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第3話 逃げたい者同士
しおりを挟むきっとセルマも番詐欺の被害者なのだろうとネルは思った。セルマはネグリジェ姿ではなく紺色の旅装束のようなものに身を包んでいるけど、先程は間違いなく獣人から逃げていた。
「セルマも‥番として呼ばれたの?」
「‥‥セルマもってことは‥まさかネルも?!‥‥どういうことだ?!」
暗くてセルマの顔は見えないけど、どうやらよほど驚いているらしい。
「‥‥私たちの他にも番だって言われてこの屋敷に連れてこられた人たちがいるはずだよ」
「‥‥‥‥はぁ?!?!どういうことだよ?!」
ネルの言葉を聞いたセルマは腹の底から声を出した。狭いボイラー室の中にセルマの地を這うような低い大声が響く。ネルは思わず両耳を塞いだ。
「ちょっ!シーッ!!!そんな大声出したら獣人に聞こえちゃうよ!!!あとでちゃんと説明するから‥!」
「あっ、わりぃ」
ーーこんな状況で何考えてるのこの人!声、野太すぎるし!!
ネルは心の中でそんなツッコミを入れながら、廊下にいる獣人たちに居場所がバレていないか冷や冷やしていた。
極力小声でセルマに問いかける。
「ねぇ‥!貴女さっきどうやって透明になったの?」
「え‥?んー‥なんでだろうな。消えたいって思ったら透明になってた。がはは」
「シーッ!!」
セルマのこれまでの発言を思い返すと、透明人間になれる能力はつい最近手に入れた能力なんだろう。
ネルは心の声を読める自身の能力と、セルマの透明人間の能力に仲間意識のようなものを感じていた。
神聖な国と呼ばれているこのラスカに来たからこそ、それぞれ秘めていた能力を発揮したのかもしれない。全ての人間が実はそんな力を持っているのか、それとも人間だけではなく神聖な国に住んでいる獣人たちもそれぞれ能力を持っているのか、それは分からないけれど。
息を潜めながらそんなことを考えているネルの耳に、獣人たちの話し声のようなものが届いた。どうやらボイラー室の扉の前にいるようだ。
ーーどうしよう。獣人たちはきっと番詐欺のことを私たちに知られたくないはず。私とセルマがこうして出会ったことを絶対によく思わない。一緒にいるところを見られちゃいけない‥。
「ねぇセルマ‥。私は今から扉を開けて外に出るから、貴女は透明になってやり過ごして!」
きっと寝室からはなかなか出られなくなるかもしれないけど、今2人でいるところを見つかるよりマシだとネルは踏んだ。
番として呼び寄せた人間が、獣人にとって都合の悪い存在になったり不必要になった時に、一体どんな扱いを受けるか分からない。
「はぁ?何を言って‥」
セルマの前を通って扉に手をかけたその時だった。ドアノブがクルッとひとりでに回って細い隙間から眩しい光が差し込んだ。
どうやら向こう側から獣人が扉を開けたらしい。
覚悟を決めて扉が開くのを待つネルの体が、グイッと後方に引っ張られた。
『俺だけ助かるわけにいかねぇだろ!』
ネルの腕を引いたセルマの体は透明になっていて、そんなセルマに手を引かれたネルの体も瞬く間に透明になっていく。
「?!」
突然バランスを崩したネルの体を、やたらとガッチリした体格のセルマが受け止めた。透明に見えても触れてる感覚はあるらしい。
開ききった扉からは煌々と光が入り込む。逆光ではっきりとは見えないが、恐らくそこに居るのはオランウータンの獣人。どうやら兵士のような服装に身を包んでる。この屋敷に勤める私兵のような存在なのだろうか。
オランウータンの嗅覚は人間よりも劣るという。それが幸いし、オランウータンの獣人は透明になって息を潜めるネルとセルマに気が付くことはなかった。ボイラー室を見渡し、諦めたように息を吐いている。
「おかしいな‥。ここだと思ったが‥」
「エドワード!大変だ!!アリスター様が噛まれたらしい!」
「か、噛まれたのですか?!人間に?!」
「あぁ‥。今日の人間は外ればっかりのようだな‥。とにかくここには居ないんだろう。他を探そう」
オランウータンはそんな会話を交わしながらボイラー室の扉を閉めた。セルマが疲れたように長く息を吐いたのと同時に、2人の体は透明ではなくなった。
「すっげぇ酸欠‥くらくらする」
どうやら透明になる為には体力を使うらしい。暗闇の中でもセルマが中腰姿勢になったのがわかった。
「ごめんね、セルマ‥。大丈夫?‥あの、助けてくれてありがとう」
「いやぁ、別に。2人一気に透明にできてラッキーって感じだわ‥」
セルマの口調はぶっきらぼうだが、その表情は穏やかに笑っていた。暗闇の中である為ネルにその表情は伝わっていないのだが、ネルはもう既にセルマに心を開いていた。
少々声は大きいが、先程の場面で救ってくれたことが、ネルにとってはセルマを十分に信頼できると思ったきっかけだった。
「‥セルマの部屋にアリスターさんが来て‥‥それで、セルマは逃げ出したの?」
息が整ったセルマに、ネルが問い掛ける。
「あぁ。俺の顔見て鼻の下伸ばしやがって、ほんと気持ち悪いやつだぜ。‥‥とにかく、俺は元の部屋に戻れねぇし、戻るつもりもない。‥ただ、透明になって屋敷を抜け出したいけど‥獣人たちの世界で無事に生きていける気もしない。透明になれる時間も限られてるみてぇだし」
「‥私も逃げ出したいの。‥‥その為に、屋敷内を見て回ろうとしてたんだ」
ネルがそう言うと、セルマは勢いよく顔を上げた。
「そうだったのか!んじゃあ仲間だな!」
セルマがそう言ってニカッと笑う。暗闇に目が慣れてきたのか、セルマの表情を捉えることができたネルも釣られて笑顔を見せた。
「仲間だね。‥あとはさっきのオランウータンが言ってた“アリスターさんを噛んだ”っていう子も仲間になれそうな気がする」
「あぁ、なんか言ってたな」
心の声が分かったネルはたまたま番詐欺に気が付けたけど、そうでなければなかなか気付ける筈もない。そのうえ、ラスカの獣人に選ばれた人間として、誇りを持って嫁ぎにきている人間もいるかもしれない。
被害者が他にいたとしても、ネルやセルマのように“逃げたい”と思っているかは分からない。
だが“噛んだ”のであれば、恐らくアリスターを拒否したということだろう。
「ただ‥どこの部屋にいる誰なのかも分からないからなぁ‥」
「そうだよな。それに俺はまずどうやって身を隠すかも考えなきゃいけねーし」
「私もそろそろ部屋に戻らないと。もし見回りが来てたら抜け出したことがバレちゃう‥。‥あ、セルマ!私の部屋に隠れて過ごしたら?!」
「はぁ?!」
学習したのかセルマの声は小さめだったが、それでもギョッと驚いているようだった。
ネルからしたら、仲間の女の子を部屋に招いているだけなのだが。
「とりあえずそうするしかないと思うけど‥。一緒にいないと計画も練れないし。私の部屋に獣人が来る時だけ、透明になってどこかに隠れればいいじゃない」
「まぁ‥確かに‥」
「そうと決まれば、急いで部屋に戻りましょ。走れば2分もかからないと思うわ!」
「じゃあとりあえずそうするか。2分くらいなら透明になれるかもしれねぇな」
「本当?!それはすっごい助かる!!」
廊下の方に意識を集中させたネルは、物音が聞こえてこないことを確認してソッと扉を開けた。
透明になる為に手を繋ぎ、せーの!で駆け出していく。
『いいのか?!まぁ、仕方ねぇか』
そんなセルマの心の声を聞きながら、ネルはセルマの手を引いて走った。骨張ったセルマの手を逞しく感じながらも、あっという間に寝室に辿り着いたのだった。
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