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第2話 セルマという黒髪美女
しおりを挟む寝室にひとりきりになったネルは、ただひたすらグルグルと考え込んでいた。
どうやって逃げ出すかも悩みどころだが、何故突然アリスターの心の声のようなものが脳内に流れ込んできたのかも分からない。
今まで一度たりともそんな経験はなかったのに、とネルは困ったように顎に手を当てて小さく息を吐いた。
「なんで突然あんな声が聞こえたのかな。‥まぁ、あの声が聞こえていなければ、私はアリスターさんの本性を知らぬままここで一生を過ごしていたかもしれないし‥」
ネルは独り言を呟いたあと、あったはずの恐ろしい未来を想像して体を震わせた。
どうにかしてここから逃げ出さないと、遅かれ早かれアリスターの餌食になってしまう。
ネルの実家があるのはビートリアという小さな国。観光名所は豊かな自然と大きな湖くらいしかない、ひっそりと佇む静かな国だ。
そんな小さな国の更に小さな田舎町にネルの実家はある。きっと今頃、ラスカの富豪の元に嫁いでいったネルの話は田舎中で話題になっているだろう。ビートリアの首都でも騒ぎになっているかもしれない。
ネルの両親は今頃『ラスカに嫁いだ娘を持つ親』として有名人の如く沢山の人々に囲まれている可能性もある。
そんな雰囲気の中、果たして田舎町に出戻ることができるのだろうか。そもそも獣人の力を借りないと、崖の下に降りることはできないというのに。
「‥‥はぁ、やめた」
ネルはどこか諦めたように、自身の両頬をぱちんと叩いた。
答えの見つからないことを考え込んでいても無駄だと思ったらしい。ネルはしっかり者だが、案外さっぱりとした性格をしていて、肝っ玉が座っている一面がある。
「とにかく一旦、屋敷の内部を見て回ってみよう」
もしかしたらすぐにメイド達に見つかってしまうかもしれないけど、逃走するなら屋敷の作りを理解しないといけない。
ネルがこの屋敷に着いた時、彼女は乗り物酔いで具合が悪かった。案内されるがままに屋敷内を歩いたものの、道順や構造をあまり覚えていなかった。
食事や飲み物も全てこの寝室に届けられてしまう。この部屋にはパーテーションがあって、パーテーションの向こうには浴槽がある。トイレや洗面器も寝室内にある為、基本的にはこの部屋から出なくても生活できる仕組みになっている。
それは恐らく、この屋敷内で他の番と鉢合わせするのを防ぐ為だろう。
だがその環境を甘んじて受け入れてしまっては、ネルは一生この屋敷どころかこの寝室からも出れないことになる。
「言ってしまえば軟禁よね。何が番よ馬鹿馬鹿しい。人間の体を好き勝手したいだけじゃない。あー、気持ち悪い!」
この愚行を行なっているのがアリスターだけでありますように、とネルは祈った。もしラスカ全域でこんなことが行われているのだとしたら、獣人VS人間の全面戦争に発展する可能性だってある。
まぁ人間が獣人に勝てるわけはないのだけれど。
ネルはそっと扉を開けた。周囲から物音が聞こえないことを確認し、扉からヒョイっと顔を出す。
どうやら見張りはいないようだった。ネルの見える範囲に居ないだけなのかもしれないが。
そっと廊下に足を踏み出した。見つかっても「お散歩がしたくて」とでも言って誤魔化してしまえばいいだけだ。
だがはっきりと『部屋から出ないように』と注意されてしまうと、次回からの難易度が格段に上がってしまう。
廊下も寝室と同様、敷かれたカーペットや壁の装飾がいちいち豪華で、アリスターの経済力が無駄に溢れ出ていた。
ーーそんなにお金持ちなら、そもそもタイプの女性を選んだらいいのに。呼び寄せておいて地味で貧乳だってガッカリされるなんて、本当腹立つ狼だわ!私の胸は今から成長するのに!!
腹を立てながらふかふかの絨毯の上を歩く。
ボイラー室と書かれた扉に目をやりながらも、そろそろ曲がり角に差し掛かろうかという時だった。
誰もいないはずなのに、何故かドタドタと煩い足音がネルの耳に届いた。その足音は段々と大きくなるのに、ネルが辺りを見渡しても全く姿が見えない。
「え、え?!誰‥?!」
まさか幽霊なのか、はたまた周囲と同化する能力を持つ獣人なのか。カエルやカメレオンなどを思い浮かべながら、むしろそうであってくれとネルは願った。
ネルが一番不得意としているのは“幽霊”だ。幽霊に襲われるくらいならば、今後部屋から出づらくなったとしても獣人に見つかった方がマシだと心から思ったのだ。
体を強張らせて動けなくなっているネルの髪がふわりと揺れた。室内のはずなのに、ふわりと生温い風が吹く。
「んぁ?!人間か?!」
その風は、この声の持ち主が勢いよくネルの目の前を通り過ぎようとしたからだった。
ぶっきらぼうで低い声。男性の声だと判断したネルは、その姿をどうにか捉えようと懸命に辺りを見渡した。
だが、どうしたって声の主の姿は見えない。
「な、な、な、なんなのよぉ‥」
有無を言わさずラスカに連れてこられ、それは結局アリスターによる詐欺で、おまけに大の苦手な幽霊との遭遇。
カタカタと震え出したネルが最後の力を振り絞って叫び声を上げようとしたその時のことだった。
「俺も人間だ!なんでかわかんねーけど透明になったんだよ!」
「‥‥えぇ?」
つまりこの幽霊は、幽霊ではなく透明人間なのか。でもそれは怪奇現象であることに変わりはなく、ネルの情緒は荒れに荒れたままだった。
「どっちへ逃げた?!」
「分かりません、見失いました!!」
突然響き出した新たな声。ネルがびくっと肩を震わせると、透明人間はチッ!と大きく舌打ちをした。
「くそっ、もうこっちに来たのかよ‥。まぁいいか、俺透明だし」
透明人間がそう言ったのとほぼ同じタイミングで、ネルの視界の一部が不自然に歪みだした。
新たに発生した怪奇現象に怯えるネルは、その歪みがどうやら段々と色付いて何かを形容し始めたことに気が付いた。
ぼわん、と視界が歪みだしてからわずか3秒ほどの出来事だった。その間に透明人間は透明ではなくなってしまった。
「‥‥‥え?‥貴女‥‥」
「ん?」
ネルの目の前に突如として現れたのは、息を呑むような黒髪美女。肌は白く、髪は長く艶やか。大きく切長な一重は目尻が少し跳ね上がっていて、ぱっちりとした猫目が印象的だ。
化粧をしているわけではないらしく紅はされていなかったが、唇は薄くてほんのりと桃色をしていた。
「すっっっごい美人ね‥‥」
あまりの美人さに、先程までガタガタと震えていたはずのネルの震えがおさまった。少なくともネルがいた田舎にはここまでの美女は存在しなかった筈だ。
「あ?!あぁ?!うわ、透明じゃなくなってんじゃん!!!やっべぇ!!」
声はやはり低くて男性の声にしか聞こえないのだが、見た目は女性でもうっとりするほどの美女である。
ネルは大いに混乱しながらも、咄嗟に彼女の腕を取って走りだした。
『はぁ?!どこ行くんだよっ!俺捕まりたくねーっ!!』
ネルの脳内には彼女の心の声が流れ込んできた。どうやらボディタッチをきっかけに心の声が聞こえてくるらしい。アリスターの心の声もこうして触れている時だった。
「すぐそこにボイラー室があったの!とにかくそこに逃げましょう」
「ボイラー室?!」
『ボイラー室?!』
ボイラー室の扉を開けて中に入り込む。電気はついていないから、部屋の中は真っ暗で何も見えなかった。ネルは美女の腕から手を離し、バクバクと煩い心臓に手を当てた。
「‥誰もいないみたいだな。‥助かったよ。ありがと。‥俺の名前はセルマだ」
「私はネルよ。‥よろしく、セルマ」
ネルはこうして屋敷の中で、逃走中のセルマと出会うことができたのだった。
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