〈完結〉ごめんなさい、自分の居た場所のしていたことが判らなかった。

江戸川ばた散歩

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15 無力さを噛みしめる

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 翌朝。
 あれは夢だったのではないか、と彼女は思った。
 思いたかった。
 だが窓には鍵が掛かっていなかったし、カーテンも半開きだった。
 それに、パジャマの上にカーディガンを着たままでベッドに入るということはまず無い。
 それに何よりも、強い強い腕の感触が、残っている。
 あれは現実だった。
 しかしあれが現実ならば、現実だと言うのなら。

「変な夢だったんですよ。クニが出てきて」
「あらあ。そうねえ、あの子、真理子先生、あなたのお気に入りだったものね」

 先輩格の職員に、洗濯物を畳む作業をしながら、さりげなく話を振ってみた。

「昨日、リョウ達と映画見に行ったせいだと思いますけどね…彼一人居ないし」
「そうねえ。ま、可哀想だけど、仕方ないわね」
「そうですね。あたし詳しくは知らないんですけど、吉野先生はご存じですか? どうやって、あの子達、使われてるんですか?」

 できるだけさりげなく。
 この言葉を使うのはなかなかに苦しかったが。
 だがさすがに先輩格の彼女は、それが当然、という口調でこう言った。

「そうねえ。私も良くは知らないわ。でもうーん、訓練の後、海外に、とか言ってたから、そういうことなんじゃないかしら」
「そういうこと、ですか。はあ確かに」
「ね」

 それで吉野は納得した様だった。
 大量の洗濯物。取り込んだばかりのそれを、どんどん畳んで行く。
 積み上げて行く。
 当たり前の光景。

「ほら、ねえ、あの子達って、他に使い道なんて無いでしょうに」

 当たり前の様に、吉野は言った。
 そして「ね」と同意を求める。
 真理子はそれには気付かなかった様に、急に立ち上がった。

「あ、やだ、これ、上手く汚れが取れてない」
「あらそう?」
「あたしちょっと、これだけ洗い直してきますね」

 さっ、と彼女はその場から立ち上がった。
 どうにもならない感情が、喉元からあふれ出してきそうだった。
 皆の話をまとめれば。
 それを全部信じていいとするなら。
 彼女は洗面所のバケツの中に、汚れたはずのタオルを押し込んだ。
 本当は何処も汚れていない。
 だが彼女は部分洗い用の棒石鹸をそこになすりつけた。
 とにかくうつむいて、手を動かしていたかった。
 冗談じゃない。

 一体あたしは―――



 退職願は意外な程あっさりと受理された。

「長距離恋愛をしている恋人と結婚するので、その準備のため」

 適当な口実だった。

「残念ですねえ」

 眩しい程の頭の園長は、いつもと変わらない穏やかな笑顔でそう言った。

「尾原先生だったら、彼らを強い子供に育ててくれると思ったのですが」

 それはここに就職が決まった時にも言われたことだった。
 あなたの様な意思の強いひとなら、強い子供を育ててくれそうだ、と。
 そうかもしれない。
 そうだったかもしれない。
 けど。

「ま、ひとにはそれぞれ事情がありますからねえ」
「すみません」
「ああ、そう言えば、あの子、捕まったそうですよ」

 園長はさらりと言った。
 一瞬、心臓が跳ね上がった。

「は? 何のことですか?」

 真理子はできるだけ冷静な声を絞り出した。

「いや、こっちの勘違いですね。お幸せに、尾原先生」

 今までありがとうございました、と真理子は頭を下げた。



 真理子は慌てて荷物をまとめ、目的地のウイークリーマンションに送らせた。
 素早い行動だった。
 まとめた荷物の中身をいちいち調べてはいない。
 いつか調べなくてはならないかもしれない。
 でもどちらでもいい。
 ほとんど処分するかもしれない。
 それに、何処に居ても、本当の意味で逃げることなど、できない様な気がした。
 だがそれでも、ここには居たくなかった。
 逃げたかった。
 どうしても逃げたかった。
 それは彼女のそれまでの生き方に完全に反していた。
 だがそれでも構わなかった。
 とにかく、もうここには、居たくなかったのだ。

 荷物を運び出す車に、駅まで送ってもらうと、そのままやってきた列車にすぐさま乗り込んだ。
 乗り継ぎの関係も、どうでも良かった。
 車内は客がほとんどいなかった。
 この時間に各駅停車を使う客などほとんど居ないのだ。
 がたんがたん、と揺れるたびに、身をすくめたくなる様な気持ちに襲われる。

 ごめん、カナ、ごめん、ユキ。

 今度はこの二人が、クニの様にされるのか。
 それが判っていても、自分は何もしようとしない。いや、できない。
 気が付くと、真理子の中には言い訳ばかりが頭をよぎって行った。
 そして思った。

 ――あたしは、無力だ。

 喉の奥から、洗濯していた時以来、必死で止めていた嗚咽がほとばしる様にあふれてきた。
 奥歯を思い切り噛みしめる。
 拳を握りしめる。

「ううう……」

 だがこの先、無力かどうかは、まだ判っていない。
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