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24.「眠らせてやってくれ」
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無論ハルはシファじゃない。あのように自爆することなどあり得ないだろう。だが。
『そうだよく判っているな。ハルは忘れているようだから、お前に伝えることにした』
だが朱明は首を横に振った。無造作にくくった髪が、揺れる。
「ハルは忘れているんじゃなくて、忘れさせられているんだろう? 夜長の君? 俺はシファの言葉を聞くたびにひっかかっていた。彼女は、このままでは忘れてしまう、と言った。自分では判らないうちに。そしてデザイアは、シファを生かすためには忘れさせるのだと言った。結果として、両方の思いは解け合って、同じ結果になったが…… ハルにも、似たようなことが起きているんじゃないか?」
『それはあり得る』
「彼女」はきっぱりと言う。
『ハルは意志も何も無い状態のものに取りついていたから、それがただの器だと思っているようだが、それはまだ意志が形になっていないだけだ。混沌とした、まだそれ以前の段階。だからこそ、生きることには貪欲だ。奴らはハルがそう思っても、そうさせないだろう』
「俺もそう思った」
朱明はうなづく。
「だがあんたの言う理屈に照らせば、それもまた、いつかは、意志を持つんだろう?」
『お前次第だがな』
「持つことになるよな」
彼はややまぶしそうに目を細めた。
「だから、俺はあんたに頼みに来たんだ」
『頼みか』
「そう。無理を承知で頼みに来た」
『無理などと思っていないくせに、何を言う。……何だ?』
彼は目を伏せた。
「俺が死んで、もし、奴が、それでも忘れないようだったら…… そしてシファのように、自爆もできないようだったら……」
目を開ける。強い意志がそこにはあった。
「眠らせてやってくれ」
『眠らせる。それはあの身体を破壊するという意味か』
「違う。言葉通りだ。あんたの、この場所で、好きなだけ、奴を眠らせてやってほしい」
朱明は、あの花畑を思い出す。
相棒を追いかけて、連れ戻しに行った、あの「花畑」。
ハルは白い花の中に埋まって、眠っていた。
かつて相棒は、もう何もかも忘れて、眠りについてしまいたい、と遠い昔は歌っていた。
歌は失われ、肉体も失われ、ただ精神だけが、こちら側に戻ってきた。
戻ってきた相棒の手には、何もなかった。
その昔生きるために必要だった歌も、生身の身体を育てた故郷も、家族も、全てが、失われていた。
無理矢理にでも、戻したのは自分だ。
朱明は時々思う。あの時引き戻したのは、間違いではなかっただろうか。
いや。そのたびに彼は内心頭を大きく振って否定する。
ハルには、帰る意志がそれでもあったのだ。
無かったら、きっと入り込んだ自分までもが、あの通常とは違う空間に閉じこめられていただろう。
戻ってこれたのは、ハルのおかげでもある。そして自分は、それからの日々を、ともかくも、幸せという気持ちのまま、やってこられたのだ。
そして、彼もまた、忘れていた。
『お前はそれでいいのか?』
「俺はいい。俺はいつかは死ぬんだ。俺は生身の人間だから、どんなメンテをしたところで、生きられる年数には限りがある。だが奴は、手を加えれば、人間よりも長く生きられるだろうよ。……それで、奴が忘れてしまうんなら、それはそれでいい。それで奴が、幸せに生きていけるのなら、俺は。いっそ、そう、忘れてくれればいいと思う。期待すらしている。だけど」
『だけど?』
「あいにく俺には、それが期待に終わるだろうことが、判ってしまうんだよ」
『……ずいぶんな自信だな』
「何とでも言ってくれ。だから頼んでいるんだ夜長の君。お願いします。何だっていい。土下座をしろと言えばするよ? そんなことですむのなら、俺にはお安いご用だ」
夜長の君は、その綺麗な顔に、薄く笑みを浮かべた。
『お前の土下座など見たくはないよ朱明。だが約束はしよう。私はハルには借りがある。お前が死んで、ハルが暴走したら、私は奴を手元に引き受ければいいのだな?』
「ああ。奴がそこでまた自分から目覚めるまでは」
きっとその時には、また何か意味があるのだろうから。
『なるほど。承知した。だが朱明、その時お前はどうするのだ?』
はい? と彼は問い返した。
『お前は。素直に理《ことわり》の中に身を沈めるつもりはなかろう?』
「はて」
言いたいことは言ってしまった、受けてもらいたい望みは受けてもらったという気持ちが彼の表情を和らげる。口元がひらりと緩む。
「そうだな。その時には、ちょっとばかりあんたの空間に、居候させてくれないかな?」
『ずうずうしい奴だな』
「なあ夜長の君」
何だ、と「彼女」は問い返す。
「俺は昔、葬式があることが、先に判る体質の子供だったんだ」
『それが何だ』
「俺には、見えたんだよ。その逝った奴の影が、黒く通っていくのを」
今なら判る、と彼は思う。あの時、彼らがユエとその場にあった植物を、ある程度整理して運び出す時、彼は久しぶりに、それが通っていくのを見たのだ。
「逝った奴は、残された奴が心配で、自分の姿が見えないのを承知で、やってくるんだ。そして自分抜きでも騒がしく何とかやっている葬式という奴を見て、安心して行くべき場所に行くんだよ」
『なるほど』
何処まで判っただろうか、と思いながらも、朱明は「彼女」に対し、にやりと笑った。
「俺が、そうなるんなら、なかなか似合ってると思わないか?」
『なるほどお前は黒いしな』
そして夜長の君の笑顔は、確かに綺麗だった。
―――俺は、奴を外に出してやりたいんだ。
―――俺なんかどうなってもいいから、奴に、外で、幸せになってもらいたいんだ……
朱明はその昔、相棒が言った言葉を知らない。
『そうだよく判っているな。ハルは忘れているようだから、お前に伝えることにした』
だが朱明は首を横に振った。無造作にくくった髪が、揺れる。
「ハルは忘れているんじゃなくて、忘れさせられているんだろう? 夜長の君? 俺はシファの言葉を聞くたびにひっかかっていた。彼女は、このままでは忘れてしまう、と言った。自分では判らないうちに。そしてデザイアは、シファを生かすためには忘れさせるのだと言った。結果として、両方の思いは解け合って、同じ結果になったが…… ハルにも、似たようなことが起きているんじゃないか?」
『それはあり得る』
「彼女」はきっぱりと言う。
『ハルは意志も何も無い状態のものに取りついていたから、それがただの器だと思っているようだが、それはまだ意志が形になっていないだけだ。混沌とした、まだそれ以前の段階。だからこそ、生きることには貪欲だ。奴らはハルがそう思っても、そうさせないだろう』
「俺もそう思った」
朱明はうなづく。
「だがあんたの言う理屈に照らせば、それもまた、いつかは、意志を持つんだろう?」
『お前次第だがな』
「持つことになるよな」
彼はややまぶしそうに目を細めた。
「だから、俺はあんたに頼みに来たんだ」
『頼みか』
「そう。無理を承知で頼みに来た」
『無理などと思っていないくせに、何を言う。……何だ?』
彼は目を伏せた。
「俺が死んで、もし、奴が、それでも忘れないようだったら…… そしてシファのように、自爆もできないようだったら……」
目を開ける。強い意志がそこにはあった。
「眠らせてやってくれ」
『眠らせる。それはあの身体を破壊するという意味か』
「違う。言葉通りだ。あんたの、この場所で、好きなだけ、奴を眠らせてやってほしい」
朱明は、あの花畑を思い出す。
相棒を追いかけて、連れ戻しに行った、あの「花畑」。
ハルは白い花の中に埋まって、眠っていた。
かつて相棒は、もう何もかも忘れて、眠りについてしまいたい、と遠い昔は歌っていた。
歌は失われ、肉体も失われ、ただ精神だけが、こちら側に戻ってきた。
戻ってきた相棒の手には、何もなかった。
その昔生きるために必要だった歌も、生身の身体を育てた故郷も、家族も、全てが、失われていた。
無理矢理にでも、戻したのは自分だ。
朱明は時々思う。あの時引き戻したのは、間違いではなかっただろうか。
いや。そのたびに彼は内心頭を大きく振って否定する。
ハルには、帰る意志がそれでもあったのだ。
無かったら、きっと入り込んだ自分までもが、あの通常とは違う空間に閉じこめられていただろう。
戻ってこれたのは、ハルのおかげでもある。そして自分は、それからの日々を、ともかくも、幸せという気持ちのまま、やってこられたのだ。
そして、彼もまた、忘れていた。
『お前はそれでいいのか?』
「俺はいい。俺はいつかは死ぬんだ。俺は生身の人間だから、どんなメンテをしたところで、生きられる年数には限りがある。だが奴は、手を加えれば、人間よりも長く生きられるだろうよ。……それで、奴が忘れてしまうんなら、それはそれでいい。それで奴が、幸せに生きていけるのなら、俺は。いっそ、そう、忘れてくれればいいと思う。期待すらしている。だけど」
『だけど?』
「あいにく俺には、それが期待に終わるだろうことが、判ってしまうんだよ」
『……ずいぶんな自信だな』
「何とでも言ってくれ。だから頼んでいるんだ夜長の君。お願いします。何だっていい。土下座をしろと言えばするよ? そんなことですむのなら、俺にはお安いご用だ」
夜長の君は、その綺麗な顔に、薄く笑みを浮かべた。
『お前の土下座など見たくはないよ朱明。だが約束はしよう。私はハルには借りがある。お前が死んで、ハルが暴走したら、私は奴を手元に引き受ければいいのだな?』
「ああ。奴がそこでまた自分から目覚めるまでは」
きっとその時には、また何か意味があるのだろうから。
『なるほど。承知した。だが朱明、その時お前はどうするのだ?』
はい? と彼は問い返した。
『お前は。素直に理《ことわり》の中に身を沈めるつもりはなかろう?』
「はて」
言いたいことは言ってしまった、受けてもらいたい望みは受けてもらったという気持ちが彼の表情を和らげる。口元がひらりと緩む。
「そうだな。その時には、ちょっとばかりあんたの空間に、居候させてくれないかな?」
『ずうずうしい奴だな』
「なあ夜長の君」
何だ、と「彼女」は問い返す。
「俺は昔、葬式があることが、先に判る体質の子供だったんだ」
『それが何だ』
「俺には、見えたんだよ。その逝った奴の影が、黒く通っていくのを」
今なら判る、と彼は思う。あの時、彼らがユエとその場にあった植物を、ある程度整理して運び出す時、彼は久しぶりに、それが通っていくのを見たのだ。
「逝った奴は、残された奴が心配で、自分の姿が見えないのを承知で、やってくるんだ。そして自分抜きでも騒がしく何とかやっている葬式という奴を見て、安心して行くべき場所に行くんだよ」
『なるほど』
何処まで判っただろうか、と思いながらも、朱明は「彼女」に対し、にやりと笑った。
「俺が、そうなるんなら、なかなか似合ってると思わないか?」
『なるほどお前は黒いしな』
そして夜長の君の笑顔は、確かに綺麗だった。
―――俺は、奴を外に出してやりたいんだ。
―――俺なんかどうなってもいいから、奴に、外で、幸せになってもらいたいんだ……
朱明はその昔、相棒が言った言葉を知らない。
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