老兄、林太郎の恋

人紀

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その6

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 ただ、事が事だけに、ハイそうですかとは行きません。
「兄様、後生でございますから、レッスンはお一人でお願いいたします。
 ただでさえ、梅雨時で腰が痛む上に、ダンスなど、下手をすると歩けなくなってしまいます」
「何じゃ、何じゃ、桜子や」
と、兄はだだをこね始めました。
「わしがかの大戦中に、B29爆撃機から守ってやらなければ、歩け無いどころか、生き延びたかすらわからない身で、この兄の、切なる、切実なる頼みを、無下に断るつもりか?」

 困ったものでございます。

 いくつになっても、何十年も昔の話を引き合いに出してまいります。
 そもそも、いつも自慢げに話す戦中の美談の大半は、嘘とまでは申しませんが、大げさであったり、妄想妄言が織り交ぜられたりして作られたものばかりでございます。

 爆撃機うんぬんに関してもそうでございます。

 話の大筋としては以下のようなものでございます。
 疎開先の村で、突然の空襲に多くの者が逃げまどっていた。山中兄妹は、賢き兄の機転で道を外れ、林へと逃げ込んだ。
 このまま、大人達の後に続いたら危険だと判断したからだ。
 それは正しいことはすぐに証明された。
 村の皆が逃げ込んだ山寺から火の手が上がったのだ。
 いったいその場で幾人が命を落としたことか。
 もし、自分らもあそこに行っていたなら、恐らく命はなかっただろう。
 怯える妹を抱き抱えながら、兄は黙ってそれを睨み付けた。
 
 ……まるで、英雄譚のごとき物言いでございます。

 このような話を、物々しく話すものですから、お人の良い方などは、ころっと騙されてしまうのでございます。
 ただ、実際の所はそうではありません。
 そもそも、空襲など無かったのでございます。
 なので、亡くなった方も、当然いらっしゃいませんでした。
 確かに、空襲警報が出され、わたくし達は防空壕へと避難することになりました。
 その途中、兄はわたくしを横道に引っ張りこんだのは間違いありません。
 ただ、その理由は『予感』などという結構なものではございませんでした。
 兄は「こちらの方が近道に違いない」という思いつきで、わたくしを巻き込んだのでございます。

 なにぶん、幼かったこともございます。

 また、疎開先ゆえに勝手が分からぬ上に、日が暮れた頃にございます。

 あっという間に、迷子になってしまいました。

 空襲警報が鳴り響き、辺りは薄暗く、わたくしはすっかり怯えてしまいました。
「兄様、元来た道に戻りましょう」
と必死で訴えたものです。
 しかし、当時十歳といえども、そこは山中林太郎でございます。
「こっちが近道のはずだ!
 黙って付いて来い」
と言って聞きません。
 そして、しばらく歩いた後に、道沿いの林の中で転がったかと思うと、
「もうよく分からんから寝る」
と言い出したではありませんか。
「兄様、兄様」と必死で起こしても、何も答えず、呆れたことに本当に寝てしまったのでございます。
 まだ、空襲警報が鳴りやまない中でございます。
 所々で、どなたかの怒鳴り声が聞こえ、誰もが必死に逃げている時でございます。
 空爆ではなく、火の不始末で燃え上がる建物が、遠くに見える中でございます。
 ……わたくしには、兄の話す与太話よりもよほどの武勇伝に思えてなりません。
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