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56.枯れた手・眠る者・標本・血の赤
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枯れた手が、弱々しく、差し出される。
色あせた金色の髪が、寝床の上に力無く投げ出されて。
「今からでも遅くは無いというのに」
聞き覚えのある声が、低く、響く。
今からでも遅くはないのだ。
そう言いたいのだ。声の主は。今からでも。この惑星の先住者と、融合すれば、生きていられるというのに。ずっと、皆と一緒に。
自分と一緒に。
そうしたら、また一緒に、生き抜く為の戦いを続けよう。きっとまた、苦しくとも、何処か光り輝いていた時間が息を吹き返す。
「何故だ?」
答えは、無い。枯れた指は、黙って声の主の指に指を絡める。
もはや、その身体の何処を探しても力など残っていないというのに。
それでも、精一杯、その指を動かして。
答えを聞きたい、と声の主は思っている。その声で、自分を強く罵って欲しいと思う。自分の選択は間違っていない。間違っていてはいけないのだ。
なのに。
声の主は、相手の手を強く握る。
他の誰でもなく、お前だけには。お前が生き残って欲しかったから、自分は。
ひどい指導者だ、と声の主は思っている。所詮は誰のためでもなかったのだ。
少しでも多数の仲間を生きる道へと走らせる。それは名目だった。そうすれば、この目の前の相手も、そうせざるを得ないだろう。
他の誰のためでもない。ただこの仲間のために、彼は、そうしてきたのだ。
しかし目の前の相手は、頑なにそれを拒んだ。自分は人間だ。人間であり続けたい、と。
その相方だった奴と共に、その道を選んだ。
勝手にすればいい、とその選択を聞いた時、声の主は答えた。それ以外どう答えたべきだったろう?
今にも重力に負けそうなその手を強く握りしめ、引き寄せながら、彼は口に出せない願いを心の中で叫ぶ。生きて欲しいお願いだ。
それが叶うなら。
……しかし相手は、ほんの微かに首を動かした。
そして、子供の様に、笑った。
……………………………………
雪の上に、赤が飛び散っていた。
決着がついたのだろう。燃えた船が雪で次第に冷えていく。煙があちこちでたなびいている。
ざくざく、と慣れない雪を踏みしめながら、彼は一つの場所を目指していた。誰も来ない様に、と軍用車で待機している部下には命じていた。誰にも話を聞かれたくは無かった。
再会の当初、何故それがそこに居るのか、彼には判らなかった。
「それ」に最初に出会ったのは、まだあの小さな太陽系に、これでもかとばかりに無理な植民やコロニーを作り、人々が生き延びようとしていた時代だった。
古い良き時代だ、と彼は思う。
地球だった。あの小さな島国だった。今はもう、その痕跡すら、探すのに難しい、小さな、失われた国。
その小さな国が、更に小さな国々に分かたれていた時代に作られた建築物。
夜だった。なま暖かい風が、季節の割には早く吹き込んでいた夜だった。
月はおぼろで、大気はゆるゆると動き、時にふわりと地に降りた桜の花を舞い上げた。
背中が、ぞくりとした。
まだほんの、本当に子供だった彼には、それは意味も無く恐ろしいことの前触れの様にも思えた。
一人で夜に出歩くのではありません。大人の言うことをちゃんと聞いておくべきだった。おびえながらも、それでもその建築物の横を通り抜けなくては、目的の場所にはたどり着けない。気を確かに持って、彼は足を進めた。
その時不意に。
蛍光の常夜灯に照らされた花と緑は、昼間の光よりもその存在を増す。
だから、それは花か、とその時彼は思った。
その足取りが、あまりにも、宙を舞っている様で。
子供の彼は、立ち止まった。
息を呑んだ。
立ち止まっては、いけない、と理性は命令する。そのまま歩き続けて、通り過ぎてしまえ。
なのに、足は止まってしまった。目が離せなくなってしまった。
青年の様な、少年の様な、少女の様な。
どれと言っても、間違っていない様な、それでいて、全て間違っていそうな。
月明かりに浮かぶ顔は、怖いくらいに整っていて、色の白さが、浮き上がって見えた。
その唇が、動いた。
「俺に何か用か?」
予想よりは低い声が、囁く様に、歌う様に、彼に問いかけた。
「こんな時間にガキが居るんじゃないよ」
足がすくんで、動けない。
「それとも、道に迷ったか?」
どうでもいいか、とその声は続けた。そこで、すり抜ければ、良かったのに。
その目をのぞき込んでしまったから。
得体の知れない悪寒が子供の彼を襲った。
じゃあな、と行き過ぎようとする「それ」の、無造作に乱しているシャツの裾を思わず掴んだ。
何? と相手は煩そうに振り向いた。
「迷子か? 出口はあっちだ。真っ直ぐ行け。俺は眠いんだ」
風が吹く。桜の、花びらが舞い上がる。
「何処で、あなたは眠るんだ?」
およそ子供らしくない質問が、口をついていた。だが「それ」が黙って指さしたのは、その建築物だった。
「邪魔しないでくれ。俺は本当に、眠いんだ。もう、眠らせてくれ。誰にも邪魔されたくない。もう、誰にも会いたくない。忘れてしまうくらい長い長い間、眠っていられるのはここしか無いんだ、俺には」
その時、空間が、ゆらいだ。
闇が開いた。抱きしめられる様に、「それ」は闇に吸い込まれて消えた。
自分が、まず滅多に見られない怪異の者に出会ってしまったのだ、と彼は自覚した。諸手をあげて、彼は逃げ帰った。
強烈すぎる、その記憶は、ずっと彼の記憶の底にしまわれていた。
しかし、どういう訳か、その怪異そのものが、彼の目の前に現れた。
空似であろう、と彼は思った。それ以外の何であろう?
既に共通歴は、529年になっていたのだから。
しかし不敵にも、天使種の軍隊の総司令室に忍び込んだ「それ」は、言ったのだ。協力を要請する、と。
「レプリカントを、この全星系から絶滅させてくれ」
利害は一致した。
そしてその結果が、足元に、ある。
「やあ久しぶりだね」
乾いた声が、奇妙に冷静だった。人工血液を身体の表面の至る所にまき散らしながら、それでもその声はまるで変わることが無かった。
「君との再会はいつも変わった時だよね。最初は地球だ。まだ君も宇宙に出る前だったね。そして次に会った時、君は最高の天使種になっていた」
彼は首を横に振った。喋るな、とその行動に含めた。だが反乱の首謀者はそれには応じなかった。目を半ば伏せて、それでもはっきりした声で言った。
「もうじき放っておいても声は出なくなるさ。それまで俺に喋らせておいてくれ」
なら仕方がなかろう、と彼は思った。最期の願いなのだ。
最期の願いなら、聞くしか無い。もう自分はその相手に対して、それ以上できることは無いのだから。
あの金髪の男は、生きろ、と。
そう、彼に、伝えた。
何があろうと、生きてくれ、と。
残酷な、願いを。
彼は死にゆくレプリカントの首領の手を取ったまま、離そうとはしなかった。
レプリカントはこう言った。
「……頼みがあるんだ」
「何だ?」
「もし、見つけたら、君の手で守ってやってくれないか?」
何を、と彼は問いかけた。その答えは、手から伝わってくる。
長い、栗色の髪の青年の形をしたレプリカント。たった一人、自分の―――「人間の」命令がまるで効かないレプリカント。俺のせいだ、と声にならない首領の思いが手を伝わってくる。
「生きているはずなんだ。四散した気配はない。何処に居るのか、今の俺にはもう判らないけれど、ただそれだけは判る。あれはこの世界で、生きるだけの価値と生命力を持っているから」
彼はそれに応えるべき言葉を見失った。
「そして俺は、奴にもう何もしてあげられないから」
最期の願いには、応えなくてはならない。
残酷だ、と彼は思う。
……………………………………
閉じた瞳に、問いかけた。
ここから出たいか?
瞳は開かない。開け方を忘れてしまっていた様だ。
出たい!!
惑星スワニルダの博物館の、ショウケースの中。栗色の長い髪を持った「それ」は、それでも問いかけに答えた。
お願いだここから出してくれ。
俺は動きたい。
目を開きたい。
外の世界を見たい。
誰かと話したい。
俺は、生きてる。
俺は、生きてるんだ!
探すのには、結構な時間がかかった。
たとえ最期の願いだとしても、戦争はまだ続行していた。運が良ければ、生き残っているだろう。そのくらいの気持ちがあったことは否めない。何せ戦争だったのだ。
忘れかけていた、と言ってもいい。
だが、それは呼んでいた。視察に来たその惑星の、決して惑星を代表する訳でもない、その博物館から、それは呼んでいたのだ。
その声が、彼の足を止めさせた。
応えてくれる誰かを、ずっと待っていた「それ」の前に。
誰か。
泣き叫ぶ様な声が。
生まれ落ちた赤ん坊が、母親を求める様な、そんな声が。
誰でもいい。
誰でもいいんだ!
そしてその声は、こう続けた。
俺を出して。自由にして。
それができないなら。
―――俺を、殺して。
彼は立ち止まった。動く訳でもない。表情一つ変える訳でもない。その「標本」もその姿勢のまま、何一つ動く訳ではない。
彼はしばらく「標本」を黙って眺めた。少なくとも、彼の部下にはそう見えただろう。彼を来賓と仰ぐ地元の有力者達も、見える光景に変わりは無い。
やがて彼は、言った。
「この標本を、もらおう」
言われた側は、言葉の意味がすぐには分からなかった様だった。彼は二度、問い返された。
「私に何度同じことを言わせる?」
「標本」はすぐさま運び出された。
それ以来、惑星スワニルダの人々の口から「標本」に関する話が出ることは無くなった。
人懐こい、色素の薄い目は、開いてからも、その願いを彼に訴えかける。
もしもまた、俺が標本にされる様だったら、その時にはあなたが俺を殺して。
それはできない、と彼は思う。それがあの首領の最期の願いなのだから。最期の願いは、守らなくてはならない。
生きろ、とあの男は言った。何て残酷な願い。
死にたい訳ではない。殺されたい訳てもない。
ただ。
その時には俺を消去して、と標本だったものは言う。それはできない、と彼は答える。答えざるを得ない。
そのたびに、「それ」は、悲しそうな顔で、彼を見た。
……………………………………
起きろ、とその時彼は言った。
そこに、ほんの微かだが、気配があった。
そんなはずは無い、とそこにもし医者が居たなら言っただろう。
だがその遺体安置所に入った時。
誰か。
凶暴な声の様に、彼には感じられた。
決して強くは無い。もうその力はこの肉体には残っていない。かろうじて残されたエネルギーを、たった一つの思いに凝縮して、開いた扉に向かって放っていた。
俺はまだ生きてる!
生きたいか? と彼はその「遺体」に問いかけた。
火炎放射器の炎が、一人の男を目の前の「遺体」に変えた。
放ったのは、この遺体の「上官」だった男だった。
しかし少し考えればすぐに判る。それはただの口封じだ。
惑星クリムソンレーキは秋だった。街角に、遠くの山に、木々の葉が美しく色づいていた。
最高の時期だった。収穫の季節。夏の強烈な暑さは退き、冬の厳しい寒さにはまだ時間がある。柔らかな日射しとさわやかな風、実った作物のみずみずしさ。新調される衣類。祭りの季節。
なのに。
彼はこの惑星にその時期、「視察」という名目でやってきていた。表向きの彼の身分において、それは時々必要とされた。クリムソンレーキには、当時、クーデターの噂があった。
しかし、やってきたのはこの上ない来賓。迎える軍部も、クーデターどころでは無かったらしい。
そこで、スケープゴートが立てられる。
上層部は、「反乱の首謀者」を、彼の目の前で焼いた。
「首謀者」は叫びながら、何発か弾丸がめり込んだ身体のまま、自分の上司だった男に銃を向けていた。かっと目を見開き、そのまま視線で殺せそうな程に。
「首謀者」は部下を助けに来た様だった。本人は一度、捕らえられた留置所から脱走したらしい。その位の腕が、この男にはあったのだ。
彼の目には、「首謀者」の男は格別強そうにも見えなかった。ただ、行動の敏捷さには見るものがあった。
しかしどう見ても無謀だった。相手の数が違いすぎる。一人で向かうには、攻撃だけでは無理なのだ。
それまで捕まっていたのだ、と上層部は彼にわざわざ説明した。せっかく脱走したのに、戻ってくる能無しだ、と付け加えた。
そうだろうか?
彼は動かさぬ表情の下で考える。
確かにかなりの馬鹿の様だ。だがこの上層部に言われる程の馬鹿ではない。彼は思った。
判っていて飛び込む類の馬鹿ではあろう。甘いのだろう。
彼はその類の甘さは決して嫌いでは無い。表に出さないだけだ。
彼の心をのぞくことが出来る者は、同じ天使種の中でも居ない。彼自身がのぞかせようと思わぬ限りは。
本心は、いつもその白い、人形の様な顔の下に。無論その場に居た者に、彼の思いなど、判る訳が無い。
彼がその遺体を見たい、と言った時にその場の皆が驚いた。
彼がその遺体を持ち帰ったことは、その場の「上層部」は誰も知らない。
『赤に』
その「遺体」は彼にそう言った。
自分が何故生きてるのか、何故この身体で居るのか、いつもその事実を忘れないために。
そのために、赤をその身体にまとわせてくれ。
血の赤。炎の赤。
自分が生きることを選んだことを、忘れないために。
色あせた金色の髪が、寝床の上に力無く投げ出されて。
「今からでも遅くは無いというのに」
聞き覚えのある声が、低く、響く。
今からでも遅くはないのだ。
そう言いたいのだ。声の主は。今からでも。この惑星の先住者と、融合すれば、生きていられるというのに。ずっと、皆と一緒に。
自分と一緒に。
そうしたら、また一緒に、生き抜く為の戦いを続けよう。きっとまた、苦しくとも、何処か光り輝いていた時間が息を吹き返す。
「何故だ?」
答えは、無い。枯れた指は、黙って声の主の指に指を絡める。
もはや、その身体の何処を探しても力など残っていないというのに。
それでも、精一杯、その指を動かして。
答えを聞きたい、と声の主は思っている。その声で、自分を強く罵って欲しいと思う。自分の選択は間違っていない。間違っていてはいけないのだ。
なのに。
声の主は、相手の手を強く握る。
他の誰でもなく、お前だけには。お前が生き残って欲しかったから、自分は。
ひどい指導者だ、と声の主は思っている。所詮は誰のためでもなかったのだ。
少しでも多数の仲間を生きる道へと走らせる。それは名目だった。そうすれば、この目の前の相手も、そうせざるを得ないだろう。
他の誰のためでもない。ただこの仲間のために、彼は、そうしてきたのだ。
しかし目の前の相手は、頑なにそれを拒んだ。自分は人間だ。人間であり続けたい、と。
その相方だった奴と共に、その道を選んだ。
勝手にすればいい、とその選択を聞いた時、声の主は答えた。それ以外どう答えたべきだったろう?
今にも重力に負けそうなその手を強く握りしめ、引き寄せながら、彼は口に出せない願いを心の中で叫ぶ。生きて欲しいお願いだ。
それが叶うなら。
……しかし相手は、ほんの微かに首を動かした。
そして、子供の様に、笑った。
……………………………………
雪の上に、赤が飛び散っていた。
決着がついたのだろう。燃えた船が雪で次第に冷えていく。煙があちこちでたなびいている。
ざくざく、と慣れない雪を踏みしめながら、彼は一つの場所を目指していた。誰も来ない様に、と軍用車で待機している部下には命じていた。誰にも話を聞かれたくは無かった。
再会の当初、何故それがそこに居るのか、彼には判らなかった。
「それ」に最初に出会ったのは、まだあの小さな太陽系に、これでもかとばかりに無理な植民やコロニーを作り、人々が生き延びようとしていた時代だった。
古い良き時代だ、と彼は思う。
地球だった。あの小さな島国だった。今はもう、その痕跡すら、探すのに難しい、小さな、失われた国。
その小さな国が、更に小さな国々に分かたれていた時代に作られた建築物。
夜だった。なま暖かい風が、季節の割には早く吹き込んでいた夜だった。
月はおぼろで、大気はゆるゆると動き、時にふわりと地に降りた桜の花を舞い上げた。
背中が、ぞくりとした。
まだほんの、本当に子供だった彼には、それは意味も無く恐ろしいことの前触れの様にも思えた。
一人で夜に出歩くのではありません。大人の言うことをちゃんと聞いておくべきだった。おびえながらも、それでもその建築物の横を通り抜けなくては、目的の場所にはたどり着けない。気を確かに持って、彼は足を進めた。
その時不意に。
蛍光の常夜灯に照らされた花と緑は、昼間の光よりもその存在を増す。
だから、それは花か、とその時彼は思った。
その足取りが、あまりにも、宙を舞っている様で。
子供の彼は、立ち止まった。
息を呑んだ。
立ち止まっては、いけない、と理性は命令する。そのまま歩き続けて、通り過ぎてしまえ。
なのに、足は止まってしまった。目が離せなくなってしまった。
青年の様な、少年の様な、少女の様な。
どれと言っても、間違っていない様な、それでいて、全て間違っていそうな。
月明かりに浮かぶ顔は、怖いくらいに整っていて、色の白さが、浮き上がって見えた。
その唇が、動いた。
「俺に何か用か?」
予想よりは低い声が、囁く様に、歌う様に、彼に問いかけた。
「こんな時間にガキが居るんじゃないよ」
足がすくんで、動けない。
「それとも、道に迷ったか?」
どうでもいいか、とその声は続けた。そこで、すり抜ければ、良かったのに。
その目をのぞき込んでしまったから。
得体の知れない悪寒が子供の彼を襲った。
じゃあな、と行き過ぎようとする「それ」の、無造作に乱しているシャツの裾を思わず掴んだ。
何? と相手は煩そうに振り向いた。
「迷子か? 出口はあっちだ。真っ直ぐ行け。俺は眠いんだ」
風が吹く。桜の、花びらが舞い上がる。
「何処で、あなたは眠るんだ?」
およそ子供らしくない質問が、口をついていた。だが「それ」が黙って指さしたのは、その建築物だった。
「邪魔しないでくれ。俺は本当に、眠いんだ。もう、眠らせてくれ。誰にも邪魔されたくない。もう、誰にも会いたくない。忘れてしまうくらい長い長い間、眠っていられるのはここしか無いんだ、俺には」
その時、空間が、ゆらいだ。
闇が開いた。抱きしめられる様に、「それ」は闇に吸い込まれて消えた。
自分が、まず滅多に見られない怪異の者に出会ってしまったのだ、と彼は自覚した。諸手をあげて、彼は逃げ帰った。
強烈すぎる、その記憶は、ずっと彼の記憶の底にしまわれていた。
しかし、どういう訳か、その怪異そのものが、彼の目の前に現れた。
空似であろう、と彼は思った。それ以外の何であろう?
既に共通歴は、529年になっていたのだから。
しかし不敵にも、天使種の軍隊の総司令室に忍び込んだ「それ」は、言ったのだ。協力を要請する、と。
「レプリカントを、この全星系から絶滅させてくれ」
利害は一致した。
そしてその結果が、足元に、ある。
「やあ久しぶりだね」
乾いた声が、奇妙に冷静だった。人工血液を身体の表面の至る所にまき散らしながら、それでもその声はまるで変わることが無かった。
「君との再会はいつも変わった時だよね。最初は地球だ。まだ君も宇宙に出る前だったね。そして次に会った時、君は最高の天使種になっていた」
彼は首を横に振った。喋るな、とその行動に含めた。だが反乱の首謀者はそれには応じなかった。目を半ば伏せて、それでもはっきりした声で言った。
「もうじき放っておいても声は出なくなるさ。それまで俺に喋らせておいてくれ」
なら仕方がなかろう、と彼は思った。最期の願いなのだ。
最期の願いなら、聞くしか無い。もう自分はその相手に対して、それ以上できることは無いのだから。
あの金髪の男は、生きろ、と。
そう、彼に、伝えた。
何があろうと、生きてくれ、と。
残酷な、願いを。
彼は死にゆくレプリカントの首領の手を取ったまま、離そうとはしなかった。
レプリカントはこう言った。
「……頼みがあるんだ」
「何だ?」
「もし、見つけたら、君の手で守ってやってくれないか?」
何を、と彼は問いかけた。その答えは、手から伝わってくる。
長い、栗色の髪の青年の形をしたレプリカント。たった一人、自分の―――「人間の」命令がまるで効かないレプリカント。俺のせいだ、と声にならない首領の思いが手を伝わってくる。
「生きているはずなんだ。四散した気配はない。何処に居るのか、今の俺にはもう判らないけれど、ただそれだけは判る。あれはこの世界で、生きるだけの価値と生命力を持っているから」
彼はそれに応えるべき言葉を見失った。
「そして俺は、奴にもう何もしてあげられないから」
最期の願いには、応えなくてはならない。
残酷だ、と彼は思う。
……………………………………
閉じた瞳に、問いかけた。
ここから出たいか?
瞳は開かない。開け方を忘れてしまっていた様だ。
出たい!!
惑星スワニルダの博物館の、ショウケースの中。栗色の長い髪を持った「それ」は、それでも問いかけに答えた。
お願いだここから出してくれ。
俺は動きたい。
目を開きたい。
外の世界を見たい。
誰かと話したい。
俺は、生きてる。
俺は、生きてるんだ!
探すのには、結構な時間がかかった。
たとえ最期の願いだとしても、戦争はまだ続行していた。運が良ければ、生き残っているだろう。そのくらいの気持ちがあったことは否めない。何せ戦争だったのだ。
忘れかけていた、と言ってもいい。
だが、それは呼んでいた。視察に来たその惑星の、決して惑星を代表する訳でもない、その博物館から、それは呼んでいたのだ。
その声が、彼の足を止めさせた。
応えてくれる誰かを、ずっと待っていた「それ」の前に。
誰か。
泣き叫ぶ様な声が。
生まれ落ちた赤ん坊が、母親を求める様な、そんな声が。
誰でもいい。
誰でもいいんだ!
そしてその声は、こう続けた。
俺を出して。自由にして。
それができないなら。
―――俺を、殺して。
彼は立ち止まった。動く訳でもない。表情一つ変える訳でもない。その「標本」もその姿勢のまま、何一つ動く訳ではない。
彼はしばらく「標本」を黙って眺めた。少なくとも、彼の部下にはそう見えただろう。彼を来賓と仰ぐ地元の有力者達も、見える光景に変わりは無い。
やがて彼は、言った。
「この標本を、もらおう」
言われた側は、言葉の意味がすぐには分からなかった様だった。彼は二度、問い返された。
「私に何度同じことを言わせる?」
「標本」はすぐさま運び出された。
それ以来、惑星スワニルダの人々の口から「標本」に関する話が出ることは無くなった。
人懐こい、色素の薄い目は、開いてからも、その願いを彼に訴えかける。
もしもまた、俺が標本にされる様だったら、その時にはあなたが俺を殺して。
それはできない、と彼は思う。それがあの首領の最期の願いなのだから。最期の願いは、守らなくてはならない。
生きろ、とあの男は言った。何て残酷な願い。
死にたい訳ではない。殺されたい訳てもない。
ただ。
その時には俺を消去して、と標本だったものは言う。それはできない、と彼は答える。答えざるを得ない。
そのたびに、「それ」は、悲しそうな顔で、彼を見た。
……………………………………
起きろ、とその時彼は言った。
そこに、ほんの微かだが、気配があった。
そんなはずは無い、とそこにもし医者が居たなら言っただろう。
だがその遺体安置所に入った時。
誰か。
凶暴な声の様に、彼には感じられた。
決して強くは無い。もうその力はこの肉体には残っていない。かろうじて残されたエネルギーを、たった一つの思いに凝縮して、開いた扉に向かって放っていた。
俺はまだ生きてる!
生きたいか? と彼はその「遺体」に問いかけた。
火炎放射器の炎が、一人の男を目の前の「遺体」に変えた。
放ったのは、この遺体の「上官」だった男だった。
しかし少し考えればすぐに判る。それはただの口封じだ。
惑星クリムソンレーキは秋だった。街角に、遠くの山に、木々の葉が美しく色づいていた。
最高の時期だった。収穫の季節。夏の強烈な暑さは退き、冬の厳しい寒さにはまだ時間がある。柔らかな日射しとさわやかな風、実った作物のみずみずしさ。新調される衣類。祭りの季節。
なのに。
彼はこの惑星にその時期、「視察」という名目でやってきていた。表向きの彼の身分において、それは時々必要とされた。クリムソンレーキには、当時、クーデターの噂があった。
しかし、やってきたのはこの上ない来賓。迎える軍部も、クーデターどころでは無かったらしい。
そこで、スケープゴートが立てられる。
上層部は、「反乱の首謀者」を、彼の目の前で焼いた。
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「首謀者」は部下を助けに来た様だった。本人は一度、捕らえられた留置所から脱走したらしい。その位の腕が、この男にはあったのだ。
彼の目には、「首謀者」の男は格別強そうにも見えなかった。ただ、行動の敏捷さには見るものがあった。
しかしどう見ても無謀だった。相手の数が違いすぎる。一人で向かうには、攻撃だけでは無理なのだ。
それまで捕まっていたのだ、と上層部は彼にわざわざ説明した。せっかく脱走したのに、戻ってくる能無しだ、と付け加えた。
そうだろうか?
彼は動かさぬ表情の下で考える。
確かにかなりの馬鹿の様だ。だがこの上層部に言われる程の馬鹿ではない。彼は思った。
判っていて飛び込む類の馬鹿ではあろう。甘いのだろう。
彼はその類の甘さは決して嫌いでは無い。表に出さないだけだ。
彼の心をのぞくことが出来る者は、同じ天使種の中でも居ない。彼自身がのぞかせようと思わぬ限りは。
本心は、いつもその白い、人形の様な顔の下に。無論その場に居た者に、彼の思いなど、判る訳が無い。
彼がその遺体を見たい、と言った時にその場の皆が驚いた。
彼がその遺体を持ち帰ったことは、その場の「上層部」は誰も知らない。
『赤に』
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自分が何故生きてるのか、何故この身体で居るのか、いつもその事実を忘れないために。
そのために、赤をその身体にまとわせてくれ。
血の赤。炎の赤。
自分が生きることを選んだことを、忘れないために。
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絵に惚れ込み、一目惚れキャラのためにハードまで買ったが内容が超つまらなかった残念な乙女ゲームに転生してしまった。
絵は超好みだ。内容はご都合主義の聖女なお花畑主人公。攻略イケメンも顔は良いがちょろい対象ばかり。てこたぁ逆にめちゃくちゃ住み心地のいい場所になるのでは⁈と気づき、テンションが一気に上がる!!
聖女など面倒な事はする気はない!サクッと攻略終わらせてぐーたら生活をGETするぞ!
ご都合主義ならチョロい!と、野望を胸に動き出す!!
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・重複投稿・土曜配信 (たま~に水曜…不定期更新)
三十年後に届いた白い手紙
RyuChoukan
ファンタジー
三十年前、帝国は一人の少年を裏切り者として処刑した。
彼は最後まで、何も語らなかった。
その罪の真相を知る者は、ただ一人の女性だけだった。
戴冠舞踏会の夜。
公爵令嬢は、一通の白い手紙を手に、皇帝の前に立つ。
それは復讐でも、告発でもない。
三十年間、辺境の郵便局で待ち続けられていた、
「渡されなかった約束」のための手紙だった。
沈黙のまま命を捨てた男と、
三十年、ただ待ち続けた女。
そして、すべてを知った上で扉を開く、次の世代。
これは、
遅れて届いた手紙が、
人生と運命を静かに書き換えていく物語。
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