四代目は身代わりの皇后①発端

江戸川ばた散歩

文字の大きさ
10 / 38

第10話 さなぎになるアリカ

しおりを挟む
 既に七日。
 目の前で、自分の身代わりの少女は昏々と眠り続けている。
 あの朝。サボンが寝過ごした朝、アリカが起こしてくれなかった朝。あれから。
 あの几帳面な彼女が、朝の光に目を醒ますこともできず、動くことができない眠りにつなぎとめられている。
 微かな寝息。一見して安らかな眠りとも感じられる。
 だがその身体を巡る血の流れは速い。
 脈を取る侍医の表情は重い。

「非常にお身体の中が忙しく働いておりますな」

 そう言われてサボンは嘘だ、と思った。

「けどぴくりとも動かないではないですか」
「血の巡りが―――あー、そうですな、あんたは蝶の蛹を見たことがありますかな」
「蛹? いいえ」
「芋虫が蝶に変わることは」
「そのくらいは…… でも見たことは」
「ずいぶんとお嬢さんとご一緒のお暮らしだったようですな」

 微かにサボンはむっとする。侍医はそんな彼女の表情には構わず続ける。

「芋虫は蝶になる前に蛹の姿をとる」

 ええ、と彼女はうなづく。そのくらいは知っている。

「蛹自身は眠っているかの様にじっとしているが、その中では驚くべき変化が行われているのですぞ」
「それが?」
「芋虫はそのためにもぞもぞと動きながら一生懸命食物を口にする。……だがこのお嬢さんはそうはできなかったようですな」
「……あの……」
「なかなか大変なことになりそうじゃ。機会を見つけては、甘水を吸い飲みで流し込んでやりなさい。できるだけちょくちょく。水菓子の汁、蜜水、何でもよろしい。口にすればすぐに身体を巡る様なものがよろしい」
「は、はあ……」
「何ですね頼りない。今が大切なのですぞ」
「大切……」
「聞いていないのですかな。この時期に命を落とす女性方が多いということを」

 あ、とサボンは口に手を当てた。
 侍医はため息をついた。哀れむ様に彼女を見た。

「あ、あの…… お――― 将軍様は、私には、その様な」
「なる程…… まあサヘ将軍の様な勇猛果敢なお方は、自分の家の召使いも同じと思ったのか! それとも女というもの、言えば怖がるとお思いになられたのか! だが娘さん、それじゃあいかん。それじゃあいかんのだよ!」

 侍医はそう言うと、さらさらと紙に何やら書き出した。

「配膳方にこれを渡しなさい」

 ざっと目を通す。
 甘水。水菓子の中でも特に甘みの強いもの、絞り汁がとろりと濃いもの、―――中にはこの帝都でも珍しいものもある。季節に合わないものもある。

「口にさせたほうが良いものじゃ」
「け、けど」
「目を醒ますかどうかはあなた次第じゃな。ええと、サボナンチュさんや」
「え…… あ、はい」

 そうだそれがサボンの正式名だった、と彼女は思い出す。
 そしてこの目の前で眠るのがアリカケシュなのだ。
 自分がもしかしたら、そうなるかもしれなかった姿。眠り続ける、蛹の姿。
 蛹の中で、何が起こっているのかは、誰も知らない。

「あの…… 一体いつまで、お眠りになるのですか」

 侍医は首を振った。

「今まで儂は二十四人の女性を見送らなくてはならなかった。二十五人見送ったら宮中を去ろうと考えておる」

 そうならないことを祈る、と彼は言い残して北離宮を去った。
 配膳方は侍医から渡された書を読むと、黙々と作業を始めた。まずそれは、必要な食材を入手することからだった。

「サボンさん」
「は、はいっ」
「私が出ている間、女君には牛乳に蜜を混ぜたものを時々吸わせてやって下さい」

 人肌に温める、と付け加えると、配膳方は外へと飛び出して行った。
 一人残されたサボンは、おぼつかない手つきで、何とか牛乳に糖蜜を入れ、火に掛けた。
 だが慣れないことはやはり難しい。鍋一杯に作ってしまい、無駄極まりない。
 吸い飲みに何とか掬い入れ、人肌まで冷ますと、眠るアリカの枕元まで持って行く。吸い飲みを頬に当てる。起きてちょうだい。そう願いながら。
 目覚めはしない。だが吸い飲みを口に差し込むと、口はすうすうと中身を吸った。流れ込んで行く。喉がごくりと鳴る。
 サボンは少しばかりほっとする。
 しかしどのくらい呑ませればいいのだろう。呑ませっぱなしでいい訳がない。その程度の理性と分別はサボンにもある。
 とりあえず二杯目を用意しておこう、と彼女は立ち上がった。いずれにせよ、沢山用意してしまったのだ。
 そして次に幾らかアリカが欲しがる素振りを見せた時に、すぐに口にできる様に、自分の胸で冷めない様にしておこう―――
 そう思った時だった。
 ばたばたばた、と外で音がした。

「いけません、ここには」

 雑人女の声がする。

「何事ですか」

 サボンは戸を開く。

「兄が妹に会いに来ただけだ! 病気だと! それの何が……」

 はっ、と彼は息を呑んだ。視線が絡む。
 サボンは口を開きかけ――― 慌てて手を当てた。いけない。その言葉を言っては。
 代わりに出たのは、雑人女に対しての。

「下がってもらえる?」
「けどサボンさん」
「いいの、この方は、お嬢様の……」
「お嬢様!?」

 青年は顔をしかめる。

「下がって、ね。本当よ、将軍様の跡取りの方で」

 そのままサボンは彼を中へと通した。

「自分が――― 自分が、何をしたのか、判っているのか?! ……アリカ」

 呼ぶ名は小声だった。聞こえてはいけない。だが呼ばずにはいられない。そんな口調だった。

「ええ、判っております。ウリュン兄様」

 いえ、と彼女は目を伏せる。

「もう、そう呼んではいけませんのですね、小将軍様」
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

お飾りの妻として嫁いだけど、不要な妻は出ていきます

菻莅❝りんり❞
ファンタジー
貴族らしい貴族の両親に、売られるように愛人を本邸に住まわせている其なりの爵位のある貴族に嫁いだ。 嫁ぎ先で私は、お飾りの妻として別棟に押し込まれ、使用人も付けてもらえず、初夜もなし。 「居なくていいなら、出ていこう」 この先結婚はできなくなるけど、このまま一生涯過ごすよりまし

初夜に暴言を吐いた夫は後悔し続ける──10年後の償い【完結】

星森 永羽(ほしもりとわ)
恋愛
王命により、辺境伯ロキアのもとへ嫁いだのは、金髪翠眼の美しき公爵令嬢スフィア。 だが、初夜に彼が告げたのは、愛も権限も与えないという冷酷な宣言だった。噂に踊らされ、彼女を「穢れた花嫁」と罵ったロキア。 しかし、わずか一日でスフィアは姿を消し、教会から届いたのは婚姻無効と慰謝料請求の書状──。 王と公爵の怒りを買ったロキアは、爵位も領地も名誉も奪われ、ただの補佐官として生きることに。 そして十年後、運命のいたずらか、彼は被災地で再びスフィアと出会う。 地位も捨て、娘を抱えて生きる彼女の姿に、ロキアの胸に去来するのは、悔恨と赦しを乞う想い──。 ⚠️本作はAIの生成した文章を一部に使用しています。

【完結】捨て去られた王妃は王宮で働く

ここ
ファンタジー
たしかに私は王妃になった。 5歳の頃に婚約が決まり、逃げようがなかった。完全なる政略結婚。 夫である国王陛下は、ハーレムで浮かれている。政務は王妃が行っていいらしい。私は仕事は得意だ。家臣たちが追いつけないほど、理解が早く、正確らしい。家臣たちは、王妃がいないと困るようになった。何とかしなければ…

完結 辺境伯様に嫁いで半年、完全に忘れられているようです   

ヴァンドール
恋愛
実家でも忘れられた存在で 嫁いだ辺境伯様にも離れに追いやられ、それすら 忘れ去られて早、半年が過ぎました。

断腸の思いで王家に差し出した孫娘が婚約破棄されて帰ってきた

兎屋亀吉
恋愛
ある日王家主催のパーティに行くといって出かけた孫娘のエリカが泣きながら帰ってきた。買ったばかりのドレスは真っ赤なワインで汚され、左頬は腫れていた。話を聞くと王子に婚約を破棄され、取り巻きたちに酷いことをされたという。許せん。戦じゃ。この命燃え尽きようとも、必ずや王家を滅ぼしてみせようぞ。

腹違いの妹にすべてを奪われた薄幸の令嬢が、義理の母に殴られた瞬間、前世のインテリヤクザなおっさんがぶちギレた場合。

灯乃
ファンタジー
十二歳のときに母が病で亡くなった途端、父は後妻と一歳年下の妹を新たな『家族』として迎え入れた。 彼らの築く『家族』の輪から弾き出されたアニエスは、ある日義母の私室に呼び出され――。 タイトル通りのおっさんコメディーです。

おばさんは、ひっそり暮らしたい

蝋梅
恋愛
30歳村山直子は、いわゆる勝手に落ちてきた異世界人だった。 たまに物が落ちてくるが人は珍しいものの、牢屋行きにもならず基礎知識を教えてもらい居場所が分かるように、また定期的に国に報告する以外は自由と言われた。 さて、生きるには働かなければならない。 「仕方がない、ご飯屋にするか」 栄養士にはなったものの向いてないと思いながら働いていた私は、また生活のために今日もご飯を作る。 「地味にそこそこ人が入ればいいのに困るなぁ」 意欲が低い直子は、今日もまたテンション低く呟いた。 騎士サイド追加しました。2023/05/23 番外編を不定期ですが始めました。

「がっかりです」——その一言で終わる夫婦が、王宮にはある

柴田はつみ
恋愛
妃の席を踏みにじったのは令嬢——けれど妃の心を折ったのは、夫のたった一言だった 王太子妃リディアの唯一の安らぎは、王太子アーヴィンと交わす午後の茶会。だが新しく王宮に出入りする伯爵令嬢ミレーユは、妃の席に先に座り、殿下を私的に呼び、距離感のない振る舞いを重ねる。 リディアは王宮の礼節としてその場で正す——正しいはずだった。けれど夫は「リディア、そこまで言わなくても……」と、妃を止めた。 「わかりました。あなたには、がっかりです」 微笑んで去ったその日から、夫婦の茶会は終わる。沈黙の王宮で、言葉を失った王太子は、初めて“追う”ことを選ぶが——遅すぎた。

処理中です...