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第6話 「何処でも、空は青いんだ」
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「判ったよ。聞かない。とにかく君は俺の命の恩人だからね」
「あたしはそんなものじゃないわ。恩人というならミッシャよ。ミッシャに言って。あなたの精一杯の誠意を。あの子はそういうものに餓えてるわ」
彼は眉をひそめる。
「いじめられている?」
「みたいね」
「だけどそれは……」
「あたしのせいよ。それは知ってるわ」
白い糸が、きゅ、と引っ張られる。
どうやらその話題も、彼女の作業を止めさせはしないようだった。何やら彼女には考えるところがあるらしい。
そしてそれは、外部の自分には、手を出せない部分なのだ。
「前に、ここで作られたらしい軍旗を見たことがあるよ」
「ふうん。どんなのだったの?」
「降りてきた船に付けられていた。真紅の地に、金の縁飾りがついていて、羽根の大きな鳥がモチーフになってた」
「鳥ならね、今でも大丈夫だわね」
「何か、大丈夫じゃない図柄ってあるのかい?」
「天使よね。羽根を持った、人間の図。別にそれはそれと関係ないとは思うのに、敵さんが敵さんだから、それを描くことは駄目ってことになっちゃったわ」
「なるほど。君はそういうのを見たことはあるの?」
彼女は顔を上げた。
「何を?」
「いや、昔作られたそういう図案を」
「ないわ」
素っ気なく、彼女は首を振った。
つけっぱなしにしてあるラジオが、ぶつぶつと音を立て始める。彼女は手を伸ばすと、少しだけヴォリュームを上げた。
「今日の放送の時間よ」
地方によっては、放送など殆ど無いところもある。電波状態の良くない惑星なら殊更だ。最もいい電波状態の時間だけ、それは流されるのだろう、と彼は思う。
ぶつぶつ、と抑揚の無い男性の声がニュースを読み上げる。語尾の跳ねる発音が、彼女と違ってどうも耳障りだった。
「それでもだんだんいい方向には向かっているみたいね」
さすがに彼女も手を止めて、ニュースの内容を確認していた。
「今度、とりあえずの協定を結ぶために、むこうさんから使者が来るらしいって。そうね、うちの惑星あたりに来るなら、将官まではいかないでしょ」
「むこうって」
「アンジェラスの軍よ。あなた帰る? その時にでも。ちょうどいいわよ?」
「……いや……」
彼は目を伏せた。
*
そんな風にして、平穏ないくらかの日々が過ぎて行った。
サッシャは毎日工場へと出かけていき、帰りは夕方である。十日に一日くらい、いつとは決まっていないが、休みはあるらしい。
ミッシャは学校へは行っていない。
行っていた時もあったようだが、どうにも肌に合わず、やがて行くのを止めてしまったのだという。
とはいえ、十三とという歳は、そう全体的に裕福ではない地域においては、学校へ行くより、働く少年少女も多い。だから学校に行かせていないということで、育てている姉に非難が来るということはなかった。
実際、時々姉の働く工場へ行っては、軽い仕事をもらっているらしい。
出かけても用がない時には、帰って家の中の細々としたことを働く姉のかわりに片づけているのだという。
どちらかというと、天気の悪い日の方が「用」はあるのだという。
雨降りの時にだけ必要な雑用、というものもあるらしかった。
少年は姉よりは早く、ずぶぬれになって帰ってくる。そして晴れた日には、仕事が無い。
そういう日に少年は、外へ遊びに出てはいるらしいのだが、……どうも様子がおかしいことに、彼は気付いていた。
いじめられている、ということに彼が気付くのは難しいことではなかった。時々身体につけられてくる小さな、だけどたくさんの傷がそれを証明している。
なのに姉はそれを知っていながら何かする訳でもない。
そして少年も、判っているのに、外へ出かけて、おそらくはこの地の同年代の少年少女と遊んでいるのだ。
彼にはよく判らなかった。
*
その日もまたよく晴れていた。サッシャは工場へ朝から出かけていたし、ミッシャもまた、晴れた日は早くから外へと出かけていた。行き先を書いても行かないので、彼は少年が何処へ行くのか、見当もつかなかった。
太陽が中天に差し掛かる頃、彼は相変わらずすることを探しながら、家の周囲を散策していた。
彼女の家は、どちらかというと、この里の外れの方にあたるらしい。
そう大きくはない家の中には、大きな窓が幾つかあったが、隣の家の屋根のくすんだピンク色が遠くに見える側とは反対側の窓からは、草原を挟んで林のようなものが見えていた。
じゃあこれだけはやっておいてくれると助かるわ、とサッシャに言われたことをやってしまっていた彼は、そちら側へ行くぶんなら、里の人間の目を引くこともないだろう、と足を伸ばしてみることにした。
だが草原とはいえ、その生え方は尋常ではない。
さわさわと吹く風に、ゆるやかになびくと言えば聞こえはいいが、その草が、腰くらいあるものだったとしたら、それはさながら、草の海と言ってもいい。
足下も見えない。ブーツを履いていないことがふと不安になる程だった。それを心配している自分に、一瞬後には苦笑を返したのだが。
それでも海には果てがあったようで。
やがて、土地が高くなってきたのか、生えている草の種類が変わってきたのか、林に近づくにつれ、草は低いものにと変わってきた。
草の海から上がってきた彼の視界に入ったのは、草とは異なった緑だった。草とは別の芳しい香りを放つ、林だった。
彼はその辺りの木々を見渡してみる。彼の母星、彼が渡ってきた惑星では見たことの無いような、高い、だけど柔らかな形でもって空へ枝を伸ばしている。
どちらかというと……
彼はぼんやりとその木々の先が指す空を眺めていた。やはり、ずいぶんと青かった。
ふと彼は、右肩のあたりに何かしらむずかゆい様な感覚を覚えた。
何だろう?
振り向くと、実にささやかな小径が、そこにはできていた。
小径と言っても、作られたものではない。人が、何度も同じ所を通ったために、自然に草が分けられ、木々の間に絡む蔦が除けられていった…… それだけのもののように見えた。
再び何やら、右肩にうずくものがある。何だろう、と彼は思った。
得体の知れないものが身体の奥から何かを告げる。そんな時にはとりあえず思考を停止して、それに従うことにしていた。
少なくとも俺にとって危険なものではないはずだ。
小径をしばらく進んでいくと、いきなり視界が開けた。彼は驚いて、しばらくその光景に目を見張った。
林は、思った程深いものではなかった。
いや、そうではない。開けた場所の向こうには、まだ別の林がある。そこだけが、忽然と開けているのだ。
あちこちに、大木が転がっている。それは人の力で切り倒した、というよりは、何か巨大なものが落ちたかぶつかったかして、なぎ倒されたようにも見える。
何故か、その辺り一帯の地面が、白く固く乾いていて、草一つ生えていない。彼はかがみこみ、地面に手を触れた。
指でつまみ上げたら、土はさらさらとこぼれた。土というより、砂に近いものだ。
またふっと肩に気配を感じる。彼は顔を上げた。
少年が、こちらを見つめていた。
「……ミッシャ」
少年は、倒れた木の一つに腰掛けていた。彼はゆっくりとミッシャのそばに近づいた。
「座っても、いいかな」
ミッシャはうなづいた。巻き毛が揺れる。彼は少年の横にかけると、両手をついて空を見上げた。
静かだった。
遠くに飛ぶ鳥の、時々鳴く声や、風に揺れる木々の、互いに微かに触れ合う音だけが、緩やかに彼の周りを回る大気に乗って絡もうとしてくる。
高い場所にあるだろう雲が、ゆっくりと流れていく。
「綺麗だよね」
何気なく彼はつぶやいた。
「何処でも、空は青いんだ」
少年は軽く首を傾げた。
「ここに来る前のところがね、やっぱり空が綺麗だったんだ。あまりごみごみしたところのない所で……」
言いかけて、彼は苦笑する。
「こんな話、しても仕方がないな。つまらないことだよ」
ミッシャは首を横に振った。空の色を映したような青い目がじっと彼を見つめている。つまらないことじゃない、と言いたげに。
「つまらなくない?」
少年は大きくうなづいた。そしてぎゅ、と彼の右の袖を掴む。
「そうだね…… 少しだけ、じゃ、聞いてくれる?」
掴んだ手に力が込められた。彼は目を軽く伏せた。こんなことをこの子に話してどうするのだろう、という気がしない訳でもない。実際言ったところで、何かなるという訳でもない。
だが。
「俺は、墜ちたんだ。空から」
「あたしはそんなものじゃないわ。恩人というならミッシャよ。ミッシャに言って。あなたの精一杯の誠意を。あの子はそういうものに餓えてるわ」
彼は眉をひそめる。
「いじめられている?」
「みたいね」
「だけどそれは……」
「あたしのせいよ。それは知ってるわ」
白い糸が、きゅ、と引っ張られる。
どうやらその話題も、彼女の作業を止めさせはしないようだった。何やら彼女には考えるところがあるらしい。
そしてそれは、外部の自分には、手を出せない部分なのだ。
「前に、ここで作られたらしい軍旗を見たことがあるよ」
「ふうん。どんなのだったの?」
「降りてきた船に付けられていた。真紅の地に、金の縁飾りがついていて、羽根の大きな鳥がモチーフになってた」
「鳥ならね、今でも大丈夫だわね」
「何か、大丈夫じゃない図柄ってあるのかい?」
「天使よね。羽根を持った、人間の図。別にそれはそれと関係ないとは思うのに、敵さんが敵さんだから、それを描くことは駄目ってことになっちゃったわ」
「なるほど。君はそういうのを見たことはあるの?」
彼女は顔を上げた。
「何を?」
「いや、昔作られたそういう図案を」
「ないわ」
素っ気なく、彼女は首を振った。
つけっぱなしにしてあるラジオが、ぶつぶつと音を立て始める。彼女は手を伸ばすと、少しだけヴォリュームを上げた。
「今日の放送の時間よ」
地方によっては、放送など殆ど無いところもある。電波状態の良くない惑星なら殊更だ。最もいい電波状態の時間だけ、それは流されるのだろう、と彼は思う。
ぶつぶつ、と抑揚の無い男性の声がニュースを読み上げる。語尾の跳ねる発音が、彼女と違ってどうも耳障りだった。
「それでもだんだんいい方向には向かっているみたいね」
さすがに彼女も手を止めて、ニュースの内容を確認していた。
「今度、とりあえずの協定を結ぶために、むこうさんから使者が来るらしいって。そうね、うちの惑星あたりに来るなら、将官まではいかないでしょ」
「むこうって」
「アンジェラスの軍よ。あなた帰る? その時にでも。ちょうどいいわよ?」
「……いや……」
彼は目を伏せた。
*
そんな風にして、平穏ないくらかの日々が過ぎて行った。
サッシャは毎日工場へと出かけていき、帰りは夕方である。十日に一日くらい、いつとは決まっていないが、休みはあるらしい。
ミッシャは学校へは行っていない。
行っていた時もあったようだが、どうにも肌に合わず、やがて行くのを止めてしまったのだという。
とはいえ、十三とという歳は、そう全体的に裕福ではない地域においては、学校へ行くより、働く少年少女も多い。だから学校に行かせていないということで、育てている姉に非難が来るということはなかった。
実際、時々姉の働く工場へ行っては、軽い仕事をもらっているらしい。
出かけても用がない時には、帰って家の中の細々としたことを働く姉のかわりに片づけているのだという。
どちらかというと、天気の悪い日の方が「用」はあるのだという。
雨降りの時にだけ必要な雑用、というものもあるらしかった。
少年は姉よりは早く、ずぶぬれになって帰ってくる。そして晴れた日には、仕事が無い。
そういう日に少年は、外へ遊びに出てはいるらしいのだが、……どうも様子がおかしいことに、彼は気付いていた。
いじめられている、ということに彼が気付くのは難しいことではなかった。時々身体につけられてくる小さな、だけどたくさんの傷がそれを証明している。
なのに姉はそれを知っていながら何かする訳でもない。
そして少年も、判っているのに、外へ出かけて、おそらくはこの地の同年代の少年少女と遊んでいるのだ。
彼にはよく判らなかった。
*
その日もまたよく晴れていた。サッシャは工場へ朝から出かけていたし、ミッシャもまた、晴れた日は早くから外へと出かけていた。行き先を書いても行かないので、彼は少年が何処へ行くのか、見当もつかなかった。
太陽が中天に差し掛かる頃、彼は相変わらずすることを探しながら、家の周囲を散策していた。
彼女の家は、どちらかというと、この里の外れの方にあたるらしい。
そう大きくはない家の中には、大きな窓が幾つかあったが、隣の家の屋根のくすんだピンク色が遠くに見える側とは反対側の窓からは、草原を挟んで林のようなものが見えていた。
じゃあこれだけはやっておいてくれると助かるわ、とサッシャに言われたことをやってしまっていた彼は、そちら側へ行くぶんなら、里の人間の目を引くこともないだろう、と足を伸ばしてみることにした。
だが草原とはいえ、その生え方は尋常ではない。
さわさわと吹く風に、ゆるやかになびくと言えば聞こえはいいが、その草が、腰くらいあるものだったとしたら、それはさながら、草の海と言ってもいい。
足下も見えない。ブーツを履いていないことがふと不安になる程だった。それを心配している自分に、一瞬後には苦笑を返したのだが。
それでも海には果てがあったようで。
やがて、土地が高くなってきたのか、生えている草の種類が変わってきたのか、林に近づくにつれ、草は低いものにと変わってきた。
草の海から上がってきた彼の視界に入ったのは、草とは異なった緑だった。草とは別の芳しい香りを放つ、林だった。
彼はその辺りの木々を見渡してみる。彼の母星、彼が渡ってきた惑星では見たことの無いような、高い、だけど柔らかな形でもって空へ枝を伸ばしている。
どちらかというと……
彼はぼんやりとその木々の先が指す空を眺めていた。やはり、ずいぶんと青かった。
ふと彼は、右肩のあたりに何かしらむずかゆい様な感覚を覚えた。
何だろう?
振り向くと、実にささやかな小径が、そこにはできていた。
小径と言っても、作られたものではない。人が、何度も同じ所を通ったために、自然に草が分けられ、木々の間に絡む蔦が除けられていった…… それだけのもののように見えた。
再び何やら、右肩にうずくものがある。何だろう、と彼は思った。
得体の知れないものが身体の奥から何かを告げる。そんな時にはとりあえず思考を停止して、それに従うことにしていた。
少なくとも俺にとって危険なものではないはずだ。
小径をしばらく進んでいくと、いきなり視界が開けた。彼は驚いて、しばらくその光景に目を見張った。
林は、思った程深いものではなかった。
いや、そうではない。開けた場所の向こうには、まだ別の林がある。そこだけが、忽然と開けているのだ。
あちこちに、大木が転がっている。それは人の力で切り倒した、というよりは、何か巨大なものが落ちたかぶつかったかして、なぎ倒されたようにも見える。
何故か、その辺り一帯の地面が、白く固く乾いていて、草一つ生えていない。彼はかがみこみ、地面に手を触れた。
指でつまみ上げたら、土はさらさらとこぼれた。土というより、砂に近いものだ。
またふっと肩に気配を感じる。彼は顔を上げた。
少年が、こちらを見つめていた。
「……ミッシャ」
少年は、倒れた木の一つに腰掛けていた。彼はゆっくりとミッシャのそばに近づいた。
「座っても、いいかな」
ミッシャはうなづいた。巻き毛が揺れる。彼は少年の横にかけると、両手をついて空を見上げた。
静かだった。
遠くに飛ぶ鳥の、時々鳴く声や、風に揺れる木々の、互いに微かに触れ合う音だけが、緩やかに彼の周りを回る大気に乗って絡もうとしてくる。
高い場所にあるだろう雲が、ゆっくりと流れていく。
「綺麗だよね」
何気なく彼はつぶやいた。
「何処でも、空は青いんだ」
少年は軽く首を傾げた。
「ここに来る前のところがね、やっぱり空が綺麗だったんだ。あまりごみごみしたところのない所で……」
言いかけて、彼は苦笑する。
「こんな話、しても仕方がないな。つまらないことだよ」
ミッシャは首を横に振った。空の色を映したような青い目がじっと彼を見つめている。つまらないことじゃない、と言いたげに。
「つまらなくない?」
少年は大きくうなづいた。そしてぎゅ、と彼の右の袖を掴む。
「そうだね…… 少しだけ、じゃ、聞いてくれる?」
掴んだ手に力が込められた。彼は目を軽く伏せた。こんなことをこの子に話してどうするのだろう、という気がしない訳でもない。実際言ったところで、何かなるという訳でもない。
だが。
「俺は、墜ちたんだ。空から」
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