《完結》人生を生き直し、恋に落ちる。

ぜらちん黒糖

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第一章

③気がつけばやり直し

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​金五郎は誰かに呼ばれて目を覚ました。

​「玉袋さん、大丈夫ですか?」

​寝ぼけまなこでぼーっとした顔で周りを見渡す。ガラスのテーブルにはコーヒーカップが置いてあった。

​「あれ?ここは……」

​アシスタントの山田が苦笑いしながら言葉を続ける。

「すみませんね、玉袋さん。お待たせしちゃって」

​金五郎は立ち上がると、壁に掛かっていた鏡を見る。

​「あ、玉袋金五郎……」頬をつねってみる。

「痛い!……俺は生きてるのか」

その時、ズキン! 側頭部に痛みが走り、思わず両手で頭を抱える。

畳の上に倒れていた自分の姿、無表情で自分を見つめていたクミコの顔が、一瞬フラッシュバックし、その映像が頭の痛みで、黒く塗りつぶされていく。

​「う!いってぇ……」

​山田が背中から声をかけてくる。

「玉袋さん、本当に大丈夫ですか?」

​金五郎が振り返った瞬間、死んだ記憶がなくなっていた。

​「あー、山田君、大丈夫大丈夫。ちょっと疲れが溜まっていただけだよ」

​「そうですか? 気をつけてくださいね」

​「それより山田君、撮影はまだ始まらないのか?」

​山田は部屋の片隅をちらりと見て、金五郎に答えた。

「ええ、相手役の女優さんがドタキャンしちゃって。今、監督が説得している最中です。もう少し待ってください」

​金五郎はソファに戻ると、コーヒーを飲みながら監督と女優が話し込んでいる席を見た。

​「山田君、何で揉めてるんだ?」

​「何でも、普通のドラマ出演だと思っていたらしいです、彼女」

​「へえ」

​「契約書にサインしているから、もうやるしかないんですけどね。諦めが悪いっていうか……」

​金五郎は無意識のうちにソファから立ち上がり、監督たちの元へ歩いて行った。

​AV監督の下柳が懸命に説得するが、相手の女優は頑なに拒否をする。困り果てた監督は、仕方なく最後の切り札を女優に突きつけた。

​「嫌なら違約金を払ってもらうことになるけど、いいかい?」

​泣きながら女優が聞き返す。

「いくらなんですか?」

​下柳は無言で、契約書の下の欄を指差した。それは、とても若い女の子が払える額ではなかった。女優は嗚咽してうつむく。

​下柳が傍に立つ金五郎に気づいた。

「ああ、金ちゃん。ごめんね、待たせちゃって」

​金五郎は頷くと、その女優に話しかけた。

​「君、女優になりたいんだろう?」

​頷く女の子に、金五郎はさらに言葉をかける。

「だったら、AV出演もいい経験になると思うぜ」

​無言のまま俯く女の子に、彼はさらに言葉を続けた。
 
「普通の女優さんだって、将来濡れ場シーンがないとも限らないんだぜ?それに、この監督のAV作品は、ちゃんとストーリーがあって、ただのエッチシーンを撮るだけの作品じゃないんだ」

​「でも、やりたくないんです」

​「違約金、払えるのか? 君に」

​「今はありません。でも、分割で少しずつ払っていきます」

​監督が口を挟む。「契約書に書いてあるだろう? 違約金は一括で支払うことになっているんだ」

​テーブルに突っ伏して泣きじゃくる女の子。下柳にとっても、金五郎にとっても、珍しい光景ではなかった。よくある光景だった。

​ふと、金五郎が下柳に尋ねる。

「監督、この子の名前は?」

​「えーっと……クミ、クミコ。片仮名でクミコだ」

​「それが芸名になるのか?」

​「そうみたいだよ」 

​「ふーん、クミコねぇ……」

​金五郎は思わず彼女に声をかけた。

「クミコちゃん、俺の顔を見てくれる?」

​クミコはゆっくりと顔を上げ、金五郎の顔を見た。その表情は、とても悲痛だった。顔色は青ざめ、目の周りは赤く腫れ、肩が小刻みに震えている。

なぜだか金五郎の胸が締め付けられる。

クミコの悲痛な表情は単なる悲しみではなく、彼女の尊厳が深く傷つけられ、絶望の淵に立たされている様を映し出していた。

​金五郎はテーブルの上の契約書を掴み、違約金の欄に目を通した。金五郎なら払えない額ではなかった。

​「クミコちゃん、俺と約束してくれないか?」

​心細げに心配そうな表情で金五郎を見るクミコ。

​「絶対に立派な女優になると誓ってくれ。それができるなら、この違約金、俺が建て替えてやるよ」

​下柳が驚いて言った。

「何言い出すんだよ、金ちゃん」

​金五郎は下柳の言葉に耳を貸さず、クミコに語りかけた。
 
「さあ、もうここはいいから帰りな。それから、今の事務所はやめるんだ。もっとちゃんとした事務所に入るんだな」

​クミコは泣きながら金五郎に頭を下げる。
 
「必ずお金は返しますから」

​そう言って出口へ向かうクミコの背中に声をかけた。

「金は返さなくていいよ。その代わり、あんたが立派な女優さんになった時、共演者を選べる立場になったら、その時は脇役でいいから、俺を呼んでくれよ、クミコちゃん」

​「必ず! そうします」

​クミコは撮影現場を出て行った。

​呆れたような顔で、監督の下柳が金五郎に言った。「金ちゃん、あの子、お金返さないと思うぞ? それに、一流の女優なんてそんな簡単になれるもんじゃないぞ?」

​金五郎は笑いながら応えた。「そんなことわかってるよ」

​「じゃあ、なぜあんなことをしたんだよ。金ちゃんにとって何の得にもなってないぞ?」

​「そうかもな……」

​玉袋金五郎はその日を境にAV男優をやめた。 

​自分もあの子のように役者の世界を目指していたのに、なぜAVの世界に入ってしまったんだろう。

​「俺も、一から役者をやり直してみるか……でも元AV男優じゃ、どこも使ってくれないかな」

​しかし金五郎は、深く考えるのをやめた。

​「気にしていたら、なんにもできねえもんな」


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