2 / 5
第2話 セルマという黒髪美女
しおりを挟む寝室にひとりきりになったネルは、ただひたすらグルグルと考え込んでいた。
どうやって逃げ出すかも悩みどころだが、何故突然アリスターの心の声のようなものが脳内に流れ込んできたのかも分からない。
今まで一度たりともそんな経験はなかったのに、とネルは困ったように顎に手を当てて小さく息を吐いた。
「なんで突然あんな声が聞こえたのかな。‥まぁ、あの声が聞こえていなければ、私はアリスターさんの本性を知らぬままここで一生を過ごしていたかもしれないし‥」
ネルは独り言を呟いたあと、あったはずの恐ろしい未来を想像して体を震わせた。
どうにかしてここから逃げ出さないと、遅かれ早かれアリスターの餌食になってしまう。
ネルの実家があるのはビートリアという小さな国。観光名所は豊かな自然と大きな湖くらいしかない、ひっそりと佇む静かな国だ。
そんな小さな国の更に小さな田舎町にネルの実家はある。きっと今頃、ラスカの富豪の元に嫁いでいったネルの話は田舎中で話題になっているだろう。ビートリアの首都でも騒ぎになっているかもしれない。
ネルの両親は今頃『ラスカに嫁いだ娘を持つ親』として有名人の如く沢山の人々に囲まれている可能性もある。
そんな雰囲気の中、果たして田舎町に出戻ることができるのだろうか。そもそも獣人の力を借りないと、崖の下に降りることはできないというのに。
「‥‥はぁ、やめた」
ネルはどこか諦めたように、自身の両頬をぱちんと叩いた。
答えの見つからないことを考え込んでいても無駄だと思ったらしい。ネルはしっかり者だが、案外さっぱりとした性格をしていて、肝っ玉が座っている一面がある。
「とにかく一旦、屋敷の内部を見て回ってみよう」
もしかしたらすぐにメイド達に見つかってしまうかもしれないけど、逃走するなら屋敷の作りを理解しないといけない。
ネルがこの屋敷に着いた時、彼女は乗り物酔いで具合が悪かった。案内されるがままに屋敷内を歩いたものの、道順や構造をあまり覚えていなかった。
食事や飲み物も全てこの寝室に届けられてしまう。この部屋にはパーテーションがあって、パーテーションの向こうには浴槽がある。トイレや洗面器も寝室内にある為、基本的にはこの部屋から出なくても生活できる仕組みになっている。
それは恐らく、この屋敷内で他の番と鉢合わせするのを防ぐ為だろう。
だがその環境を甘んじて受け入れてしまっては、ネルは一生この屋敷どころかこの寝室からも出れないことになる。
「言ってしまえば軟禁よね。何が番よ馬鹿馬鹿しい。人間の体を好き勝手したいだけじゃない。あー、気持ち悪い!」
この愚行を行なっているのがアリスターだけでありますように、とネルは祈った。もしラスカ全域でこんなことが行われているのだとしたら、獣人VS人間の全面戦争に発展する可能性だってある。
まぁ人間が獣人に勝てるわけはないのだけれど。
ネルはそっと扉を開けた。周囲から物音が聞こえないことを確認し、扉からヒョイっと顔を出す。
どうやら見張りはいないようだった。ネルの見える範囲に居ないだけなのかもしれないが。
そっと廊下に足を踏み出した。見つかっても「お散歩がしたくて」とでも言って誤魔化してしまえばいいだけだ。
だがはっきりと『部屋から出ないように』と注意されてしまうと、次回からの難易度が格段に上がってしまう。
廊下も寝室と同様、敷かれたカーペットや壁の装飾がいちいち豪華で、アリスターの経済力が無駄に溢れ出ていた。
ーーそんなにお金持ちなら、そもそもタイプの女性を選んだらいいのに。呼び寄せておいて地味で貧乳だってガッカリされるなんて、本当腹立つ狼だわ!私の胸は今から成長するのに!!
腹を立てながらふかふかの絨毯の上を歩く。
ボイラー室と書かれた扉に目をやりながらも、そろそろ曲がり角に差し掛かろうかという時だった。
誰もいないはずなのに、何故かドタドタと煩い足音がネルの耳に届いた。その足音は段々と大きくなるのに、ネルが辺りを見渡しても全く姿が見えない。
「え、え?!誰‥?!」
まさか幽霊なのか、はたまた周囲と同化する能力を持つ獣人なのか。カエルやカメレオンなどを思い浮かべながら、むしろそうであってくれとネルは願った。
ネルが一番不得意としているのは“幽霊”だ。幽霊に襲われるくらいならば、今後部屋から出づらくなったとしても獣人に見つかった方がマシだと心から思ったのだ。
体を強張らせて動けなくなっているネルの髪がふわりと揺れた。室内のはずなのに、ふわりと生温い風が吹く。
「んぁ?!人間か?!」
その風は、この声の持ち主が勢いよくネルの目の前を通り過ぎようとしたからだった。
ぶっきらぼうで低い声。男性の声だと判断したネルは、その姿をどうにか捉えようと懸命に辺りを見渡した。
だが、どうしたって声の主の姿は見えない。
「な、な、な、なんなのよぉ‥」
有無を言わさずラスカに連れてこられ、それは結局アリスターによる詐欺で、おまけに大の苦手な幽霊との遭遇。
カタカタと震え出したネルが最後の力を振り絞って叫び声を上げようとしたその時のことだった。
「俺も人間だ!なんでかわかんねーけど透明になったんだよ!」
「‥‥えぇ?」
つまりこの幽霊は、幽霊ではなく透明人間なのか。でもそれは怪奇現象であることに変わりはなく、ネルの情緒は荒れに荒れたままだった。
「どっちへ逃げた?!」
「分かりません、見失いました!!」
突然響き出した新たな声。ネルがびくっと肩を震わせると、透明人間はチッ!と大きく舌打ちをした。
「くそっ、もうこっちに来たのかよ‥。まぁいいか、俺透明だし」
透明人間がそう言ったのとほぼ同じタイミングで、ネルの視界の一部が不自然に歪みだした。
新たに発生した怪奇現象に怯えるネルは、その歪みがどうやら段々と色付いて何かを形容し始めたことに気が付いた。
ぼわん、と視界が歪みだしてからわずか3秒ほどの出来事だった。その間に透明人間は透明ではなくなってしまった。
「‥‥‥え?‥貴女‥‥」
「ん?」
ネルの目の前に突如として現れたのは、息を呑むような黒髪美女。肌は白く、髪は長く艶やか。大きく切長な一重は目尻が少し跳ね上がっていて、ぱっちりとした猫目が印象的だ。
化粧をしているわけではないらしく紅はされていなかったが、唇は薄くてほんのりと桃色をしていた。
「すっっっごい美人ね‥‥」
あまりの美人さに、先程までガタガタと震えていたはずのネルの震えがおさまった。少なくともネルがいた田舎にはここまでの美女は存在しなかった筈だ。
「あ?!あぁ?!うわ、透明じゃなくなってんじゃん!!!やっべぇ!!」
声はやはり低くて男性の声にしか聞こえないのだが、見た目は女性でもうっとりするほどの美女である。
ネルは大いに混乱しながらも、咄嗟に彼女の腕を取って走りだした。
『はぁ?!どこ行くんだよっ!俺捕まりたくねーっ!!』
ネルの脳内には彼女の心の声が流れ込んできた。どうやらボディタッチをきっかけに心の声が聞こえてくるらしい。アリスターの心の声もこうして触れている時だった。
「すぐそこにボイラー室があったの!とにかくそこに逃げましょう」
「ボイラー室?!」
『ボイラー室?!』
ボイラー室の扉を開けて中に入り込む。電気はついていないから、部屋の中は真っ暗で何も見えなかった。ネルは美女の腕から手を離し、バクバクと煩い心臓に手を当てた。
「‥誰もいないみたいだな。‥助かったよ。ありがと。‥俺の名前はセルマだ」
「私はネルよ。‥よろしく、セルマ」
ネルはこうして屋敷の中で、逃走中のセルマと出会うことができたのだった。
0
あなたにおすすめの小説
『えっ! 私が貴方の番?! そんなの無理ですっ! 私、動物アレルギーなんですっ!』
伊織愁
恋愛
人族であるリジィーは、幼い頃、狼獣人の国であるシェラン国へ両親に連れられて来た。 家が没落したため、リジィーを育てられなくなった両親は、泣いてすがるリジィーを修道院へ預ける事にしたのだ。
実は動物アレルギーのあるリジィ―には、シェラン国で暮らす事が日に日に辛くなって来ていた。 子供だった頃とは違い、成人すれば自由に国を出ていける。 15になり成人を迎える年、リジィーはシェラン国から出ていく事を決心する。 しかし、シェラン国から出ていく矢先に事件に巻き込まれ、シェラン国の近衛騎士に助けられる。
二人が出会った瞬間、頭上から光の粒が降り注ぎ、番の刻印が刻まれた。 狼獣人の近衛騎士に『私の番っ』と熱い眼差しを受け、リジィ―は内心で叫んだ。 『私、動物アレルギーなんですけどっ! そんなのありーっ?!』
番から逃げる事にしました
みん
恋愛
リュシエンヌには前世の記憶がある。
前世で人間だった彼女は、結婚を目前に控えたある日、熊族の獣人の番だと判明し、そのまま熊族の領地へ連れ去られてしまった。それからの彼女の人生は大変なもので、最期は番だった自分を恨むように生涯を閉じた。
彼女は200年後、今度は自分が豹の獣人として生まれ変わっていた。そして、そんな記憶を持ったリュシエンヌが番と出会ってしまい、そこから、色んな事に巻き込まれる事になる─と、言うお話です。
❋相変わらずのゆるふわ設定で、メンタルも豆腐並なので、軽い気持ちで読んで下さい。
❋独自設定有りです。
❋他視点の話もあります。
❋誤字脱字は気を付けていますが、あると思います。すみません。
番が逃げました、ただ今修羅場中〜羊獣人リノの執着と婚約破壊劇〜
く〜いっ
恋愛
「私の本当の番は、 君だ!」 今まさに、 結婚式が始まろうとしていた
静まり返った会場に響くフォン・ガラッド・ミナ公爵令息の宣言。
壇上から真っ直ぐ指差す先にいたのは、わたくしの義弟リノ。
「わたくし、結婚式の直前で振られたの?」
番の勘違いから始まった甘く狂気が混じる物語り。でもギャグ強め。
狼獣人の令嬢クラリーチェは、幼い頃に家族から捨てられた羊獣人の
少年リノを弟として家に連れ帰る。
天然でツンデレなクラリーチェと、こじらせヤンデレなリノ。
夢見がち勘違い男のガラッド(当て馬)が主な登場人物。
【完結】私の番には飼い主がいる
堀 和三盆
恋愛
獣人には番と呼ばれる、生まれながらに決められた伴侶がどこかにいる。番が番に持つ愛情は深く、出会ったが最後その相手しか愛せない。
私――猫獣人のフルールも幼馴染で同じ猫獣人であるヴァイスが番であることになんとなく気が付いていた。精神と体の成長と共に、少しずつお互いの番としての自覚が芽生え、信頼関係と愛情を同時に育てていくことが出来る幼馴染の番は理想的だと言われている。お互いがお互いだけを愛しながら、選択を間違えることなく人生の多くを共に過ごせるのだから。
だから、わたしもツイていると、幸せになれると思っていた。しかし――全てにおいて『番』が優先される獣人社会。その中で唯一その序列を崩す例外がある。
『飼い主』の存在だ。
獣の本性か、人間としての理性か。獣人は受けた恩を忘れない。特に命を助けられたりすると、恩を返そうと相手に忠誠を尽くす。まるで、騎士が主に剣を捧げるように。命を助けられた獣人は飼い主に忠誠を尽くすのだ。
この世界においての飼い主は番の存在を脅かすことはない。ただし――。ごく稀に前世の記憶を持って産まれてくる獣人がいる。そして、アチラでは飼い主が庇護下にある獣の『番』を選ぶ権限があるのだそうだ。
例え生まれ変わっても。飼い主に忠誠を誓った獣人は飼い主に許可をされないと番えない。
そう。私の番は前世持ち。
そして。
―――『私の番には飼い主がいる』
逃した番は他国に嫁ぐ
基本二度寝
恋愛
「番が現れたら、婚約を解消してほしい」
婚約者との茶会。
和やかな会話が落ち着いた所で、改まって座を正した王太子ヴェロージオは婚約者の公爵令嬢グリシアにそう願った。
獣人の血が交じるこの国で、番というものの存在の大きさは誰しも理解している。
だから、グリシアも頷いた。
「はい。わかりました。お互いどちらかが番と出会えたら円満に婚約解消をしましょう!」
グリシアに答えに満足したはずなのだが、ヴェロージオの心に沸き上がる感情。
こちらの希望を受け入れられたはずのに…、何故か、もやっとした気持ちになった。
幸せな番が微笑みながら願うこと
矢野りと
恋愛
偉大な竜王に待望の番が見つかったのは10年前のこと。
まだ幼かった番は王宮で真綿に包まれるように大切にされ、成人になる16歳の時に竜王と婚姻を結ぶことが決まっていた。幸せな未来は確定されていたはずだった…。
だが獣人の要素が薄い番の扱いを周りは間違えてしまう。…それは大切に想うがあまりのすれ違いだった。
竜王の番の心は少しづつ追いつめられ蝕まれていく。
※設定はゆるいです。
運命の番?棄てたのは貴方です
ひよこ1号
恋愛
竜人族の侯爵令嬢エデュラには愛する番が居た。二人は幼い頃に出会い、婚約していたが、番である第一王子エリンギルは、新たに番と名乗り出たリリアーデと婚約する。邪魔になったエデュラとの婚約を解消し、番を引き裂いた大罪人として追放するが……。一方で幼い頃に出会った侯爵令嬢を忘れられない帝国の皇子は、男爵令息と身分を偽り竜人国へと留学していた。
番との運命の出会いと別離の物語。番でない人々の貫く愛。
※自己設定満載ですので気を付けてください。
※性描写はないですが、一線を越える個所もあります
※多少の残酷表現あります。
以上2点からセルフレイティング
憎しみあう番、その先は…
アズやっこ
恋愛
私は獣人が嫌いだ。好き嫌いの話じゃない、憎むべき相手…。
俺は人族が嫌いだ。嫌、憎んでる…。
そんな二人が番だった…。
憎しみか番の本能か、二人はどちらを選択するのか…。
* 残忍な表現があります。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる