反帝国組織MM⑪完 Seraph――生きていくための反逆と別れ

江戸川ばた散歩

文字の大きさ
56 / 78

55.冷たい手

しおりを挟む
「―――何もあれを流すことは無かったのではないですか!?」

 声が、耳に飛び込んでくる。
 壁に叩き付けられた身体が、少し痛い。Gはそれでも、すぐに自分の気配を殺す。隣の部屋の声が、聞こえてくるのだ。
 質素な部屋だった。何かの執務室の様だった。壁にはガラス戸のついた棚が取りつけられており、その中にはずらりと情報ディスクがおさまっている。それだけではない。古典的な紙資料の「ファイル」もその横に並べられている。
 ただ、その部屋の主のものらしいデスクと、その周囲だけが、華やかだった。デスクの背後の壁には、美しい軍旗が飾られている。
 はっ、とそれを見て彼は息を呑んだ。その軍旗に彼は見覚えがあった。
 宇宙を思わせる漆黒の表面に、機械ではない、人の手による細かな刺繍が施されている。

 黒い、長い髪の、天使の。

 Gは息を呑む。見覚えがある、はずだ。

「……サッシャ」

 かすれる声で、つぶやく。
 そうだった。あの、オクラナの少女が、自分達の命を握る相手を忘れないために、と縫い取ったその姿。
 あの後、オクラナは大爆撃を受けた。

「実験としては、有効だった」

 聞き覚えのある声。彼は耳を澄ます。

「それとも貴官は、開発中のウイルスの方が良かったと思うか?」
「……い、いえ……」
「人体の影響は殆ど無い。それが貴官ら医療スタッフの共通の見解では無かったのか?」
「……」
「反論は無しか」

 短く、その人物は自分を糾弾する相手に問いかける。

「私はそのつもりで、貴官らに開発と製造を命じたはずだ」

 それを受けた時点で、同罪だ、とその言葉には含まれている。

「……しかし」
「罪悪感を感じる暇があるなら解毒薬の開発にいそしむのだな」

 は、とそのまま扉を開け、叱責されていた士官が出て行く気配がした。
 そのまま隣室から、あの言葉の主が、歩いてくる。
 こちらに、来る。
 Gは逃げよう、と一瞬思った。ここで彼に会ってどうするのだ。
 しかし身体は逃げなかった。 
 黒い、長い髪を揺らせ、アンジェラス軍の総司令は、部屋の中に入って来た。
 その視線が、彼を捉える。

「お前か」

 その瞳が、ほんの少し、驚いたかの様に見開かれた。予測していなかったのだろうか、と彼はその反応に少し戸惑う。

「髪が、短い。お前は先頃のお前では無いのだな」

 Mはそう言いながら、ゆっくりと彼の元へと歩み寄って来る。
 先頃の自分。おそらくそれは、まだ軍人だった頃の自分であり、オクラナに落ちてきた自分のことだろう。
 あれから、ずいぶんな時間が経っているというのに。

「俺は、……」
「私を恐れない、お前なのだな」
「約束を、したから」
「そうだな」
「俺は、あなたが過ちを冒した時間に飛ぶ様に、俺自身に命じた。そうして、テロワニュに飛んだ。……あれが、過ちなのか?」
「判らぬ」

 Mは短く答えた。

「それが過ちになるのかどうかは、後の歴史が決めることだ。私はその都度の、最良の手を打っているに過ぎない」
「彼らはどうなったの」
「テロワニュの住民は、ほぼ居住区全域に渡って流した亜熟果香によって、急性の中毒にかかってはいる。しかしだからと言って身体の機能が損なわれた訳ではない」
「テロワニュは、でもその時壊滅したのだろう?」
「そうだ。そして彼らには、新しく発見された惑星の開発にかかってもらう」

 Gは目を丸くした。

「……開発…… 新しい…… 惑星?」

 初耳だった。

「しかしそこは決して居住に適した気候ではない。従って当初は居住ドームを企業から購入し、そこから始めなくてはならない」
「……その大気を、コントロールできる様に」
「そうだ」
「……その中に、亜熟果香を」
「そうだ」
「……なるほど、それは有効な方法だ」

 Mはそれには答えなかった。Gは思わず両手で顔を覆う。その下の自分の顔が、歪んでいるのが判る。笑顔に似た、ひきつりが広がっているのが、判る。

「最初に奴隷の状態を抜け出したあなた方が、今度は自分達の奴隷になる人々を、作り出している訳か」

 くくく、とGは喉の奧で笑う。

「お前には、判るまい」
「ああ判らない」

 Gは首を横に振る。

「あなたがどんな思いであの軍を率いてきたのかも、他の惑星がどんな反撃をしてきたか判らない。どんな苦労が、あったのか、俺は俺の、あの頃、軍に居た、その経験程度にしか判らない。飛んで流れ着いた、惑星ごとに見てきた、そこで涙を流す人々の姿しか、知らない。でも統一するなら、それが有効な方法なのかもしれない、だけど」

 それでも、そういう方法を、あなたがたが使うべきでは無かった。Gは思う。

「あなた方は、過去を抹殺しようとしている」
「過去は、過去だ」
「第七世代の俺は、あなた方上位世代から、あの歴史を教えられなかった。隠していたんだ。あなた方は、俺達に、自分達が奴隷の身分からはい上がったことを」

 Mは黙って、Gの言葉を聞いている。

「どうして? あなたは、あの時……」

 どうしても、生き延びなくては、ならなかった。

「……彼ら、は?」

 Gはふと一つのことに、気付いた。

「あなたが、生かしたかった、あの人達は、どうしたの?」
「死んだ」

 Mは短く言った。

「死んだ?」

 思わず問い返す。答えは二度と口にされない。

「それでも、数年は、生き延びた。奴らは結局それを取り入れなかった。彼らは天使種にはならなかった。人間のまま、死んだのだ」

 淡々とした口調が、逆にGの中に突き刺さる。Mは、誰よりも、彼らに生き残って欲しかったはずだ。

「奴らは死に、私達は生き残った。生き残った我々は、それからも生き延びて行くしかなかった」

 ふっ、とその手がGに向かって伸びる。冷たい手だ、と彼は思う。
 冷たい両手が、頬をくるむ。
 彼は、目を閉じる。ああやはり、冷たいのだな。

 伝わって来る。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

私たちの離婚幸福論

桔梗
ファンタジー
ヴェルディア帝国の皇后として、順風満帆な人生を歩んでいたルシェル。 しかし、彼女の平穏な日々は、ノアの突然の記憶喪失によって崩れ去る。 彼はルシェルとの記憶だけを失い、代わりに”愛する女性”としてイザベルを迎え入れたのだった。 信じていた愛が消え、冷たく突き放されるルシェル。 だがそこに、隣国アンダルシア王国の皇太子ゼノンが現れ、驚くべき提案を持ちかける。 それは救済か、あるいは—— 真実を覆う闇の中、ルシェルの新たな運命が幕を開ける。

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。

MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。

【完結】辺境に飛ばされた子爵令嬢、前世の経営知識で大商会を作ったら王都がひれ伏したし、隣国のハイスペ王子とも結婚できました

いっぺいちゃん
ファンタジー
婚約破棄、そして辺境送り――。 子爵令嬢マリエールの運命は、結婚式直前に無惨にも断ち切られた。 「辺境の館で余生を送れ。もうお前は必要ない」 冷酷に告げた婚約者により、社交界から追放された彼女。 しかし、マリエールには秘密があった。 ――前世の彼女は、一流企業で辣腕を振るった経営コンサルタント。 未開拓の農産物、眠る鉱山資源、誠実で働き者の人々。 「必要ない」と切り捨てられた辺境には、未来を切り拓く力があった。 物流網を整え、作物をブランド化し、やがて「大商会」を設立! 数年で辺境は“商業帝国”と呼ばれるまでに発展していく。 さらに隣国の完璧王子から熱烈な求婚を受け、愛も手に入れるマリエール。 一方で、税収激減に苦しむ王都は彼女に救いを求めて―― 「必要ないとおっしゃったのは、そちらでしょう?」 これは、追放令嬢が“経営知識”で国を動かし、 ざまぁと恋と繁栄を手に入れる逆転サクセスストーリー! ※表紙のイラストは画像生成AIによって作られたものです。

つまらなかった乙女ゲームに転生しちゃったので、サクッと終わらすことにしました

蒼羽咲
ファンタジー
つまらなかった乙女ゲームに転生⁈ 絵に惚れ込み、一目惚れキャラのためにハードまで買ったが内容が超つまらなかった残念な乙女ゲームに転生してしまった。 絵は超好みだ。内容はご都合主義の聖女なお花畑主人公。攻略イケメンも顔は良いがちょろい対象ばかり。てこたぁ逆にめちゃくちゃ住み心地のいい場所になるのでは⁈と気づき、テンションが一気に上がる!! 聖女など面倒な事はする気はない!サクッと攻略終わらせてぐーたら生活をGETするぞ! ご都合主義ならチョロい!と、野望を胸に動き出す!! +++++ ・重複投稿・土曜配信 (たま~に水曜…不定期更新)

あるフィギュアスケーターの性事情

蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。 しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。 何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。 この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。 そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。 この物語はフィクションです。 実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。

冤罪で辺境に幽閉された第4王子

satomi
ファンタジー
主人公・アンドリュート=ラルラは冤罪で辺境に幽閉されることになったわけだが…。 「辺境に幽閉とは、辺境で生きている人間を何だと思っているんだ!辺境は不要な人間を送る場所じゃない!」と、辺境伯は怒っているし当然のことだろう。元から辺境で暮している方々は決して不要な方ではないし、‘辺境に幽閉’というのはなんとも辺境に暮らしている方々にしてみれば、喧嘩売ってんの?となる。 辺境伯の娘さんと婚約という話だから辺境伯の主人公へのあたりも結構なものだけど、娘さんは美人だから万事OK。

処理中です...