女性バンドPH7②マイペースな女性ギタリストが男の娘と暮らしていた件について。

江戸川ばた散歩

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第38話 DBの家の事情③

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 そう口にしながら、彼の心臓は次第に鼓動を早めつつあった。静まれ、と彼は自分自身に命ずる。だが気持ちの冷静さに比べ、身体は正直だった。

「私に答えられることなら何でも」
「……権利の放棄、ってどうすればいいんですか?」

 君、と鳥留氏は弾かれた様に彼の方を向いた。

「……ふざけるのは止したまえ、大介君」
「ふざけている、とお思いですか?」

 彼はまっすぐ、弁護士氏の方を向いた。ううむ、と相手は眉を軽く寄せた。

「無論、方法を知らない訳ではないが、そういうことは、軽々しく言うものではないよ」

 初めから馬鹿なことを、と言わないあたり、このひとには脈がある。彼はそう感じていた。

「僕は」

 彼は年長者の意見を受け流し、口を開く。心臓の鼓動はどんどん早く、大きくなっていく。大事なことだ。これは自分にとって、大切なことなのだ。
 どうしても答えが欲しい、大事なことなのだ。

「兄は…… あのひとは、僕を自分の片腕にしようと思っているのでしょうか」
「当然それは考えられるね。何しろ現在、あの一朗君にとって、最も近しい肉親は君だけなのだから。たとえ母親が異なったとしても、同じ父親の血を引くものとしてね」
「そうかもしれません。でも」

 一度彼は、そこで言葉を切る。

「僕と彼は、違うんです」
「そりゃあ、人間皆違う」
「しかしあのひとは、自分と僕を混同しています。僕はあのひとのように、あの会社や…… そういった中で、上に立つ人間としてやっていく才能は無いです」
「自分でそうやって言い切ってしまうのかい?」
「はい」
「それは逃げじゃないのかい?」

 彼は一瞬詰まる。だがそこで踏みとどまらなくてはならないのだ。

「……鳥留さんは、どうして弁護士になろうと思いましたか?」

 質問をした側は苦笑する。
 された側は、何をいきなり、と目を大きく広げる。そしてあの感じのいい口元だけの笑みを浮かべた。

「さあ、もう遠い昔のことだから忘れたよ」
「でも、自分がやったから、できたから、ってきょうだいにまで、同じ職業を選べ、とは言わなかったんではないですか?」
「……私には、きょうだいは無いんだよ、大介君」

 ははは、と鳥留氏は笑った。彼はあ、と言って口を押さえる。決めつけているのは自分も同じじゃないか。

「いや、でもまあ、君の言いたいことは判るよ。そう、きょうだいは居ない。だが娘と息子が一人ずつ居る。確かに、どちらも弁護士どころか、文系とは縁の無いことをしているな」

 その言葉を聞いて、彼は少しだけほっとする。

「だがそれは、二人とも、その分野にしたいことがあったからだ。私がそれならあれこれ口出すことでもないだろう。だが君は、何かその、会社に関わるのが嫌だというのなら、他にしたいことがあるのかい?」

 彼は詰まった。つまりはそれが自分のネックなのだ。
 人にこうと主張できる程の強い肯定的な「何か」が無い。
 「嫌だから」という消極的な理由だけでは、あまりにも理由としては弱すぎるのだ。たとえそれが、自分にとって最も大きな理由であったとしても!
 だから彼はいいえ、と答えた。

「だったら、もう少し続けてみたまえ。その中で、自分に向いたものがあるのかもしれない」

 あるのだろうか。ぽん、と置かれた鳥留氏の手は大きくて暖かい。少しはそれを信じてみてもいいのかもしれない、と彼は思った。

 だが。



「どういうつもりだ?」

 あああの目だ、と彼は思った。頬が痛い。どうして自分が床に転がっているのか、彼にはすぐには理解できなかった。
 ああそうだ、自分は「兄」に殴られたのだ。
 その勢いが強すぎて、大したウエートもない自分は吹っ飛ばされてしまったのだ。

「……何の、ことですか?」
「空とぼけるんじゃない」

 彼は床でこすれた頬を撫でる。擦り傷までは行っていないが、それでもひりひりと痛む。

「お前、鳥留に何を言った」
「何を、とは」
「権利を放棄したい、と言ったそうだな」

 鳥留氏が言ったのだろうか。彼は考える。いや、どうだろう。

「鳥留さんが…… 言われたのですか?」
「そんなことはどうでもいいだろう」

 なるほど。
 彼は奇妙に冷静な頭で納得した。
 鳥留氏が言った訳ではない。おそらく、この家の中の誰かが、自分達の会話を聞いていたのだ。
 それが誰であるかはどうでもいいことだ。問題は、誰かしらが自分達の会話が聞こえる所に居た、ということだ。

「冗談にしても程がある」

 「兄」は吐き捨てる様に言った。

「……冗談ではないです」

 彼はぼそ、と言った。だがその言葉は果たして届いたのかどうか。

「今度そんなことを口にしてみろ。お前を今の学校から転校させる」

 そんな無茶な、と彼は思った。既に三年も半分まで行ったというのに。そんな時期に転校する馬鹿も転校させる馬鹿もいないだろう。
 だがそんなことが、きっとできるのだ。出来なければこの男はそれを口にはしないだろう。
 わかりました、と彼は乾いた声で答えた。判ったならいい、と「兄」は言った。

「今日のうちに、身の回りの荷物をまとめておけ。明日から、離れではなく、お前は本宅の方に移れ」

 はい、と彼は答えた。そしてその晩、彼は身の回りの荷物をまとめた。
 だがそれは、本宅に移るためではなかった。
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