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19.それは六年前のゴールデンウイークだった。
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高村は理系寄りの中等学校の、後期部に進んだばかりだった。
「全く…… オレのバカバカ」
そうつぶやきながら、彼はこの三月まで学んでいた校舎へと忍び込んでいた。
この年、彼はそれまでの前期部から、後期部へと進級していた。そして進級に伴い、校舎も移動した。
しかし、三年間を過ごした学校から次の場所へ行く時には、結構な荷物が出てくるものだ。彼は結構な量の私物を、前期部の特別教室だの、軽音楽の部室に置きっぱなしにしていた。
ちなみに、その時彼が探していたのは、アコースティックギターのケースだった。中身は自宅にあった。
春休み前、進級のお祭り騒ぎをした時に、楽器だけ抱えて友人達と騒いで帰ってきた。ただその時、ケースを部室に置き忘れてしまったのだ。
中身があれば、ケースはどうでもいいじゃないか、下級生に頼んで持ってきてもらえばいいじゃないか、と言うかもしれない。
だがしかし、そのケースには、煙草だのエロ本だの、正直、見つかって欲しくないものを隠していたのだ。そして中には、名前もしっかり書かれていた。
そんなものなのに、だ。
高村はその存在を五月になるまですっかり忘れていたのだ。思い出した時には、既に学校はゴールデンウイークで休暇中だった。
思い立ったが吉日、彼はその晩、自転車を漕いで、慣れた道を走った。後ろにケースを積むためのロープも用意していた。
そうっと校舎の裏手まで自転車を運び入れ、記憶にある、鍵の壊れた窓から彼は忍び込み、彼は部室からケースを運び出すことに成功した。
ただ、再び窓から出た時、彼はちっ、と舌打ちをした。道中、雲行きが怪しい、と思っていたが、雨が降り出していたのだ。
彼は仕方なく、しばらく待っていれば止むだろう、と校舎の、二階が通路になっている部分で雨宿りをすることにした。
だが、なかなか雨の止む気配は無かった。
むしろ、どんどん雨足を増している様だった。遠くで雷の音までしていた。通り過ぎるのを待っていては、日付が変わってしまいそうだ、と彼は思った。
仕方ない、とケースをくくりつけた自転車を引いて、高村は歩き出した。しかし、周囲は玉砂利なので、自転車に乗ることもできず、足も取られて歩きにくかった。
もう少し雨宿りしていようか、と苛立ちかけた彼が引き返そうとした時だった。
ぎゃああああ。
すさまじい声が、彼の耳に飛び込んできた。何事だ、と思ったが、彼の足はそこからびくりとも動こうとはしなかった。
やめてやめて、いやあ、何すんの、と声は続いた。
女の声だった。それも二つの違った声だった。
女生徒が襲われているのかもしれない、と彼は思った。いや、それ以外の何物でもなかった。
だが二人が襲われているとしたら、相手も複数だろう。下手にそこに飛び込んだら、自分までやられてしまうかもしれない。
そんな無意識の計算が、彼の足をそこに縫いつけていた。
雨宿りも、帰ることもできず、彼はしばらく、そこに立ちすくんでいた。ぼぼぼぼ、とギターのケースに雨が降り注ぐ音が、奇妙に耳にうるさかった。
どのくらい経った時だろう。何度か続いた叫び声はいつの間にか消えていた。
ぽたぽたと頭から水を滴らせながら、彼はもう大丈夫だろう、と先程の所へ行こうとした。ただ何が「大丈夫」なのか、自分の中で説明はできなかった。
だが。
彼はちら、と二階通路の下をのぞき込むと、うっ、と息を呑み、のけぞった。
少女が二人、玉砂利の上に、足を投げ出して座り込んでいた。先程の二種類の声の持ち主だろう、と彼は思った。
だがそれだけではなかった。遠目で良くは判らないが、二人の頭のすぐ上のコンクリートの壁に、どす黒い染みがあった。
何だあれは。
高村はしばらく、その染みを呆然として見ていた。
よく見ると、染みはあちこちに飛び散っていた。まるで、何かを強くぶつけて弾かせた時の様に―――
弾かせた。
彼はそのままゆっくりと、頭をがっくりと前に落とした少女達の方へと視線をやった。少女達は、ぴくりとも動かなかった。
何だこれは。
高村はその時ようやく、自分の中でその疑問が湧くのを感じた。
悲鳴。逃げている様な少女達。そしてこの壁。
それって。
ざあああ、と雨の音が、急に彼の耳に強く響きだした。
ぺたん、とざらつく校舎の壁に背をつけた。腕をつけた。
そのままずるずると、座り込んだ。腕が壁に擦れて痛かったが、それどころではなかった。
何なんだ何なんだ何なんだ。
死体なんだろうか。死体にされてしまったのだろうか。
少女達は、誰かに、殺されたんだろうか。
高村は今度こそ、本当になかなか動けない自分に気付いた。震えが止まらなかった。
あんな風に、壁に叩き付けて殺す様な奴なら、自分などひとたまりもないだろう。
ようやく自転車に手を掛け、彼はその場から走り去ろうとした。とにかく、すぐに逃げたかった。だけど上手く、身体が動かなかった。
と、その時だった。
「……落ち着け、落ち着けよ!」
子供の声が、聞こえた。少なくとも、自分よりずいぶん年下の、声変わりする前の、少年の声だった。
「やーだー、はなしてよー」
また、もう一人、少女が。
そう思った時、高村の足に、急に力が入った。彼は歯を食いしばり、ゆっくりと立ち上がった。
そしてそっと、本当にそうっと、中の様子を伺ってみた。
すると、本当に少年と少女が、そこには居た。
雨の中、踊る様に暴れる少女の両手を、少年は力を振り絞って掴んでいた。少年は少女を抑えるのに精一杯で、高村が見ていることには全く気付いていない様だった。
「あんたなんかー、ひとりじゃなんもできないくせにー。あたしのしごとだよ、これはあ」
「***!」
ぴく、とその声に、少女の動きは止まる。
名前を呼んだのかもしれなかった。ただそれは、彼にとっては耳慣れない音のものだった。
そして次の瞬間。
少年は、ポケットから何か取り出すと、口に含み、さして背丈も変わらない少女を抱きしめ、強く口づけた。
長い時間だった。
少なくとも高村にはそう思えた。
やがて少年は、少女をゆっくりと離した。既に少女からは暴れようとする様子は見られなかった。
少女は背後に座る二つの身体を見、次に自分の手を見た。少年は、大きくうなづいた。
「……嘘……」
「全く…… オレのバカバカ」
そうつぶやきながら、彼はこの三月まで学んでいた校舎へと忍び込んでいた。
この年、彼はそれまでの前期部から、後期部へと進級していた。そして進級に伴い、校舎も移動した。
しかし、三年間を過ごした学校から次の場所へ行く時には、結構な荷物が出てくるものだ。彼は結構な量の私物を、前期部の特別教室だの、軽音楽の部室に置きっぱなしにしていた。
ちなみに、その時彼が探していたのは、アコースティックギターのケースだった。中身は自宅にあった。
春休み前、進級のお祭り騒ぎをした時に、楽器だけ抱えて友人達と騒いで帰ってきた。ただその時、ケースを部室に置き忘れてしまったのだ。
中身があれば、ケースはどうでもいいじゃないか、下級生に頼んで持ってきてもらえばいいじゃないか、と言うかもしれない。
だがしかし、そのケースには、煙草だのエロ本だの、正直、見つかって欲しくないものを隠していたのだ。そして中には、名前もしっかり書かれていた。
そんなものなのに、だ。
高村はその存在を五月になるまですっかり忘れていたのだ。思い出した時には、既に学校はゴールデンウイークで休暇中だった。
思い立ったが吉日、彼はその晩、自転車を漕いで、慣れた道を走った。後ろにケースを積むためのロープも用意していた。
そうっと校舎の裏手まで自転車を運び入れ、記憶にある、鍵の壊れた窓から彼は忍び込み、彼は部室からケースを運び出すことに成功した。
ただ、再び窓から出た時、彼はちっ、と舌打ちをした。道中、雲行きが怪しい、と思っていたが、雨が降り出していたのだ。
彼は仕方なく、しばらく待っていれば止むだろう、と校舎の、二階が通路になっている部分で雨宿りをすることにした。
だが、なかなか雨の止む気配は無かった。
むしろ、どんどん雨足を増している様だった。遠くで雷の音までしていた。通り過ぎるのを待っていては、日付が変わってしまいそうだ、と彼は思った。
仕方ない、とケースをくくりつけた自転車を引いて、高村は歩き出した。しかし、周囲は玉砂利なので、自転車に乗ることもできず、足も取られて歩きにくかった。
もう少し雨宿りしていようか、と苛立ちかけた彼が引き返そうとした時だった。
ぎゃああああ。
すさまじい声が、彼の耳に飛び込んできた。何事だ、と思ったが、彼の足はそこからびくりとも動こうとはしなかった。
やめてやめて、いやあ、何すんの、と声は続いた。
女の声だった。それも二つの違った声だった。
女生徒が襲われているのかもしれない、と彼は思った。いや、それ以外の何物でもなかった。
だが二人が襲われているとしたら、相手も複数だろう。下手にそこに飛び込んだら、自分までやられてしまうかもしれない。
そんな無意識の計算が、彼の足をそこに縫いつけていた。
雨宿りも、帰ることもできず、彼はしばらく、そこに立ちすくんでいた。ぼぼぼぼ、とギターのケースに雨が降り注ぐ音が、奇妙に耳にうるさかった。
どのくらい経った時だろう。何度か続いた叫び声はいつの間にか消えていた。
ぽたぽたと頭から水を滴らせながら、彼はもう大丈夫だろう、と先程の所へ行こうとした。ただ何が「大丈夫」なのか、自分の中で説明はできなかった。
だが。
彼はちら、と二階通路の下をのぞき込むと、うっ、と息を呑み、のけぞった。
少女が二人、玉砂利の上に、足を投げ出して座り込んでいた。先程の二種類の声の持ち主だろう、と彼は思った。
だがそれだけではなかった。遠目で良くは判らないが、二人の頭のすぐ上のコンクリートの壁に、どす黒い染みがあった。
何だあれは。
高村はしばらく、その染みを呆然として見ていた。
よく見ると、染みはあちこちに飛び散っていた。まるで、何かを強くぶつけて弾かせた時の様に―――
弾かせた。
彼はそのままゆっくりと、頭をがっくりと前に落とした少女達の方へと視線をやった。少女達は、ぴくりとも動かなかった。
何だこれは。
高村はその時ようやく、自分の中でその疑問が湧くのを感じた。
悲鳴。逃げている様な少女達。そしてこの壁。
それって。
ざあああ、と雨の音が、急に彼の耳に強く響きだした。
ぺたん、とざらつく校舎の壁に背をつけた。腕をつけた。
そのままずるずると、座り込んだ。腕が壁に擦れて痛かったが、それどころではなかった。
何なんだ何なんだ何なんだ。
死体なんだろうか。死体にされてしまったのだろうか。
少女達は、誰かに、殺されたんだろうか。
高村は今度こそ、本当になかなか動けない自分に気付いた。震えが止まらなかった。
あんな風に、壁に叩き付けて殺す様な奴なら、自分などひとたまりもないだろう。
ようやく自転車に手を掛け、彼はその場から走り去ろうとした。とにかく、すぐに逃げたかった。だけど上手く、身体が動かなかった。
と、その時だった。
「……落ち着け、落ち着けよ!」
子供の声が、聞こえた。少なくとも、自分よりずいぶん年下の、声変わりする前の、少年の声だった。
「やーだー、はなしてよー」
また、もう一人、少女が。
そう思った時、高村の足に、急に力が入った。彼は歯を食いしばり、ゆっくりと立ち上がった。
そしてそっと、本当にそうっと、中の様子を伺ってみた。
すると、本当に少年と少女が、そこには居た。
雨の中、踊る様に暴れる少女の両手を、少年は力を振り絞って掴んでいた。少年は少女を抑えるのに精一杯で、高村が見ていることには全く気付いていない様だった。
「あんたなんかー、ひとりじゃなんもできないくせにー。あたしのしごとだよ、これはあ」
「***!」
ぴく、とその声に、少女の動きは止まる。
名前を呼んだのかもしれなかった。ただそれは、彼にとっては耳慣れない音のものだった。
そして次の瞬間。
少年は、ポケットから何か取り出すと、口に含み、さして背丈も変わらない少女を抱きしめ、強く口づけた。
長い時間だった。
少なくとも高村にはそう思えた。
やがて少年は、少女をゆっくりと離した。既に少女からは暴れようとする様子は見られなかった。
少女は背後に座る二つの身体を見、次に自分の手を見た。少年は、大きくうなづいた。
「……嘘……」
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