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34.美味しい紅茶
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それにしても。彼は子供をまじまじと観察する。
頬がこけ、顔色も悪い。
それは、亜熟果香のせいではないのだろう。亜熟果香は強烈な習慣性のある香の一種だが、健康を直接的に損ねることはない。
帝都政府の直下の国家警察において、「麻薬」として取り締まることのできるものは、「習慣性があり」「身体を損ねる」ことが医学的に証明されているものである。
その定義から行くと、亜熟果香はそれに当たらない。
全星域で最も恐ろしい麻薬と言われている、通称「スウィートハニィ」と呼ばれる「RQ1889D」と匹敵する習慣性があるくせに、「身体を損ねる」決定的な証拠が掴めないために、野放しになっているのだ。
実際、何処かの国の太古から伝わる「香道」をたしなむ金持ちの間では、余興として、亜熟果香の純度の高いものをその中に入れることもあるというくらいである。
しかしどう言葉と使い方を繕ったところで、その習慣性の強さが、様々な裏組織で利用されてきたことには違いはない。
つまりは、彼の属する「MM」でも何処かしらで使われてはいるのである。使われていない、と考える程に彼はさすがに甘くはなかった。
一度組織への忠誠を誓っておきながら、裏切った下部構成員にそれを大量に与えたのち放出する。
確かに身体への直接の影響は無い。しかし身体はともかく、頭の方は。
砂漠で喉の乾きを訴える旅人の様に、ふらふらと足取りもおぼつかなく歩き回り、誰にでも香は無いかと訊ね歩き、追いすがり、やがては幻覚を見て、都会の交差する交通機関の中に飛び込んで、その肉片を散らしてしまう者を、彼も見て知っている。
それはそれで、仕方ないことだとは思っていたのだけど。
「……ふぁ……」
子供の喉から、そんな声が漏れる。かっ、と目が開く。
次の瞬間、その身体が、大きく跳ね上がった。
「ひゃあぁぁぁぁぁぁ……」
悲鳴が部屋の大気を引き裂いた。起こした背をさらに前に丸めながら、子供は、声にならない声で、悲鳴を上げ続ける。大きく広げた黒い目は、周りの肉が落ちてしまっているため、ぎらぎらと大きく開いていた。
禁断症状か、とGは立ち上がりながら思った。しかし彼の知る症状とは、どうもやや違っている。
「……大丈夫だよ」
前のめりになりながらも、顔だけが前を見据えている。
そんな子供の背中を、Gは寝台の脇に座り、そっと抱きしめる。がたがた、と触れた部分から震えが伝わってくる。
やがて、ここが路地ではないことが判ったのだろうか、子供はゆっくりと周囲を見渡し、やがて背中にかかる温もりの正体を確かめるべく、ゆっくりと振り向いた。
「だれ?」
はっ、と彼は気付く。かすれたその声が発音しているのは、北京官話だった。全星域でも、その言葉を使う地方は滅多に無い。この宿にしたところで、主人が話していたのは、公用語だった。
北京官話が使われている星系は、彼が知る限り二つしか無い。その二つの中でも、ある都市に限られるのだ。星系全体でそれを使う様な都市は、あり得ない。
聞き間違いではないだろうか。
Gはとりあえず、子供をもう一度寝かせると、ワゴンの上にあった魔法瓶に手を伸ばした。湯くらいはそれでも用意してあったらしい。
白湯だけでは何となく心許ないので、掛けておいた上着の内ポケットを探ると、ティーバッグが幾つか出てきた。
こんなもの入れただろうか、と一瞬彼も思った。入れた記憶は無い。ピニルに入ったティーバッグの、その外見には、花やら果物やらの古典的な柄と、English Breakfastなどの銘柄が印刷されている。
そのまま使うのはまずいのではないだろうか、とさすがに彼も少しためらった。何せ彼がこの時間この場所に飛んだのは、紅茶に仕掛けられた薬物のせいでもあったのだ。
しかし開けたパッケージからは、「嫌な感じ」はしない。全く大丈夫とは言えなかったが、薬物や毒物が「確実に」仕込まれているということはなさそうだ。
備え付けのカップに彼はティーバッグを入れると、熱い湯を落とす。途端、周囲にふわっ、と乾いた香りが広がった。一口含む。大丈夫だ、薬物や毒物の気配は無い。
伯爵の元で呑んだ紅茶にまんまとはまってしまったのは、明らかに彼自身の不覚だった。普段から彼は、伯爵邸で、何かと美味しい紅茶を御馳走になっていた。それが、その中に含まれているかもしれない薬物の存在を、忘れさせていた。油断もいい所だった。
それとも、こんな事態を当初から想定して、伯爵は自分に美味なるティータイム、という奴を何かと過ごさせていたのだろうか。
考えるとキリが無い。彼は思考停止する。葉がすっかり開き、ある程度まで冷めたであろうことを確認してから、彼は子供にカップを手渡した。
「ほら」
両手で抱え込む様にして、カップを持たせ、ゆっくり呑むように彼はうながした。言葉は判るだろう。あの時自分に喋り掛けてきたのは、公用語だったのだから。
ごくん、と皮ばかりに見える喉が、上下するのが判る。それを合図の様に、子供は、カップの中身を一気に飲み干した。そんなに勢い良く呑んだら、火傷をする、と思いながらも、その勢いに彼は止めることができない。
ふう、と子供は空っぽになったカップを眺め、そして次に彼の方を向いた。
「もう一杯、呑むかい? 出涸らしになってしまったかもしれないけど」
子供は大きくうなづいた。
頬がこけ、顔色も悪い。
それは、亜熟果香のせいではないのだろう。亜熟果香は強烈な習慣性のある香の一種だが、健康を直接的に損ねることはない。
帝都政府の直下の国家警察において、「麻薬」として取り締まることのできるものは、「習慣性があり」「身体を損ねる」ことが医学的に証明されているものである。
その定義から行くと、亜熟果香はそれに当たらない。
全星域で最も恐ろしい麻薬と言われている、通称「スウィートハニィ」と呼ばれる「RQ1889D」と匹敵する習慣性があるくせに、「身体を損ねる」決定的な証拠が掴めないために、野放しになっているのだ。
実際、何処かの国の太古から伝わる「香道」をたしなむ金持ちの間では、余興として、亜熟果香の純度の高いものをその中に入れることもあるというくらいである。
しかしどう言葉と使い方を繕ったところで、その習慣性の強さが、様々な裏組織で利用されてきたことには違いはない。
つまりは、彼の属する「MM」でも何処かしらで使われてはいるのである。使われていない、と考える程に彼はさすがに甘くはなかった。
一度組織への忠誠を誓っておきながら、裏切った下部構成員にそれを大量に与えたのち放出する。
確かに身体への直接の影響は無い。しかし身体はともかく、頭の方は。
砂漠で喉の乾きを訴える旅人の様に、ふらふらと足取りもおぼつかなく歩き回り、誰にでも香は無いかと訊ね歩き、追いすがり、やがては幻覚を見て、都会の交差する交通機関の中に飛び込んで、その肉片を散らしてしまう者を、彼も見て知っている。
それはそれで、仕方ないことだとは思っていたのだけど。
「……ふぁ……」
子供の喉から、そんな声が漏れる。かっ、と目が開く。
次の瞬間、その身体が、大きく跳ね上がった。
「ひゃあぁぁぁぁぁぁ……」
悲鳴が部屋の大気を引き裂いた。起こした背をさらに前に丸めながら、子供は、声にならない声で、悲鳴を上げ続ける。大きく広げた黒い目は、周りの肉が落ちてしまっているため、ぎらぎらと大きく開いていた。
禁断症状か、とGは立ち上がりながら思った。しかし彼の知る症状とは、どうもやや違っている。
「……大丈夫だよ」
前のめりになりながらも、顔だけが前を見据えている。
そんな子供の背中を、Gは寝台の脇に座り、そっと抱きしめる。がたがた、と触れた部分から震えが伝わってくる。
やがて、ここが路地ではないことが判ったのだろうか、子供はゆっくりと周囲を見渡し、やがて背中にかかる温もりの正体を確かめるべく、ゆっくりと振り向いた。
「だれ?」
はっ、と彼は気付く。かすれたその声が発音しているのは、北京官話だった。全星域でも、その言葉を使う地方は滅多に無い。この宿にしたところで、主人が話していたのは、公用語だった。
北京官話が使われている星系は、彼が知る限り二つしか無い。その二つの中でも、ある都市に限られるのだ。星系全体でそれを使う様な都市は、あり得ない。
聞き間違いではないだろうか。
Gはとりあえず、子供をもう一度寝かせると、ワゴンの上にあった魔法瓶に手を伸ばした。湯くらいはそれでも用意してあったらしい。
白湯だけでは何となく心許ないので、掛けておいた上着の内ポケットを探ると、ティーバッグが幾つか出てきた。
こんなもの入れただろうか、と一瞬彼も思った。入れた記憶は無い。ピニルに入ったティーバッグの、その外見には、花やら果物やらの古典的な柄と、English Breakfastなどの銘柄が印刷されている。
そのまま使うのはまずいのではないだろうか、とさすがに彼も少しためらった。何せ彼がこの時間この場所に飛んだのは、紅茶に仕掛けられた薬物のせいでもあったのだ。
しかし開けたパッケージからは、「嫌な感じ」はしない。全く大丈夫とは言えなかったが、薬物や毒物が「確実に」仕込まれているということはなさそうだ。
備え付けのカップに彼はティーバッグを入れると、熱い湯を落とす。途端、周囲にふわっ、と乾いた香りが広がった。一口含む。大丈夫だ、薬物や毒物の気配は無い。
伯爵の元で呑んだ紅茶にまんまとはまってしまったのは、明らかに彼自身の不覚だった。普段から彼は、伯爵邸で、何かと美味しい紅茶を御馳走になっていた。それが、その中に含まれているかもしれない薬物の存在を、忘れさせていた。油断もいい所だった。
それとも、こんな事態を当初から想定して、伯爵は自分に美味なるティータイム、という奴を何かと過ごさせていたのだろうか。
考えるとキリが無い。彼は思考停止する。葉がすっかり開き、ある程度まで冷めたであろうことを確認してから、彼は子供にカップを手渡した。
「ほら」
両手で抱え込む様にして、カップを持たせ、ゆっくり呑むように彼はうながした。言葉は判るだろう。あの時自分に喋り掛けてきたのは、公用語だったのだから。
ごくん、と皮ばかりに見える喉が、上下するのが判る。それを合図の様に、子供は、カップの中身を一気に飲み干した。そんなに勢い良く呑んだら、火傷をする、と思いながらも、その勢いに彼は止めることができない。
ふう、と子供は空っぽになったカップを眺め、そして次に彼の方を向いた。
「もう一杯、呑むかい? 出涸らしになってしまったかもしれないけど」
子供は大きくうなづいた。
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