四代目は身代わりの皇后①発端

江戸川ばた散歩

文字の大きさ
23 / 38

第23話 サボンの雑務修行

しおりを挟む
「何だと?」

 皇帝が内侍長からその知らせを受け取ったのは、明け方頃だった。

「それは確かか?」

「確かと申しますか……」

 内侍長は言葉を濁した。

「侍医長のホルバ・ケドによりますと、女君自身がそう口にしたとの……」
「ふぅん」

 皇帝は顎を一撫ですると、大きくあくびをした。寝台から飛び降りると、寝台に掛けたままの上着と下履きを身につける。

「ちょっと出てくるぞ」
「へ、陛下、女君の方は―――」

 慌てて内侍長は声を掛ける。

「その女の方へちょっとお散歩してくるのさ」
「それなら我々も」
「一人で良い。それと」

 は、と内侍長は顔を上げた。

「サヘ将軍宅へ使いを出せ。すぐに北離宮に来る様にと」
「は」

 内侍長は頭を下げる。
 再び上げた時には、皇帝の姿は何処にも無かった。
 ふう、と内侍長ケレンフトはため息をついた。



 北離宮の厨房は明け方から大忙しだった。

「まだ糧庫の方も開いていないというのにさ。ろくなに材料もありゃしない。ああそっちの鍋の煮込みの方が先だよ」

 タボーは近くを歩いていた雑人女を捕まえると、者も言わせず食事の用意を手伝わせた。

「タボーさぁん…… 私厨房雑人じゃあないんですが~うちの仕事もあるんですが~」
「うるさいね、後で私が縫製方に言ってやるよ。とにかくこの時間じゃああんたしか見つからなかったから仕方ないだろう、エモイ?」
「そーですが~」
「ともかく、今! 早く食事の用意をしなきゃならないんだ。しかもたくさん!」
「たくさんですかあ~はあ~」

 はあ、と気の抜けた様な返事をしつつも、エモイは腕まくりをし、煮込み料理を始めた。
 言われた通りの野菜を切り、肉を取り出しぶつ切りにする。手際は良い。

「焼き物はすぐできる。サボンさんあんたはとりあえず水菓子《くだもの》を持って行っておくれよ」

 手が足りない、ということでサボンもまた、かり出されていた。
 もっとも彼女が厨房でろくな作業もできない、ということはタボーもこの十日程のうちでよく判っていた。だから彼女には簡単なことだけを指示する。
 サボンもまた、言われたことをともかく忠実にやろう、とそれだけで今は頭が一杯になっていた。
 厨房の菜庫に置かれた果物の中から、皮をむきやすいものをざっと選び、ざるに移す。外の水場でそれを綺麗に洗い、それから皿に盛りつけて女君には渡す、と。
 それでも。

「ああああ」

 ざるに移す際にころころと幾つか大きめの蜜柑が転がる。
 何してるんだ、とタボーも言いたい気にかられるが、あえて言わない。彼女にとってはまず目の前で仕上がりつつある焼き物が先だ。

「けど本当に大丈夫なんですかあ?」

 エモイが首を傾げる。サボンよりも一つ二つ年下だが、手際は格段に良い。

「何が」

 タボーは素っ気なく答える。

「だって女君は、起きられたばっかりなんでしょー? こんなに食べて大丈夫なんですかねえ」
「私もそれは思ったんだけどねえ」

 焼き物をひっくり返しながら、タボーは口を歪める。

「侍医のセンセイも構わないと言ったからねえ。そもそもあのジイさんも首を傾げてたがねえ。とは言えあのジイさんがここの方々のお身体に悪いことは言わないだろ。女君に大丈夫と言うなら」
「なら?」

 小動物の様な目で、エモイはタボーを見つめる。

「たぶん、大丈夫なんだろ」
「たぶんですかー?」
「うるさいね、煮込みはどうだいっ! 噴いてるじゃないかっ!!」

 などとけたたましい会話を背に、水場でサボンは果物を洗う。水場は井戸の側に作られた洗い物のための作業場だ。
 汲み上げた水を台の上に置いて、一つ一つを丁寧に洗う。ごしごし。だけど手加減は必要。ごしごし。最初に林檎を洗った時、洗いすぎて皮までむきかけて、タボーから呆れられた。

「食材はねえ、大切なものだから、丁寧に扱うんですよ。一つ一つが、食べられるために用意されてる。食べられないものにしてしまうことは食材に対しても、作ったひとに対しても、失礼だ」

 だからその日の夕食は、自分の失敗した食材の処理だった。むきすぎた林檎が一つと、生焼けのパンが二つ。茶ではなく、水。それ以外口にできなかった。
 無論後で空腹になった。なかなか眠れなかった。
 家では、気分がすぐれなくて食事を取らないことはあったが、食事が満足に食べられなくて気分が悪くなったことは無かった。

「あんたが今までどういう暮らしをしてきたか私には判らないが、今のあんたはあの女君の世話をしなくちゃあならないんですよ」

 タボーはサボンの手をじっと見て、そう言った。
 身代わりとまでは思わなかっただろうが、厨房仕事も掃除もしたことの無い家の娘の手だということはすぐに見抜いただろう。

「できそうなことを言うよ。あんたがここに居るうちは。言われたことはやる。それだけだ」

 タボーはそう言った。だからサボンはそれにうなづいた。
 ごしごし。背後でエモイがさっさっ、とタボーに言われた作業をこなしている。胸が痛くなる。悔しい、と彼女は思った。唇を噛んだ。

「洗ったら持って行って下さいよ」

 はぁい、とサボンはつとめて大きな声を出した。

「とりあえず水菓子を……」

 そう言いながらサボンは寝室へと入ろうとし。
 ―――もう少しで皿を取り落としそうになった。

「へ、陛下……」

 窓から、皇帝そのひとが入ろうとしていた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

お飾りの妻として嫁いだけど、不要な妻は出ていきます

菻莅❝りんり❞
ファンタジー
貴族らしい貴族の両親に、売られるように愛人を本邸に住まわせている其なりの爵位のある貴族に嫁いだ。 嫁ぎ先で私は、お飾りの妻として別棟に押し込まれ、使用人も付けてもらえず、初夜もなし。 「居なくていいなら、出ていこう」 この先結婚はできなくなるけど、このまま一生涯過ごすよりまし

初夜に暴言を吐いた夫は後悔し続ける──10年後の償い【完結】

星森 永羽(ほしもりとわ)
恋愛
王命により、辺境伯ロキアのもとへ嫁いだのは、金髪翠眼の美しき公爵令嬢スフィア。 だが、初夜に彼が告げたのは、愛も権限も与えないという冷酷な宣言だった。噂に踊らされ、彼女を「穢れた花嫁」と罵ったロキア。 しかし、わずか一日でスフィアは姿を消し、教会から届いたのは婚姻無効と慰謝料請求の書状──。 王と公爵の怒りを買ったロキアは、爵位も領地も名誉も奪われ、ただの補佐官として生きることに。 そして十年後、運命のいたずらか、彼は被災地で再びスフィアと出会う。 地位も捨て、娘を抱えて生きる彼女の姿に、ロキアの胸に去来するのは、悔恨と赦しを乞う想い──。 ⚠️本作はAIの生成した文章を一部に使用しています。

【完結】捨て去られた王妃は王宮で働く

ここ
ファンタジー
たしかに私は王妃になった。 5歳の頃に婚約が決まり、逃げようがなかった。完全なる政略結婚。 夫である国王陛下は、ハーレムで浮かれている。政務は王妃が行っていいらしい。私は仕事は得意だ。家臣たちが追いつけないほど、理解が早く、正確らしい。家臣たちは、王妃がいないと困るようになった。何とかしなければ…

完結 辺境伯様に嫁いで半年、完全に忘れられているようです   

ヴァンドール
恋愛
実家でも忘れられた存在で 嫁いだ辺境伯様にも離れに追いやられ、それすら 忘れ去られて早、半年が過ぎました。

断腸の思いで王家に差し出した孫娘が婚約破棄されて帰ってきた

兎屋亀吉
恋愛
ある日王家主催のパーティに行くといって出かけた孫娘のエリカが泣きながら帰ってきた。買ったばかりのドレスは真っ赤なワインで汚され、左頬は腫れていた。話を聞くと王子に婚約を破棄され、取り巻きたちに酷いことをされたという。許せん。戦じゃ。この命燃え尽きようとも、必ずや王家を滅ぼしてみせようぞ。

腹違いの妹にすべてを奪われた薄幸の令嬢が、義理の母に殴られた瞬間、前世のインテリヤクザなおっさんがぶちギレた場合。

灯乃
ファンタジー
十二歳のときに母が病で亡くなった途端、父は後妻と一歳年下の妹を新たな『家族』として迎え入れた。 彼らの築く『家族』の輪から弾き出されたアニエスは、ある日義母の私室に呼び出され――。 タイトル通りのおっさんコメディーです。

おばさんは、ひっそり暮らしたい

蝋梅
恋愛
30歳村山直子は、いわゆる勝手に落ちてきた異世界人だった。 たまに物が落ちてくるが人は珍しいものの、牢屋行きにもならず基礎知識を教えてもらい居場所が分かるように、また定期的に国に報告する以外は自由と言われた。 さて、生きるには働かなければならない。 「仕方がない、ご飯屋にするか」 栄養士にはなったものの向いてないと思いながら働いていた私は、また生活のために今日もご飯を作る。 「地味にそこそこ人が入ればいいのに困るなぁ」 意欲が低い直子は、今日もまたテンション低く呟いた。 騎士サイド追加しました。2023/05/23 番外編を不定期ですが始めました。

「がっかりです」——その一言で終わる夫婦が、王宮にはある

柴田はつみ
恋愛
妃の席を踏みにじったのは令嬢——けれど妃の心を折ったのは、夫のたった一言だった 王太子妃リディアの唯一の安らぎは、王太子アーヴィンと交わす午後の茶会。だが新しく王宮に出入りする伯爵令嬢ミレーユは、妃の席に先に座り、殿下を私的に呼び、距離感のない振る舞いを重ねる。 リディアは王宮の礼節としてその場で正す——正しいはずだった。けれど夫は「リディア、そこまで言わなくても……」と、妃を止めた。 「わかりました。あなたには、がっかりです」 微笑んで去ったその日から、夫婦の茶会は終わる。沈黙の王宮で、言葉を失った王太子は、初めて“追う”ことを選ぶが——遅すぎた。

処理中です...