9 / 38
第9話 天井の絵
しおりを挟む
「ああ、それはな」
その夜。
問い掛けたアリカに、のしかかる男は囁いた。
「呪いの絵だ」
「呪い、ですか?」
「そう、それも、二代の后の」
二代の后。この日は眠らずに控えていたサボンは思わず聞き耳を立てる。
「二代様とおっしゃいますと、確か……」
アリカは言葉を濁す。
「春逝《しゅんせい》皇后と称された方だ」
そう、確かにそうだ。サボンは思う。
帝国で今までに皇后は三人。
初代祖帝、二代皇帝、三代武帝それぞれにたった一人づつ。
その一人づつに、国は名を送っている。
建国に到った戦いを皇帝と共に戦った女傑には冬闘祖后《とうとうそこう》。
若くして自ら命を絶った二代の后には春逝皇后。
そして地位を捨てて放浪に旅立った三代の后には風夏太后《ふうかたいこう》の名が送られている。
「これは春逝皇后・マリャフェシナ様が亡くなる前に繰り返し繰り返し詠っていた言葉に、当代の絵師カイリョーカが触発されて描いたものだ」
カイリョーカ、と言えばサボンも知っている、三百年程昔の絵師だ。細い、あっさりとした線画を得意とし、現在でも散逸している彼の作品を求める者は多い。
「……けれど」
少しばかり熱の籠もった声が問い返す。
「何故に、そのカイリョーカの絵を、この様な色鮮やかなうねりで隠すのでしょう?」
あ、という声が混じった。
「それはな」
ふふ、と薄く笑う声がする。
「隠したい。だが隠すのに惜しい。そういうものだからだ」
「隠す?」
「つづきものだ、とそなたは言ったな」
答えは無い。
「そう、春逝皇后は確かにつづきものの題材を残したのだ」
「初耳です」
「それはそうだ。そうそう知る者は居ない。知ろうとする者も居ない」
いや、と皇帝は微妙に言葉の端を上げた。
「見ないふりをしたいのだろう」
「え……」
「今ではほとんど知っている者は居ないはずだ。私が宮中に入った頃でも知っていたのは年輩の女官くらいなものだった」
「それは……」
凄いわ、とサボンはふう、とため息をつく。確かにアリカは知識欲の権化の様な少女ではある。だが。
それでもまだ、嫁いで三日目の夜なのに!
あれだけ何やら、経験したことの無い未知の感覚に驚き、焦っている様な声を立てているというのに!
それでも聞こうという姿勢を崩さないというのは。
そもそもサボンはじっと控えて座ってこの様子を聞いている訳である。それだけでもう大変である。気持ちはいっぱいいっぱいなのだ。
手には汗、唇はひきつり、眠いと思いつつその都度耳に飛び込む会話につい眠気を醒まされ。
甘やかされて育ってきた富裕な令嬢特有の耳年増な想像力は大変なことになっていた。
普段鉄面皮と言ってもいいくらい冷静なアリカが、あの薄い帳の中で、一糸まとわぬ姿になって、どんなところを、あの、おそれ多くも皇帝陛下に触れられているというのか。まさぐられているのか。いやそれとも。いやいやいや。
もう大変である。
なのに当の本人は、最初の夜に疑問に思ったことをきわめて冷静に問い掛けている。
二日目でないあたり、冷静もいいところだ。一日かけてじっくり天井絵の観察をサボンと共にし、そのうえであたりさわりのない質問を探していたらしい。
絵は全部で七種類あった。
寝台の真上の絵がどうも起点らしい。
一枚目、女は手に剣を持ち、走り出す。
二枚目、走り出した女はふわりと崖らしい所から飛び降りる。
三枚目で女は長棒を手に空を眺めている。
四枚目も同じ絵だったが、女の手に長棒は無く、見つめているのは高い壁。
五枚目で女は壁の中に入り、花に埋もれる。
六枚目、女は手一杯の花を壁の外にばらまく。
そして最後の七枚目は。
「もしかしたら、そなたは理解できるかもしれないな」
皇帝はつぶやいた。
*
翌朝。
ご苦労、の言葉を残し皇帝は夜明け前にやはり戻っていった。
ようやく仮眠をとることができる、とサボンは自分の寝台にさっさと潜り込んだ。
そして。
「いつまで眠ってらっしゃるんですか!」
配膳方の声で目を醒ましたのは、既に昼近くだった。
慌てて身支度を済ませると、寝台の中、アリカは眠っていた。
「……アリカ……」
元々の自分の名を呼びかけるのは未だに違和感はある。だが必要だ。何度か呼びかけた。だが目は開かない。揺り動かしても、すーっ、と静かな寝息を立てるだけだった。
「これは」
その夜。
問い掛けたアリカに、のしかかる男は囁いた。
「呪いの絵だ」
「呪い、ですか?」
「そう、それも、二代の后の」
二代の后。この日は眠らずに控えていたサボンは思わず聞き耳を立てる。
「二代様とおっしゃいますと、確か……」
アリカは言葉を濁す。
「春逝《しゅんせい》皇后と称された方だ」
そう、確かにそうだ。サボンは思う。
帝国で今までに皇后は三人。
初代祖帝、二代皇帝、三代武帝それぞれにたった一人づつ。
その一人づつに、国は名を送っている。
建国に到った戦いを皇帝と共に戦った女傑には冬闘祖后《とうとうそこう》。
若くして自ら命を絶った二代の后には春逝皇后。
そして地位を捨てて放浪に旅立った三代の后には風夏太后《ふうかたいこう》の名が送られている。
「これは春逝皇后・マリャフェシナ様が亡くなる前に繰り返し繰り返し詠っていた言葉に、当代の絵師カイリョーカが触発されて描いたものだ」
カイリョーカ、と言えばサボンも知っている、三百年程昔の絵師だ。細い、あっさりとした線画を得意とし、現在でも散逸している彼の作品を求める者は多い。
「……けれど」
少しばかり熱の籠もった声が問い返す。
「何故に、そのカイリョーカの絵を、この様な色鮮やかなうねりで隠すのでしょう?」
あ、という声が混じった。
「それはな」
ふふ、と薄く笑う声がする。
「隠したい。だが隠すのに惜しい。そういうものだからだ」
「隠す?」
「つづきものだ、とそなたは言ったな」
答えは無い。
「そう、春逝皇后は確かにつづきものの題材を残したのだ」
「初耳です」
「それはそうだ。そうそう知る者は居ない。知ろうとする者も居ない」
いや、と皇帝は微妙に言葉の端を上げた。
「見ないふりをしたいのだろう」
「え……」
「今ではほとんど知っている者は居ないはずだ。私が宮中に入った頃でも知っていたのは年輩の女官くらいなものだった」
「それは……」
凄いわ、とサボンはふう、とため息をつく。確かにアリカは知識欲の権化の様な少女ではある。だが。
それでもまだ、嫁いで三日目の夜なのに!
あれだけ何やら、経験したことの無い未知の感覚に驚き、焦っている様な声を立てているというのに!
それでも聞こうという姿勢を崩さないというのは。
そもそもサボンはじっと控えて座ってこの様子を聞いている訳である。それだけでもう大変である。気持ちはいっぱいいっぱいなのだ。
手には汗、唇はひきつり、眠いと思いつつその都度耳に飛び込む会話につい眠気を醒まされ。
甘やかされて育ってきた富裕な令嬢特有の耳年増な想像力は大変なことになっていた。
普段鉄面皮と言ってもいいくらい冷静なアリカが、あの薄い帳の中で、一糸まとわぬ姿になって、どんなところを、あの、おそれ多くも皇帝陛下に触れられているというのか。まさぐられているのか。いやそれとも。いやいやいや。
もう大変である。
なのに当の本人は、最初の夜に疑問に思ったことをきわめて冷静に問い掛けている。
二日目でないあたり、冷静もいいところだ。一日かけてじっくり天井絵の観察をサボンと共にし、そのうえであたりさわりのない質問を探していたらしい。
絵は全部で七種類あった。
寝台の真上の絵がどうも起点らしい。
一枚目、女は手に剣を持ち、走り出す。
二枚目、走り出した女はふわりと崖らしい所から飛び降りる。
三枚目で女は長棒を手に空を眺めている。
四枚目も同じ絵だったが、女の手に長棒は無く、見つめているのは高い壁。
五枚目で女は壁の中に入り、花に埋もれる。
六枚目、女は手一杯の花を壁の外にばらまく。
そして最後の七枚目は。
「もしかしたら、そなたは理解できるかもしれないな」
皇帝はつぶやいた。
*
翌朝。
ご苦労、の言葉を残し皇帝は夜明け前にやはり戻っていった。
ようやく仮眠をとることができる、とサボンは自分の寝台にさっさと潜り込んだ。
そして。
「いつまで眠ってらっしゃるんですか!」
配膳方の声で目を醒ましたのは、既に昼近くだった。
慌てて身支度を済ませると、寝台の中、アリカは眠っていた。
「……アリカ……」
元々の自分の名を呼びかけるのは未だに違和感はある。だが必要だ。何度か呼びかけた。だが目は開かない。揺り動かしても、すーっ、と静かな寝息を立てるだけだった。
「これは」
0
あなたにおすすめの小説
お飾りの妻として嫁いだけど、不要な妻は出ていきます
菻莅❝りんり❞
ファンタジー
貴族らしい貴族の両親に、売られるように愛人を本邸に住まわせている其なりの爵位のある貴族に嫁いだ。
嫁ぎ先で私は、お飾りの妻として別棟に押し込まれ、使用人も付けてもらえず、初夜もなし。
「居なくていいなら、出ていこう」
この先結婚はできなくなるけど、このまま一生涯過ごすよりまし
初夜に暴言を吐いた夫は後悔し続ける──10年後の償い【完結】
星森 永羽(ほしもりとわ)
恋愛
王命により、辺境伯ロキアのもとへ嫁いだのは、金髪翠眼の美しき公爵令嬢スフィア。
だが、初夜に彼が告げたのは、愛も権限も与えないという冷酷な宣言だった。噂に踊らされ、彼女を「穢れた花嫁」と罵ったロキア。
しかし、わずか一日でスフィアは姿を消し、教会から届いたのは婚姻無効と慰謝料請求の書状──。
王と公爵の怒りを買ったロキアは、爵位も領地も名誉も奪われ、ただの補佐官として生きることに。
そして十年後、運命のいたずらか、彼は被災地で再びスフィアと出会う。
地位も捨て、娘を抱えて生きる彼女の姿に、ロキアの胸に去来するのは、悔恨と赦しを乞う想い──。
⚠️本作はAIの生成した文章を一部に使用しています。
【完結】捨て去られた王妃は王宮で働く
ここ
ファンタジー
たしかに私は王妃になった。
5歳の頃に婚約が決まり、逃げようがなかった。完全なる政略結婚。
夫である国王陛下は、ハーレムで浮かれている。政務は王妃が行っていいらしい。私は仕事は得意だ。家臣たちが追いつけないほど、理解が早く、正確らしい。家臣たちは、王妃がいないと困るようになった。何とかしなければ…
おばさんは、ひっそり暮らしたい
蝋梅
恋愛
30歳村山直子は、いわゆる勝手に落ちてきた異世界人だった。
たまに物が落ちてくるが人は珍しいものの、牢屋行きにもならず基礎知識を教えてもらい居場所が分かるように、また定期的に国に報告する以外は自由と言われた。
さて、生きるには働かなければならない。
「仕方がない、ご飯屋にするか」
栄養士にはなったものの向いてないと思いながら働いていた私は、また生活のために今日もご飯を作る。
「地味にそこそこ人が入ればいいのに困るなぁ」
意欲が低い直子は、今日もまたテンション低く呟いた。
騎士サイド追加しました。2023/05/23
番外編を不定期ですが始めました。
断腸の思いで王家に差し出した孫娘が婚約破棄されて帰ってきた
兎屋亀吉
恋愛
ある日王家主催のパーティに行くといって出かけた孫娘のエリカが泣きながら帰ってきた。買ったばかりのドレスは真っ赤なワインで汚され、左頬は腫れていた。話を聞くと王子に婚約を破棄され、取り巻きたちに酷いことをされたという。許せん。戦じゃ。この命燃え尽きようとも、必ずや王家を滅ぼしてみせようぞ。
腹違いの妹にすべてを奪われた薄幸の令嬢が、義理の母に殴られた瞬間、前世のインテリヤクザなおっさんがぶちギレた場合。
灯乃
ファンタジー
十二歳のときに母が病で亡くなった途端、父は後妻と一歳年下の妹を新たな『家族』として迎え入れた。
彼らの築く『家族』の輪から弾き出されたアニエスは、ある日義母の私室に呼び出され――。
タイトル通りのおっさんコメディーです。
「がっかりです」——その一言で終わる夫婦が、王宮にはある
柴田はつみ
恋愛
妃の席を踏みにじったのは令嬢——けれど妃の心を折ったのは、夫のたった一言だった
王太子妃リディアの唯一の安らぎは、王太子アーヴィンと交わす午後の茶会。だが新しく王宮に出入りする伯爵令嬢ミレーユは、妃の席に先に座り、殿下を私的に呼び、距離感のない振る舞いを重ねる。
リディアは王宮の礼節としてその場で正す——正しいはずだった。けれど夫は「リディア、そこまで言わなくても……」と、妃を止めた。
「わかりました。あなたには、がっかりです」
微笑んで去ったその日から、夫婦の茶会は終わる。沈黙の王宮で、言葉を失った王太子は、初めて“追う”ことを選ぶが——遅すぎた。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる