銀の花嫁

くじらと空の猫

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9.風龍

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 北の湖では、フレイユがファリアの帰りを首をながくして待っていた。この国の契約龍の言葉を完全に信じたわけではなかったが、彼に逆らってまでファリアを助けにいこうとまでは思わなくなっていた。

「遅い…」

 今夜も輝く月を見ながら、彼女はつぶやく。あの月がこの湖の真上に来たとき、一日は終わりを告げる。それを見ると、人の時間でいえばあと1時間ほどで今夜が終わるだろう。 やっぱりあの龍は…彼女が不安のあまり彼を疑い出したとき、湖から突然水しぶきがあがる。ぎょっと、フレイユが驚きのあまり小さな悲鳴をあげると、そこに現れたのは彼女が待ちわびていた青銀色の鱗を持つ龍の姿だった。

「ファリア様!」

 フレイユの声に惹かれるように、不思議な青と銀の光を放つ彼女の体はしだいに小さくなり、そしていつもの美しい人の姿へと形を落ち着けた。

「フレイユ。」

 自分のもとへ一心不乱で駆け寄ってくるフレイユをファリアは強く抱きしめる。

「ああよかった!ファリア様!」
「心配かけてごめんね。」

 フレイユはうれしさのあまり、声を詰まらせながらそんなことはないと、首を横に振る。 そのとき、後ろで別の水音がしたのに気づき、フレイユが顔を上げるとそこには、彼女と約束をした契約龍レウシスの姿があった。どうやら彼も来ていようなのだが、ファリアのことで頭がいっぱいだったフレイユの目には入らなかったようだ。彼が約束を果たしてくれたことに感謝し、フレイユは尾で水をはじき彼女の一族の最上の礼を彼に送る。

「ありがとうございます。」

 その気持ちをくみ取ったのだろう、レウシスは彼女の礼に小さく頷き、そしてファリアの方へ向く。そして低く冷たい声で一言告げた。

「早くこの地を去ることだ。」

 彼の言葉はファリアにとってとてもありがたいことだ。しかし、彼が自分を庇う理由がわからない。ファリアは納得がいかないことを顔にだしながら、レウシスにその疑問をぶつけた。。

「…どうして貴方は、私を見逃そうとしてくれるの?」

 ファリアにとって素直に、そして純粋な質問だった。
 しかし、レウシスはそれに答えるつもりがないのか、彼女を見返すだけで何も言わない。

「…今日までだ。明日になれば、どうなるかわからないな。」
「…」

 やっと絞り出すように出された言葉に、それ以上何も答えを聞き出せないことを感じ、 ファリアは諦めて彼のいうとおりにすることに決めた。

「フレイユ。」
「はい。」

 その一言でわかったのか、フレイユはファリアから離れ、この国をでる準備をする。準備といっても、いつも身一つで移動する二人には、この湖の魚達に別れの挨拶をする程度で、たいして時間もかからない。たった一週間だけの隣人に挨拶をし終えると、ファリアはレウシスにも礼をいわねばと彼を振り返る。

 彼は何も言わず、何もせず、ここへ来た時のまま静かに二人を見ていた。
 その穏やかな様子に安心感を感じ、同時にそんな姿を前にも見たような既視感にも襲われる。
 初めて会ったはずなのに、どうして彼を見るとそんな気持ちになるのか、ファリアは何度も自分に問いかけてみたのだが、答えが出ることはなかった。ただ、彼との別れをさびしく感じ、同時に彼へ向けたひどい言葉を思い出す。


「あ…」

 謝らなくては。これだけは。
 そう思いながら、歩き出そうとした足を止め、大きく声を出そうとしたときだった。






「それが、銀の花嫁かーなるほど噂通りの 美人さんだ。」







 唐突に振ってきた空からの声。
 びくりと、ファリアの体がこわばり、フレイユが彼女を守るようにとあわてて彼女の前に立ちふさがる。




「もしかして…見逃すつもりだったとか?レウシス。」
「シェイズ」

 レウシスは、苦々しげに空に浮かぶ金色の髪の青年を睨み付けた。

「うわ。そんなに怒らなくてもいいじゃん。あいかわらず、頭がおかたいことで。」

 レウシスのそんな様子を見て、おどけたように言った彼はふわりと湖に浮かぶ三人のそばに降りてくる。そして、くるりと宙で体を回転させると、あっという間にファリアの顔を覗き込んできた。

「…!!」
「うん。やっぱり思ったとおり。美人だ。」
「あ…あなたは…誰!」

 ファリアがあの悪寒に襲われ、シェイズからあわてて離れる。 それを見て彼はは、少し傷ついた顔をする。

「ひどいな。そんなに嫌がらなくてもいいのに。一応、これでも風龍の中では紳士なんだけどな。」
「風龍…」
「そっ。風龍のシェイズ。よろしく銀の花嫁。」

 エメラルドのように光る緑の瞳を片目だけつぶり、人懐っこい笑みを浮かべながら差し出された手を、ファリアはまるで焼き尽くすかように睨む。まさかそんな態度に出られると思ってもみなかったのか、シェイドはファリアの迫力に押されたかのように後ずさった。

「え…」
「私は、貴方にそんな風に呼ばれる覚えはありません!」

 銀の花嫁…!
 どれほど憎んだろうその言葉!どんなに離れようとしても、かならずついてくるその言葉!まるで今までの悪いことすべての元凶のように睨み付けられ、シェイズはたじたじとなり助けを求めるようにレウシスを振り返る。

「レ…レウシス!」
「知らん。」

 だが、当然助けの手が入るどころか冷たく返されて、シェイズは情けない顔で相変わらず睨み付けてくるファリアを見る。そんな二人のにらみ合いなのか、ただおろおろしているシェイズを情けなく思ったのか、レウシスがため息をつきながら、シェイズに救いの手を差し伸べた。

「どうしてここへ来た?」

 レウシスの問いに、この状況から抜け出せると思ったシェイズは、これ幸いとばかりに彼のそばに行く。

「もちろん、遊びになんぞふざけた答えを言うつもりではないだろうな。」
「…どうして、そうわかっちゃうのかな…」

 先手をうたれ、シェイズははああとため息をつく。ちらりと横目で見ると、いつもの険しい目が今日は一段と鋭く見える。 

 こ…怖い…
 この後に冗談をいえば、恐ろしいことになることを長年の経験で知っているシェイズは、ようやくここへ来た目的を話すことにした。

「目的は…そう銀の花嫁のことさ。」

 別の意味でレウシスの目が鋭くなったのを、シェイズは恐れず逆に面白そうに見る。理由がわからない怒りより、いつも冷静さを欠くことのない昔なじみを驚かせたことが楽しくて。シェイズは自分の言葉でフレイユとファリアが顔をこわばらせたことに気づいていたが、そんなことよりもレウシスの反応の方が面白くてたまらなかった。

「教えてあげようと思ってね。レウシス。まさか、長達が気づいていないとでも思ってる?」
「…」
「そう、君のお察し通り、長達は彼女がここにいることを知っている。そして、彼女を連れ戻すべく来るよ。どうする気?」

 ファリアが息をのむ。

 どうして…私がここへいることを…まさか…まさか…貴方が…
 真っ青な顔でレウシスを見たファリアに、シェイズは首を振る。

「違うよ。レウシスは、なーんも言っちゃいないさ。」
「それでは…何故!?」

 口を挟むまいと黙っていたフレイユだが、それが本当ならどういうことだとフレイユが、怒りを込めて聞く。

「レウシスは、信用されていないから。」
「はい…?」
「別に全部の龍にってわけじゃないよ。ある人物に…まあこれがくせ者なんだけどね。」

 ね?とレウシスにわざとらしく首を傾げてみせ、自分の弁護も否定の言葉も言わない彼を見て笑う。

「それで?おまえはどうする気だ?」
「さあてね。 どうしよっか。」

 レウシスの問いにわざと考える振りをするシェイズ。そんな二人をファリアは怪訝な顔で眺める。

 この人…何を考えているの?目の前に私がいるのに…つれていこうとしないの?
 ファリアは混乱する頭を正常に戻そうと、ぺちぺちと軽くたたく。この人といいレウシスといい、彼らの行動は謎だらけだ。

「ま、レウシスとのつきあいも長いことだし、君のご機嫌を悪くすると直すの大変だし。ということで、何もする気はいまんとこなーし。」
「え…」
「ほら、はやく行ったほうがいいと思うよ。んでないと来るよ。君を連れ戻しに団体さんが。」

 ファリアは、本当に呆然としたまま動けなかった。彼らの行動理由がわからない。なぜ自分を助けてくれるのか。自分は見つかれば必ず連れ戻されると思っていたし、これまでもそうだったから。だから…彼らのような龍は初めてで、信じてよいのか悪いのかさえわからなかった。
 
「でも言っておくけど。これから先はわからないよ。今はレウシスの顔をたてているだけであって、君を完全に見逃すわけじゃない。レウシスもそのつもりだと思うけど。」

 そうだろう?と問いかけたシェイズを、レウシスは小さくだがうなずく。その言葉を受けてフレイユがあわてて空を見ると、月がもうすぐ真上に来ようとしていた。


「ファリア様!今日が終わります!」

 はっ…と我に返ったファリアは、レウシスを見て思い出す。今夜までといっていた言葉を。それが本当ならば、急がなくてはいけない。
 ファリアの姿がゆっくりとぶれはじめ、広がっていく。 そして現れたのは、彼女の本来の姿。青銀色の少し小柄な龍。フレイユは、もう水脈に身をゆだねはじめ、彼女を待っていた。ファリアは、最後に一度振り向き深く青い瞳にレウシスを写す。相変わらず不機嫌そうな彼を最後に見ると、彼女も水脈へと足を踏み入れた。やがて、静かになった水面を二人はしばらくの間、黙ったまま見つめていた。

「やっと行ったな。」

 自分を気遣うような言葉に、レウシスは自分の横で同じようにファリアの消えた先を静かに見つめるシェイズへ顔を向けた。

「うまく逃げ切るといいんだけど…でないと、これまでのおまえの努力も水の泡だ。」
「ああ…」
「だけど、今度の長達も手がかりを見つけたことで、さらに本気をだすはずだ。そのときどこまで彼女を守れる?」
「…」 
「水龍の長も監視をするぐらいだからね。そのときおまえは…」
「所でシェイズ。どうして、銀の花嫁がここにいることを、おまえが知っていたんだ?」
「へ…」

 深刻な話題から突然話を変えられ、シェイズは一瞬きょとんとした顔になったが、ふれて欲しくなかった話題に気づき、うーん?とごまかすように笑った。が、当然そんなものはレウシスに通じるはずもなく。

「そ…そんなことはいいじゃないか。それで、彼女が無事逃げれたんだし!ね!」
「おまえが知っているなら、普通はオレも知っていておかしくないんだが?」
「…」

 油汗をだしながら固まったままの彼を見て、やれやれとレウシスはつぶやく。

「また、長達の会議を盗み聞きしたのか。」
「だっ…だってしかたがないだろう!昼寝をしていたら、いきなりはじまったんだから!」 
「あの会議場で、昼寝をする方がおかしいだろう」
「ぐ…だ…だってあそこは、一番温度!湿度!とともに快適!なとこなんだ!それを会議場だけにしかつかえないなんて、ずるいだろう!!」

 ずるいとか、そういう事じゃないだろうと、レウシスは頭を痛める。それをみてシェイズは、口をとがらせる。

「いいじゃないか!そのおかげで、これがわかったんだから!」
「風龍の長は、気づいていると思うがな。」
「…」
「…オレを巻き込むなよ。」
「そ…そんなーレウシス友達だろう?」

 いつもなにかと、彼の起こす騒動にまきこまれることは、契約龍となってもかわらないのだなと、レウシスは 今日何度目かになるため息をつく。

「なーなーまた一緒にいいわけを考えてくれよー」

満月の光に照らされ、きらきらと輝く湖に、しばらくのあいだ風龍の友が哀願する声が響きわたっていた。 


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