エルフを殺せない世界 【第一章完結】

春風春音

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第一章

第008話 宝石の意味

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 気づけば、城下町の雑踏に紛れていた。

 街並みは一気に華やかさを増し、人波も厚くなっていた。自由に歩くのが難しくなるほどだ。

 いつしか景色よりも、人々の動きに目を奪われていた。
 
 剣を帯びた男、仕立ての良い服に身を包んだ紳士、優雅なドレスの女性、そして目立ちはじめた軍服の姿――。
 
「騎士と海兵の姿が見えます。慎重に動きましょう」

 ――確かに、黒いローブ姿じゃ怪しまれるか。
 
「海兵が、城下町に何の用だ?」
 
 ――海軍の拠点からここまで相当遠いはずだ。
 
 アイザックは片眉を上げ、低く笑った。
「港じゃ満たされぬ欲望を抱えて、ここに来るんですよ」

「……欲望?」

「港町に比べて、ここは華やかで金と女の匂いが濃い。
 そして、この国で最も格差を実感できる場所でもある。
 だからこそ、上層の連中には人気なんです」
 
 その声音には、どこか呆れが滲んでいた。

「そうなのか」
 
 ――都会への憧れとは、また違いそうだな。
 
「さあ、着きました。ここが貴族専用の宝石店です」
 
 そう言って示された建物を見て、思わず足を止めた。
 
 他の建物とは明らかに異なる存在感――だが、それは豪華さによるものではなく、異質なまでの古びた佇まいだった。
 
「これが……貴族専用の宝石店……?」
 
 煌びやかな通りから外れた、城下町の中でも目立たない裏路地に、その店はあった。
 
 だが、"店"と呼ぶにはあまりにも朽ち果てた外観だ。

 柱には苔が生え、壁はひび割れ、扉すら重そうに傾いている。
 貴族専用の宝石店にしては、まるで高級感がない。
 
 むしろ、その真逆だ。
 
「本当にここか?」と訝しんで問うと、アイザックは無言でドアを指差した。

 半信半疑でドアノブに手をかけた瞬間、強い浮遊感に襲われる。
 
 視界が霞み、輪郭が曖昧になる。
 焦点を合わせようとするほどにぼやけ、次第に闇に沈んでいった。

「アイザック!」
 思わず叫ぶが、返事はない。
 
 胸の奥がざわつく。――まさか、罠か?
 
 不安が頭をよぎった瞬間、視界は完全に暗転し、何も見えなくなった。反射的に目を閉じる。
 
 次に聞こえたのは、年老いた女の声だった。
 
「おやおや、客人がローゼンとギルところではなく、あたしの方に来るなんて珍しいねぇ」
 
 ハッとして目を開けると、煌びやかな宝石が並んでいた。思わず、ため息が漏れる。
 
「ここが……貴族専用の宝石店か」
 
 独り言のように呟くと、不意に背後から声がかかった。

「そうさね、ここは貴族しか入れない特別な宝石店よ。
 ……けど、客がこちらに来るなんて、何年ぶりかねぇ」
 
 振り向くと、白髪の老婆がカウンター越しにこちらを見ていた。
 
「他にもあるのか?」 
 
 ドアには空間転移の魔法がかけられていた。
 転移先はランダムだったのだろうか。
 
「大抵は、もう一つの場所へ飛ばされるもんさ。
 けど、ここのほうが珍しい品が揃っとるよ。自分の運の良さを喜びな」
 
「もう一人の男は、どこに転移されたかわかるか?」
 
「外で待っとった男のことかい? あれはドアを通っておらんようじゃね」
 
「……ということは、アイザックは転移することを知っていたのか」
 気づけば、呟くように言葉が漏れていた。
 
「外の者は、アイザック様かい?」
 老婆の言葉に、思わず眉をひそめる。
 
「奴を知っているのか?」
 
「ああ、もちろんさ。一度ここに来た者のことは忘れんよ」
 
「アイザックもここに来たことがあるのか?」
 
 まるで思ってもみなかったことを聞かされた気がして、言葉に詰まる。
 
 ――でも、貴族じゃないって言ってたよな……?
 
「アイザックは、どこの家系なんだ?」
 
 老婆は怪訝な顔をしながら、俺をじろりと見た。
 
「あんた、本当に知らんのかい? 一般の貴族じゃないようだね」
 
「どうしてそう思う?」
 
「聖騎士長ってことは知っとるんじゃろ? じゃあ、あんたが普通の貴族ならアイザック様のことも知っとるはずじゃ。なのに知らんとは……まさか、あんた、第2王子のアレン様かい?」
 
 心臓が跳ねた。
 
「……そうだ。だが、どうしてそれがわかるんだ?」
 
 言葉を絞り出すように答えるが、内心はざわついていた。

 ――この違和感は何だ? 何かがおかしい。もう一度、考えろ。あの老婆は、なんと言った……?
 
 老婆が俺の正体に気づいたのは、俺がアイザックの素性を知らなかったから。
 
 さらに"一般の貴族なら、彼のことを知っているはず"そう言っていた。
 
 それはつまり、アイザックが一般の貴族よりも格が上であることを示している。
 
 まさか——
「アイザックは……王族なのか?」
 
 老婆はゆっくりと頷いた。
 
「そうじゃよ。アイザック様は王位継承権第3位。現国王の従兄弟、ボルザック様のご子息じゃ」

 ——頭が真っ白になった。
「なぜだ……なぜ、俺は知らないんだ?」

「アイザック様の戯れじゃ」
 老婆は静かに微笑んだ。
 
 ――王族であることを、彼もまた枷だと感じているのだろうか。
 
「困ったな……」
 
「気にすることはないでじゃろ。アイザック様も、あなたが変わらぬままでいる方を喜ばれるはずじゃ」
 
 ――王位継承権第2位は、名目だけの立場にすぎない。
 
 正当な血筋を持つアイザックの方が、きっと王族にふさわしいだろう。
 
 何も言えずに黙っていると、静かな空間の中で老婆が口を開いた。
 
「いい機会じゃ、アイザック様にも何か送られては? 口に出せぬことでも、物で伝えればいいもんじゃ」
 
 アイザックに対する気持ちは、兄への贈り物を選ぶよりもずっと複雑だ。
 
 数時間前まで、俺はあの男を心底いけ好かない奴だと思っていた。
 
 ――訓練中は、嫌味しか言わない。
 
 しかし今、心の中でその思いが少しずつ変わりつつある。
 
「悩んでおる姿が、アルアディアン様にそっくりじゃ」
 老婆が目を細めながら、意味深に微笑んだ。
 
「兄に会ったことがあるのか?」
 
「アルアディアン様は、もう一つの方に転移されたがな。ギルの思念を通して見たんじゃ」
 こめかみに右手の人差し指を立てて言った。
 
「それは最近の話か?」
 
「あれは……いつだったかのう、2年くらい前じゃったかのう」
 
「そうか……」
 
 ――2年前に何かを貰った覚えはない。
 
「誰のために、アルはここに来たのだろう……」
 呟くように言った。
 
「うろ覚えじゃが、蒼い石の腕飾りを買っておったんじゃ」

 ――蒼い石の腕飾り……見たことないな。
 
「さて、ここに来た目的はなんじゃ?」
 
「兄への贈り物を探しに来た……」
 少し気恥ずかしくなりながら告げた。
 
「ほう、神降式に合わせてじゃな」
 
 恥ずかしくなり、視線を逸らした。
 
「どんなのが、お好みかな?」
 ふと、飾られている宝石の中のものに目が引かれた。
 
 思わず、手が伸びていた。
 
「あの白い宝石はなんだ?」
 指をさして示す。
 
 老婆は私の指先をじっと見つめ、そして静かに微笑みを浮かべた。
 
「それはスノウクラウン。北の地でしか採れぬ宝石じゃ。意味は、憧れ、目標、誇りじゃな」
 
 その言葉が胸に響く。俺は気づかぬうちに、顔が赤くなっていた。
 
 だが、何事もなかったかのように別の宝石を探すふりをして、視線を逸らした。
 
「この宝石の意味は、なんだ?」
 
「大事なのは、意味を知って選ぶことではない、選んだ物の意味を知ることじゃよ。あれがいいんじゃろ?」
 
 老婆の言葉には、まるで自分の内面を見透かしているかのような鋭さがあった。
 
 思わず息を呑むが、どうすることもできず、素直に無言で頷くしかなかった。
 
「じゃあ、次はアイザック様のものじゃな? さあ、どれを選ぶんだい?」
 
 その言葉に、ふとアイザックとの会話や、厳しい訓練の場面が脳裏に浮かぶ。
 
 過ごしてきた時間が、俺の中で大きな意味を持ち始めていた。
 
 そして、私は自分でも驚くほど直感的に、黄色い表面に炎のような結晶模様が浮かぶ宝石を指差していた。
 
 老婆はその宝石を見て、また静かに、優しい笑みを浮かべた。
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