エルフを殺せない世界 【第一章完結】

春風春音

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第一章

第007話 群衆と演説

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 訓練場の前で、しばらく待っていると、遠くから馬車の音が近づいてきた。
 
 王族の乗り物にしては、いささか質素な色合いの馬車だった。
 
「どうぞ、中へ」
 馬車の中から、聞き慣れた低い声が響いた。
 
 無意識に拳を握りしめ、ためらいながらも右足を踏み出した。
 
 馬車の中は、四人ほど乗車できる広さだった。
 二人で乗るには、十分な広さだったが、妙な緊張感が漂っていた。

 むしろ、その微妙な広さが、曖昧な境界を感じさせ、心の奥に封じ込めたはずの不安を呼び覚ました。
 
「城下町ではこれを身に着けてください」
 アイザックは黒いマントを差し出した。

 ――なるほどな。これで身を隠せってわけか。
 
 最近、貴族誘拐事件が各地で多発していると、侍女から聞いたばかりだった。
 
 ――俺のような落ちこぼれに、何の価値があるというのか。
 
 顔も知らぬ犯罪者に対して、怒りが込み上げた。

 ふと窓の外を見て、城下町から離れていくことに気づく。
「……なぜ、城下町を離れていくんだ?」

「保険ですよ。遠回りをするだけです」

「俺を狙う奴でもいるのか?」

「いない方がおかしいですよ」

「おれを拉致したって、戦力にもならないのに……」

「まさか、売るためですよ」

「……え?」
 予想外の返答に、言葉を失う。

「王家の血統、肌、髪……そのすべてに価値があるのです」

「……いったい……どんな……?」

「用途は様々です」
 
 アイザックの冷淡な声が、胸の奥を冷たく締め付けた。
 
 まるで“価値”はあるが、“人間”としての価値はない――そんな風に聞こえた。

「怖いですか?」

「これを怖くないって言えるやつがいるのか?」

「少なくとも、あなたの兄はそうではないでしょう」

「なぜそう言い切れる」

「簡単ですよ。力です」

「……力?」

「今のあなたは、自分を守る力がない。
 だから恐怖を覚える。本当の恐怖は……もっと深くて、抗えないものです」

 俺は黙って、アイザックの言葉に耳を傾けた。

「未知を恐れるのは、理解できないからです。
 その恐怖は、“知る”ことで和らぐ」

「……知る、か……」
 自分だけが取り残されている気がして、悔しかった。

「これから知ればいい。それだけのことです」

「……では、王家で“売られた”者は、実際にいるのか?」

「聞いたことはありません。……逆ならありますが」

「逆?」

「“買う”という表現は正確ではありませんが、他国の王族が王宮内にいます」

 ――なぜか、胸がざわついた。
 
 言葉にできない疎外感。
 地球の記憶を取り戻す以前から、俺の中にあったものだ。
 
 ――母と俺は、実はアルテミアの人間ではなく……他国の人間なのではないか……。
 
 そんな考えが頭をよぎった。
 
「……もしかして、母は水に関する魔法を使うんじゃないか……?」

 アイザックの顔が一瞬固まる。
「……なぜ、そう思うのですか?」

「……“月と水の国”」
 
 ――魔法の性質は、血筋である程度決まると学んだ。

 アイザックは目を見開き、顔を強張らせる。
「その名を、どこで……」

「つまり……俺の血には……」
 ――腑に落ちた。そりゃ、兄と似てないわけだ。

「“イシス”」
 アイザックが、俺の言葉に重ねるように呟いた。

「アルテミアに並ぶ三大国、“イシス”が……“月と水の国”なのか?」
 
 ――あの国は、アルテミアと最も関係が悪いと、侍女が言っていた。

「……経緯を知りたいですか?」
 アイザックの視線は、こちらの反応を試すようだった。

「ああ……教えてくれ」
 
 ――俺は、自分自身を知りたい。

「少し前まで、アルテミアでは黒髪は“恐怖の象徴”とされていました」
 
 唐突すぎる話に、思考が追いつかなかった。

「始まりは30年前。“イシス殲滅計画”という政策が始まったからです」

「イシス……殲滅計画……」
 
 ――嫌な予感がする。

「計画の目的は、“イシス思想を持つ者の一掃”。
 だが、思想は目に見えない。政府は見せしめとして、標的を定めました」

「それが、髪の色……か」
 俺は拳を固く握りしめた。

「はい。政府は五万人もの黒髪の者を、鉄の檻に閉じ込め、海へ沈めたのです」

「……なぜ、そんな……」

「火種は、先王の妻がイシスの者に暗殺された事件。
 激怒した王は、イシスの血を引くと思われるすべての者を処刑しました」

「……理不尽だ。罪もない者まで……誰も止めなかったのか?」

「反対する者もいたそうですが、王は彼らも法の対象とし、反論すら許しませんでした」

「……残酷すぎる」

「けれど、問題はそこからです。あまりにも非道な手段に、国民の間に“国が呪われる”という恐怖が広がりました。
 そして、各地で“存在しないはずの黒髪の者を見た”という報告が相次いだ」

「……本当に呪いだったのか……?」

「さあ。ですが、政府への不満が高まり、贖罪の証としてイシス人を王族に迎える決定が下されたのです」

「それで……王は怒りを収めたのか?」

「いいえ。それはアスラン殿の働きかけによって実現しました。それゆえ、彼は“英雄”と謳われているのでしょう」

 重苦しい空気が、馬車の中に広がる。

「城下町に着きました。……行きましょう」

 俺は無言で頷き、重い足取りで馬車を降りた。

 アイザックの話によれば、ここは城下町の外れ――。
 
 彼に案内されて辿り着いたのは、不気味な裏路地を抜けた先に広がる、荒れ果てた広場だった。

 ――まるで、スラム街……。

 風に煽られて揺れる老人の体は、骨と皮だけの残骸だった。
 
 泥にまみれた子供が、何かを探して地面を這っている。
 濁った水をすすり続ける男。
 十字架を握りしめ、無言で祈りを捧げる女。

 生と死の間に取り残された亡者たちが、そこには確かに存在していた。

「……ここは……地獄なのか……?」
 息を呑むと、肺に冷たい空気が突き刺さった。

「国の裏側なんて、こんなもんですよ」
 
「国はこの惨状を放置しているのか……?」

「改善すべきだと、本気でお考えですか?」

「当たり前だ!
 ここにいる人たちも、この国で生きる“人間”だろ!」

「人間は、そう簡単には死にません。
 ……“死の制約”のおかげで、飢えても微かに生命力を残すんです」

「これは“生きてる”と言えるのか……?」
 老人を見つめながら、アイザックへと問いかける。

「さあ……。それは、私にも分かりません」

「じゃあ、彼らはもう……救われないのか……?」

 返ってきたのは、またもや曖昧な一言だった。
「さあ。……噴水広場を抜ければ、宝石屋が見えてきますよ」

 何事もなかったように背を向けたアイザックが、静かに歩き出す。
 
 ついていくと、景色は一変した。
 
 赤煉瓦の建物が整然と並び、清潔な道には笑顔を浮かべた市民たち。
 
 さっきまでの“地獄”が幻だったかのように、美しい街並みが広がっていた。
 
 屋台では、果物や装飾品、剣や鎧まで、あらゆる物が売られていた。

「そこの坊や、リンゴはいらないかい?
 城下町でしか手に入らない一級品だよ」

 突然声をかけられ、思わず返事をしかけたその時――

 前を見ると、アイザックが無言で手招きしていた。店主に向かって、手をひらひらと振って断る仕草をする。

「なんだい、保護者か。こんなうまいリンゴ、一口食えば虜になるってのに」
 
「もう、十分食べた。消化する間もないほどにね」
 店員の舌打ちが背後から聞こえた。

「一度耳を貸せば、簡単に唆される。だから、無視が一番ですよ」
 アイザックは振り返らずに言った。

 しばらく歩くと、前方に黒い煙が立ち上るのが見えた。
 
 その周囲には人だかりができており、不安げなざわめきが広がっていた。

「火事か……?」

「いや……」
 アイザックの唇がわずかに動いたが、その先は押し殺される。
 
 少しの沈黙のあと、探るような声で尋ねられた。
「……知りたいですか?」

 ――この国で何が起きているのか。俺は、知らなければならない。
 
「……知りたい」

 アイザックは頷くと、群衆の中へと歩き出した。俺も、その背を追った。

 群衆の視線の先――
 
 壇上に立つ男は白いローブを身にまとい、仮面をつけた顔で両手を広げていた。

 ――なんだ、あれは……?

「国民たちよ、今こそ立ち上がる時だ!
 我々は奴隷ではない。我々には生き方を選ぶ権利がある。
 ただ、“機会”を与えられていないだけだ。
 平民に生まれた者が愚かだと? 貴族に生まれた者が賢いと? そんな不公平、我々が終わらせよう!」

 男の背後には、同じ白いローブを着た3つの影。
 
 無言で並び、まるで壇の一部のように動かない。

 だが、何より視線を奪われたのは、その隣に磔にされた四人の存在だった。
 
 子供が二人。その両脇には、おそらく彼らの両親。
 目には包帯が巻かれ、首と腕には細い剣が突き刺さっている。

 足元の地面を這う炎に、縛られた足が必死にもがいている。
 潰された喉から漏れるのは、言葉にもならぬ断末魔の断片――。

「……あれは、何をしている……?」

「“鱗の使徒”ですね。本当に……品のない連中だ」

「聞いてるのは、なぜこんな真似をするのか、だ」
 こみ上げる吐き気を押し殺しながら、問いただす。

「それはきっと……」
 アイザックの言葉を遮るように、再び仮面の男の声が響いた。

「この家族は、自ら“トカゲの炎”への贄となることを志願してくれた。腐りきったこの国を、我らが血と命で変えよう!」

 ――トカゲの炎……何のことだ……?

 男の言葉は、民衆の心を確実に揺さぶっていた。
 この場全体が、導火線に火をつけられた火薬庫のようだ。

「……もう、ここを離れましょう。これ以上見続ければ……心が、蝕まれます」
 
 アイザックが俺の腕を掴み、民衆の間をかき分けて進んだ。

「炎に身を捧げよ!」
 その叫びと同時に、怒号が弾けた。
 
 燃え上がった炎が、四人の絶叫とともに街を裂いた――。
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