません。
 本人もそうですが、当然親御さんもでございます。
 ただ、兄が嫁だ嫁だと言うものですから、ついついそのように思いこんでしまったのでございます。
「つまり、兄様はわたくしを出汁にしようというのでございますか?」
と、多分に嫌みを込めたのでございますが、兄はようやく分かったかと言わんばかりに頷き、
「その通りじゃ。
 お前はよい出汁になるからのう」
などと言っておりました。

 どうしようもない兄でございます。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

ウインタータイム ~恋い焦がれて、その後~

さとう涼
恋愛
カレに愛されている間だけ、 自分が特別な存在だと錯覚できる…… ◇◇◇ 『恋い焦がれて』の4年後のお話(短編)です。 主人公は大学生→社会人となりました! ※先に『恋い焦がれて』をお読みください。 ※1話目から『恋い焦がれて』のネタバレになっておりますのでご注意ください! ※女性視点・男性視点の交互に話が進みます

なくなって気付く愛

戒月冷音
恋愛
生まれて死ぬまで…意味があるのかしら?

いちばん好きな人…

麻実
恋愛
夫の裏切りを知った妻は 自分もまた・・・。

あの夜、あなたがくれた大切な宝物~御曹司はどうしようもないくらい愛おしく狂おしく愛を囁く~【after story】

けいこ
恋愛
あの夜、あなたがくれた大切な宝物~御曹司はどうしようもないくらい愛おしく狂おしく愛を囁く~ のafter storyです。 よろしくお願い致しますm(_ _)m

この別れは、きっと。

はるきりょう
恋愛
瑛士の背中を見ていられることが、どれほど幸せだったのか、きっと瑛士は知らないままだ。 ※小説家になろうサイト様にも掲載しています。

降っても晴れても

凛子
恋愛
もう、限界なんです……

有名俳優の妻

うちこ
恋愛
誰もが羨む結婚と遺伝子が欲しかった そこに愛はいらない

氷雨と猫と君〖完結〗

カシューナッツ
恋愛
彼とは長年付き合っていた。もうすぐ薬指に指輪をはめると思っていたけれど、久しぶりに呼び出された寒い日、思いもしないことを言われ、季節外れの寒波の中、帰途につく。

処理中です...