道化の世界探索記

黒石廉

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第2部2章 草原とヒト

086 ヒト

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 青々としていた俺の頭がスポーツ刈りになった頃、冬のキャンプ地の外れに丸太小屋が1軒建った。
 宣教師たちの居住地に教会に治療所に学校を兼ねた欲張り施設だったが、今までのところ、居住地以外としては機能していないようだ。

 丸太小屋ができあがると、大工や人足だけではなく修道騎士たちも帰っていき、冬のキャンプ地は少し静かになった。
 まぁ、宣教師を除けば、彼らは基本的にキャンプ地の外れで寝泊まりしているだけで、中の人間と交流をはかろうとすることはなかったので、あまり人々は気にしていない。

 宣教師たちはある程度言葉を勉強してきているみたいだが、ソの人たちの距離のとり方をつかめないようでまだ苦労している。
 チュオじいさんの名前を聞き出すだけでものすごい苦労をしていたチュウジの姿を思い出す。大変だろう。

 そのうえ医療と教育で相手を取り込むというチュウジいうところの「伝統的布教手法」はソの人たちの価値観と生活様式からするとなかなか難しいようだ。

 医療と言ってもソの人たちは外傷に対する癒しの力をあまり好まない。
 なおかつ競争相手としてサチさんがいる。
 どうしても頼まないといけない状況ならば、自分たちの一員として認識している彼女の方に頼みにくるわけで、なかなか宣教師たちの出番はない。

 教育もアメとして機能しているとはいえないようだ。
 都市圏で用いられる共用語とその読み書きを教えると言っても、共用語の会話については、すでに若い世代はある程度できる者も多い。年老いた世代は共用語をおぼえる必要性をそもそも感じていない。
 文字はここで暮らしているぶんにはいらない。
 都市ですらなくても暮らしていける。都市部であっても識字率は決して高くないし、そもそもサチさん以外は俺たちも読み書きができなかった。
 もちろん、都市部で良い職を見つけようとするならば読み書きができたほうが良いのだろうが、都市の城壁のさらに前にソを入れまいとする見えない城壁が築かれている。

 「亜人まがい」というジョクさんに向けられた言葉を思い出す。
 あの頃は知らなかったが、「亜人まがい」という言葉は発言者の腐った性根を除けば、実のところ間違っていないのだ。もちろん、あのアホはそんなこと知るよしもないだろう。それでもソと「亜人」の関係は深い。
 ソの人たちは、オークとの混血を繰り返している。
 襲撃と「子どもをとりかえす」ことをお互いにやり続けているオークも同様だろう。
 訓練所の座学で習ったオークの姿というのは、もう少し人間と違うようなものとして説明された。
 ただ実際にはオークだと言われて見ないと、少し変わった容貌くらいで済まされてしまうくらいの差しかない。
 探索家の訓練所で教えられていることがそのレベルだとすると、宣教師たちの知識も大差ないだろう。

 彼らが気づいてしまったとき、どのようなことが起こるのだろう。
 そう考えると、野営地内で遊ぶ子どもたちを宣教師たちのそばに近づけるのがはばかられる。
 かといって、最初から人を疑うのも良くない。
 「どこ行くの?」
 近くを通りかかったミカを誘って、宣教師のところに遊びに行くことにした。
 ウシの乳を入れた皮袋を手にキャンプ地の外れにある小屋に向かう。

 「やぁ、いらっしゃい。よくきましたね」
 小屋の前で暇そうに本を読んでいた宣教師の1人ヴィレンさんが出迎えてくれる。
 「いつもお邪魔してすみません。ベルマンさんとレフテラさんはどうされたんですか?」
 お土産ですと言って、皮袋を手渡すとヴィレンさんは笑顔で礼をしてから、俺の質問に答えてくれる。
 
 「ベルマンは中で書き物を、レフテラは祈りをささげています。お茶でもお出ししましょうか」
 ありがたくお茶を頂戴することにする。
 ヴィレンさんは小屋の中に入ると、ヤカンを持って戻ってきた。
 建物の横にしつられられた石を並べただけの簡単なカマド、彼はそれに火を入れると、お湯をわかしはじめた。
 
 「せっかくだから、中の者たちも呼んできましょう」
 ヤカンを見ていてくださいと言い残して、ヴィレンさんは中に入る。
 そして、茶葉らしきものと木のカップと砂糖壺を持って、残り2人の宣教師とともに戻ってくる。
 
 お茶は昔癒し手の互助組合で飲んだのと同じ甘くてすっとするお茶だった。
 「甘い! 樹液をすする虫の気持ちがよくわかります!」
 俺はちょっと感動してしまって礼を言う。
 ミカも「甘いものって素敵だって忘れてた。ありがとうございます」と礼を述べる。
 
 ここでは砂糖が気軽に手に入りませんからね。ベルマンさんがカップから茶をすすりながら言う。
 サゴさんは自作のお酒を片手によくやってきますよ。ワインと交換するんですとレフテラさん。
 「まぁ、交換した後に4人で全部飲んじゃうんですけどね。だから、交換というより持ち寄って飲んでいるだけかもしれません。とても楽しい方ですよね」
 ヴィレンさんが笑いながら言う。
 相変わらず酒がからむとコミュニケーション能力が覚醒する人だ。俺たちは苦笑する。
 
 「それにあのお2人……チュウジさんとサチさんも遊びに来てくれます。あの方たちはソの習慣や言葉に詳しいのでとても助かっています」
 ヴィランさんが続ける。
 あの2人もやはり色々と心配なのだろう。でも、それだけではないかもしれない。
 半分偵察、半分文化を学びたいと思う者同士の知的好奇心といったところだろうか。

 3人の宣教師の態度は、とある審問官のせいで最悪となっていたイメージを少しプラス方向に持っていってくれるように穏やかなものだった。

 「亜人という言葉があるじゃないですか? あれはどういうもので、どういうふうに扱うのですか?」
 俺は気になっていたことを聞く。

 「亜人はゴブリンやオーク、マーマンのようにかつて人とたもとをわかった者たちです。お互いに生存圏をめぐって争いますが、それ以上でもそれ以下でもありませんよ」
 ベルマンさんはそう答えてから、人間同士でも争い、武器をもって殺し合うことが起こるのです、姿かたちが違えば、それはさらに容易に起こりますと付け加える。

 「みんな大きな意味ではヒトなのですよ。逆説的な話ではあるのですが、だからこそ、意思疎通が難しいのです。これが……」
 ベルマンさんは遠くでくつろぐウシを指さして言う。
 「動物ならば飼いならすことができましょう。しかしながら、ヒトは飼いならすことはできません。だから、我々は生存圏が近いゴブリンと殺し合うわけです。都市国家同士が争っていないのは、間に未開拓の土地が存在する。ただ、それだけなのですよ」
 すごいことを平気で言う人だ。

 「ソはオークと生存圏をめぐって殺し合ってきたと思っていたのですが、間近でここで暮らす人々を見ている限り、一概にそうは言えないようですね」

 気が付かれている?
 俺は頭の中でどう対応すべきか考えをめぐらす。
 口止めのお願い? 脅す? 始末?
 始末? 俺は何を考えているのだろう……。

 俺のほうを向いたミカがそっと俺の手をとる。すこしヒヤッとする彼女の指が俺を現実に引き戻す。
 「大丈夫ですから、怖い目をしないでください。ベルマン師も誤解されるような話し方をしないでください」
 ヴィレンさんが俺の顔の前で手を振る。
 「……すみません。なんか変なことが頭に浮かんでしまって……」
 俺は素直に謝る。

 「争いの完全にない世界はありえないかもしれませんが、それをできる限り少なくすることをあきらめてはいけません。ソの人たちとオークの関係は私たちにヒントを与えてくれるかもしれませんね」
 とレフテラさん。
 「亜人ということばとそれにともなうふわふわした概念もそろそろ解体すべき時なのでしょう。私たちはみなヒトなのですから。等しくかどうかはわかりませんが、いずれも神にして神々の恩寵を受けているのかもしれません」

 「それは教会的にはありなのですか?」
 思わず聞いてしまった俺にベルマンさんは穏やかな口調で答える。
 「神にして神々のご意思は我々には計り知れないものです。それを勝手に決めつけるのはおこがましいことなのでしょう。亜人がいることも、ソが我々よりはやく船から離れたことも、我々が論ずるべきことではありません。様々な考え方がありますが、私たちはこのように考えています」
 だからといって、これが我々の派の共通理解でもないのですとベルマンさんは付け加える。
 すべてのものは流転し、1つのところにとどまらず、変化していく。基本的な教えはそこにありますからね、と。

 「我々もヒト、ソもヒト、亜人もヒト、交わり子孫を残すことが可能ならば、私たちは新しい段階に進めるのかもしれません。とはいえ、いきなりは難しいでしょう。我々も別のキャンプ地に派遣されている宣教師と連絡を取りながら、新しい時代のあり方を考えないといけません」

 ベルマンさんはそう言うと茶をすすった。
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