反帝国組織MM⑤オ・ルヴォワ~次に会うのは誰にも判らない時と場所で

江戸川ばた散歩

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第16話 「あなたは僕をからかって楽しいんですか?」

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 そしてその翌日、他の用事を手際よく済ませると、彼は娯楽室へと出向いた。下級生は彼の姿を認めると、明らかに緊張した面もちになった。露骨すぎるその様子に、笑みが漏れてしまう自分に気付く。
 ご期待に応えて何かしてもいいかな、とも考えたが、あえてそれは止した。無論それは親切心からではない。明らかに何かするんじゃないか、とどぎまぎしている相手をからかうのが楽しかったからである。
 実際、ちらと時々伺い見る下級生の肩は、時々奇妙にぴくん、と上がったりして平静を保っていないことが丸わかりである。そしてそれが自分の歌っている声によることも。
 そんなことが五日も続いて、さすがにそろそろ何か進展があってもいいんじゃないかな、と彼は思った。
 ピアノと自分の間に挟まれた下級生は、椅子に座ったまま、彼を見上げる形で、それでも視線は外して、絞り出すような、かすれた低音で、必死で問いかけてきた。

「あなたは僕をからかって楽しいんですか?」

 おやおや気付いていたか、と予想された言葉に彼は平然とした顔のまま、答える。

「当然だよ、楽しい」
「どうして…」
「さあどうしてだろうね」

 すると、さすがにその答えには怒ったのだろうか、下級生はその形の良い眉をひそめて、急に立ち上がった。そして急すぎて、下級生はバランスを崩した。
 ぐらり、と傾いた身体は、慌てて無意識に近くの頼れるものに手をつく。ぱぁん、とピアノが悲鳴のような不揃いの音を立てた。
 少なくとも、彼にはそういう順番に見えた。
 いずれにせよ、次にするべき行動は決まっていた。倒れようとする意中の相手なら、支えなくてはいけない。彼はその大きな手を下級生の背に回した。
 下級生は反射的に顔を上げた。目線が合う。
 だが、予想外のことはどんな時にも起こりうるものだ。彼は自分の心臓が、一瞬飛び跳ねるのを感じた。だが言葉は平静だった。

「やっとこっちを見た」

 彼はその時、どうしてもこの下級生にそうさせたかった自分に気付いた。ああそうか。
 掴まえるつもりが、掴まえられた。
 何となく、自分自身を笑ってやりたい気分にかられた。だが彼は別に自分自身を責める趣味は何処にもなかったので、そうと気付いたからには、次の行動は決まっていた。
 回した手に、力を込める。相手の瞳は抵抗の色が見えるのに、身体は全く力が入っていない。矛盾しているな、と彼は思う。そしてそのなけなしの抵抗が、下級生にこんな言葉を言わせたらしい。

「放して下さい」

 絞り出すような声。まるで言い訳のように。無論それに従う理由は彼にはさらさらなかった。
 力の抜けた相手を抱きしめると、ひどくその感触が心地よいことに気付いた。
 だから、それを全部手に入れたい、とその時本気で思った。
 その翌日には、さすがに抱きしめる彼の手に下級生が躊躇することはなかった。ところが、その長い髪を止めているリボンを解こうとした時、下級生は抵抗の色を示した。ここまで来て今更、と彼は下級生を見据えた。下級生は彼の視線から、かろうじて目を細めることで、そこから少しでも逃げようとしていた。
 合わせている胸から、露骨な程に動悸が伝わってくる。なのに、この下級生はいけない、などとつぶやいているのだ。

「何で?」

 彼は訊ねた。

「何でって… ここは…」

 下級生は語尾を濁す。彼はその言葉の裏にあるものに気付いた。

「なるほど、ここは娯楽室だな。そろそろ皆帰ってきてもおかしくはないね」
「だから…」
「じゃあ、ここでなければいいの?」

 下級生ははっとして彼を見た。だが次に何を言っていいのか判らないようで、困った顔のまま、黙り込んでいる。
 そう、と言ってしまえば、ここ以外のところならいい、というのを露骨に答えてしまうことにになるし、違う、と言ったなら、今度は自分がそれに対して更にその理由を問いかけるであろうことを、この下級生も気付いているのだ。
 しかも、だからと言って、完全に自分を拒絶することもできない。彼は知っていた。この下級生は、内心、ここでなければいい、と思っているのだ。だがおそらくは、そのプライドのせいで、それを口にはできない。

 本当に、可愛い。

 そう思ってしまうと、それは露骨に彼の表情に出た。おそらく顔が実に意地悪く笑っているのであろうことは容易に想像がつく。

 ではどうしようか。

 彼は下級生の右の耳元で囁く。

「じゃあここでの練習は今日で終わりだ」

 下級生の肩が、ぴくん、と跳ねた。

「もう十分歌は覚えたからね」

 瞳が驚いたように大きく開いた。彼はその瞬間を逃さなかった。視線が絡む。相手の瞳には、驚きと、嫌われたんじゃないか、という脅えのようなものが混ざっていた。
 思った通りだ。彼は相手が自分の手の中に落ちたことを確信していた。それではご期待に応えて。

「…三号舎の六番」

 それは彼の宿舎の部屋の番号だった。無論下級生にもその意味は判るはずだった。問い返そうとする気配はあった。躊躇する瞳。微かに退こうとする背中。彼は片方の手を背から外して、相手の目を覆った。
 そして訊ねる前に。
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