16 / 38
第16話 衣装と三公主のはなし
しおりを挟む
「桜好みというのは、確か旧藩国『桜』の服を真似たものでしたよね」
「そう。よくご存知ね」
ふふ、とマドリョンカは笑った。
彼等の上着は基本的に、立てた襟と、左側で幾つかの紐やぼたんで留めるものである。
長さ、色、模様、材質、筒袖の有無や幅はその用途や立場によって異なる。
例えば今この時、武術の稽古を欠かさないシャンポンは筒袖の細い内着の上に、袖無しの短い上着、それにゆったりとした下履きをつけている。
セレの上着は腰の辺りまであり、袖は長く、広い。そして下は巻きスカート。年頃の女性の衣裳として、巻きスカートは欠かせないものである。
「桜好み」はその上着が異なっているのだ。
帝国版図の中央よりやや南東。
現在は政府直轄領となっている「桜州」はかつて藩国「桜」と言った。
温暖な気候、豊かな緑に恵まれたその国は、夏は高温で湿気が多く、冬は冷たい風が吹く青天が続き乾燥した。―――四季が存在したのだ。
人々は、移り変わる季節に応じられる服を作り上げていった。夏には風通しが良く、冬には体温を逃がさない様に。
現在の帝都付近に住む人々と、何よりも異なるのは胸元だった。
首の前でざっと合わせただけの襟には、きっちりと留めるためのぼたんも紐も無かった。長い上着を、腰の辺りで帯で留めただけだった。下履きもスカートも無かった。
単純なつくりだったと言ってもいい。
だがそれは彼等にとっての完成形だったとも言える。それ以上の形は必要が無かったのだ。
形の進化が止まれば、意識は自ずと生地に向かう。
「ずいぶんとでこぼことしている」
センはぽつりと言った。
「失礼な方! これは今一番人気の絞り染めですのよ!」
「む…… 昆虫の目の様だ」
うんうん、とセンは納得した様にうなづく。
「あーもうっ! おにーさまっ!! この方本当に失礼っ!」
マドリョンカはセンを指さして怒鳴る。ウリュンは頭を抱える。
「まあ言うな。だいたいお前、僕等にそれを言っても無駄だって判ってるだろうが」
「綺麗か綺麗じゃないかだけ言ってくれればいいのよっ! まぁったく、男ってのは無粋なんだから」
「そりゃあそうでしょう」
セレは口元に手を当て、くすくす、と笑う。
「殿方はそれで宜しいのですわ。一生懸命お仕事に取り組んでらっしゃるんですから」
「あーあ、うらやましい」
シャンポンはそう言いながら椅子にもたれた。
「私も本当、男だったら良かったのになあ。武芸も学問も、面白いけど何の役にも立たない!」
「だったら役に立つことをすればいいだろうが」
「兄上は私に姉上の様にひなが刺繍をしたり菓子作りをしろとでも?」
「できない訳ではないだろう」
ウリュンは眉を寄せる。
そう、確かこの妹は、決してそういう家庭的なことができない訳ではないのだ。
がさつな行動が「好き」だが、令嬢一般のたしなみは一応こなすことができる。―――好きでないだけで。
「シャンポンに言っても無駄ーっ、お兄様。せーっかくおかーさまがこのひとに似合う流行の服とか選んでも『動きにくい』のひとことでどれだけ箱詰めになってることか!」
ひらひら、とマドリョンカは手を振り、ふんっ、と胸を張る。
「女は美しく装うべきなのよっ」
「まあそれは否定しませんね」
ふふ、とサハヤは笑う。
「サハヤ様は話が判る方ね」
「いえまあ、何と言うか」
彼は苦笑する。
「それにしても、ミチャ様はアリカのことを心配されていたのか?」
「ええ」
セレはうなづく。
「そんな心配だったら、私を送り込んでくれれば良かったのにね」
「そういう訳にはいかないでしょう。でももしアリカ様がその、駄目、だったら、シャンポンかあなたが行くことになるでしょうね」
「私が行くわよ! そうしたら」
マドリョンカは姉のほうにぐい、と身を乗り出す。
「ねえそうでしょ? おにーさま。アリカ様も私も、同じ歳だもの。若くて元気よ」
「順番というものがある、マドリョンカ」
シャンポンはとん、と杯を置いた。
「判ってるわよ」
マドリョンカは口をとがらせる。客人二人の方をじっと見る。
「つまりねー、私達のおかーさまってのは、おにーさまの母上様よりも、アリカ様の母上様よりも、ずっとずっとずーっと、身分が低いの」
「む」
センは軽く眉を上げた。
「母御のことをそういうものではない」
「でも事実よ。だから年齢がどうあれ、私の気持ちがどうあれ、おとーさまはまずアリカを宮中に入れたんだわ! 私あれだけ私にして私にして、ってお願いしたのに!」
「お前…… そんなことしてたのか」
「だって宮中よ!」
マドリョンカはどん、と両の拳で卓を叩いた。
「皇后さまになんかなれなくてもいいの。宮中だったら、いっそ女官でもいいわ。ああでも駄目ね、女官だと制服になってしまうもの。おにーさまご存知? 桜の公主様」
「い、いや……」
「『最後の三公主』のお一方のことかな」
サハヤが口をはさむ。
「何だそれは」
「まあ何って言うか、女性の間で広まっている呼び名だよ」
「そうなのか?」
ええ、とウリュンの問いに妹達は一斉にうなづいた。
「現在降嫁先がお決まりになっていないのは、アマダルシュ様とイースリャイ様とイムファシリャ様のお三方だ」
「その中で、一番美しく、衣装選びに長けていると言われているのがアマダルシュ様。『桜好み』もあの方が言い出されたことだわ」
「そうなのか?」
ウリュンは友人に問い掛ける。そうらしい、とサハヤはうなづく。
「イースリャイ様とイムファシリャ様は同い歳。イースリャイ様は幼い頃地方暮らしで、自由に過ごされたせいか、帝都に入られてからも、時々ふらりと城下に行ってしまわれて周りが大変だと。自由に飛び回る『鳥の公主』と呼ばれてます」
セレが説明を引き継ぐ。
「イムファシリャ様は?」
四姉妹は顔を見合わせた。やがてマヌェがぽつりと口にした。
「『緑の公主』さま」
緑の。ウリュンの眉が寄った。
「一番末のかたなんですが、何と言うか、その」
「構わない、言ってくれ。どういう噂が立っているんだ?」
「わかんないの」
マヌェがぽつりと言う。
「あのかた、わからないひとなの」
「そう。よくご存知ね」
ふふ、とマドリョンカは笑った。
彼等の上着は基本的に、立てた襟と、左側で幾つかの紐やぼたんで留めるものである。
長さ、色、模様、材質、筒袖の有無や幅はその用途や立場によって異なる。
例えば今この時、武術の稽古を欠かさないシャンポンは筒袖の細い内着の上に、袖無しの短い上着、それにゆったりとした下履きをつけている。
セレの上着は腰の辺りまであり、袖は長く、広い。そして下は巻きスカート。年頃の女性の衣裳として、巻きスカートは欠かせないものである。
「桜好み」はその上着が異なっているのだ。
帝国版図の中央よりやや南東。
現在は政府直轄領となっている「桜州」はかつて藩国「桜」と言った。
温暖な気候、豊かな緑に恵まれたその国は、夏は高温で湿気が多く、冬は冷たい風が吹く青天が続き乾燥した。―――四季が存在したのだ。
人々は、移り変わる季節に応じられる服を作り上げていった。夏には風通しが良く、冬には体温を逃がさない様に。
現在の帝都付近に住む人々と、何よりも異なるのは胸元だった。
首の前でざっと合わせただけの襟には、きっちりと留めるためのぼたんも紐も無かった。長い上着を、腰の辺りで帯で留めただけだった。下履きもスカートも無かった。
単純なつくりだったと言ってもいい。
だがそれは彼等にとっての完成形だったとも言える。それ以上の形は必要が無かったのだ。
形の進化が止まれば、意識は自ずと生地に向かう。
「ずいぶんとでこぼことしている」
センはぽつりと言った。
「失礼な方! これは今一番人気の絞り染めですのよ!」
「む…… 昆虫の目の様だ」
うんうん、とセンは納得した様にうなづく。
「あーもうっ! おにーさまっ!! この方本当に失礼っ!」
マドリョンカはセンを指さして怒鳴る。ウリュンは頭を抱える。
「まあ言うな。だいたいお前、僕等にそれを言っても無駄だって判ってるだろうが」
「綺麗か綺麗じゃないかだけ言ってくれればいいのよっ! まぁったく、男ってのは無粋なんだから」
「そりゃあそうでしょう」
セレは口元に手を当て、くすくす、と笑う。
「殿方はそれで宜しいのですわ。一生懸命お仕事に取り組んでらっしゃるんですから」
「あーあ、うらやましい」
シャンポンはそう言いながら椅子にもたれた。
「私も本当、男だったら良かったのになあ。武芸も学問も、面白いけど何の役にも立たない!」
「だったら役に立つことをすればいいだろうが」
「兄上は私に姉上の様にひなが刺繍をしたり菓子作りをしろとでも?」
「できない訳ではないだろう」
ウリュンは眉を寄せる。
そう、確かこの妹は、決してそういう家庭的なことができない訳ではないのだ。
がさつな行動が「好き」だが、令嬢一般のたしなみは一応こなすことができる。―――好きでないだけで。
「シャンポンに言っても無駄ーっ、お兄様。せーっかくおかーさまがこのひとに似合う流行の服とか選んでも『動きにくい』のひとことでどれだけ箱詰めになってることか!」
ひらひら、とマドリョンカは手を振り、ふんっ、と胸を張る。
「女は美しく装うべきなのよっ」
「まあそれは否定しませんね」
ふふ、とサハヤは笑う。
「サハヤ様は話が判る方ね」
「いえまあ、何と言うか」
彼は苦笑する。
「それにしても、ミチャ様はアリカのことを心配されていたのか?」
「ええ」
セレはうなづく。
「そんな心配だったら、私を送り込んでくれれば良かったのにね」
「そういう訳にはいかないでしょう。でももしアリカ様がその、駄目、だったら、シャンポンかあなたが行くことになるでしょうね」
「私が行くわよ! そうしたら」
マドリョンカは姉のほうにぐい、と身を乗り出す。
「ねえそうでしょ? おにーさま。アリカ様も私も、同じ歳だもの。若くて元気よ」
「順番というものがある、マドリョンカ」
シャンポンはとん、と杯を置いた。
「判ってるわよ」
マドリョンカは口をとがらせる。客人二人の方をじっと見る。
「つまりねー、私達のおかーさまってのは、おにーさまの母上様よりも、アリカ様の母上様よりも、ずっとずっとずーっと、身分が低いの」
「む」
センは軽く眉を上げた。
「母御のことをそういうものではない」
「でも事実よ。だから年齢がどうあれ、私の気持ちがどうあれ、おとーさまはまずアリカを宮中に入れたんだわ! 私あれだけ私にして私にして、ってお願いしたのに!」
「お前…… そんなことしてたのか」
「だって宮中よ!」
マドリョンカはどん、と両の拳で卓を叩いた。
「皇后さまになんかなれなくてもいいの。宮中だったら、いっそ女官でもいいわ。ああでも駄目ね、女官だと制服になってしまうもの。おにーさまご存知? 桜の公主様」
「い、いや……」
「『最後の三公主』のお一方のことかな」
サハヤが口をはさむ。
「何だそれは」
「まあ何って言うか、女性の間で広まっている呼び名だよ」
「そうなのか?」
ええ、とウリュンの問いに妹達は一斉にうなづいた。
「現在降嫁先がお決まりになっていないのは、アマダルシュ様とイースリャイ様とイムファシリャ様のお三方だ」
「その中で、一番美しく、衣装選びに長けていると言われているのがアマダルシュ様。『桜好み』もあの方が言い出されたことだわ」
「そうなのか?」
ウリュンは友人に問い掛ける。そうらしい、とサハヤはうなづく。
「イースリャイ様とイムファシリャ様は同い歳。イースリャイ様は幼い頃地方暮らしで、自由に過ごされたせいか、帝都に入られてからも、時々ふらりと城下に行ってしまわれて周りが大変だと。自由に飛び回る『鳥の公主』と呼ばれてます」
セレが説明を引き継ぐ。
「イムファシリャ様は?」
四姉妹は顔を見合わせた。やがてマヌェがぽつりと口にした。
「『緑の公主』さま」
緑の。ウリュンの眉が寄った。
「一番末のかたなんですが、何と言うか、その」
「構わない、言ってくれ。どういう噂が立っているんだ?」
「わかんないの」
マヌェがぽつりと言う。
「あのかた、わからないひとなの」
0
あなたにおすすめの小説
お飾りの妻として嫁いだけど、不要な妻は出ていきます
菻莅❝りんり❞
ファンタジー
貴族らしい貴族の両親に、売られるように愛人を本邸に住まわせている其なりの爵位のある貴族に嫁いだ。
嫁ぎ先で私は、お飾りの妻として別棟に押し込まれ、使用人も付けてもらえず、初夜もなし。
「居なくていいなら、出ていこう」
この先結婚はできなくなるけど、このまま一生涯過ごすよりまし
初夜に暴言を吐いた夫は後悔し続ける──10年後の償い【完結】
星森 永羽(ほしもりとわ)
恋愛
王命により、辺境伯ロキアのもとへ嫁いだのは、金髪翠眼の美しき公爵令嬢スフィア。
だが、初夜に彼が告げたのは、愛も権限も与えないという冷酷な宣言だった。噂に踊らされ、彼女を「穢れた花嫁」と罵ったロキア。
しかし、わずか一日でスフィアは姿を消し、教会から届いたのは婚姻無効と慰謝料請求の書状──。
王と公爵の怒りを買ったロキアは、爵位も領地も名誉も奪われ、ただの補佐官として生きることに。
そして十年後、運命のいたずらか、彼は被災地で再びスフィアと出会う。
地位も捨て、娘を抱えて生きる彼女の姿に、ロキアの胸に去来するのは、悔恨と赦しを乞う想い──。
⚠️本作はAIの生成した文章を一部に使用しています。
【完結】捨て去られた王妃は王宮で働く
ここ
ファンタジー
たしかに私は王妃になった。
5歳の頃に婚約が決まり、逃げようがなかった。完全なる政略結婚。
夫である国王陛下は、ハーレムで浮かれている。政務は王妃が行っていいらしい。私は仕事は得意だ。家臣たちが追いつけないほど、理解が早く、正確らしい。家臣たちは、王妃がいないと困るようになった。何とかしなければ…
おばさんは、ひっそり暮らしたい
蝋梅
恋愛
30歳村山直子は、いわゆる勝手に落ちてきた異世界人だった。
たまに物が落ちてくるが人は珍しいものの、牢屋行きにもならず基礎知識を教えてもらい居場所が分かるように、また定期的に国に報告する以外は自由と言われた。
さて、生きるには働かなければならない。
「仕方がない、ご飯屋にするか」
栄養士にはなったものの向いてないと思いながら働いていた私は、また生活のために今日もご飯を作る。
「地味にそこそこ人が入ればいいのに困るなぁ」
意欲が低い直子は、今日もまたテンション低く呟いた。
騎士サイド追加しました。2023/05/23
番外編を不定期ですが始めました。
断腸の思いで王家に差し出した孫娘が婚約破棄されて帰ってきた
兎屋亀吉
恋愛
ある日王家主催のパーティに行くといって出かけた孫娘のエリカが泣きながら帰ってきた。買ったばかりのドレスは真っ赤なワインで汚され、左頬は腫れていた。話を聞くと王子に婚約を破棄され、取り巻きたちに酷いことをされたという。許せん。戦じゃ。この命燃え尽きようとも、必ずや王家を滅ぼしてみせようぞ。
腹違いの妹にすべてを奪われた薄幸の令嬢が、義理の母に殴られた瞬間、前世のインテリヤクザなおっさんがぶちギレた場合。
灯乃
ファンタジー
十二歳のときに母が病で亡くなった途端、父は後妻と一歳年下の妹を新たな『家族』として迎え入れた。
彼らの築く『家族』の輪から弾き出されたアニエスは、ある日義母の私室に呼び出され――。
タイトル通りのおっさんコメディーです。
「がっかりです」——その一言で終わる夫婦が、王宮にはある
柴田はつみ
恋愛
妃の席を踏みにじったのは令嬢——けれど妃の心を折ったのは、夫のたった一言だった
王太子妃リディアの唯一の安らぎは、王太子アーヴィンと交わす午後の茶会。だが新しく王宮に出入りする伯爵令嬢ミレーユは、妃の席に先に座り、殿下を私的に呼び、距離感のない振る舞いを重ねる。
リディアは王宮の礼節としてその場で正す——正しいはずだった。けれど夫は「リディア、そこまで言わなくても……」と、妃を止めた。
「わかりました。あなたには、がっかりです」
微笑んで去ったその日から、夫婦の茶会は終わる。沈黙の王宮で、言葉を失った王太子は、初めて“追う”ことを選ぶが——遅すぎた。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる