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17.ムルカートの中の「誰か」
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「別に俺はお前の仕事、には口出す気はねえがな」
中佐は自分の斜め前の愛人の頬をくっ、と自分の方へ向ける。
「仕事だ、と思うならそのつもりでやれよ」
「それは」
「俺は、電波の届かないところまで行ってやる訳にはいかないんだからな」
「……」
きら、と中佐の首に下がったペンダント状のものにキムは目を留めた。それは発信器である。エネルギーの急激な放出によって、自分が起動できなくなった時の、危険信号を発する。
結局、この同僚兼愛人は、ぶつくさ言いつつも、いつでもそれを果たしてくれる。命令もあるだろうが、それだけではないことも、キムはよく知っていた。命令だけで、わざわざ表の仕事を慌てて片付けて裏の同僚のために何はともあれ駆けつけてくるなんてことはないだろう。
だがそれは口に出さない。かわりににやり、とキムは笑った。
「俺はよくばりなんだけど。それでいいのかな。敵さんはやっつけてしまいたい。Gは手元におきたい。あんな見てて楽しいのは滅多にいない」
ふふん、と中佐は両の口の端を上げる。
「上等」
*
「いつまでそんな変な顔してるんだよ」
「俺が変な顔してようがネイルには関係ないだろ」
ムルカートはそう言ってぷい、と横を向く。
「いいじゃないか。お前がずーっと店で気にしてた奴とせっかくお近づきになれたことだし」
「だから……」
ムルカートはそこまで言って、言葉に詰まる。この同僚に説明してもいいのだが、どう説明したものなのか、彼は非常に困っているのだ。
はっきり言えば、彼はこう言ってしまえばいいのだ。「前の仕事で、追跡していた相手の知り合い」。それだけで説明は終わるのだ。何もその追跡相手と、今日お知り合いになってしまった人物が何をしていたか、なんて特に喋る必要はないのだ。
ところがムルカート自身、その光景を見てしまった自分、見とれてしまった自分にこだわってしまっていた。だからつい、それ以上の説明をしなくてはならないのではないか、という強迫観念にかられていて――― しかもそれに気付いていない。
あの時、祈りの時間が終わって店に戻って来ると、何故か、それまでずっと気になって気になって仕方が無かった人物が、自分の席に堂々と座っていた。しかも同僚と結構仲良く話している。
これは何ってことだ、と思わず席の横で立ちすくんでいたら、相手はにっこりと笑って、席を取ってしまって申し訳ない、とばかりに低い甘い声でムルカートに話しかけた。
しかも同僚はこんなことを言うからたまったものではない。
「ほらやっぱり硬直してる」
「やっぱり、ってどういうことですか?」
あくまで穏やかに、相手は同僚に問いかけた。何故こんなにスムーズに会話ができているのか、さっぱり判らなかった。祈りの時間のほんの僅かな間だというのに。
「こいつね、ずっとあなたが店に入ってきてから気になってたようですよ」
すると相手はこう言った。
「そんな気がしてましたよ」
そしてムルカートの方を向くと。
「俺に一体、何の用がありますか?」
それから自分が何を口走ったのか、ムルカートにはいまいち記憶が無い。
はっきりしない。いや、無論、仕事で監視していたとか、どんな現場を見てしまっていたとか、そんなことは決して口には出していないと彼は思う。それだけは。そんなことは間違っても口には出さない。出さないぞ、と彼は決意していた。
だから、代わりにこんなことを言った様な気がする。
「いや、ずいぶんと目立ったから……」
「そんなに目立ちますか?」
視線が流れて、自分の上に注がれる。花の咲いた様な笑み。低い声は明らかに男のものなのに、どうしてこうも甘く感じられるのだろう。
「目立ちますよ。……ええ。たぶん」
「ふうん」
それだけ言って、相手はゆったりと二度、うなづいた。
その様子にぼうっとしていると、同僚はさらりとそこに水をさす。
「おいムルカート、俺そろそろ行くけどさ、お前も少しこの人と話してくか?」
「仕事中なのでしょう? あまりさぼってちゃいけませんよ」
「ええ! そうですよね」
ムルカートは即座に立ち上がっていた。心の何処かが危険信号を発していた。吸い込まれそうだ、と彼は感じていた。青い、その瞳に、じっと見つめられると、自分の意識が全部その中に吸い込まれて行くのではないか、と思ったのだ。だがそれが何を意味するのか、ムルカートはさっぱり気付いていなかった。
動揺を気取られないように、と慌てて出て行こうとすると、背中を、ふんわりとした口調の声が抱きとめた。
「まだしばらくこの惑星には滞在しますよ」
だからどうだと。
「たぶんしばらくはここで食事をするでしょうね」
だから。
*
都市警察の本部へ戻ってきてからも、ムルカートの中では、あの「誰か」の声が頭の中でぐるぐる回っていた。青い瞳が、瞼の裏に焼き付いて離れなかった。
しかしそれを同僚に言いたくはなかった。それがどういうことなのか、彼には具体的に自分にも説明できなかったが、同僚に言ってしまえば、それがからかいの種となるのは見えていたのだ。
「それにしても、綺麗な人だったよな」
なのに追い打ちをかける様に、同僚はこんなことを切り出す。
「名前」
え、とムルカートは同僚のその言葉に反応する。
「あのひとさ、お前名前聞いてなかっただろ」
「あ、そういえば……」
そしてはっとする。
「別にいいじゃないか。聞かなくたって」
「だけどなー、俺だってあんな綺麗な人の名だったら覚えておきたいと思うぜ?」
「え、ネイルもそう思う訳?」
「俺だけじゃないだろ。誰だって、なあ」
うーむ、とムルカートはそう言われて考え込む。誰でもそう思うくらいだったら、自分がそう思ってもおかしくはないのではないか。
「そう言えば、もうしばらく滞在するって言ってたなあ」
「……」
「お前また今度行ってこない?」
中佐は自分の斜め前の愛人の頬をくっ、と自分の方へ向ける。
「仕事だ、と思うならそのつもりでやれよ」
「それは」
「俺は、電波の届かないところまで行ってやる訳にはいかないんだからな」
「……」
きら、と中佐の首に下がったペンダント状のものにキムは目を留めた。それは発信器である。エネルギーの急激な放出によって、自分が起動できなくなった時の、危険信号を発する。
結局、この同僚兼愛人は、ぶつくさ言いつつも、いつでもそれを果たしてくれる。命令もあるだろうが、それだけではないことも、キムはよく知っていた。命令だけで、わざわざ表の仕事を慌てて片付けて裏の同僚のために何はともあれ駆けつけてくるなんてことはないだろう。
だがそれは口に出さない。かわりににやり、とキムは笑った。
「俺はよくばりなんだけど。それでいいのかな。敵さんはやっつけてしまいたい。Gは手元におきたい。あんな見てて楽しいのは滅多にいない」
ふふん、と中佐は両の口の端を上げる。
「上等」
*
「いつまでそんな変な顔してるんだよ」
「俺が変な顔してようがネイルには関係ないだろ」
ムルカートはそう言ってぷい、と横を向く。
「いいじゃないか。お前がずーっと店で気にしてた奴とせっかくお近づきになれたことだし」
「だから……」
ムルカートはそこまで言って、言葉に詰まる。この同僚に説明してもいいのだが、どう説明したものなのか、彼は非常に困っているのだ。
はっきり言えば、彼はこう言ってしまえばいいのだ。「前の仕事で、追跡していた相手の知り合い」。それだけで説明は終わるのだ。何もその追跡相手と、今日お知り合いになってしまった人物が何をしていたか、なんて特に喋る必要はないのだ。
ところがムルカート自身、その光景を見てしまった自分、見とれてしまった自分にこだわってしまっていた。だからつい、それ以上の説明をしなくてはならないのではないか、という強迫観念にかられていて――― しかもそれに気付いていない。
あの時、祈りの時間が終わって店に戻って来ると、何故か、それまでずっと気になって気になって仕方が無かった人物が、自分の席に堂々と座っていた。しかも同僚と結構仲良く話している。
これは何ってことだ、と思わず席の横で立ちすくんでいたら、相手はにっこりと笑って、席を取ってしまって申し訳ない、とばかりに低い甘い声でムルカートに話しかけた。
しかも同僚はこんなことを言うからたまったものではない。
「ほらやっぱり硬直してる」
「やっぱり、ってどういうことですか?」
あくまで穏やかに、相手は同僚に問いかけた。何故こんなにスムーズに会話ができているのか、さっぱり判らなかった。祈りの時間のほんの僅かな間だというのに。
「こいつね、ずっとあなたが店に入ってきてから気になってたようですよ」
すると相手はこう言った。
「そんな気がしてましたよ」
そしてムルカートの方を向くと。
「俺に一体、何の用がありますか?」
それから自分が何を口走ったのか、ムルカートにはいまいち記憶が無い。
はっきりしない。いや、無論、仕事で監視していたとか、どんな現場を見てしまっていたとか、そんなことは決して口には出していないと彼は思う。それだけは。そんなことは間違っても口には出さない。出さないぞ、と彼は決意していた。
だから、代わりにこんなことを言った様な気がする。
「いや、ずいぶんと目立ったから……」
「そんなに目立ちますか?」
視線が流れて、自分の上に注がれる。花の咲いた様な笑み。低い声は明らかに男のものなのに、どうしてこうも甘く感じられるのだろう。
「目立ちますよ。……ええ。たぶん」
「ふうん」
それだけ言って、相手はゆったりと二度、うなづいた。
その様子にぼうっとしていると、同僚はさらりとそこに水をさす。
「おいムルカート、俺そろそろ行くけどさ、お前も少しこの人と話してくか?」
「仕事中なのでしょう? あまりさぼってちゃいけませんよ」
「ええ! そうですよね」
ムルカートは即座に立ち上がっていた。心の何処かが危険信号を発していた。吸い込まれそうだ、と彼は感じていた。青い、その瞳に、じっと見つめられると、自分の意識が全部その中に吸い込まれて行くのではないか、と思ったのだ。だがそれが何を意味するのか、ムルカートはさっぱり気付いていなかった。
動揺を気取られないように、と慌てて出て行こうとすると、背中を、ふんわりとした口調の声が抱きとめた。
「まだしばらくこの惑星には滞在しますよ」
だからどうだと。
「たぶんしばらくはここで食事をするでしょうね」
だから。
*
都市警察の本部へ戻ってきてからも、ムルカートの中では、あの「誰か」の声が頭の中でぐるぐる回っていた。青い瞳が、瞼の裏に焼き付いて離れなかった。
しかしそれを同僚に言いたくはなかった。それがどういうことなのか、彼には具体的に自分にも説明できなかったが、同僚に言ってしまえば、それがからかいの種となるのは見えていたのだ。
「それにしても、綺麗な人だったよな」
なのに追い打ちをかける様に、同僚はこんなことを切り出す。
「名前」
え、とムルカートは同僚のその言葉に反応する。
「あのひとさ、お前名前聞いてなかっただろ」
「あ、そういえば……」
そしてはっとする。
「別にいいじゃないか。聞かなくたって」
「だけどなー、俺だってあんな綺麗な人の名だったら覚えておきたいと思うぜ?」
「え、ネイルもそう思う訳?」
「俺だけじゃないだろ。誰だって、なあ」
うーむ、とムルカートはそう言われて考え込む。誰でもそう思うくらいだったら、自分がそう思ってもおかしくはないのではないか。
「そう言えば、もうしばらく滞在するって言ってたなあ」
「……」
「お前また今度行ってこない?」
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