35 / 40
34.翌朝の勧誘
しおりを挟む
「お、おはよー、高村先生」
「……何ですか、島村先生、これは……」
ああ、と島村は混乱している職員室を見渡しながら眉と両手を上げた。
「俺が来た時から、この調子。ま、仕方ないだろうね」
本当は、星形の眼鏡のフレームのことを聞いたのだが、高村はまあいいか、とその答えに納得する。
きっとこのごたごたの中だから、このフレームでも他の教師の誰にも文句を言われていないのだろう。
「それにしても高村先生、君ってほんっとうに不運だね」
「不運?」
「だって今日、君の実習の最後の日なのにさ。たぶん今日は、校長さんも教頭さんも、何も君のためにはできないと思うよ」
南雲の席には、彼女の気配は無い。当然だ。彼はその死体をこの目で見ているのだから。
あれは夢ではなかった。現実だ。
あの後、死体が何処でどうされようと、あそこであったことは、決して夢ではないのだ。
しかしその事実は胸の中に納めた。
あの時、別れを告げた垣内と村雨がどうしたのかも、彼らは知らない。彼は山東と共に、真っ直ぐその足で、駅へと向かったのだ。
全身濡れネズミの彼らを、乗客はじろじろと見たが、彼らにはそんなことはどうでも良かった。
とにかく頭の中の整理をつけることでお互い精一杯だった。車中の会話も、自分が先に出た時の「じゃあ」の一言しか無かった。
「じゃあ」。
「また会おう」とも、「もう会わない」とも取れる言葉。高村はその場では、どちらも選びたくはなかった。
高村は、あえて島村に問いかけた。
「何か、あったんですか?」
判っていて訊ねるというのも、なかなか勇気が要るものだ、と彼は思った。
「んー。何でも、今年度三つ目の『黒い箱』が来たらしい、けどね」
「『黒い箱』、ですか」
「そ」
それ以上言うな、とばかりに島村は本の山の上に置かれた新聞を手にした。
「あ、それから、南雲先生、何か今日、いきなり辞めたってことだから、今日一日だけど、君、担任してくれ、って教頭さんからのメッセージ」
そうか、と高村は気付く。あの二人は、「黒い箱」に南雲を詰めたのだ。だがこんな想像がすぐにできてしまう自分に、高村は一瞬、嫌気がさした。
「ほんっとうに君、不運だよなあ」
しみじみと島村は高村の顔を見る。
「何か、本当に、いきなりですねえ」
「本当にねえ。そうそう、彼女、君の査定もしてたんだよね。普通、こんなこと、無いよねえ」
「……」
「まあでも、化学の授業に関しては、森岡さんと半々だった訳だし。査定の方はちょっと遅れるかもしれないけど、御大がやってくれるんじゃないかなあ」
「だと、いいですが」
高村は力無くうなづいた。
「単位は大切だもんね。俺も昔苦しめられたよ…… あ、そういえば」
星形のフレームが、ぐい、と高村に近づけられる。
「な、何ですか」
「君さ、例の件、ちゃんと考えてみてくれた?」
「れ、例の件?」
何かあったかな、と彼は思わず椅子を退きながら、慌てて考える。島村はそれを見て、露骨に苦笑いを浮かべた。
「やだなー、昨日言ったでしょ。折り紙愛好会連合」
「あ」
忘れてた。高村は思わず声を上げた。慌ててズボンのポケットを探る。
「あ~」
案の定、昨夜濡れに濡れたせいか、折り畳まれた紙はもとの形を留めていなかった。
学校に履いて来られる様なまともなズボンは一着しかない。だから昨夜、慌てて脱水機に入れ、アイロンをかけまくり、なおかつ寝押しして、何とか履いて来られる状態に復元したのだ。
……しかし、中の手紙のことはすっかり頭の中から消え果てていた。
「あーらら。ひどいもんだね。やっぱり、見てなかったんだ」
そう言って、島村はひょい、と形の崩れた手紙をつまみ上げる。
「ま、判ってたけどさ」
そして彼は、めり、とその紙を真ん中から引き裂いた。
「な」
にを、と言いかけて、高村の声は止まった。中から、一枚の薄いプレートが出てきた。
こそっと島村はつぶやく。
「濡れたおかげで、この発信器、壊れちゃったんだよね。まあ、弁償しろ、とは言わないけどさ」
は、発信器? 高村の口は、声にならずにそう動いた。そんなものが。
「そ。結構これねー、精密範囲になればなるほどレベルが高くなるんだからねー」
「はあ」
どう反応していいのか、高村は困った。そしてはっ、と気付く。
「も、もしかして、昨日の電話……」
んー、と星形のフレームの向こうの目が細められる。
「感謝の意があるなら、本日十七時、化学準備室に来て欲しいなあ」
「化学準備室には行きますよ、どっちにしても。森岡先生にご挨拶しなくてはいけないし…… でも、どうして化学……」
「だから、折り紙愛好会連合の勧誘だって、言ったでしょ」
どうやらそれ以上のことは、答えてもらえそうにはないだろう。高村はあきらめた。
「……何ですか、島村先生、これは……」
ああ、と島村は混乱している職員室を見渡しながら眉と両手を上げた。
「俺が来た時から、この調子。ま、仕方ないだろうね」
本当は、星形の眼鏡のフレームのことを聞いたのだが、高村はまあいいか、とその答えに納得する。
きっとこのごたごたの中だから、このフレームでも他の教師の誰にも文句を言われていないのだろう。
「それにしても高村先生、君ってほんっとうに不運だね」
「不運?」
「だって今日、君の実習の最後の日なのにさ。たぶん今日は、校長さんも教頭さんも、何も君のためにはできないと思うよ」
南雲の席には、彼女の気配は無い。当然だ。彼はその死体をこの目で見ているのだから。
あれは夢ではなかった。現実だ。
あの後、死体が何処でどうされようと、あそこであったことは、決して夢ではないのだ。
しかしその事実は胸の中に納めた。
あの時、別れを告げた垣内と村雨がどうしたのかも、彼らは知らない。彼は山東と共に、真っ直ぐその足で、駅へと向かったのだ。
全身濡れネズミの彼らを、乗客はじろじろと見たが、彼らにはそんなことはどうでも良かった。
とにかく頭の中の整理をつけることでお互い精一杯だった。車中の会話も、自分が先に出た時の「じゃあ」の一言しか無かった。
「じゃあ」。
「また会おう」とも、「もう会わない」とも取れる言葉。高村はその場では、どちらも選びたくはなかった。
高村は、あえて島村に問いかけた。
「何か、あったんですか?」
判っていて訊ねるというのも、なかなか勇気が要るものだ、と彼は思った。
「んー。何でも、今年度三つ目の『黒い箱』が来たらしい、けどね」
「『黒い箱』、ですか」
「そ」
それ以上言うな、とばかりに島村は本の山の上に置かれた新聞を手にした。
「あ、それから、南雲先生、何か今日、いきなり辞めたってことだから、今日一日だけど、君、担任してくれ、って教頭さんからのメッセージ」
そうか、と高村は気付く。あの二人は、「黒い箱」に南雲を詰めたのだ。だがこんな想像がすぐにできてしまう自分に、高村は一瞬、嫌気がさした。
「ほんっとうに君、不運だよなあ」
しみじみと島村は高村の顔を見る。
「何か、本当に、いきなりですねえ」
「本当にねえ。そうそう、彼女、君の査定もしてたんだよね。普通、こんなこと、無いよねえ」
「……」
「まあでも、化学の授業に関しては、森岡さんと半々だった訳だし。査定の方はちょっと遅れるかもしれないけど、御大がやってくれるんじゃないかなあ」
「だと、いいですが」
高村は力無くうなづいた。
「単位は大切だもんね。俺も昔苦しめられたよ…… あ、そういえば」
星形のフレームが、ぐい、と高村に近づけられる。
「な、何ですか」
「君さ、例の件、ちゃんと考えてみてくれた?」
「れ、例の件?」
何かあったかな、と彼は思わず椅子を退きながら、慌てて考える。島村はそれを見て、露骨に苦笑いを浮かべた。
「やだなー、昨日言ったでしょ。折り紙愛好会連合」
「あ」
忘れてた。高村は思わず声を上げた。慌ててズボンのポケットを探る。
「あ~」
案の定、昨夜濡れに濡れたせいか、折り畳まれた紙はもとの形を留めていなかった。
学校に履いて来られる様なまともなズボンは一着しかない。だから昨夜、慌てて脱水機に入れ、アイロンをかけまくり、なおかつ寝押しして、何とか履いて来られる状態に復元したのだ。
……しかし、中の手紙のことはすっかり頭の中から消え果てていた。
「あーらら。ひどいもんだね。やっぱり、見てなかったんだ」
そう言って、島村はひょい、と形の崩れた手紙をつまみ上げる。
「ま、判ってたけどさ」
そして彼は、めり、とその紙を真ん中から引き裂いた。
「な」
にを、と言いかけて、高村の声は止まった。中から、一枚の薄いプレートが出てきた。
こそっと島村はつぶやく。
「濡れたおかげで、この発信器、壊れちゃったんだよね。まあ、弁償しろ、とは言わないけどさ」
は、発信器? 高村の口は、声にならずにそう動いた。そんなものが。
「そ。結構これねー、精密範囲になればなるほどレベルが高くなるんだからねー」
「はあ」
どう反応していいのか、高村は困った。そしてはっ、と気付く。
「も、もしかして、昨日の電話……」
んー、と星形のフレームの向こうの目が細められる。
「感謝の意があるなら、本日十七時、化学準備室に来て欲しいなあ」
「化学準備室には行きますよ、どっちにしても。森岡先生にご挨拶しなくてはいけないし…… でも、どうして化学……」
「だから、折り紙愛好会連合の勧誘だって、言ったでしょ」
どうやらそれ以上のことは、答えてもらえそうにはないだろう。高村はあきらめた。
0
あなたにおすすめの小説
義妹の嫌がらせで、子持ち男性と結婚する羽目になりました。義理の娘に嫌われることも覚悟していましたが、本当の家族を手に入れることができました。
石河 翠
ファンタジー
義母と義妹の嫌がらせにより、子持ち男性の元に嫁ぐことになった主人公。夫になる男性は、前妻が残した一人娘を可愛がっており、新しい子どもはいらないのだという。
実家を出ても、自分は家族を持つことなどできない。そう思っていた主人公だが、娘思いの男性と素直になれないわがままな義理の娘に好感を持ち、少しずつ距離を縮めていく。
そんなある日、死んだはずの前妻が屋敷に現れ、主人公を追い出そうとしてきた。前妻いわく、血の繋がった母親の方が、継母よりも価値があるのだという。主人公が言葉に詰まったその時……。
血の繋がらない母と娘が家族になるまでのお話。
この作品は、小説家になろうおよびエブリスタにも投稿しております。
扉絵は、管澤捻さまに描いていただきました。
お飾りの妻として嫁いだけど、不要な妻は出ていきます
菻莅❝りんり❞
ファンタジー
貴族らしい貴族の両親に、売られるように愛人を本邸に住まわせている其なりの爵位のある貴族に嫁いだ。
嫁ぎ先で私は、お飾りの妻として別棟に押し込まれ、使用人も付けてもらえず、初夜もなし。
「居なくていいなら、出ていこう」
この先結婚はできなくなるけど、このまま一生涯過ごすよりまし
三十年後に届いた白い手紙
RyuChoukan
ファンタジー
三十年前、帝国は一人の少年を裏切り者として処刑した。
彼は最後まで、何も語らなかった。
その罪の真相を知る者は、ただ一人の女性だけだった。
戴冠舞踏会の夜。
公爵令嬢は、一通の白い手紙を手に、皇帝の前に立つ。
それは復讐でも、告発でもない。
三十年間、辺境の郵便局で待ち続けられていた、
「渡されなかった約束」のための手紙だった。
沈黙のまま命を捨てた男と、
三十年、ただ待ち続けた女。
そして、すべてを知った上で扉を開く、次の世代。
これは、
遅れて届いた手紙が、
人生と運命を静かに書き換えていく物語。
妻からの手紙~18年の後悔を添えて~
Mio
ファンタジー
妻から手紙が来た。
妻が死んで18年目の今日。
息子の誕生日。
「お誕生日おめでとう、ルカ!愛してるわ。エミリア・シェラード」
息子は…17年前に死んだ。
手紙はもう一通あった。
俺はその手紙を読んで、一生分の後悔をした。
------------------------------
わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...
MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。
ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。
さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか?
そのほかに外伝も綴りました。
龍王の番〜双子の運命の分かれ道・人生が狂った者たちの結末〜
クラゲ散歩
ファンタジー
ある小さな村に、双子の女の子が生まれた。
生まれて間もない時に、いきなり家に誰かが入ってきた。高貴なオーラを身にまとった、龍国の王ザナが側近二人を連れ現れた。
母親の横で、お湯に入りスヤスヤと眠っている子に「この娘は、私の○○の番だ。名をアリサと名付けよ。
そして18歳になったら、私の妻として迎えよう。それまでは、不自由のないようにこちらで準備をする。」と言い残し去って行った。
それから〜18年後
約束通り。贈られてきた豪華な花嫁衣装に身を包み。
アリサと両親は、龍の背中に乗りこみ。
いざ〜龍国へ出発した。
あれれ?アリサと両親だけだと数が合わないよね??
確か双子だったよね?
もう一人の女の子は〜どうしたのよ〜!
物語に登場する人物達の視点です。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる