九年セフレ

三雲久遠

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十六話

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「全部……、俺のせい……?」

 つい、こんな言葉が口から溢れた。
それは違うと新堂は首を振る。

「おまえを諦めきれないくせに、中途半端にぐずぐずしていた俺の責任。
 付け込まれたのは自業自得だけど、やられっぱなしってのも癪に障る。
 まぁ、見とけ」
 
 新堂は不遜な顔でふふんと鼻を鳴らす。
だけど、もし俺がいなかったら、新堂はすんなり結婚していたのではないのか。
それならそれで、新堂にベタ惚れのあの女と幸せな家庭を築けたかもしれない。
叔父さん夫婦も会社は安泰で、今まで通りやっていけたかもしれない。

 やっぱり、俺のせいじゃないのか。
同情か憐憫か。
九年も未練たらしく縋り付いていたセフレを切れず、新堂は人生を大きく狂わせてしまう。
まるで貧乏神じゃないか。
この部屋にとぐろを巻いて、俺は新堂に道を誤らせている。

 ゆっくり長い腕が伸びてきて、俺の体を絡め取るように強い力で抱きしめられた。

「何があっても離さないから」

 新堂の掠れ声が、俺の耳元で夢のような言葉を囁く。
俺は必死に大きな背中に両腕を回してしがみつく。
ぎゅっと両目を閉じたら、ぽたぽたと頬に涙が零れた。
どうすればいいのか、もうワケが分からない。

「もう泣かせたりしない」

 耳の奥底に落ちていく優しい声。
新堂は本当に俺に言っているのか?
甘い気分が、ガチガチに強張った俺の体のひび割れから染みていく。
今だけは、こんな夢みたいな新堂に甘えさせてもらっていいのか。

「緒方……、好きだ……」

 掠れ声の囁きに、俺は自分の耳を疑った。

「……はは、初めて聞いたな……」

 嫌味半分、苦笑いしながら、可愛くない返事をしてしまった。

「そんなことない」

 新堂は大真面目に反論してくる。

「おまえだけだ、緒方。好きだ……」

 俺は目を閉じて、もう一度その言葉を聞いた。
甘やかな新堂の声は、凶悪過ぎて心臓に悪い。
ぐちゃぐちゃになった俺の心は、もう何がなにやら。
でも、新たな涙と嗚咽が、胸の奥に湧き上がってくる。

 嘘でいい。本気でなくていい。
ベッドで相手を喜ばせる、口先だけの戯れでいい。
新堂の唇が、俺を好きだと動くのを見てみたいと、ただひたすらに願い続けてきた。

「ずっと言ってたよ」

 新堂は、俺の肩に顎を載せて、しらばっくれてくれる。

「嘘吐け、そんなの、一度も聞いてない……」
「言ってた。心の中で」
「はぁ? 心の中ぁ?」

 こんな子供じみたことを言うなんて、哀しいような、何だか本気で腹が立つ。
俺がむっとしたのが分かったのか、新堂は俺の頬にキスしながらくすりと笑った。

「俺が好きか?」
「好きだよ!」

 九年の間、何度これを繰り返しただろう。いつものセリフに、噛みつくように返した。

「俺もだ」

 俺の髪を撫で、顔を覗き込みながら、くしゃりと悪戯っぽく新堂が目を細めた。

「俺が好きか?」
「……好き…だ……?」

 また繰り返す同じ言葉。
それに、半信半疑で応える。

「俺も。おまえが好きだ」

 新堂は、言い聞かせるように、顔を覗きこんで囁いてくる。

「何、それ……、嘘ばっか……」

 口先だけの戯れのようで、こればっかりは信じられなくて、新堂から目を逸らした。

「緒方、あのね。好きじゃない相手に、好きか、なんて聞かない」
「……」

 俺の頬を両手で包み、笑顔の新堂は、なおも俺に言って聞かせる。
腹が立つやら、泣けてくるやら、俺の涙が流れ落ちるのを、優しい指がぬぐってくれた。

「ごめんな……、緒方。言えなかった」
「……う……っ、く……っ」

 ついに子供のようにひっくひっくと泣きじゃくる俺を、新堂は抱きかかえ、背中をとんとんと叩いてくれる。

「好きだって言うことは、責任を取るってことだ。俺にはその自信がなかった」
「酷いよ……」
「うん、酷いよな……」

 何度も何度も、もしかしたらと虚しい願いが頭をもたげた。
好きという同じ言葉で答えてほしい。
その度に、期待は無駄だと自分に言い聞かせてきた。

「何も考えてなかった学生の頃に、好きだと言ってしまえば良かったんだ。
 俺に縋ってくるおまえの目がさ、女の子と違って自信なさげで、不器用で。
 そんなに俺が好きなのかと思ったら、切ないくらいいじらしかった。
 時間作って、せっせと通って、少しでも喜ぶ顔が見たかった」

 新堂は、俺の顔を覗き込み、笑ってくれと頬を撫でる。

「でもおまえの顔を見たらもう、抱くことしか考えられない。
 可愛いと思ってた。大事だと思ってた。
 でも、やってることは体のいいセフレじゃないか。
 男相手に自分の気持ちの意味が分からなかった。
 セックスがいいから、嵌ってるだけなんじゃないかって悩んだ時期もあった」
 
 新堂はぎゅっと俺を抱きしめる。

「少しずつ大人になって、おまえに対して本気なんだと分かり始めて、そうすると、今度は先のことを考えた。
 もし実の親が生きていたら、男に惚れた、一緒に暮らすって宣言して、さっさと家を出たと思う。
 でも、叔父夫婦にそれはできなかった。
 男同士で、いつまで一緒にいてやれる?
 そう考えたら、無責任に好きだとは言えなくなった」

 もう一度ごめんと呟く男の首に、腕を回してしがみつく。

「いつだって哀しい顔ばかりさせて、また来るっていうのが、精一杯だった。
 どんなに好きでも、俺ではおまえを幸せにしてやれない。
 さっさと解放してやるのが本当の愛情だって、分かってた」

  ――俺が好きか?
  ――好き、新堂、好き……。
 
 抱かれているとき、何度も聞かれた。
たぶん何千回と繰り返したやり取り。
口に出しては言えないから、その代わりに、何度も俺に聞いたのか。
俺は知らないうちに、何千回もの新堂の好きを聞いていたということか。

「……俺が好き?」

 愛しい男に改めて聞く。
新堂は顔を歪め、掠れ声を絞り出すように囁いた。

「好きだよ」
「本当に?」
「おまえが好きだ……」

 ぎゅっと抱きしめられ、待ち続けた言葉をもらう。

「好きだ、緒方……。おまえだけだ……」

 何度聞いても、ちゃんと同じ答えが返ってくる。
夢ならどうか醒めないでくれ。
嬉し涙が幾筋も、俺の頬を滑り落ちる。


「よっ……と」

 突然、掛け声と一緒に、俺の体がふわっと浮き上がった。
新堂にお姫様抱っこをされている。

「うわっ! 何?」
「おまえ、軽っ! ちゃんと食ってないだろ」
「わっ!」

 どさっとベッドに落とされて、すぐに上に乗ってこられた。
にっと笑った新堂の顔が近づいてきて、唇を塞がれる。

「なぁ、緒方。九年間で三千回って少なくないか?
 もっとじゃないのかって、俺、つい計算しちゃったよ」
「え? いや、あれは……、ごめん……」

 さっき元婚約者に俺が吐いた、とんでもなく下品な暴言について、唐突に蒸し返された。
申し訳なくて尻すぼみに声が小さくなる。
新堂は、くすっと笑って、俺の頬の涙に口付けてくる。

「俺とやってる時、そんなに気持ちいい?」

 くぐもった声がすぐ耳元で響き、首筋に唇を押し付けられる。

「死んでもいいって、毎回思う?」
「……ん…」
「あれだけ言ってもらえると、男冥利に尽きるんだけど……」

 シャツの前ボタンを一つ開け、隙間から指を入れられ胸の先を弄られる。

「……ぁ……、新堂……お腹空いてる…って……はっ……」
「おまえが先……」
「待って……。ん……、シャワー」

 身体を洗わせてくれと体を起こして抵抗したが、腕を引かれてベッドに押し戻される。

「新……、や……」

 さっさと脱がされ、素肌を晒す。
伸し掛ってくる大きな体に腕を回すと、もう抱かれることしか考えられなくなる。

「挿れて……」

 まだ服を着たままの新堂の首に腕を回し、行為をせがんだ。

「早く……、挿れて……」

 堰を切ったように、激しく口腔で舌を絡ませ合い、首筋に落ちてくる濡れた唇にぞくりとする。
散々そのあたりを舐め回し、新堂は俺の耳元に唇を寄せた。

「緒方……、好きだ……」

 荒い息と一緒に、もう一度、あの言葉が耳に吹き込まれる。
改めて言われると、信じられない気がする。
呆然としていたら、すぐにまた唇を塞がれた。

「……っ……、ん…、ん……」

 何度も唇を舐られて、顎から喉へ、肩先から胸へ、新堂の舌と唇が荒々しく俺の肌を這っていく。
片脚を肩に担ぎ上げられ、指が身体の中に侵入してきた。

「…っあ……くっ……」
「痛いか?」

 俺が呻くと、労わるような甘い声で聞いてくる。

「平…気……、はっ……あ…あ…」

 長い指が俺のいいところを探り出し、ゆっくりと出し入れが始まった。
いつもの場所のチューブに手を伸ばした新堂は、その滑りを借りて、指を一本ずつ増やしていく。

「あ……はぁ…はっ、あ…あっ……ん」

 中を掻き回され、体が熱い。
腹につくほど硬く立ち上がったものは、新堂の手の中でだらだら悦びの蜜を垂らし続ける。
ふいに指が抜かれ、いよいよ待ち望んだものが、入口にこすりつけられる。

「……あ…新堂……っ……」

 先の一番太い部分が、熱い塊となってゆっくり入ってくる。

「……痛い……か? き…つ……」
「うっ…くっ……」

 初めての時のように、受け入れたものの大きさに体がきしんだ。
しばらくしていなかったからだと気づく。
こんなに長い期間、新堂に抱かれなかったことなんてなかった。

「あ……っ」

 奥へ奥へと進んでいき、新堂は上体を倒して、俺の唇を口づけで塞ぐ。
手のひらを合わせ、指と指を絡めて両手をつないだ。

「会いたかった。ずっとこうしたかった……」

 俺の手の甲に唇を寄せ、新堂の掠れ声が、切なく響く言葉を紡ぐ。
新堂は嘘を言わない。
だからこれは、この男の本心のはずだった。
新堂らしからぬ新堂が、甘い言葉を繰り返す。

「緒方……」

 両足を抱え上げ、ぐっと体重を掛けられた。

「ああっ……」

 丁度よくほぐれた始めた俺の中は、新堂に纏わりついて離さない。
硬いそれをゆっくりと引き抜かれ、浅い場所を味わうように抜き差しされた。

「おまえだけだ……」

 新堂は、俺の首筋に顔を埋め、くぐもった声で囁いてくる。
熱い体で掻き回され、肌が粟立ち悦びに震える。
意識が飛びそうなぎりぎりのところで、ずっとこのまま、繋がっていたいと願う。

「俺が……好きか?」
「ん……はっ…、ん…ん…」
「好きか? 緒方?」
「……、はぁ……、ぁっ……」

 散々に喘がされ、言わされるいつもの言葉。 

「……好……き、くっ……」

 新堂の動きが激しくなり、腹の間で擦れた俺のものも、陥落寸前だった。

「新……、好き…だ……、好き……」

 頭に霞が掛かり始め、俺の思いを口にする。

「……俺もだ……」

 新堂の囁きが聞こえ、胸の奥にすっと忍び込んでくる。

「緒方……、好きだ」

 一気に駆け上った快感の後、惚れた男の両腕に、俺はきつく抱きしめられていた。
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