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第10話 エド、感謝する

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 僕が初めて“氷の王子”こと“毒吐きプリンス”の存在を認識したのは入学して間もない頃。
 大神官の息子でありながら何の力も持たないと言われ、幼いながらに半ば腐っていた時だった。

 ーーー大神官である父は滅多に家に帰ってこない。だから僕は実の父と顔を合わせた回数が片手で収まってしまう。実際、他人みたいなものだ。

 それでも僕は大神官の息子なんだ、という想いだけで生きていた。僕なりに努力はしていたんだ。各地の神聖な泉を巡って、顎の高さぎりぎりまで泉に浸かって、とても暗記できないほど長い教典を冒頭から最後の一行まで一語一句間違わずに毎日唱えた。

 水からあがったあとは、歯はガタガタと震えて唇は紫色に染まった。暫く体を温め続けてもボタンさえ掛けられない程、指先は感覚を失っていた。

 娯楽なんてものは皆無。大神官の息子であるが故の責務。息が詰まるような日々だった。

「エドワード。おまえには能がないからもうやめなさい」

 数年ぶりに再会した父の第一声がそれだった。僕は思わず笑ってしまった。自分の感情が制御できなかったのはその時が初めて。

 一体何のための時間だったんだろう。
努力の根底にあったはずの目標も、周囲からの期待も、全てが一瞬で無くなった。
 僕の残りの一生‥一体どう過ごせばいいんだろう。元々あまり持ち合わせていなかったはずのプライドがぽっきり折れて、慕ってくれていた友人たちも影では僕を能無しだと笑っていた。

 別に人からよく思われたかったわけじゃない‥と思いたいけど、大神官の息子として恥じないようにと懸命に努力していた自分を振り返れば、やっぱり人目を気にしていたんだと思う。

 心は常にざわざわと煩くて、すかすかで、それなのに痛かった。

 そんな時だった。

「‥は?しつこいんだけど」

 生徒たちに取り囲まれた中心でそう毒づいていたのは公爵家のひとり息子だった。
 飛び級で同学年になった秀才。おまけに見た目は天使で家柄も一流。周りが放っておくわけもない。
 この人、他人の痛みがわからないんじゃないのかな。じゃなきゃ氷の王子なんていう通り名なんて付かないだろ。
 切り捨てても切り捨てても人が寄ってくるから、きっと周りを大切にできないんだ。

 ロンとすれ違ったその時に、僕は一言爆弾を落とした。言い訳にしかならないけど、この時の僕は能無し認定されたばかりで腐っていたんだ。

「君さ、世の中自分以外みんなカスだと思ってるタイプでしょ」

 僕自身、表面だけでしか評価してもらえなかったことが悲しかった癖に、僕は表面だけでロンを評価した。

 ロンは冷めた表情のまま、眉ひとつ動かさなかった。形の良い唇から飛び出した気怠げな声。

「ーーーそんな奴いんの?」

 本心を悟られたくない為にした発言ではなさそうだった。ただただ僕の質問に対して飛び出た純粋な疑問。

「‥え」

 ロンはもう僕なんて見てなかった。次の瞬間僕の目に飛び込んできたのは、彼のいとこであるジェシカ・マクマナスに対して頬を赤く染めて唇を尖らせたロンの姿。

「ーーーん?何だあの顔‥」

 怒っているような表情で何かを訴えているが、彼女をろくに見ることもできずにそっぽを向いている。
 かといって他の人々に対するように適当にあしらうのではなく、彼女の側から離れようとはしなかった。

 近くにいたい、でも照れるから顔を見れない。恥ずかしいから素直になれない。どうしてもツンツンしちゃう。でも好き。

 少し離れた場所からロンを見ていただけなのに、ロンの一挙手一投足の理由が読めてしまう。
 何故だか無性にロンの株が爆上がりしてしまった。なんなんだアイツ。めっちゃ可愛いじゃん。必死な癖に必死な素振りを隠そうとしてる。いとこのジェシーちゃんはロンの気持ちに全く気付かずに眉を顰めてる。

 ロン不憫!!かわいい!!!

 え、もしかしてジェシーちゃんと一緒に学生生活を送る為にわざわざ飛び級してきたのでは?え?天使?

 数分前まで自分の境遇に腐っていた癖に、僕はなんて単純なんだろう。

 この日、僕は勝手にロンに心を掴まれた。そして心底思った。

 大神官の息子とか、無力だとか、もう全部どうだっていい。僕はただただ普通に、ロンの友だちになりたい!と。




「ねぇしつこいんだけど」

「そりゃ、しつこくしてるもん」

「‥‥‥」

 ロンが気怠そうに僕を見てため息を吐く。僕はめげずに、ロンの隣を歩いた。

 いつのまにかロンは僕を受け入れていて、僕たちが共に過ごす時間は増えていった。

 ロンに出会えたことで僕は楽しい学生生活を送れているんだと心から思っているし、実はロンにとても感謝してるんだ。
 生のツンデレを見せてくれて本当にありがとう、と。



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