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第一章 ガラスの天井
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「お義父様、お義母様。ふつつかものですが、どうぞよろしくお願いいたします」
私三好華奈は、目の前の中年男女を見つめて、しおらしく頭を下げた。「こちらこそ」という仕方なさそうな返答が、そっけなく返ってくる。
(そりゃ、不満で当然でしょう)
私の隣で臆面も無くにやけている男は、俊明といって、この柳内夫妻の一人息子だ。約一年前の衆院選で、私と同じく初当選した、同期議員。典型的な二世議員のお坊ちゃまの上、『政界のプリンス』と呼ばれる甘いマスクで、狙っていた女性は後を絶たない。夫妻としては、息子の政治家としての今後に役立つ嫁を、とあれこれ画策していたに違いなかった。――例えば裕福な資産家の娘だとか、有名代議士の家系の娘だとか。
「いやいや、それにしても、カナさんのような好感度の高い女性を迎えられて、嬉しいよ」
義父・柳内雅明が、作ったような笑みを浮かべる。農水大臣など各種大臣の職を務めた後、現在は故郷愛媛で県知事を務めるこの男は、世渡り上手を絵に描いたような人間だ。その口元からは、狡猾さがにじみ出ていた。
「何せ、『お嫁さんにしたいNo.1』だからな!」
言いながら雅明は、日本酒をぐいと飲み干した。すかさず酌をしてやる。そう、彼らが渋々ながらも私たちの結婚を認めた理由は、この一点に尽きた。私が、抜群の知名度を誇る人気女子アナだったからだ。でなければ、身よりも無く有力なコネも無く、おまけに俊明より三つも年上の女を、受け入れるはずが無かった。
「こうして近くで見ると、テレビよりずっと綺麗だねえ」
心なしか淫猥な眼差しを私に向ける雅明に向かって、私は心の中で『馬鹿が』と呟いた。
(この顔、全部整形ですから)
「俊明のサポートを、よろしく頼むよ」
雅明が、私の目をじっと見る。その瞳は、打って変わって鋭い光をたたえていた。これが本音だ。今ひとつ頼りないこの息子を、嫁の知名度でどうにかバックアップしようという魂胆だろう。すると、俊明が口を挟んだ。
「父さん。カナ本人も、議員なんだから。僕のサポートなんてする余裕は……」
「そうは言っても、何年も続けられるわけではないでしょう?」
やわらかい口調ながらも、びしりと遮ったのは、義母だった。仕立ての良い和服に身を包み、優しい笑みを浮かべているが、その勝ち気そうな雰囲気は夫に勝るとも劣らない。
「原田総理は、女性の登用を積極的になさろうとしているけれど、この日本で女性議員が活躍するのは、なかなか難しいわ。だからカナさんも、ほどほどの所で引退する方がよろしいのではなくて? 政界というのは、テレビ界とはまた違った厳しさがありますのよ。壮絶な戦いの中に身を置いていたら、せっかくの美貌が衰えかねませんわ」
俊明は、ややむっとした顔をした。
「初当選直後から、引退の話題?」
「どんな世界でも、先を見すえることは重要よ? それにカナさんには、跡継ぎを産むという大切な使命もありますからね」
出た、と私は内心呟いた。義父母の算段は、こうだろう。私には早めに議員を引退させ、その後は知名度を活かして俊明の応援役をさせる。そして最重要事項、後継者作りをさせるのだ。
「正直私、焦ってますのよ。カナさん、もう三十三歳でいらっしゃるし……。あらあら、こんなことを申し上げては、堀先生あたりにお叱りを受けそうですわねえ」
義母が、わざとらしくホホホと笑う。そこで雅明は、思い出したようだった。
「そういえばカナさんは、辻村派に入られたのだったな。一体、どうしてまた?」
私は当選早々に、元総理・辻村泰久が会長を務める辻村派への入会を表明したのだ。尊敬する女性代議士・堀さなえが所属しているというのが最大の理由だった。一方、柳内は、与党・新日党の最大派閥・佐久間派に属していた。息子の俊明もそうである。辻村派と佐久間派は何かと敵対する間柄であり、雅明はそれが不満な様子だった。
「何と言っても、お声がけくださった原田総理のご出身派閥ですし。それに、先輩女性議員として堀先生がいらっしゃるというのも、心強かったのです」
私は、無難に答えた。支持率低迷に悩む総理の原田は、人気アナの私に目を付けたのだ。困った時は芸能人やスポーツ選手を担ぎ出すのは、新日党の常套手段なのである。
「こうして俊明さんや雅明先生とご縁ができるとわかっていたら、佐久間派を選んだのですけれど……。右も左もわからない素人でしたから。お恥ずかしい限りですわ」
ついでに、謙遜してみせる。あくまで、『目玉として担がれただけで、政治の知識など何も無い元アナウンサー』を装うつもりだ。本当は、まるで反対なのだけれど。
「……まあ、入ったばかりで派閥替えも何だからな」
少し考える素振りをした後、雅明は頷いた。そうですわね、と義母も頷く。腹の中では、『どうせこの娘の政治生命など短いのだから、どうでもいい』と思っているに違いない。
私は、心の中で言い返した。
(短いのは、あなた方との親族関係の方よ)
私三好華奈は、目の前の中年男女を見つめて、しおらしく頭を下げた。「こちらこそ」という仕方なさそうな返答が、そっけなく返ってくる。
(そりゃ、不満で当然でしょう)
私の隣で臆面も無くにやけている男は、俊明といって、この柳内夫妻の一人息子だ。約一年前の衆院選で、私と同じく初当選した、同期議員。典型的な二世議員のお坊ちゃまの上、『政界のプリンス』と呼ばれる甘いマスクで、狙っていた女性は後を絶たない。夫妻としては、息子の政治家としての今後に役立つ嫁を、とあれこれ画策していたに違いなかった。――例えば裕福な資産家の娘だとか、有名代議士の家系の娘だとか。
「いやいや、それにしても、カナさんのような好感度の高い女性を迎えられて、嬉しいよ」
義父・柳内雅明が、作ったような笑みを浮かべる。農水大臣など各種大臣の職を務めた後、現在は故郷愛媛で県知事を務めるこの男は、世渡り上手を絵に描いたような人間だ。その口元からは、狡猾さがにじみ出ていた。
「何せ、『お嫁さんにしたいNo.1』だからな!」
言いながら雅明は、日本酒をぐいと飲み干した。すかさず酌をしてやる。そう、彼らが渋々ながらも私たちの結婚を認めた理由は、この一点に尽きた。私が、抜群の知名度を誇る人気女子アナだったからだ。でなければ、身よりも無く有力なコネも無く、おまけに俊明より三つも年上の女を、受け入れるはずが無かった。
「こうして近くで見ると、テレビよりずっと綺麗だねえ」
心なしか淫猥な眼差しを私に向ける雅明に向かって、私は心の中で『馬鹿が』と呟いた。
(この顔、全部整形ですから)
「俊明のサポートを、よろしく頼むよ」
雅明が、私の目をじっと見る。その瞳は、打って変わって鋭い光をたたえていた。これが本音だ。今ひとつ頼りないこの息子を、嫁の知名度でどうにかバックアップしようという魂胆だろう。すると、俊明が口を挟んだ。
「父さん。カナ本人も、議員なんだから。僕のサポートなんてする余裕は……」
「そうは言っても、何年も続けられるわけではないでしょう?」
やわらかい口調ながらも、びしりと遮ったのは、義母だった。仕立ての良い和服に身を包み、優しい笑みを浮かべているが、その勝ち気そうな雰囲気は夫に勝るとも劣らない。
「原田総理は、女性の登用を積極的になさろうとしているけれど、この日本で女性議員が活躍するのは、なかなか難しいわ。だからカナさんも、ほどほどの所で引退する方がよろしいのではなくて? 政界というのは、テレビ界とはまた違った厳しさがありますのよ。壮絶な戦いの中に身を置いていたら、せっかくの美貌が衰えかねませんわ」
俊明は、ややむっとした顔をした。
「初当選直後から、引退の話題?」
「どんな世界でも、先を見すえることは重要よ? それにカナさんには、跡継ぎを産むという大切な使命もありますからね」
出た、と私は内心呟いた。義父母の算段は、こうだろう。私には早めに議員を引退させ、その後は知名度を活かして俊明の応援役をさせる。そして最重要事項、後継者作りをさせるのだ。
「正直私、焦ってますのよ。カナさん、もう三十三歳でいらっしゃるし……。あらあら、こんなことを申し上げては、堀先生あたりにお叱りを受けそうですわねえ」
義母が、わざとらしくホホホと笑う。そこで雅明は、思い出したようだった。
「そういえばカナさんは、辻村派に入られたのだったな。一体、どうしてまた?」
私は当選早々に、元総理・辻村泰久が会長を務める辻村派への入会を表明したのだ。尊敬する女性代議士・堀さなえが所属しているというのが最大の理由だった。一方、柳内は、与党・新日党の最大派閥・佐久間派に属していた。息子の俊明もそうである。辻村派と佐久間派は何かと敵対する間柄であり、雅明はそれが不満な様子だった。
「何と言っても、お声がけくださった原田総理のご出身派閥ですし。それに、先輩女性議員として堀先生がいらっしゃるというのも、心強かったのです」
私は、無難に答えた。支持率低迷に悩む総理の原田は、人気アナの私に目を付けたのだ。困った時は芸能人やスポーツ選手を担ぎ出すのは、新日党の常套手段なのである。
「こうして俊明さんや雅明先生とご縁ができるとわかっていたら、佐久間派を選んだのですけれど……。右も左もわからない素人でしたから。お恥ずかしい限りですわ」
ついでに、謙遜してみせる。あくまで、『目玉として担がれただけで、政治の知識など何も無い元アナウンサー』を装うつもりだ。本当は、まるで反対なのだけれど。
「……まあ、入ったばかりで派閥替えも何だからな」
少し考える素振りをした後、雅明は頷いた。そうですわね、と義母も頷く。腹の中では、『どうせこの娘の政治生命など短いのだから、どうでもいい』と思っているに違いない。
私は、心の中で言い返した。
(短いのは、あなた方との親族関係の方よ)
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