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4.食事の後、高村の足は図書室に向かっていた。
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「まあしかし、南雲さん、あなたのクラスの生徒はそれでも良く、授業を聞いているそうですね。他の学科の先生達も実に褒めちぎっていますよ」
「それはそうです。生徒は、すべからくそうでなくてはいけません。いけないんです」
南雲はきっぱりと断言した。
「そして教師もまた、生徒にはそうさせなくてはならない義務があると思いますが?」
ふむふむ、と森岡はうなづく。
「それはそれで、一理ありますねえ」
「一理、ではないですよ、それが……」
「さあて。ところで、高村君はどう思います?」
「え」
思わず高村は問い返す。むきになる南雲に、はらはらしてはいたが、いきなり自分に振られるとは思ってもみなかったのだ。
「お、オレは」
言葉に詰まる。そんなこと、考えたこともない。
「まあいいですか。ところで、ずいぶん君、そのスーツを気にしていたようですが」
ぷっ、と今までの剣幕も何処へやら、南雲は再び吹き出した。
「どうしました?」
「いや、実は彼……」
ああ、と高村は両手をばたばたと振る。
「借り物だ、そうですよ。何でもスーツは一枚も持っていなかったということで」
「まあ、若いですからねえ」
森岡はずずず、と茶をすすり、遠い目をする。
「服ですか…… 私も若い頃は色々苦労しましたよ。ま、別にここは化学の教師だけの場所ですし。それにそんな、昔じゃあなし、教師も生徒も、学校でさえちゃんとやっていれば、ねえ」
振られた南雲は、再びやや苦い表情をする。
「と言っても、その格好じゃ、自分はスーツを持っていません、って大声で言いふらしている様だわ」
ふむ、とたくあんをかじりながら、森岡はうなづく。
「君、シャツは持ってますか? それと地味なズボン」
彼は思わず、自分のクローゼットの中を思い起こした。
シャツは…… まあ、それなりに、ある。柄もあったような気がするが。ズボンは……
「まあ、それなりには」
「じゃあ明日からは、それにネクタイでいらっしゃい」
「い、いいんですか?」
「大丈夫、もう初夏ですし。下手なスーツよりは、さっぱりしていてよろしい」
森岡は箸を一度置き、立ち上がる。そしてロッカーの中から白衣を一着取り出すと、どうぞ、と高村に手渡した。
「学校では、これを着てればいいですよ。まあそのかわり、期間中、どんなに暑くなっても脱げなくなりますがね」
「い、いいんですか?」
「いいも何も。これから実験とか、色々あるでしょうし、スーツなんかじゃあ、化学教師なぞ、やっていけませんよ」
ありがとうございます、と高村は丁重にそれを受け取った。
「けど高村先生、この先ちゃんと教師になろうって思うなら、スーツはきちんとそろえておいて下さいね」
南雲はぴしり、と言った。おおこわ、と高村は一瞬身を震わせる。
「まあそれも、そうですねえ。まあもっとも、それは教師だけに限りませんが」
南雲は黙って目を細める。森岡は再び箸を取り、弁当の続きを口にする。
「お、パン買って来たんですね。さあさ、君も早く食事しなさい。時間がもったいないでしょう」
*
そう、時間は限られている。無駄にはできないのだ。食事の後、高村の足は図書室に向かっていた。
図書室は、教室棟の二階の突き当たりと聞いていた。
二重になった扉を開けた時、思わず彼は目を見張った。彼が昔通った理系の中等学校より、よほど大量の本が、この部屋にはありそうだった。
「あらあ? あなた確か、教生の?」
右横から、声が掛かる。顔を上げると、淡いピンクのスーツを着た小太りの女性が、カウンターの奥の小部屋から身体半分をのぞかせていた。歳の頃は三十台半ば、というところか。
「何か借りて行かれます?」
「あ、まだ判らないですが」
「そう。じゃあその時には、一言私か、委員の子に言ってね」
「判りました。すみません、司書の――― 方ですか?」
「ええそうです。あなたは、確か高村先生、でしたね」
「はい」
「委員の子なら、向こうに今、居ますよ」
彼女は部屋の南の窓際を指した。
そこには、背中の真ん中まである長い髪を、ざっと後ろでくくった丸眼鏡の女生徒が居た。高所の本の返却中らしく、やや頼りなげな姿勢で、踏み台に足をかけている。
「村雨乃美江《ムラサメノミエ》さん。六年間、ずうっと図書委員をやっているの」
「へえ…… じゃあベテランですね」
「ベテラン? まあ、そう言えばそうだけど」
その口調に高村は首を傾げる。彼女の表情には何処か苦笑が含まれていた。
「まあ、私しばらく中で仕事続けたいので、やっぱり彼女に聞いて下さいね。よろしく」
そう言うと、彼女はさっさと奥へと入って行く。何だろう、と高村は首をひねる。気になる笑いだった。
とはいえ、とりあえずは時間が惜しい。彼はさくさく、と書棚の間を回った。化学の棚から、数冊引き出す。確かに書籍の数も種類も豊富だった。できれば棚の全部を持ち出したいくらいである。
だがそれではきりが無い。後でまた来ればいいんだ、と高村は自分に言い聞かせ、三冊だけを手に残す。そして先程の村雨という女生徒を目で探した。
南の書棚には既にその姿は無かった。カウンターに視線を移す。居た。
「村雨さん」
彼は声を掛けた。ぴくん、と飛び跳ねる様に、村雨は顔を上げる。眼鏡の下の目が、大きく丸く開いた。
「それはそうです。生徒は、すべからくそうでなくてはいけません。いけないんです」
南雲はきっぱりと断言した。
「そして教師もまた、生徒にはそうさせなくてはならない義務があると思いますが?」
ふむふむ、と森岡はうなづく。
「それはそれで、一理ありますねえ」
「一理、ではないですよ、それが……」
「さあて。ところで、高村君はどう思います?」
「え」
思わず高村は問い返す。むきになる南雲に、はらはらしてはいたが、いきなり自分に振られるとは思ってもみなかったのだ。
「お、オレは」
言葉に詰まる。そんなこと、考えたこともない。
「まあいいですか。ところで、ずいぶん君、そのスーツを気にしていたようですが」
ぷっ、と今までの剣幕も何処へやら、南雲は再び吹き出した。
「どうしました?」
「いや、実は彼……」
ああ、と高村は両手をばたばたと振る。
「借り物だ、そうですよ。何でもスーツは一枚も持っていなかったということで」
「まあ、若いですからねえ」
森岡はずずず、と茶をすすり、遠い目をする。
「服ですか…… 私も若い頃は色々苦労しましたよ。ま、別にここは化学の教師だけの場所ですし。それにそんな、昔じゃあなし、教師も生徒も、学校でさえちゃんとやっていれば、ねえ」
振られた南雲は、再びやや苦い表情をする。
「と言っても、その格好じゃ、自分はスーツを持っていません、って大声で言いふらしている様だわ」
ふむ、とたくあんをかじりながら、森岡はうなづく。
「君、シャツは持ってますか? それと地味なズボン」
彼は思わず、自分のクローゼットの中を思い起こした。
シャツは…… まあ、それなりに、ある。柄もあったような気がするが。ズボンは……
「まあ、それなりには」
「じゃあ明日からは、それにネクタイでいらっしゃい」
「い、いいんですか?」
「大丈夫、もう初夏ですし。下手なスーツよりは、さっぱりしていてよろしい」
森岡は箸を一度置き、立ち上がる。そしてロッカーの中から白衣を一着取り出すと、どうぞ、と高村に手渡した。
「学校では、これを着てればいいですよ。まあそのかわり、期間中、どんなに暑くなっても脱げなくなりますがね」
「い、いいんですか?」
「いいも何も。これから実験とか、色々あるでしょうし、スーツなんかじゃあ、化学教師なぞ、やっていけませんよ」
ありがとうございます、と高村は丁重にそれを受け取った。
「けど高村先生、この先ちゃんと教師になろうって思うなら、スーツはきちんとそろえておいて下さいね」
南雲はぴしり、と言った。おおこわ、と高村は一瞬身を震わせる。
「まあそれも、そうですねえ。まあもっとも、それは教師だけに限りませんが」
南雲は黙って目を細める。森岡は再び箸を取り、弁当の続きを口にする。
「お、パン買って来たんですね。さあさ、君も早く食事しなさい。時間がもったいないでしょう」
*
そう、時間は限られている。無駄にはできないのだ。食事の後、高村の足は図書室に向かっていた。
図書室は、教室棟の二階の突き当たりと聞いていた。
二重になった扉を開けた時、思わず彼は目を見張った。彼が昔通った理系の中等学校より、よほど大量の本が、この部屋にはありそうだった。
「あらあ? あなた確か、教生の?」
右横から、声が掛かる。顔を上げると、淡いピンクのスーツを着た小太りの女性が、カウンターの奥の小部屋から身体半分をのぞかせていた。歳の頃は三十台半ば、というところか。
「何か借りて行かれます?」
「あ、まだ判らないですが」
「そう。じゃあその時には、一言私か、委員の子に言ってね」
「判りました。すみません、司書の――― 方ですか?」
「ええそうです。あなたは、確か高村先生、でしたね」
「はい」
「委員の子なら、向こうに今、居ますよ」
彼女は部屋の南の窓際を指した。
そこには、背中の真ん中まである長い髪を、ざっと後ろでくくった丸眼鏡の女生徒が居た。高所の本の返却中らしく、やや頼りなげな姿勢で、踏み台に足をかけている。
「村雨乃美江《ムラサメノミエ》さん。六年間、ずうっと図書委員をやっているの」
「へえ…… じゃあベテランですね」
「ベテラン? まあ、そう言えばそうだけど」
その口調に高村は首を傾げる。彼女の表情には何処か苦笑が含まれていた。
「まあ、私しばらく中で仕事続けたいので、やっぱり彼女に聞いて下さいね。よろしく」
そう言うと、彼女はさっさと奥へと入って行く。何だろう、と高村は首をひねる。気になる笑いだった。
とはいえ、とりあえずは時間が惜しい。彼はさくさく、と書棚の間を回った。化学の棚から、数冊引き出す。確かに書籍の数も種類も豊富だった。できれば棚の全部を持ち出したいくらいである。
だがそれではきりが無い。後でまた来ればいいんだ、と高村は自分に言い聞かせ、三冊だけを手に残す。そして先程の村雨という女生徒を目で探した。
南の書棚には既にその姿は無かった。カウンターに視線を移す。居た。
「村雨さん」
彼は声を掛けた。ぴくん、と飛び跳ねる様に、村雨は顔を上げる。眼鏡の下の目が、大きく丸く開いた。
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