元亀戦記 江北の虎

西村重紀

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第二章 家督

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 勝ち戦に浮かれ、小谷城に凱旋した浅井賢政を待っていたのは、父久政の労いの言葉でなく、叱責だった。
「総大将自らが敵本陣に切り込むとは前代未聞。もっと思慮深く動かぬか、この慮外者めがぁ! その軽率な振る舞いが、我が浅井家に災いを招くことになる。もっと思慮深く動けっ!」
 久政は、依然甲冑を纏ったまま居並ぶ重臣たちの前で、態と賢政を叱りつけた。
 賢政も黒漆塗紺糸縅胴丸を身に着けたまま、項垂れていた。
「お待ち下され、お屋形様。此度の戦、若殿のご采配がなければ、我ら浅井方が総崩れになっておりました」
 賢政の後見として野良田の合戦に参陣していた赤尾清綱が、毅然とした態度で横から口を挟んだ。
 すると久政、無言で清綱の横顔を睨みつけた。負けじと清綱も主君の顔を睨む。
「赤尾殿が申された通りでござる。百々勢が押された辺りから雲行きが怪しくなって来たが、若の見事な采配によって救われました」
 安養寺氏秀が意見した。
「三郎左衛門、その方までも儂に逆らうか……」
「お屋形様、赤尾殿、安養寺殿が申されたこと、尤もなり」
「掃部助、その方までも……」
 久政は唖然とした顔で今村氏直を見詰めた。
 野良田の合戦に参陣した武将の口からは、次々に賢政の活躍を称える言葉が出て来たので、久政はバツ悪そうに低い声で唸ると、舌打ちした。
「もうよい。分かった……新九郎、此度の合戦の采配見事であった。褒めて遣わす」
 久政は渋面を作り、憮然とした態度で息子賢政に告げた。
「父上、お褒めの言葉を頂戴し、恐悦至極……」
 賢政が返礼の言葉を口にしているのにも拘らず、久政は徐に立ち上がった。
「大儀であった。皆下がって休め」
 吐き捨てるように言うと、久政は小谷城本丸主殿評定の間を離れた。小姓がその後を追う。
 賢政以下、野良田の合戦に参陣した武将たちは、開いた襖障子から廊下へと出た久政の背中に向かって頭を垂れた。

 数日後、浅井家の主だった家臣が雨森清貞の屋敷に集まった。小谷城下清水谷の屋敷ではなく、雨森家の領地にある近江国伊香郡雨森城内の屋敷だ。雨森城は高時川の西に築かれた平城である。
 六名の男が囲炉裏を囲んで、杯を酌み交わし何事かの企てを練っているのだ。久政のお膝元小谷城下の清水谷の屋敷では、これだけの人数が集まれば目立ってしまう。
「潮時じゃのう……あのお屋形様では浅井家に先行きはない」
 清貞は苦笑しながら言うと、溜め息を吐いた。
「最早一刻の猶予もならぬ」
 海北綱親が険しい表情を作り嗄れ声で言った。
「左様」
 と清綱が相槌を打つ。
「海北殿の申される通り、ここは一刻の猶予もござらん」と清綱は付け加えた。
「他に打つ手はないのか……?」
 清貞が怪訝そうに綱親の目を見詰めた。
「ない」
 綱親はかぶりを振った。
「若殿のご存念は?」
 清貞は真顔で尋ねる。
「確かめてはおらぬ」
 賢政の傍で使える遠藤直経は低い声で告げると、白酒が注がれた杯を呷った。
「今度某が確かめてみよう」
 飄然とした様子で、氏秀が横から口を挟む。
「貴殿が……?」
 上擦った声を上げながら、清貞は囲炉裏に手を伸ばしこんがりと焼き上がった岩魚の串焼きを取った。
「ああ、拙者の倅は、近頃若殿に気に入られておってな。明日も遠掛けに誘われておるみたいじゃ」
 言ったあと、氏秀も清貞に倣うかのように、岩魚の串焼きに手を伸ばした。
「熱っ」
 竹串の持ち手が焼け焦げていたため、思わず声を上げてしまった。
「貴殿の倅か……」
 岩魚の串焼きを一口頬張ったあと、清貞は穿った眼差しを氏秀に向けた。
「ああ」
 氏秀は頷くと、大きく口を開け岩魚にかぶりついた。
「お屋形様に退いて頂くには、一刻も早い方がよい。あとは若殿のご存念を確かめるだけ。どうであろうここは安養寺殿が申した通り、ご子息三郎左衛門殿を通じて若殿のお気持ちを確かめてみては?」
 これまで瞼を閉じ、皆の話を黙って聞いていた浅井一門の亮親が口を出した。
「石見殿が申される通り、ここは安養寺殿の倅に賭けてみようぞ」
 清貞も賛同する。
 すると、清綱が杯の中の白酒を飲み干したあと、徐に口を開いた。
「ならば拙者の小倅新兵衛尉も、明日の遠駆けのお供の一人に加えて頂こう」
「相分かった赤尾殿。某の口から倅に伝えよう。ご貴殿の倅も、明日の遠駆けのお供に加えて頂くよう若殿に進言致せとな」
 氏秀は笑みを浮かべながら言うと、徳利を清綱の方に差し出した。
「一献どうじゃ」
「これは忝い」
 頷くと清綱は杯を手に取った。
 斯くして雨森城内で宴は佳境を迎え、初秋の夜は更けていた。
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